第46話 ミツバ
文字数 3,741文字
やあ、しまった。
これは大きなミスである。
というのもこの作品。某サイトの『エッセイ・ブログ大賞』を、既にいただいたことがあるのが、読み直していて分かってしまった。当時、書籍化はあっさり見送られたようである。どうやら商品価値はない、と判断されたらしい。
今回応募しようとしていた「エッセイ・ブログ大賞」の応募資格に抵触するかどうかは、微妙な気もするが、面倒なことにならないよう、タグは取り下げた。
もう一本、これは確か賞などもらったことないエッセイがあるので、そっちで応募することにする。
何で忘れていたかというと、俺の自由になる口座がないせいで、賞金が妻の手に渡ってしまい、なんというか積み上げたものを思い切り蹴り倒された気分で、忘れ去りたい思い出だったのである。
その頃に様々なことがあった。
例えば、前項の『キャベツ』が、ある日あっさりと引っこ抜かれたこと。
むろん妻の仕業である。
俺と息子が大事にしているのは知っているはずなのに、情け容赦なくこういうことをする。文句を言ってものれんに腕押し、糠に釘。相手の価値観は一切認めようとしないのだから、議論にならない。よって、黙って拾い集め例の「祖父の家」へ持ち込んだ。
その後の経過は前項に書いた通りなのだが、 この「祖父の家」が今回の首題「ミツバ」に関連する。この家、亡き祖父の住んでいた家であり、今はその祖父と祖母、そして親父が仏壇に入って住んでいる。要するにまあ、空き家だ。
そういや、危険な空き家は強制撤去される法律が出来たとかなんとか。
まあ、ここは空き家といっても、俺が毎日仏壇と神棚参りに行くし、しっかり利用しているので対象になることはなかろうが。
それはさておき。
引っこ抜かれたキャベツは、「祖父の家」のすぐ近く「祖父の畑」に植えることにした。
「祖父の畑」とは我が家代々の墓に隣接していて、野イチゴの項にも書いたが、イチゴを粗放栽培している畑である。
粗放栽培と言えば聞こえはいいが、要は休耕地になっていて、勝手に色々植えているだけの土地。
つまり、生えているのはイチゴとキャベツだけではない。
ここには、イチジクの木もある。毎年実がなって、ジャムにしている。
茫々と繁った草を掻き分けると、大和芋、ジャガイモ、サツマイモ、ニンニク、ノカンゾウ、カキツバタ、スカシユリなどもそこここに植わっていて、そんな状態でも、俺が楽しむ分くらいには収穫できるものだ。
隣の畑のおばさんには大変迷惑を掛けているようで、雑草の種が飛ぶ頃になると、いつの間にか境界線が刈られていたりして恐縮する。
だが、ちゃんと耕し、ちゃんと管理するには時間もパワーも足りないのだ。
せめて、土日の家族サービスが半分くらいになれば、なんとかしようもあるのだが。
しかし、ただ植えに行っておいて、この繁りまくった草をノータッチでは、さすがにご近所に睨まれる。俺は会社を一時間ほどサボって畑の草をとることにした。
除草剤を撒いたり、草刈り機で一気にやれれば楽なのだが、前述のようにそこここにいろんなモノが植わっていて、無計画かつ無秩序に増殖しつつあるので、そういうワケにもいかない。
手鎌で少しずつ刈るしかないのだ。
しかも、種類を見極めつつ……である。極端な言い方をすれば、植物の種類を、一種一種、確認しつつ刈るのであるから手間が相当掛かる。
「これ、スズメノテッポウやな。こっちはヤブガラシ、あ、スベリヒユ。これはチカラシバか。おいおいミントなんか植えた覚えないぞ。どっから来た」
てな調子である。
そうやって刈り進むうちに、全体の様子がつかめてくる。今回は、イチゴの群落が相当減退していることに気付いた。
どうやら、とある植物の繁茂に押され、版図を縮小せざるを得なくなっているようなのである。
その植物こそが「ミツバ」であった。
このミツバ。じつは野生由来の個体ではない。近所の山林にもいくらも生えているし、たまに採取して食ったりもしたのだが、そういうのは大きすぎて『ごそつく』食感が嫌われ、我が家の家族には、あまり人気がなかった。
そこで、というわけでもないが、妻がスーパーから買ってきた繊細な「三つ葉」の根の部分を、庭に植えてみた。栽培されている品種なら、野生種よりは食べやすかろうと思ったわけだ。
根の部分……そう、スポンジに根付いたあの部分を、土に植えておくだけで、ミツバは再生産可能なのである。機会があれば、是非お試しいただきたい。
だが、俺の読みは甘かったことも付け加え、注意喚起しておかねばなるまい。
