第12話 クロハツ・コガネタケ

文字数 4,746文字

 またまた大学時代の話である。
 春休みに長めに実家に帰ったため、出来なかった宿題のレポートを借りに行った時、その友人が自慢げに俺に言った。
「おお、久しぶりだな。この休み中、みんなでつくしを採って食ったんだぜ?」
「ええっ!? どうして俺を呼んでくれなかった?」
「お前、実家帰ってただろ?」
「あ。そうだった。で? 旨かったのか?」
「旨かったよ。カレーにしたんだけどな……」
「カレー!? つくしなんかカレーに入れて旨いのか?」
「いや、実に旨いカレーだったよ。あのつくしさえ入っていなけりゃ、もっと旨かったろうとは思うが……」
「つくしがメインちゃうんかい…………」
 実にお馬鹿な会話である。
 この会話の相手の友人、とは、ハタケシメジの項で書いた、キノコマニアの男だ。
 もともと料理なんぞにはほとんど興味が無く、つくしを食いたい、という友人たちの希望を叶えてやっただけ、ということらしい。
 そりゃまあ、袴も頭も取らず、下茹でもせず、ただカレーに放り込んだだけじゃあ、不味いに決まってるわな。
 旨かった、とかそいつは言っていたが、他の参加者に聞いたところ、結局カレーは余った上に押し付け合いになったらしい。まあ、ちゃんと下拵えしてあったとしても、そもそもつくしはカレーに入れるモンではないように思うが。

 だが、今回はつくしの話ではないのである。
 味音痴で料理音痴。だが、キノコや変形菌、カビに関しては識別能力は超一流。そして、ついには研究者にまでなってしまった友人、キノコ男。そいつに人体実験された話である。
 まあ、人体実験は言い過ぎかも知れんが……。
 大学二年。といえば、学園生活にも慣れ、授業の手の抜き方も覚え、就職活動も研究室もまだで、もっとも怠けていた、もとい、学生生活を謳歌していた時期であった。
 その頃の俺は、友人三人と大学構内をキノコを探してうろついていた。
 キノコを探す、といっても上記のキノコ男を含む、俺以外の他三名は、食用目的ではなく、純粋に学問的興味で探していたのである。だから、シーズンなぞ関係なく一年中、場所も林から池の周り、教室の裏までどこへでも行った。
 そうやって大学構内で採れたキノコは、かなりの種類に及ぶ。
 食用になるものだけでも、ハツタケ、アカモミタケ、シロハツ、クロハツ、ヒラタケ、トキイロヒラタケ、ハタケシメジ、ムラサキシメジ、コガネタケ、チチアワタケ、ガンタケ、カラカサタケ、アラゲキクラゲ、クギタケ、アミガサタケ、ノウタケ、アンズタケ……
 覚えているだけでも、ざっとこのくらいの種類のキノコは採って食った。
 中には、ちんまりとしたのが一本しか採れず、四人でそれを分け合って食べた種類もあったが、ハタケシメジのように、食べきれないほど採れたものもあった。
 そして、上記の中には識別超人のキノコ男ですら『鑑定に迷う』種類がいくつかあったのである。

 ある日。
 キノコ狩りに行かなかった俺は、キノコ仲間三人の訪問を受けた。
 手にはスーパーのビニール袋。中には大型のキノコが数本入っている様子だ。
「はくたく。お前料理得意やったな。コイツの料理法、教えてくれんか。一緒に食おう」
 そのキノコは「クロハツ」である、とキノコ男は言った。
 クロハツを見るのは初めてではなかったが、これまでに見たものは大抵の場合、虫やナメクジに食われてボロボロになっているか、ヤグラタケという「キノコに寄生するキノコ」にやられて、白っぽくなってしまっていた。
 それに比べて彼等が持ち込んできたクロハツはなかなか新鮮で、全くと言っていいほど虫食いもない。
 キノコ本では確かに、食マークが付いていて、レシピを見たこともあったが、それまで真剣に狙って採集したことはなかった。
 何故なら、どの本にも「美味」ではなく「可食」とあったからだ。つまり、食えることは食えるが、そう旨いキノコではない、ということなのだ。
