第18話 ソフトシェルザリガニ

文字数 4,689文字


 今回のサブタイトルを見て「?」と思った方も多いかも知れない。
 べつに、そういう名前の生き物がいるわけではないのである。
 ソフトシェルクラブ、というカニを提供するレストランがある。何度かテレビにも取り上げられたことがあるから、ご存じの方もおられるかも知れない。
 脱皮直後の甲殻類の殻は、当然のことながら柔らかい。触ったことのある方はお分かりだろうが、この感触は『ふにゃふにゃ』というよりは、『ぷよぷよ』『つるつる』であり、頼りない中にも、何とも言えず弾力があって、実に「旨そうな」状態なのだ。
 こうした脱皮直後のワタリガニの仲間を料理に使い、殻ごと食す。まるごと唐揚げにしたり、パイ生地に包んで焼き上げたり、ボイルしてサラダにしたりするのが『ソフトシェルクラブ』なのである。
 見た目は固そうな甲殻類そのままなのに、触るとなんとも柔らかい。この不思議な違和感。
 それをそのまま料理して、丸ごといただく……実に旨そうである。
 だが俺は、実際にソフトシェルクラブを食したことがない。
 ソフトシェルクラブは脱皮直後のカニであるから、脱皮の瞬間から数日以内に料理しないと、殻は堅くなってしまうし、脱皮させるために飼育しておかなくてはならないから、コストも掛かる。
 ゆえに高価であるし、そうどこにでも置いてある食材ではない。ド田舎住まいで、外食といえばファミレスや回転寿司、ラーメン屋くらいにしか縁のない俺にとっては、縁遠い食材なのである。
 さて、表題のソフトシェルザリガニ。
 ここまで書けば、賢明な読者の皆様にはお分かりであろう。ソフトシェルクラブを食えない俺が、その代用として、脱皮直後のアメリカザリガニを食ってみよう、ということなのだ。
 前にも書いたが、アメリカザリガニは、美味だ。
 味わいは、他のエビカニ類に比して、決して劣るモノではない。
 だが、食材として致命的な欠点がある。それが、小さいクセに殻が固くて剥くのが面倒、ということなのである。
 尻尾の肉はまだいい。小さなエビフライでも出来そうなくらいある。だが、食べやすい部分と言えばそのくらいだ。大きなオスのハサミにも、甲羅の下の脚の付け根にも、旨味の濃い、引き締まった白い肉を蓄えているにもかかわらず、大変食べにくい。
 そのサイズの小ささと殻の固さが致命的なのだ。
 これをちまちまと剥いて食べるなど、正気の沙汰ではない。
 ならば、もしこの殻が柔らかければ最高の食材となるのではないか?
 ワタリガニで出来た『ソフトシェル料理』が、同じ甲殻類たるザリガニで出来ない道理はあるまい。
 用水路でザリガニすくいをしたことのある悪ガキなら、誰しも一度くらいは、脱皮直後のふにゃふにゃしたアメリカザリガニを手に取ったことがあるはずだ。
 それを見てあなたは、『美味そうだな』と、僅かでも思わなかっただろうか? 子供心にも、俺は何度も思った。
 そして、ザリガニ自体は美味い、ということを確認した今、ソフトシェル状態のザリガニを食ってみない手はあるまい。
 だが、野外採集だけに頼っていたのでは、そう都合よく脱皮直後のザリガニは手に入らない。
 野望実現のための第一歩として、俺は、まず、畜養ストック施設から開発を開始した。
 何故なら、居酒屋の例でも書いたように、アメリカザリガニはストック状態によって味というか臭いが変わる。ほんの数日、糞まみれの汚水でストックすることで、最悪の臭いを身につけてしまうわけだ。
 だが、今回は生かしておいて、脱皮させ、脱皮直後の個体を集めなくてはならない。
 否が応でも、長期間のストックとなるわけだ。
 しかも、このアメリカザリガニという生き物、なかなかに気が荒く、複数飼育すればケンカもするし共食いもする。特に脱皮直後や脱皮中の無防備な個体が犠牲になりやすいわけで、そうなってしまったのでは何の意味もない。
 さらに、生き残ったものについても、他個体の死体のある状態では、死臭が付いてしまう。
 だからザリガニは本来、低密度で飼育するのがベストなわけだが、今回の目的はソフトシェルザリガニだ。それでは、いつ脱皮するか分からないし、大量に飼育しておかねば、脱皮した直後の個体を確保することができない。

