第42話 磯の幸
文字数 5,827文字
俺の地元は日本海側であり、海の幸が豊富である。
ズワイガニに始まって、甘エビ、カレイ、ブリ、ミズダコ、ウニ、ワカメなど、他の地域ではあまりお目にかかれない高級食材が多い。
だが、これらはどれも深場で網を引かなくては手に入らなかったり、漁業権を持つ漁師さんでないと採ること自体が違法行為になってしまっていたりする。
しかし専門漁具が無くても、また、そんな高級食材を狙わなくとも、磯には美味しいモノがある。今回はそんな話。
夏場になると、地方紙の下の方には交通事故や窃盗、有名人の訃報と並んで『密漁者逮捕』の記事が載る。県外、特に都会の方からサザエやアワビを採りに来て捕まってしまう連中がいるのだ。
それがたとえ海水浴のついでにバーベキューで焼いちゃおうって話であっても、サザエやアワビをそれと知って採集したなら、地元のパトロールは許さない。
軽く考えていると、警察沙汰&新聞沙汰なのである。
しかも、報道されるその罪状もサザエ四個を採ったとか、そんなしょぼいものばかり。
だがサザエなんか、地元スーパーでは七個入ったパックが五百円そこそこ。むろん生きているから鮮度もバッチリ。警察沙汰の危険を冒して密漁するよりも、買った方がずっといいのは言うまでもない。
とはいえ、せっかく海に来ていて何も採ってはいけないなんて寂しすぎるという気持ちも分かる。人は狩猟本能を満足させたい生き物なのだから。
まあ、取り敢えず狩猟本能は釣りで発散すればいい。
海釣りは無料だから、穴釣りならカサゴやアイナメ、クジメ、ギンポ、投げ釣りならキスやメゴチ、サビキを使えばアジやスズメダイも釣れる。餌木を投げればアオリイカだって釣れるかも知れない。
要は『適法な漁法で』『漁業権対象種』を採らなければいいわけだ。
採取可能な磯の生物もある。フジツボ、カメノテ、シッタカなどは、どこにでもあって漁業権対象種に指定されていない場所が多く、実に美味で、味噌汁に入れて食べる地域もある。
だが、マナーの悪い人間のせいで、それらも最近では漁業権種になってしまっているところがあって、なかなか磯で採集したモノを食べるのは難しくなってきたのはたしかだ。
その場所の禁止事項を理解して、地元に迷惑を掛けないレベルで楽しみたいものだ。
例えばノリ。
これは意外なことに、素人でも採集できる海藻だ。
といっても、どこでも大丈夫、というわけではない。冬の風物詩としてニュースにもよく取り上げられる『岩ノリ採集』の場面は、吹き付ける風も冷たい冬の日本海が舞台。
地元の漁師さん達が、金属製のヘラを持って岩場に集い、岩にへばりつくように生えた岩ノリをゴリゴリと採集していく姿を見て、自分もやろうと思う人は少ないだろう。
もちろん、この岩ノリにも漁業権があるから、許可も得ずにそのマネをしてはいけないわけだし、たとえ許可を得ようとも、クソ寒い中、荒波打ち付ける日本海で岩ノリを取るなど、素人には技術的にも体力的にも常識的にも不可能といえよう。
だがしかし。
漁業権でノリが種指定されていない地域で、漁師さんがやって来ないような場所で、かつ、素人にも採れそうな場所、というものもある。
それは、漁港でない港のテトラポッドの隙間だ。
そういう場所では誰もそれをノリだとすら認識していないので、長く生長したノリが生えていて、道具でこそげたりせずとも、手で引っ張るだけでごっそりと採れる。
これが法的にどうなのかは、正直分からない。調べてみたが、よく分からないのだ。
厳密には違法だと言われればどうしようもないわけだが、少なくとも、そんなところにまで注意に来る人はいないので、たぶん大丈夫、と言っておこう。
余談だが、ウサギの項で書いた、轢死体を黙って拾得するのも厳密には違法らしい。どうやら、地域の行政に許可を取らなくてはならないとのこと。しかし、そういわれても、そんなことをしていると腐ってしまうので、どのみち食えないことになる。
まあ、今から語る出来事も、あの件も同じ十数年前のことなのでまとめてご容赦願いたい。
学生時代。
後輩達を連れて釣りに出かけたある週末。その場所は漁港としても利用されてはいるようだが、基本的に輸送基地っぽいその港で、釣り人がたくさんいた。季節は晩秋……を通り越して冬と言っていい時期だったと思う。
