第4話 日本の野生イチゴ

文字数 3,453文字

 俺はビオトープ管理士である。
 なので、ビオトープをいくつか整備した経験があるが、妙なもので中途半端な市街地には、ビオトープの需要はあまりない。本当の完全な市街地か、ビオトープなんぞ作らなくてもいいような、ど田舎の休耕田とか、そういうところが多いのだ。
 ビオトープと聞くと、水盤に土を入れ、水草を植え、メダカを放してあるものを思い浮かべる人がいるが、本来の意味は違う。
 ビオ=生物
 トープ=場所
 の二つを組み合わせた造語で、つまり生物の生息する場所のことだ。
 だから、額面通りに受け取るなら、場所は水辺である必要すらなく、林のカブトムシビオトープや、砂地のアリジゴクビオトープなんてのも可である。それどころか、台所のゴキブリビオトープだって、下水道のドブネズミビオトープだって成立してしまう。
 ゆえに、「本来は、その地域本来の生態系を保った場所って意味」くらいに覚えておけば間違いはない。
 だから水盤の水草&メダカビオトープは、本来の意味でのビオトープではなく、まあ、通称名または商品名に近いのだ。そもそもあんな小さな水盤だと、餌をやったり水を足したりしないとすぐ崩壊するわけである。そんな風に「ビオトープの世話をする」てのも妙な話で、そこ本来の生態系なら、放置で構わないはずなのだ。
 とはいえ、『本来のビオトープ』とやらも、草刈りや泥上げなどの管理をしないと、どんどん環境は変化し、住む生物種も変わっていく。明確な境目も難しいのは事実だ。
 そんなビオトープを整備する時、都会だと、どうしても地元の植生ってわけにいかないことが多い。とっくに地元種は絶滅しているからだが、そうなると樹木や草をなるべく近くから採集してきて植えることになる。
 だが、ど田舎の場合、基本的には植物すら植えない。放っておいても生えてくるから、そいつを育成したり、逆に邪魔な種類を抜いたりして、予定の姿に近づけていくわけである。そうでないと、前述したような、本来の意味での「ビオトープ」にはなり得ないからだ。

 しかしその際に、首題の「野生のイチゴ」ってのは、実は大変悩ましい存在となる。
 気づく人は少ないのだが、日本にはキイチゴ類がたくさん自生していて、種類も数もけっこう多い。
 深山からけっこうな町中まで、種類こそ違うが、このキイチゴ類はよく探せばどこにでも生えている。
 そしてその実は、人間も鳥も動物たちも食べることが出来る。
 特に小鳥や小動物は、キイチゴ類の実を重要な食料としているから、地域生態系においては、けっこう重要な役割を担っているわけだ。
 またビオトープで観察会を行う場合、子供達に食べられる木の実を見せてあげることは、環境教育上、有意義でもある。
 生食した時の味わいは、香り高く、甘さ控えめで、酸味もほどよく、疲れと渇きを癒してくれる。子供のみならず、大人も喜ぶおやつなのだ。
 また、これを焼酎に漬けてリキュールにしたり、ジャムを作ったりすると、野趣溢れる絶品のものが出来るのであるから、決してバカにしたモノではない。
 では、なんで悩ましいのか?
 コイツらは、ほとんどの種類において、全体がトゲだらけなのである。
 なので、「危険だ」と言われて、大抵のビオトープではどんどん刈られてしまうわけだ。せっかく周囲の山林を模したり、あるいは山林そのものを切り取った形でビオトープ整備をしたりしても、キイチゴ類だけ目の敵にされて刈り取られてしまう。
 特に、六月~七月にかけて黄色い宝石のような実を付ける、モミジイチゴのトゲは鋭い。
 フユイチゴやクサイチゴと違って、這わずに一メートル近く立ち上がるのもまずい。
 繁みを歩こうとするだけで手足を傷つけてしまう。場合によっては衣服を破くこともあるのだから、刈ろうっていう気になるのも分からないではないのだ。