販売されていた頃の繊細な容姿は、単に水耕栽培されていたからに過ぎず、日光の下、肥沃な大地に根を下ろしたミツバは、本来の増殖能力を取り戻し、次第に庭を席巻し始めたのであった。
しかも、犬たちの小便やウンチがかかって汚い、とのことで、誰も食べてはくれなかった。
そして、例によって殖えすぎたミツバ駆除命令が下り、この畑に引っ越させることとなったわけである。
まさにキャベツと同じ経過だ。
学習能力がないのか? と問われれば、なくはない、と答えておこう。
傍目から見れば同じ失敗を繰り返しちゃあいるが、本人はべつに『失敗』だとは思っていないのだから、同じ事をやって当たり前。
生き物は死んだら負け。生きているのが正義なのだ。
だがまあ、殖えすぎた時点でヤバイ感じはしていた。それでも、所詮ミツバだし、殖えても大したことはない、と高をくくっていたのも事実。
殖えたら食ってしまえばいいのだと思っていた。
そもそも、ウチの家族はミツバが好きだ。薬味としてだけでなく、おひたしでも食べる。大量にミツバを食うってのもたまには悪くはない、はずだった。
イチゴが制圧されかかるほど、みっしりと繁茂している、その状況を見るまでは。
ミツバとイチゴの葉は少し似ていて、素人目には分かりにくい。だから、今まであまり気にならなかったってのもあるが、よくよく観察すると、ミツバばかりで五メートル四方くらいの面積が占められてしまっている。
イチゴはすでに気息奄々。
ミツバの隙間に細々と伸びているイチゴの株もあって、まさかこのようなことになるとは考えもしなかった。
これでは今年のイチゴの収穫は半減してしまう。これはゆゆしき事態だと、本格的に刈り取り…………つまり、収穫を開始した。
目的はイチゴの復権であるから、相当きちんと刈らねばならない。俺は会社を更に一時間サボって、ミツバを大量に収穫したのであった。
そもそも、ミツバは林床に生える植物だと思っていた。
野原に見かけることはないし、直射日光下では枯れてしまうと予想していた。庭の日陰から、この開放的な畑に移植した時点で、可哀想だが全滅するだろうと思っていたのだ。
それがまさか、雄々しくも復活を遂げたばかりか、他の植物……イチゴだけでなくイネ科雑草やヤブガラシ、セイヨウタンポポなど悪名高き連中までも圧倒して、増殖するなどと誰に予想できただろうか?
収穫の喜びよりも、この異常な状況に対する複雑な気持ちでいっぱいだったが、収穫したからには食うしかない。
今回の収穫物は、堂々と自宅に持ち帰った。
前述した通り。ミツバは家族には歓迎されるのだ。いつもと違ってコソコソすることなく、妻の許可を得て、外の洗い場で丁寧に泥と雑草を取り、キッチンで下茹でをしようとして驚いた。
「鍋に……入らん」
バケツに軽く一杯のミツバ……のはずだった。
だがそのバケツの容量を忘れていた。それは、釣りの時に使う活きアジ専用バケツ・二十五リットル。
結局、手持ちの最大の鍋で三回茹で、ようやくすべて茹で上がった。
早速、一発目はおひたし。ミツバのおひたしは、香り爽やか、苦みもなく味も良い。だが、そうそう腹一杯食べられるモンでもない。
なんとか全員が箸を付けたが、大皿に山盛りのおひたしは減ったふうにも見えない。
仕方なく、一発目の残りをすべて、豆腐のすまし汁に叩き込む。
豆腐よりも、汁よりも、ミツバの多いすまし汁。まあまあ食えるが、味はおひたしを食べているのと大きく変わらない。
早々に子供たちからブーイング。
「まずい」
「食べ終わらない」
いかにもそうだろう。俺だってキツイわ。
そして我が家の残り物は、すべて俺の前に集まってくる。俺は生ゴミ処理機ではないのだが、そういう扱いなのだ。
その夜は、ほぼミツバだけで腹一杯になり、苦しいおなかを抱えて寝た。
翌日。残りの下茹でしたミツバを見るなり吐き気が込み上げてきたので、すべて冷凍。そして、いまだに冷凍庫の中にある。
とはいえ、自宅で食べるために解凍する気にはならない。そうだ。冬までとっといて、友人を焚き付け、鶏鍋をやろう。その時に放り込んですべて消費する。それ以外にない。それでようやく平和になる……そう思っていたのだが……
今日、しばらくぶりに「祖父の畑」へ行ってきた。
ミツバはまた殖えていた。根が残っている限り、刈っても刈っても生えてくるのだ。それにしても、一ヶ月も経っていないのに……バケモノめ。
今、俺は真剣に、JAの産直市場に出荷することを考えている。