 まず考えついたのが、巨大水槽に塩ビ管を多数配置して隠れ家をつくり、共食いを防いで飼育する方法だ。この方法は、複数飼育のオーソドックスなやり方であって、たしかにザリガニの共食いは減る。
 だが問題もあった。いつ、どこで脱皮しているか分からないのである。
 たまに脱皮殻が転がっているのだが、見た目ではどいつが脱皮したか区別がつかない。広い水槽の中を、いちいち一匹ずつすくい上げてチェックしなくてはならないわけだ。
 これでは、効率が悪すぎていけない。結局、この方法では、脱皮直後の個体は一匹も確保できなかった。
 次に思いついたのが、プラケと呼ばれる小型ケースで一匹ずつ飼育する方法であった。
 これはなかなかうまくいった。
 熱帯魚を多数飼育していた時に、浄化槽用の大型エアポンプを購入してあったから、そこから送気管を分岐させて、一個ずつのプラケに送気することで酸欠や水質の悪化も防げた。
 この方法で、やっと一、二匹だが脱皮直後の個体を得ることが出来た。
 だが、こんな少数では味も分からない。とりあえず冷凍して、飼育を継続したのだが、この方法にも大きな欠点があることに気がついた。
 餌やり・水替えが大変なのである。
 毎日、四十~五十個もの小プラケの、一つ一つのフタを開け、餌をやっていく。
 その餌にしても、野菜くずや煮干しを使った。ザリガニは本来、何でも食うわけだが、コイや熱帯魚の餌を食ったザリガニを、丸ごと食べるのは何だかイヤだったからだ。
 そうした食べ残しを始末しちゃあ、くみ置きの水を一個一個入れていく。面倒くさいことこの上ない。
 そして、少しサボるとすぐに水は、あの異臭を放ち始める。

 この方法ではダメだ。
 ということで、次に考えついたのが、ホタル幼虫の飼育システムの流用であった。
 「ばんじゅう」という容器をご存じだろうか?
 給食のパンや正月の餅などを並べる、平たい容器だ。従来は木製であったが、最近ではどこを見てもプラ製の「ばんじゅう」が増えている。
 俺の友人……まあ、ハクレンの項で出てきた「農業系ワイルド後輩」なわけだが、彼が考案した「ゲンジボタル幼虫飼育装置」は、アングル金具で台をつくり、この「ばんじゅう」を引き出しのように何段も重ねた作りである。これにポンプで水を循環させれば、浅い水深の「ばんじゅう」を上から順に水が落ちていき、常に水が流れた状態となるわけだ。
 これは実際、ホタル幼虫飼育には最強のアイテムだった。
 何重ものばんじゅう引き出しで、餌になるカワニナの飼育が出来るのも良い。
 何年かはホタル飼育に利用し、地元のせせらぎビオトープへとホタルを供給したのだが、どうも地元のウケが良くない。
 ホタルをやっている地元の御仁達は、ヒマなご老人ばかりで、『複雑な機器を使いこなして楽するくらいなら、手間が掛かる従来法が良い』らしいのだ。
 そんなこんなで、結局倉庫の隅で埃を被かることになったこの装置を、俺はザリガニに転用することを思いついたのであった。
 実際、使ってみると、これが滅法具合が良い。
 「ばんじゅう」のひとつひとつを、パンチングボードでいくつかに仕切る必要はあったが、プラケのように手間が掛からない上に、一歩も動かずにチェックが出来る。
 ポンプを利用して、一度に水替えが出来るのも良い。
 「ばんじゅう」は浅いため、当初は何匹も逃走して、朝、部屋の隅で干涸らびていたりもしたが、布団干し用の大型クリップで、「ばんじゅう」のフタを止めるようになってからは、逃走もなくなった。
 やったぞ。
 もしかして、俺、天才じゃなかろうか?
 これで、ソフトシェルザリガニが普及すれば、ビオトープのザリガニ駆除がはかどるだけでなく、休耕田を利用した産業にもなり、もしかすると過疎農村も潤い、新しい食の地平までも開けるかも知れん。
 この時点で俺は相当舞い上がっていた。