 さて、この野生イチゴ類。いざ、まとめて食おうとすると、これまた難儀である。
 とにかく、どこにでも生えているので、見つけることは簡単なのだが、なにしろ実が柔らかくて脆い。その上シーズンが短く、鳥や獣、虫までもがライバルで、あっという間になくなるので、大量に採って料理に使うには、ジャストシーズンにその場所を訪れねばならない、ということになる。
 また、野生生物などのライバルが少ない平地の空き地や休耕地などの、ナワシロイチゴやクサイチゴには除草剤や農薬が掛かっていることがある。こういうものを知らずに採取してリキュールにしたところ、薬臭いとんでもないモノになったこともある。
 よって、しょっちゅうそういう場所へ足を踏み入れている俺でさえ、たっぷり採ってジャムやリキュールにしたことは滅多にない。
 だが、そうした苦労をしてでも採る価値はあると思っている。
 例えば、モミジイチゴを初めて生食した時はあまりの感動に震えたくらいである。
 香り、味、食感ともに、ブラックベリーやラズベリーを凌ぐ、と個人的には思っている。なにしろ、ああいう外国産のベリーのように種がでかくない。
 ブラックベリーの種なんて、ほんとにこのまま食っていいのか? なんて思うほど種が口に残るが、モミジイチゴはプチプチと心地よい食感で口に残らない。
 なんでこれを栽培しないのだろう? と思うが、上述のように問題は多い。
 トゲの問題だけではない。モミジイチゴは特に輸送に弱いのだ。友人に食わせてやろうと山から持ち帰ったら、袋の中でしおしおのぐちゃぐちゃになっていたなんてのはよくあるパターン。
 間違いないのは、ペットボトルに水を入れていき、ここにポチャポチャ落としていく方法だ。自重で押し潰されることがないし、洗う手間が省ける。なにより、実の内側に潜んでいるアリさん達を一緒に食べてしまう危険がない。
 まあ、溺れさせてしまうので可哀想だけれども。
 次に俺が美味いと思うのはクサイチゴだ。
 実の味や香りが薄いなんて人もいるが、大粒だし、見つけると大量に採れるし、トゲもそんなに痛くない。発見した時の「得した感」は、キイチゴ類中で最高だと思う。
 また北海道の一部にはキイチゴ類でなく、本当のストロベリーが自生している。エゾクサイチゴがそれである。本州の高原にも、シロバナノヘビイチゴやノウゴウイチゴという種が自生しているが、おいそれと行けるような場所ではないし、見つけたところで国立公園や保護区の場合も多々ある。
 俺が登山時にようやく見つけた時には、ほんの数株が申し訳程度に実を付けていて、とてもではないが採って食う気にはなれなかった。
 だが、エゾクサイチゴは違う。
 道東のとあるトレッキングルートを延々と歩いたのだが、行っても行ってもエゾクサイチゴが実っていた。その時は若かったから、無謀にも数十キロ踏破したのだが、片手にビニール袋を提げ、数歩ごとにしゃがんではイチゴを収穫していった。
 歩みが遅いので同行したヤツらが、えらく迷惑がったが、こんなチャンスは二度と無かろうと、とにかく採った。思った通り、あれから二十年以上経つ今になっても、同じような幸運には出会えていない。
 ただ、結局生食はしなかった。
 一緒に行ったそいつ等が、「キツネの糞があるから、そんなもん生で食ったらエキノコックスになるぞ~」と脅したからだ。
 エキノコックスは肝臓に寄生する寄生虫の一種で、発症したら治療法はない。
 俺は仕方なしに、街に降りた時に買ったブランデーに漬け込んでリキュールにした。
 その通称「エキノコックス酒」は、学生寮に帰ってふるまうと好評で、あっという間になくなった記憶がある。
 最近、あの味を再現したくて、草ボウボウの畑にイチゴの苗を植え、半野生状態で栽培している。
 そうすると、実は小さく酸っぱくなるが、イチゴらしい香りはそのままで、なかなか野いちごっぽいものが収穫できる。ここ数年は、毎年そうして収穫した半野生イチゴを、ジャムやリキュールにしているが、なかなかの美味しさである。
 一反ほどの面積だから、量もけっこう獲れ、ジャムにして冷凍容器五個分くらいになる。毎日ヨーグルトに入れて食べても、晩秋くらいまで保つ。
 そして、イチゴジャムの無くなるその頃には、イチジクや柑橘類など、あらたなジャムが冷凍庫に加わっていくのである。
 充実した果実ライフと言えなくもないが、それでもやはり、あのエゾクサイチゴの豊かな森を夢に見ることがある。死ぬまでに、あの季節、あの場所に、あの仲間達と、もう一度くらい行ってみたいものである。
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