第19話 ウシガエル
文字数 3,666文字
「聖闘士星矢ッ!! 」
皮を剥かれたカエルの両前足を額に当てて、友人が渾身のネタをかました。
「ぶふぉおッ!!」
揚がったカエルを食っていた、もう一人の友人が口の中のものを吹き出す。
「なにそれ? 」
漫画やアニメには一切興味のない友人(例のキノコ男)が、きょとんとした顔で問い返す。
「コラ!! 食いもん粗末にすんな!!」
俺が、カエルの聖闘士となった友人の頭をはたく。
「俺、もういらんのや。こんなもん、もうネコにやってしまえや」
うむ。その気持ちは分からなくもない。
年中出しっぱなしの家具調コタツの上には、唐揚げとなったカエルの脚が、数十匹分山盛りとなり、まだ調理されていないカエルの脚がさらに数十匹分、キッチンに積まれている。調理しながら、すでにおなかいっぱいとなりつつある俺達。皿に積まれたカエルの骨。
俺のアパートは、混沌に呑み込まれようとしていた。
これまた大学時代の話である。
今回は捕獲した話ではない。
俺達は、大学の実習で使用した、カエルの肉を持ち帰って食べていたのだ。
思えば、実習の最中から、かなりカオスな状況ではあった。
実験室の黒い机の上を、巨大なウシガエルが飛び跳ねて逃げていくのである。
悲鳴を上げているのは、ほとんど男子学生だ。
こういう時、女子は肝が据わるというか、覚悟を決めるというか、実に漢らしく頼もしい。
カエルの筋肉を、電気で動かし、反応を見るという実習。
浸す薬品によって、その収縮具合がどう変わるか記録をとる。まあ、割と単純な実験だ。
だが、筋肉の反応を正確に記録するためには、カエルには出来るだけ生きの良いまま、あの世に旅立っていただかなくてはならない。
であるから、筋肉の収縮率が変わってしまうかも知れないので、薬品で麻酔などは出来ないのだ。つまり、物理的に殺すしかないのである。
狙うのは目と目の間。
つまり、眉間のへこんだ部分に柄付き針を差し込み、体のわりに小さい脳を破壊するのである。しかも、動きを完全に止めるには、さらにそのまま針を押し込み、脊髄まで貫いてやる必要がある。
恐るべきジャンプ力を持つ巨大ガエルを素手で押さえて、必殺仕事人よろしく針で殺す。
かなりハードな作業であるが、さすが生物学系を志望しようという女子たちは、そんな程度では、眉一つ動かさないのである。
まあ、俺も悲鳴を上げるようなクチではないので、冷静に柄付き針でウシガエルの脳をぐりぐりしている。やってみればそう難しいことではないのだ。
だが、一部の男子は、何でお前がここに来たんだ? と思いたくなるようなヘタレである。カエルの皮膚のぬるぬるがどうにも苦手なようで、何度やっても上手く仕留めきれずに逃がしてしまう。
何度も針を脳天に突き刺され、半身不随で逃げ回るカエルも哀れである。
俺は、目の前に跳んで来たウシガエルを片手で掴み、まだびびっているクラスメイトに「どうぞ」と返してやる。俺が仕留めてやっても良いのだが、それでは実習にならないからなあ……。
ふう、と溜息をつくと、ちょうど目の前の女子と視線が合って、微笑み合う。
別に恋仲ってワケじゃない。
むしろ戦友?