小雪がちらつくくらいの寒さで、釣り情報でもほとんど釣りモノはなかったのだが、学校が休みでヒマだという理由で、俺達は防波堤へと繰り出したのだ。
思えばあの頃は若かった。今ならあんなクソ寒い中、一時間以上も車を飛ばしてわざわざ釣れない釣りなどやりに行かない。釣りはのんびり、暖かく、しかもそこそこ釣れなくては面白くないのだから。
まあ、それでも冬の北関東の防波堤は、カレイやメゴチ、シャコ、ドンコことヨロイイタチウオなどがちょいちょいと掛かってくる。うまくいくとソイやカサゴ、アイナメなんて大物も望めたから、一日釣っていても飽きはしないはずだった。
だが、その日に限っては全員まったくの釣果ゼロ、すなわち釣り用語で言うところのボウズであった。
波が荒い上に、びゅうびゅう北風の吹き付けるこの状況では、仮に魚がいたとしても、食いつける状況にまで餌を持って行けない。砂を巻き上げた水は茶色に濁り、一切の生き物が見当たらない。
何も遮るものとて無い防波堤上は、我慢大会の会場と化し、俺達は背中を丸めて表面積を少しでも小さくしつつ、一向に動かない竿先を見つめていた。
だが、今回の同行者の中には女子が混じっていた。サークルの後輩であったが、こういう事は珍しい。健康な男子としては、当然、女子にいいところを見せたいし、釣りの先輩としてはなんとか釣らせてもやりたい。
そうは思っていても、天候ばかりはどうしようもない。このままでは初めて釣りに来た女子に寂しい記憶を刻んで帰らせることになってしまう。俺は、何とかならないかと頭をフル回転させた。
今の俺なら、「じゃあ帰りにケーキ買って帰ろうか」とか「オシャレなビュッフェで残念会しよう」とかって発想になるのだが、当時の俺はそんなこと毛先ほども思いつかなかった。
当時の俺は、とにかく捕る事を考えたのだ。海にいるのは魚だけではない。釣れないなら、違うモノを採ればいい。そう思ったわけだ。
俺は釣りの仕掛けを海に放り込んだまま、竿はハクレン後輩に任せ、テトラポッドへと進撃した。
行ってみると、あるある。
イボニシが点々とテトラポッドについているのだ。これは知っている。イボニシは肉食性の巻き貝で、意外に美味いはずだ。しかも小さいせいかサザエやアワビ、シッタカと違って、これが漁業権種になっている場所は少ないから、気軽に採集できる。
俺は、弁当を入れてきたコンビニ袋にこれを詰め込み始めた。これで、一匹も釣れなくとも夜の宴会は大丈夫のはず。
さらに、よく見ると波の打ち付けるテトラポッドには、見たことのある海藻がびっしり。
「おおお。コレ、ノリやんか」
俺はイボニシだけでなく、ノリまでビニール袋一杯に採ることができた。
だが、とりあえず肴は出来たと報告したところ、農業系ワイルド後輩が対抗意識を燃やしたのか、とんでもない事を言い出した。
「先輩。釣りに来たんだから釣らにゃあいかんですよ」
そう言って、波の来ない内湾の奥まで行ってテトラの隙間に仕掛けを落とし、ひょいひょいとあるモノを釣り上げ始めた。
こんな悪天候でもいて、内湾の奥の水の汚い場所でも平気で生息し、見ながら釣れば小学生にもつれる釣りモノ……そう、カニである。
しかも内湾のせいか、種類はちょっと焦げ茶色で殻の分厚いイワガニであった。
イシガニならいい。ガザミに似た大型のカニだから、まあまあ食うところもあるし、味も良い。魚屋に並ぶこともあるカニだ。だが、たった一文字違うだけで、イワガニは甲長数センチ。まったく食える場所など無い。
そんなイワガニをどうしようというのか。
聞くと、
「いや、サワガニが唐揚げで丸ごと食えるんスから……」
「まて、やめろ。こんなモン食った話聞いたこと無いぞ。しかも見ろ。ここ水の流れ無いからめっちゃ汚いがな」
俺の地元の日本海と違い、濁って底が見えないのが当たり前の太平洋、とはいえ、その場所は更に汚かった。プラゴミがぷかぷか浮き、水面は油で虹色に光っているのだ。
「汚いなんて言ったら、この海で釣ったモノ何も食えませんよ。それに、小さくてもカニなんだから大丈夫ッしょ?」
待ておい。まさかコイツ食ったことないのかよ!? 初めて食う、食えるかどうか分からんモノを何十匹も採ってるわけ?