 アホか。
 そう思われる方も多いだろう。
 いやまあ、我ながらアホだなあ、とは思うが、それもまた楽しいのだから仕方がない。
 よほどヒマなのか?
 そう言われれば、返す言葉もない。
 だが、ヒマだったわけではない。一応、仕事はちゃんとこなし、その上でバカをやるのが、俺の主義なのである。
 さて、上記飼育装置を完成させた俺は、毎日毎日、ザリガニの脱皮状況を観察し、脱皮したザリガニを回収して瞬間冷凍した。
 眼柄がんぺいを切断すると、脱皮回数が増える、というのを思い出し、やってもみたが、そのことによる死亡率が急増したので中止。
 何より、食う予定のザリガニとはいえ、生きたままの目玉をくり抜くのは、こちらの精神的苦痛がでかかったのである。
 さて、このようにして、飼育し続けること三ヶ月。
 ようやく手に入れた、十匹ばかりの「ソフトシェルザリガニ」を、いよいよ調理する時がやってきた。
 丁寧に解凍した彼等を、唐揚げ、塩ゆでの二通りで食すことにした。
 ザリガニは、火を通すと赤くなる。が、色は鮮やかではあるものの、さほど赤は濃くない。薄い朱色に変わったザリガニは、箸で触っただけでも、柔らかさが伝わり、何とも食欲をそそる一品となった。
 素材の味を尊重するため、味付けは軽い塩味のみ。
 俺は柔らかな甲羅にかぶりついた。
「ガリッ!!
「うぐほわあはあは!?」
 歯が折れたかと思った。
 ザリガニの甲羅が堅かったのではない。
 柔らかい甲羅の中心あたりに、石ころのような堅い何かが入っていたのだ。
 最初は、本当にザリガニが石でも飲んでいたのかと思ったが、その割には、どの個体を食べても同じように、その「石」がある。
 食べにくいことこの上ない。
 どうもこれは、何かの器官に違いない……と考え、もう一度ザリガニのことを、丹念にネットで調べたら……あった。
 ザリガニのような淡水の甲殻類は、周囲の水中にカルシウムイオンがない。
 ゆえに、脱皮時にカルシウムを節約するため、甲羅からカルシウムを分離して、頭の中にカルシウムの塊を作り出し、脱皮後に溶かして甲羅を補強する……のだそうだ。
  海水の甲殻類は、周囲にカルシウムが大量にあるので、そんなことはせずとも良いのである。
 どうりで、コレまで誰もソフトシェルザリガニを作り出そうとしなかったはずだ。
 結局、味そのものは悪くなかったものの、食べるたびにガリッとなるため、美味、とは言いがたいものになってしまった。
 だが、俺のソフトシェルザリガニへの情熱も急速に冷めたものの、その後もザリガニの有効利用への研究は続いている。
 海水で飼育するとザリガニの肉のアミノ酸=旨味が増す、という情報を得て、海水馴化を試みたり、殻を柔らかくしてみようと、クエン酸に漬け込んでみたり、ウナギに餌として与えて肥育してみたりもしてみた。
 しかし、どれもそれぞれ問題があって挫折。
 今は、甲殻類食の海水魚、イシダイの稚魚をザリガニのみで飼育中であり、それを大きくして食おうと考えている。まだ、イシダイの体長は十センチにも満たない。だが、意外に知能が高く、既に懐きつつあるイシダイを、大きくなったからといって殺せるのかどうか、自信がないが…………
 いつか……ザリガニの有効利用を産業として成立させること。 
 それは、ビオトープ管理士としての、俺の夢の一つなのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み