さて、実習で使ったカエルは、一人あたり二~四匹だった。
いくら氷で冷やすなどしたところで、死んだ筋肉の反応はどんどん落ちていくからだ。
上手な人は二匹くらいで実験を終える。だが下手くそは三匹使っても終わらない。
最もたくさんカエルを殺したヤツは、五匹だった。
使っているのはウシガエル。
つまり、食用ガエルと呼ばれる、大型のカエルである。
北米原産の外来種だ。
ウシガエルは、水生傾向が強い大型種で、戦後の一時期は日本から海外へ輸出したほど、盛んに養殖されていたらしい。前項でも紹介したアメリカザリガニが、このウシガエルの餌用に持ち込まれた、というのは有名な話である。
このウシガエル、今は特定外来生物に指定されてしまっている。
だから、現在では生きたままの移動は禁止されているワケだが、当時はべつにそんな規制はされていなかった。
今の学生達はどうやってこの、筋肉実習をしているのであろうか? 謎である。
さて、カエルの活きの良さに四苦八苦しつつも、なんとか全員、実習を終えることが出来た頃、実習室の流しには、カエルの死体が山積みになっていた。
それを「食おう」と言いだしたのは、たしか俺ではなかったと思う。
いや、もしかすると俺だったかも知れないが、ひどく積極的な三人の同志がいて、誰言うともなく「もったいないから食おう」ということになったのであった。
俺達の計画を聞いた、実習のサポートに来ていた院生の先輩も、「使っている薬品は毒ではないので、食べても大丈夫です」と、焚き付けるような事を言う。
まあ、この大量のカエルの死体を片付けるのは、先輩の役なワケで、少しでも手間を減らそうとするのは自然かも知れない。
実習を受けたのは四十名ほど。
それが一人あたり二、三匹使えば、カエルの数は八十~百二十匹にもなるわけだ。
授業の後半、実験室にあった大型のボウルの使用許可をいただき、俺達はカエルの死体を回収して回った。見る見るうちに肉は溜まった。大型のボウルに山盛り二杯はあったと思う。
幸いなことに、実験内容が筋肉だから、後ろ脚はほとんど丁寧に皮を剥いてある。
本当は、食うのは後ろ脚だけでも良いのだが、面白がって上半身まで綺麗に皮を剥いでくれたものもあり、まあ、食えるだろうってんで、それらもすべていただいて帰った。
授業が午後ラストのコマだったのは、ラッキーであった。
実習を終えるなり、帰宅することが出来たからだ。カエルは既に死んでいる。早くしないと鮮度が損なわれてしまう。
腐ったカエルの死体を食って、食中毒になるなど、バカらしい上に恥ずかしい。
会場は俺のアパートと決まった。
有志全員が集合すると、すぐに俺達は調理に掛かったのであった。
調理にあたっては、様々なメニューが提案された。
カレー、塩焼き、シチュー、鍋……特に、メンバーの一人であったキノコ男は、強力にカレーを主張した。
つくしもカレーで食ったらしいが、コイツ、カレーが好きなだけなんじゃないのか??
だが、その前に寄生虫学の授業を受けていた俺は、どうしても油で揚げることを主張した。前にも書いたが、火の通し方が甘いと、ヤバイ寄生虫が肉中で生きている可能性は充分にあるからである。
結局、俺の意見が通り、唐揚げとなった。
後ろ足は丁寧に洗って薬品を洗い流し、皮の剥き方の甘い上半身を、黙々と剥いていく。
キッチンが狭いので、やっているのは俺ともう一人だけだ。
そして更に一人は、コンロのところで油の管理。次々に揚げていく。
一人だけは、何もすることがなくて、ぼーっとしていた。
きちんと数えはしなかったが、百匹以上あっただろう。調理には、かなり時間が掛かった。だが、冷えてしまっては旨くない。やはり揚げたてが一番だと、できあがった端から俺達はどんどん食べていった。
「美味い!! 」
「これは、鶏肉より旨いぞ!! 」
カエル肉を初めて食った友人達から声が上がる。
たしかに、カエル肉はなかなかの美味であった。さすが、フランス料理でも使われるだけのことはある食材だ。
生臭さやクセは一切無く、その柔らかさ、肉離れの良さは、鶏肉と言うより上質な白身の魚を思わせる。
脂肪分がまったくないのだが、コクは充分で、弾力のある肉を噛むと、なんとも言えず旨味のある良いダシが、肉中から浸み出してくる。
俺達は夢中になって食った。
だが、カエル肉約百匹分、というのは、並大抵の量ではない。
勢いが良かったのは最初だけ。油の臭いにもあてられ、俺達の食欲はどんどん減退していった。
そして、何の働きもしなかった友人の一人が、真っ先に飽きたらしい。
キッチンをうろうろと歩き回った挙げ句、カエルの生脚で一発芸を始めたのであった。
皮を剥かれた後ろ足を両耳に当て、『ホラホラ、何か生えてきた』
その後ろ足をビョンビョン動かして『ひい!! まだ生きてるううううう!! 』
そして、つながった両前足を、額に当てて『聖闘士セイント星矢セイヤ!! 』
で、冒頭につながる
「ぶふぉおッ!!」
「なにそれ? 」
「食いもん粗末にすんな」『バシッ』
「俺、もういらんのや。こんなもんネコにやってしまえや」
だが結局、カエル肉は食いきった。
殺した以上、粗末には出来ないからだ。だが、カエル肉のみで動けないほど満腹する、という経験は人生で初めてのことであった。
ご飯もサラダも何も無し。ついでに言うと、ビールも酒も無かった。
ただひたすらにカエルのみを食い続けて、男四人が満腹なのである。ゲップも心なしか、カエルの匂いがする気がする。カエル肉が嫌いになったわけでもないし、腹を壊したりもしなかったが、仮に今後そういう機会があっても、俺は全力で遠慮したい。
カエル肉だけで、腹いっぱいになるのはコリゴリだからだ。