「いや、やめとけよ。放してやれ」
「いや、大丈夫ッス」
何がどう大丈夫なのかはよく分からなかったが、後輩は頑として聞かず、結局、その日の宴会は、イボニシの炊き込みご飯とノリの佃煮、イワガニの唐揚げ、あとは途中に市場で買ってきたハマチの刺身、というラインナップとなったのであった。
ノリの佃煮は、かなり美味かった。
市販のものより、随分味を薄めにしたおかげで、ノリの味がくっきりと分かる。その後も何度かそういう機会があって自分で採ったノリを食べたが、味噌汁に入れても、佃煮をご飯に乗せても実に美味。もちろん酒のつまみとしても最高の素材であった。
イボニシは非常に良いダシが出て、味はこれまた最高だった。
だが、確かに味は最高だったのだが……けっこうな量の砂がご飯に混じってしまって、食感が悪化し、皆の評価的には数ランク下がってしまったのが残念だった。
テトラの上に張り付いていた巻き貝が、砂を噛んでいるなどとはまったく思わなかったので、砂吐きをさせなかったのが失敗だったわけだ。だが、これは普段から砂を呑み込んでいるわけではなく、おそらく荒れまくっていた海が砂を巻き上げ、それを噛んでしまったという方が正しいのではないだろうか。それ以来イボニシは食べていないので、検証は出来ていないが。
で、イワガニだ。
予想通り殻は固い、しかも泥っていうかヘドロ臭い、しかもコイツも砂噛んでる。
この手のカニはベントス食、つまり底の有機物を選んで食べるタイプなのだ。あの凄まじく汚い海のヘドロを体内に持っているのに、それを丸ごと食していると思うとゾッとした。前にも書いたが、俺は何でも食しているようでいて、無頓着ではない。かなり気を使って食材を選んでいるのだ。
だが、農業系ワイルド後輩は、意地なのか味音痴なのか無神経なのか「美味しいッスよ」と何匹もボリボリ食べている。
こんなもん何匹も食って大丈夫なのか……? と思ったら案の定、ワイルド後輩は翌日かなりな下痢をしたらしい。で、二度とイワガニは食わないと誓ったようだが、そんなもん、最初から食うなと言いたい。
まあ、闇揚げでイソガニなら俺も食ったし、アレは別に不味くなかった。この違いは普通の人にはあまり分からないかも知れないが……
そういえば、そのイソガニも調子に乗ってたくさん食った時、あとで全身に蕁麻疹が出て、酷い目にあったことがあるのを思い出した。
前にも書いたか知れないが、南方にいるころっとした可愛いマンジュウガニの仲間は、フグと同じ毒を持っていて、大変ヤバイ。南方の島での中毒例では、たしか一家全滅の上に食べ残しを食べたニワトリや豚まで死んでいたはずだ。
そういうわけなので、まあ磯で採れる小型のカニは、あんまり食わない方がいいということかも知れない。
蛇足だが、南方の河口や浜辺には「ツムギハゼ」というこれまた猛毒の小魚もいて、知らない種類は食わないに越したことはないと言える。
まあ、イワガニやイソガニは種類もハッキリしているし、明確に毒を持つような生物ではないが、普通あれだけいて問題のない生き物なら、人間は食う習慣を持つようになるだろう。
ウニやナマコ、タコなんていう、よく考えてみれば極めて食欲をそそらない容姿の、ワケの分からない生き物まで食っている人間が、イソガニを食う習慣がない、ということは何か問題があるのかも知れない。
まあ、磯にはこの他にも美味な食材がたくさんあるから、食うとこのない小さなカニなんぞ食わなくても良かっただけって考えもあるが。
あれ以降も、釣果が不振の時や海水浴のついでに、ちょこちょこと採集しては食べているが、磯へ行く楽しみは尽きることはない。
ヒザラガイ、カメノテ、フジツボなどが美味なのは前述したが、イソスジエビ、ハオコゼ、ダイナンギンポなど、あまり食されない生き物も、食べてみるとおつなモノだ。
しかし、そういうモノには理解のない妻と結婚して以来、そういうものを食おうとすると、ブレーキを掛けられるのは困ったものだ。
夫婦してそんなゲテモノをあさるよりは、ずっとマシな状況なのかも知れないが。
そういえば、イソギンチャク、アメフラシまでも食べる習慣のある地域があると聞く。
だがこれらを味わえるのも、その地域に料理法が確立していればこそらしい。
大学時代、俺とはあまり付き合いの無かったヤツらがアメフラシを食って入院したと、噂になった事があった。相当の重症だという話で、たしか一週間くらいは学校を休んでいた。
実際にそいつらに確認したわけではないので、事の真偽は定かではないのだが、その後の臨海実習の際に、動物分類学の教授から『アメフラシが採れても、絶対食べないように』との指導がわざわざあったから、単なる噂ではなかったのであろう。
アメフラシの出す紫色の汁は、不味い上に毒があり、内臓は非常に臭いので、採ったらすぐ海で捌いて綺麗に海水で洗っておかなくてはならないらしい。
しかも、めちゃくちゃ固くて、一時間くらい煮込んで初めて柔らかくなり、食用となるらしく、そんなことを知らない学生が適当に料理すれば、そりゃあ中毒もする。
その上、地域によっては食べている海藻のせいで毒を持つ、という説もあり、そう簡単に手を出せる食材ではなさそうだ。
うむ、しかしアメフラシか。
『きゃっち』しやすくて、まだ一度も食ったことなくて、手を掛ければまあまあ食えそうな食材があるもんだ。こうして思い出の引き出しをまさぐるのも悪くない。
今年の夏は一度チャレンジしてみようかな。
むろん、妻には内緒で、だが。