第41話 タケノコ

文字数 5,648文字


 三月。そろそろ、春の声が聞こえてきている。
 地域によっては、もうタケノコが顔を出し始めているのかも知れないが、俺の住む場所は豪雪地帯であるから、シーズンはあと一か月は先の話だ。
 タケノコは、日本人にとって生活に欠かせない食材であるのは、疑いもないが、その本体とも言うべき竹、特にモウソウチクと呼ばれる種類の竹は、外来種であるということは、あまり知られていないように思う。
 しかも、このモウソウチクが他の樹木をどんどん駆逐し、森を侵蝕しているのが、今の日本の里山の大きな問題の一つであることをどれだけの人がご存じだろうか。
 俺の住む町でもご多分に漏れず、この問題が起きている。市街地のど真ん中にある小山でモウソウチクがどんどん版図を広げていて、それが遠くからでもよく分かるのだ。
 小山は市民公園になっているから、本来は市の公園課がなんとかせねばならないのだが、予算や労力、あと企画力の問題からなかなか手が付けられないでいた。
 それをなんとかしてやろう、という話になったのは、行政主催の『市民会議』での席上であった。
 俺はビオトープ管理士でもあるから、管理士会の県支部の代表として市の自然環境を守る、そういう『市民会議』的なものに参画している。
 その会の活動の一環で、市内の自然環境資源ってやつを発掘しようと、二年ほど皆で調べた結果、なんとか俺たちで手を出せそうなテーマとして、この小山の生態系回復に取り組むことになったのだ。
 もともと、この会に参加しているオッサン連中は、いまひとつ『自然』と『文化』と『観光資源』の区別がついていなかった。
 ゲンジボタルの乱舞する小川やカタクリの自生地と、ソメイヨシノの桜並木や休耕田のコスモス畑、武家屋敷の日本庭園などをいっしょくたに『市の優れた自然』として指定しようとする。
 読者の方々は大笑いしそうだが、彼等は大まじめ。
 部会長からしてその辺の区別があまりついておらず、しかもその人は某大学の教授なので驚きだった。むろん、生態学とは少々専門が違うことは言うまでもないが。
 会議のたびに「そっちはむしろ文化なので、自然とはちょっと違う」「いやそれは単なる観光資源で……」などと言い続けて二年。ようやくその辺の違いが部会内での共通認識として得られ始めた。
 しかし、そうなってくると今度はオッサン達にもエンジンが掛かりはじめ、『優れた自然』と指定した場所についても、このままじゃマズいんじゃいない? という意見が出されるようになってきたのだ。
 前述した、俺の住む市のど真ん中にある小山……仮に『A山』としておこう。
 このA山は『市の優れた自然』として指定するのに、充分な資格を持つ山であった。
 市街中心部にありながら、公園指定されたためにあまり開発の手が入っていない。しかも、昔から他の山系と切り離されているので、独特の生態系が成立しているのだ。
 クヌギ、コナラ、ヤマザクラ類などの広葉樹林に加え、スダジイ、シラカシなどの常緑樹林もあり、カタクリ、ショウジョウバカマ、カンアオイ、エゾアジサイなどが咲く。春にはギフチョウが舞い、夏には平地型のミヤマクワガタが採れ、山頂の池にはモリアオガエルが集い、秋にはたくさんの小鳥も観察できる。ムササビやタヌキ、キツネなどの哺乳類もいるが、イノシシやシカ、クマといった大型動物はいないという、なかなか素晴らしい場所なのだ。
 だが近年はどんどん観察できる生物種が減り続け、景観も昔と比べて随分変わってしまった。その原因のひとつは、麓に住む山の地権者の方達が、老齢化や農業離れ、転出などで山を利用しなくなったことにある。
 つまり、昔は山で落ち葉を採って肥料にしたり、一定の太さに達した木を伐って薪にしたり、竹林も管理されて、タケノコや竹そのものを利用したりしてきたわけだが、それらが行われなくなって放置されたことで、山の様相が変わってきてしまったのだ。
 クヌギやコナラ等の陽樹は、日当たりが良くないと発芽しても育たない。伐られることのなくなった林は、だんだんスダジイやシラカシなどの常緑広葉樹に置き換わっていく。
 そうなれば林床は暗くなり、そこに生えていたカタクリやショウジョウバカマ、カンアオイは数を減らし、食草と蜜源を失ったギフチョウも消えていく。
