第26話 ウナギ

文字数 3,672文字


 今回は怪談である。

 いやまあ、ウナギの話には違いないのだが、それを捕る経緯で、なんとも奇怪な体験をしたので、それが話のメインになってしまうのだ。
 これも大学時代の話。
 K川、という川がある。関東地方に住んでいて、この川を知らない人は滅多にいるまい。温泉郷などの観光スポットにもなっている、水清くのどかな大河川である。
 むろん、ちゃんと漁業権もある川だから、今回の話は違法ということになる。
 しかも今やウナギは絶滅危惧種に指定されているから、倫理的にもどうか、と思われるかも知れない。
 だが、当時はまだ学生、しかもすでにかなりの年月が経過していて、当時はウナギは要注意種にもなっていなかったのだから、ご容赦願いたい。
 さて。
 ある夏の日のこと。仲間達でウナギの置き針仕掛けをやろう、という話になった。
 その場所を前述のK川にしようということになったのは、近場のK浦は海とつながる場所に水門が作られ、ウナギは遡上できないだろう、と思われたからだ。
 現に、その前に仕掛けた置き針には、ナマズとギルしか掛からなかったわけだし。
 それと、そのK川をフィールドに研究している先輩がおり、その川の生物相の豊かさ、面白さを教えてくれていた。
 話がまとまったのが夕方だったせいもあり、現場に着いたのは日もとっぷりと暮れた頃だった。だが、先輩の言った通り、水は少なく、浅瀬をじゃぶじゃぶと行けば、向こう岸まで渡れるくらいだった。
 懐中電灯で照らすと、透明な水の中、もう寝ぼけた様子の魚たちがフラフラと泳いでいる。膝下以下の浅瀬に巨大な鯉を見つけたり、ニゴイやモクズガニなど、様々な生き物も観察できて面白かった。
 その時仕掛けたウナギ針には、翌朝、なんと三匹ものウナギが掛かっていた。さすが天然物だけあって美味しかったが、太さは親指サイズ。
 裂くのにも焼くのにも手間が掛かった上、先輩方から「小さい」だの「少ない」だの文句が出て、実に残念な結果となった。だが、場所の雰囲気は分かった。
 今度行けば、もっと確実そうな場所に、確実そうな仕掛けを設置できるはずである。
 俺は再戦を心に誓ったのであった。
 さて、今回まともな意味での『きゃっち☆あんど☆いーと』はここまでである。