 どうやら旨味もいまいちで、歯ごたえが無く、ぼそぼそしていて旨くない、ということのようである。
 だが、友人によるせっかくの持ち込みであるから、料理はせねばなるまい。
 こういうキノコは、バター炒めに限る。
 歯ごたえがなくともそのキノコの味を感じることは出来るし、味わいの物足りなさをバターが補ってくれるからだ。もちろん、油分やバターの風味が、キノコ本来の味わいや風味をスポイルしてしまうという問題もあるが、逆に言えば、まずいキノコもバターで誤魔化してそれなりに食えるモノになる、というわけだ。
 逆に、歯ごたえイマイチだが、風味やうま味があるキノコを味わいたい場合は、汁にするのが正しい。
 俺は早速、クロハツを薄切りにしてみた。クロハツはカサの直径が十センチ以上ある大型のキノコで、そのままでは火の通りが悪そうだったからだ。
 クロハツ、といっても真っ黒ではない。切ると白っぽい断面で、時間が経つと、それが赤っぽくなってくる。肉質は本にあった通り、かなり脆い。
 炒めているうちに、ヒダやカサが壊れてボロボロに崩れていく。俺はキノコの形が無くならない程度に、フライパンでさっと炒めて皿にのせた。
 驚いたことに、炒めた途端、焦がしたわけでもないのにキノコは真っ黒になった。
 熱に反応したのか、油に反応したのか分からなかったが、食欲をそそらないことこの上ない。
 まるで、黒いプラスチックか何かの破片でも炒めたようである。
 だが、せっかく料理したのであるから。と、とりあえず食べてみた。
 うん。なかなかイケる。
 たしかに歯ごたえはないし、特筆するべき香りもない。だが、感じるかすかな旨味は、バターのそれだけではないようだ。
 苦みやえぐみもないし、胡椒でもきかせれば、ビールのつまみとしてはそこそこだろう。
 だが、俺達三人が食べている間、キノコ男は料理に手を付けなかった。なにやら何度も臭いを嗅ぎ、標本にするとかで残したクロハツの断面をいつまでも眺めている。
 そしてぽつりと、言った。
「ところで、君達元気かね?」
「見りゃ分かるだろ。元気だよ。お前は元気じゃないのか?」
「いや、そういう事じゃなくてね…………」
 歯切れが悪い。俺達は箸を止め、キノコ男の顔をまじまじと見た。
「どういう事だ? はっきり言え」
「いや、実はね。クロハツには、非常によく似たニセクロハツって別種があってね。このニセクロハツってのは、見た目では、ほとんどクロハツと見分けが付かないんだよ。ただ、どちらもこうやって切ると、断面が赤くなるんだけどさ、更に時間が経って、これが黒く変色したらクロハツ。変色しないでいつまでも赤かったらニセクロハツなんだ。で、さっき切ったコレ、いつまでも赤いんだよなあ……」
 たしかに。残ったクロハツの断面は、切ってから三十分以上経過しているにもかかわらず、真っ赤なままだ。
「な? 赤いだろ? だからもしかするとニセクロハツかなーって……」
「別種って事か? まあ、お前には重要かも知れんが、俺達には食えりゃそんなもん、どっちでも……」
「いやね。実はそのニセクロハツってのは、毒なんだね」
 待てコラ。
「大丈夫だ。死亡例はないはずだし。定番の下痢とか嘔吐で済むとは思うのだが……」
 いやふざけるな。定番て何だよ。
 俺達は慌てたが、食い始めてからもうだいぶ時間も経っていて、後の祭りである。
 本当なら、それでもノドに手ぇつっこんで吐き出すべきだったのかも知れないが、死ぬような中毒症状はない、というキノコ男の言葉を信じて、体調の変化を見ることにした。
 で、まあ、結論から言えば、料理したのはニセクロハツではなく、クロハツであったようで、誰にも中毒症状は出なかった。
 もっと早く気づけば良かったのだが、赤い色が空気に触れて黒くなる、すなわち酸化して黒くなる物質なのだろう。料理して真っ黒になった時点で、まずクロハツだと考えて良かったように思う。