 農家が無くなり、麓にあった水田が住宅地になれば、そこで産卵していたニホンアカガエルたちは子孫を残せなくなり、林床から姿を消す。そうすると、カエルを食べていたヘビが消え、敵がいなくなったことでカラスが営巣しやすくなり、どんどん数が増える。
 また、麓の人々が資材やタケノコをとるために植えていたモウソウチクは、人間が利用しなくなったことで、地下茎を伸ばしてどんどん版図を広げていく。それも山の上へ上へと。

 こんな状況を放置しておいて「優れた自然」などと指定して、はいサヨナラってわけにはいくまい。という話になったわけだ。
 しかし『市民会議』のメンバーは十数名。しかも基本素人集団で、全員別に本業を持っているから、このA山に掛かりっきりになるわけにもいかない。つまり麓の休耕田を復活させたり、常緑広葉樹を伐採して、落葉広葉樹の林に変えたりって作業は、なかなか難しい。
 でも竹なら俺達でもなんとかなりそうだ、と考えたわけだ。
 竹なら木と違って軽いし、ノコや鉈でも伐れる。軽いから、素人でも切り倒して運び出すくらいは可能だろう。
 それに竹を切った跡地は日当たりが良くなるから、カタクリやカンアオイも生えるだろうし、落葉広葉樹も生長できる。
 伐った竹は、竹細工や灯籠、竹炭などにリサイクルすればいいし、市民へのPR効果も抜群。
 なんだ。いいことずくめじゃないか、ってんで市役所の環境担当課を中心に盛り上がった『市民会議』は『A山の自然を守る会』まで結成して、竹伐採へと乗り出したのであった。
 …………だが、しかし思ったよりも、竹の処理は大変であった。
 最初に伐採作業をした年の初夏。
 かなりの急斜面でもあり、伐採は思った以上に手間取った。五十人以上を動員して、ようやく二十メートル四方くらいを伐採できた感じだろうか。A山は小山といっても単体面積で百ヘクタール以上。隣接するH山、U山を合わせると二百ヘクタール以上はあるから、その程度ではほぼ役に立ってないと言っていい。それでも、中年~老年のオッサンどもにとっては精一杯の労働であった。
 午前中だけの作業で百本は伐採したと思う。メンバーの知り合いで応援に来た森林のプロもいたので、全員泥だらけの汗まみれにはなったが、誰も怪我はしなかった。
 伐った竹の再利用は市民に一般公募したのだが、そこそこ応募はあったものの、手間が掛かりすぎて対応しきれない。竹ってのは切り倒すよりも、枝払いや長さ、太さをそろえる方に手間が掛かるのだとメンバー一同、思い知った。
 しかもその払った枝葉が予想以上の量で、四トントラック一杯にもなる。軽いが、非常にかさばるのだ。
 市民が引き取っていった後の、使い物にならないような竹も数十本出た。これは俺の管理しているビオトープに運び、イノシシ除けの柵にしたが、それでも余る。
 結局、残った廃竹? はウチの会社の敷地内に枝葉ごと放置して腐るのを待つことになった。
 この廃棄物がかなり厄介な問題になると分かった俺達は、二回目からは木質粉砕機を使用しようという話になった。
 それは、本来は街路樹の剪定クズを粉砕するためのものなのだが、アメリカ製ってこともあって相当なパワーである。っていうか、剪定クズ用としては明らかにオーバースペックで、竹を丸々一本粉砕するのに一分と掛からないツワモノだ。
 粉砕したチップは、肥料やマルチング資材としても利用可能だが、必要ないならそのまま林床に放置して腐らせればいい。
 二年目。
 十月頃に予定していた二回目の伐採作業の日は、台風の連発で十一月までずれ込んだ。それでも好天には恵まれず、小雨のぱらつく中決行。
 今度は皆慣れているので、二百本以上は伐採した。
 前回はシーズンだったこともあって、流しそうめんや灯籠、竹細工用の引き取り者も多かったのだが、その時はそういう人も少なく、ほとんどチッパーの中に吸い込まれていったのであった。
 初めて本格的に操縦したので、何度かエンジンが止まってしまったり、粉砕クズが詰まったりしたものの、粉砕自体はおおむねOK。
 ただ、粉砕時にすさまじい音がすることを知らずに使ったので、その後一週間ほど耳が聞こえにくかったが。
 そして三年目の春。
 俺達メンバーは目を疑った。二年をかけて合計三百本も切り倒し、かなり見晴らしが良くなった竹林に、天を突く槍のごとく生えてきた、ぶっといタケノコの群れッ!!