 ここからは実話怪談。
 それから二週間ほど経った頃、今度は別のメンバー。例のハクレン後輩達と、ウナギ釣りをしようという話になった。
 いや、ウナギ釣り、というよりはその、「夜のK川」に、彼等がいたく興味を持ったのだ。
「先輩、それはぜひ見てみたい。夜の川ってなんか面白そうだ」
 ってな様子で、あれよあれよという間に出発が決まったのは、もう長い夏の日も暮れかかる頃だったから、たぶん七時は回っていたのじゃないだろうか。
 そんな頃から行く人間を募っても、五、六人集まってしまうところが、今にして思えばなんというか、学生ってヒマなのだな。
 懐中電灯で川の中を照らして歩く、それだけのイベントなのに、みんななんかワクワクした様子。これは、なんとかいいものを見せてやりたいと、俺も気合いが入った。
 ある先輩の車と俺の車、二台連ねて、隣の県であるK川まで、夜のドライブとなったのであった。
 さて……
 現場に着く前くらい、そう、川沿いの土手を走り始めたくらいから、俺の隣に乗っていた、ハクレン後輩の様子がおかしくなり始めた。
 どこがどう、というのではないのだが、会話が弾まない。かみ合わない。
 正直、その時点で俺は、何の不安も持ってはいなかったのだが、どうも行きたくなさそうにも見える。
「行きたくないの? やめておこうか?」
 だが、そう言うとハクレン後輩はムキになって言い返す。
「いや、そんなことはないスよ。ぜひ、夜の川、見たいですもん」
「あ、そう?」
 てな会話をしながら、車を進める。
 そのうち、先導していた先輩の車が停まった。俺も車を停めて降りた。もう目的地までは目の前だというのに、何なんだろうか?
「どうしたんすか?」
「いや、ちょっとトイレ」
「そうすか。じゃ、オレも」
「なあ、けっこう暗いなあ。時間も遅いし、大丈夫か?」
「何言ってんスか。夜は暗いの当たり前でしょ?」
「なんか……気が進まないんだが……」
「……せっかくここまで来たんですよ? 現場も見ないで帰れませんよ」
「う……まあ、そりゃそうだな」
 俺は先輩と並んで小便を飛ばしながら、上記のような会話をした、と思う。
 さて。
 現場、というか河川敷に車で降りると、その瞬間から異様な気配が漂ってきた。
 前回と全然違う。
 こんなに草が多かったか?
 こんなに道、狭かっただろうか?
 しかも、暗い。
 夜は暗いのは当たり前だが……暗さが違う。
 少し不安になったが、ふと見ると、前方に白い車が停まっている。
 ああ、先客がいるのか、なら、滅多なことはないか、と俺は安心した。
 確か前回は、砂州の上まで車で入れたはず、その場所へ行こうと、小さな土の山を越えようとした瞬間、助手席のハクレン後輩に肩をつかまれた。
「危ない!! なにやってるんスか!?
 その土の山の向こうは、砂州なんかではなかった。
 轟々と濁流渦巻く、本流。
 落ちていたら、相当ヤバイことになっていたに違いない。後から来ていた先輩も車から降りてきた。
「ヤバイよ。もう帰ろうぜ!!
 あれ? 先輩は俺を先導していたはずじゃなかったか?
 隣のハクレン後輩も、死にそうな顔で言う。
「だから、もう帰りましょうって言ったじゃないですか!!
 え?
 お前、そんなこと言ってたっけ???
 だが、この状況を前にして、夜の生き物観察もクソもない。大した雨が降ったような記憶はないのだが、上流でにわか雨でもあったのか、K川は歩くどころの状態ではないのだ。
 引き上げようとして、先客らしき白い車の脇を通った時、俺は息を呑んだ。
 これ、廃車や……
 窓ガラスは悉く割れ、タイヤも地面にめり込んでいる様子。乗り捨てられたというよりは、流されてきた、といった方が合っている。
 今度こそ、背筋が寒くなった。
 何かが……俺の車に憑いている……?
 いや、どうやら後ろを走る先輩の車も、同じような重く暗い空気だったらしく、後で聞くと、何やら、ちらちらとバックミラーに白いものが映ったりしていたらしい。
 そこに目をやると、何も映っていない、というようなことが続いたようだ。
 重苦しい雰囲気のまま、車を帰路に向ける俺達。
 一刻も早く自宅に着きたいのだが、気分が非常に重く、危なっかしくて速度を上げられない。
 ところが、である。国道に戻り、とある交差点近くのコンビニ前にさしかかった時、俺は異様な光景を見た。いや、見た、というより感じた。
 フロントガラスの曇りがエアコンで消えていくように、重い空気がパキパキと車体の前の方から消えていくのだ。
 ちょうど、結界の境界線があって、そこを通り抜けるのを感じた、そのような一瞬だった。
「おい。今の……」
「はい。先輩も?」
 どうも俺達は、同じ雰囲気を感じていたようだ。
 そして、赤で停まったその交差点を発進しようとした時、俺は更に異様なモノを見た。
 いや、見えなかった、と言うべきなのだろうか……『見えない部分』が通り過ぎるのを見た、のだ。
 視界の中に、まるでその部分だけ視覚が無くなったように、黒い丸の部分が忽然と現れたのだ。
 そいつが、フロントガラス上の横断歩道のあたりを、ふわふわと移動していく。
 遠近感も色も形も質感もなく、ただ見えない部分。その『見えない部分』は、横断歩道を渡りきると、そのまま夜の闇に溶けた。
 俺の目の錯覚かと思った……が、助手席のハクレン後輩も、凍り付いている。
 聞いてみると、彼もほぼ同じモノを見ていたのは間違いないようだ。
 そして、ふと交差点の名前を見て、もう一度びっくり。
 「すだま」
 漢字は忘れたが、たしかにそう読める交差点名であった。
 「すだま」とは魑魅(すだま)のことであるのだろうか? 再び背筋が総毛立った。いったい、あれは何だったのか?
 雰囲気が良くなってから、車の中で話を付き合わせてみると、どうもおかしい。
 ハクレン後輩はしきりに帰りたがったのだが、俺が何が何でも行きたそうにしているように見えた、らしい。
 俺からしてみれば、もうやめようか、という俺に対して、ハクレン後輩がムキになって行くことを主張したように思えたのだが……。
 とにかく、一歩間違えば死ぬところであったのは間違いない。
 さらに車を進めて、俺はある街にさしかかって、ようやくあることに気づいた。
 その道沿いを飾っていたのは「盆提灯」。そうか、みんな実家に帰らないからすっかり忘れていたが、今日はお盆の最終日。
 あの妙な体験は、お盆に殺生するな、という先祖の戒めだったのか?
 それとも、俺に憑いていた妙なものから、ご先祖様が救ってくれたのか?
 どちらかは分からない。だがあの日、何か奇妙なものに引っ張られていた感覚はある。
 俺はそれ以来、お盆の間は釣りや昆虫採集を一切控えるようになったのである。

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