 いつまでも赤いと言っていたクロハツの断面は、結局、翌々日見てみたら黒くなっていたそうで、この遅さにも振り回された感がある。
 その後、生えてから時間の経った古いクロハツを注意して見たが、たしかに虫の食い跡やちょっとした傷が、すべて黒っぽく変色していた。
 珍しく生えたばかりのキノコだったのが、色が変わりにくかった理由なのであろう。比較してみたくて、毒の方のニセクロハツを探して随分と学内の林を放浪したが、結局、ニセクロハツは見つけていない。そしてクロハツもそれ以来食べていない。
 さて、この男にこうした人体実験をやられたのは一度ではない。
 だがもちろん、それ以上に美味しい思いもさせてもらった。
 とある秋の日。
 学内にコガネタケという巨大なキノコが、大量に生えているのを見つけたキノコ男は、早速俺を呼びに来た。
 かなり上等な食用菌である、との言葉を信じて、採取前だというのに気も早く、またハタケシメジの時のように、多数の友人達で鍋パーティを開こうということになった。
 だが、キノコ男は俺達を止めたのである。
「待てよ。せっかくの良いキノコだぜ? まず、仲間内だけでやろう」
 などと、らしくないことを言う。どういう事かと訝ったが、そのキノコの生えている、遊歩道脇の草むらに行ってみて、ある意味納得した。
 なんという巨大キノコ。それも凄まじい群生の仕方である。
 コガネタケは、カサの直径は実に最大二十センチ近く。表面に金色の粉を吹き、独特の『汗臭い』香りのある、少々……いやかなり不気味なキノコであった。
 それが、二メートル四方の範囲に、ごっそりと固まって生えているのだ。
 もしかしなくても、大抵の人はまず敬遠するだろうし、また今回も塩漬けにでもしなくては、とてもいっぺんには食い切れそうもない量だ。
 たしかに、とりあえずは俺達だけで試食しておくべきだろう。
 ということになり、キノコ仲間四、五人で鍋を囲んだ。姿は不気味なキノコであったが、このコガネタケ、鍋にすると実に旨いキノコであった。
 噛むとしみ出てくる旨味もたっぷりで、歯ごたえも非常に良い。生の時強烈だった汗臭い香りも、火を通すと気にならない。
 ここしばらく、カワリハツだのノウタケだの、フワフワボロボロした、いまいち歯ごたえのないキノコばかり食っていた俺達は、喜んでたらふく食った。
 だが、鍋が終了する頃合いになってから、キノコ男はまたしても一人一人にヒアリングを始めたのである。
「気分悪くない? 大丈夫? よしよし。あ、お前は? おなか大丈夫? なるほど」
「…………おい、何やってんだよ?」
 あまりに不審なそいつの態度を見とがめて問い詰めると、とんでもないことを言いだした。
「いや、実はこのキノコな。滅多に見つからないんだが、系統によっては毒があるって報告があってな……さすがに食べてみんと分からんし……」
 いや、試すなら一人でやれ。
 なるほど。それで、多数の友人を呼ぶのを止めたのか。コイツは。
 たしかに、同学年ほとんどがキノコ中毒では、下手をすると新聞沙汰だっただろう。
 まあ、結局は毒系統ではなかったらしく、大量に採れたキノコは、後日開かれた宴会でみんなの腹に収まったのであるが。
 他にも、カラカサタケは絶対大丈夫、と言われて食ったら、オオシロカラカサタケで下痢。だが、どうやらそれがその地域初確認? だったらしく、むしろソイツは喜んだ事件。
 学内によく生えているヒカゲシビレタケには、マジックマッシュルームと同じ幻覚成分が含まれていると知って、キノコ男自身が食って実験した事件。
 など、数え上げればキリがない。
 中でも一番ヤバかったのが、教授や先輩連に毒キノコを食わせてしまった事件であろうか。その事件は、次項で。
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