 多少のことは覚悟していたが、これほどとは思わなかった。やはり、竹を伐った方がタケノコがよく生えるというのは本当のようだ。このままでは、一年も保たずに元の木阿弥になってしまう。部会長は緊急事態を宣言した。
「とりあえず、みんなでタケノコ掘りに行きましょう」
 市民公園だから本来はそんなもん採っちゃいけないのだが、管理者の市役所お墨付きでタケノコ掘りが出来るわけだ。もちろん、掘ったらもったいないから食わなきゃならんだろうし。
 だが、三百本分の面積は広い。足掛かりとなっていた竹は伐採してしまったし、かなりの傾斜でもある。しかし、オッサン達はタケノコと聞いて妙に元気になっていた。
 GWを過ぎたある日曜の朝。
 『里山を守るオッサン’S』は、思い思いの装備でクワやスコップを持って集った。
 こういう時こそ、市民に募集をかければいいと思ったのだが、オッサン’Sから反対意見が出た。
 少々場所が狭すぎる。あんまり大々的に募集をして、数が足りなくなり、取り合いになってはまずいし、斜面でコケて怪我人が出てはいけない、というのだ。
 なるほど、そんなことになってはマズイ、と市役所も尻込みした。結局、今回は俺達だけでタケノコを掘ろう、ということになったワケだ。
 しかし、しかしである。
 集まったオッサン達のこの装備……本格的過ぎやしませんか?
 竹伐採の時の、素人然とした格好とは打って変わった作業服。足回りからして違う。
 スコップは固い根が切りやすいように細く改造してあるし、クワも専用のモノ。刃の部分が長く、林の中で扱いやすいように柄を短くしてある。
 しかも、開始の合図と共に滑るように斜面を駆け下り、タケノコに群がっていく。おまえら、市民を参加させなかったのは分け前が減るからだろ。
 俺はほんの一呼吸遅れただけなのに、最初の一本を見つけるのにかなり苦労した。オッサン達が見落として行った、倒木の下やオーバーハングの裏側を探って、ようやく数本ゲット出来た有様だ。
 そのうち目が慣れてきて、ようやく地面に出たか出ないかのヤツを、地面のふくらみや竹の生え方を見て見つけ出せるようになってきたが、オッサン達はどんどん先へ行き、どんどん掘り採っていく。
 コイツらタケノコ超人か。
 それにしても、タケノコ超人達は柔らかそうなのばかり狙って掘り採り、育ちすぎたものは結構放置している。若い方が美味いタケノコだと知っているからだが、この作戦の目的は殲滅なのだ。
 育ちすぎだろうがなんだろうが、すべてやっつけなくてはならないのである。
 仕方ないので、そういうのも見つけちゃあ掘り、見つけちゃあ掘りしていたら、結局十本ほど採れた。育ちすぎのヤツも穂先だけなら柔らかいし、充分食えるからいいのだが。
 俺の収穫は、ビニールを編んだ肥料袋ってやつに二袋ほど。
 だがオッサン達は、そんなハッスル(死語)具合だから、一人で二十本近く掘った猛者もいる模様。
 だが、ハッキリ言って十本でも充分多い。スーパーで買ったら相当な額になるが、こんなに持って帰ったら処理が大変だし、すぐ腐るし、むしろ妻に怒られること間違いなしだ。ウチの妻はこういうものに対する欲が無く、多すぎるくらいなら少々足りない方がいいのだ。
 オッサン達も掘り過ぎの感があって、路上に積み上がったタケノコを睨んでどうしようかと思っていたら……見知らぬオバサン’S登場。
「なにこれなにしてんの? えー!? 貰っていいの!? ちょっとみんな!! タケノコ貰っていいんだって!!
 なにか頂上の方でイベントでもあったのだろうか。タケノコの山に、アリのように群がる地元オバサン’S。
 俺にとっては、お袋以上の年の方ばかりだったが、オッサン’Sにとっては嬉しいギャラリーだったらしい。袋まで渡してプレゼントしていた。
 結局、俺の手元に残ったのは小さなタケノコが四本だけ。
 だが、これでいい。二本をお袋に届け、二本を持ち帰ったら、妻が割と嬉しそうに料理してくれた。
 鰹節を効かせたフキとタケノコの煮物は、一週間ほど我が家の食卓を飾ってくれたのであった。
 そして、夏、秋と再び同じ場所で竹の伐採&チップ化作業があった。
 明けて四年目の春。
 呆れたことに、あれほど執拗にタケノコを掘り尽くしたはずのその場所には、またもタケノコが数十本生えてきていた。
 根茎だけで、何年生き続けるつもりなのか。しかも、ここに生えなくなっても、まだまだ山全体に竹はあるのだ。
 ぞっとする反面、竹伐採はつらいが、タケノコ掘りは嬉し楽しいイベントだと分かって、二回目からは市役所も一般募集するようになった。
 それによって、地元の大学生や里山活動家も参加してくれるようになったので、規模も大きくなってきた。
 コロナ禍によって、伐採活動はこの一年間休止せざるを得なかったが、タケノコ好きのパワーの方が、モウソウチクの繁殖力を上回るであろうことを、俺は疑っていない。
 A山の竹を滅ぼす日まで、毎年の春の恵みは、俺達オッサン’Sにとって、とりあえず活動継続のモチベーションにはなりそうである。

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