第10話 チョウセンゴミシ

文字数 5,214文字

 
 薬用植物ってものを侮ってはいけない……そのことを教えてくれたのが、首題のチョウセンゴミシの実であった。
 あれほどの効能があるとは、思いもしなかったのである。
 俺達の通っていたT大学には、N県の高地に演習林があった。
 演習林、とは、研究や教育のために実験や実習を行うための森林である。入り口が鉄の門で閉ざされてはいるが、申請さえすれば他大学でも民間団体でも、入って観察が出来る施設だ。
 ある年の十一月。そこで実習授業が行われ、泊まりがけで参加した学生達がいた。
 その中に、前項で紹介した農業系ワイルド後輩も混じっていたのである。
 彼もまた俺と同じ。あらゆる生き物が好きで、飼うのも食うのも捕まえるのも上手い。
 しかも特に、野生での食い物の調達が大好きな男だ。
 そいつが、その演習林の林道沿いに、大量の食べられる木の実がなっていることに気がついたのである。
 それは、ヤマブドウとチョウセンゴミシ。
 だが確認はしたものの、授業中であるからして、まさかそんなものを採取し始めるわけにもいかない。ソイツは実習の間中、我慢した。しかし、諦めるようなヤワな男ではなかった。
 実習から帰るなり、木の実採集隊を編成したのだ。
 前述の通り、演習林は通常は立ち入り禁止であるが、申請さえすれば利用できる。
 それは学内サークルでも問題なく、俺も所属していた野生動物研究会の自然観察、ということにして申請したのであった。
 そんな面白そうな活動に、俺が参加しないわけはない。
 例のハクレンに引きずり込まれそうになった後輩も参加し、結局十数人の大部隊となって、急遽、演習林へと向かうことになったのである。
 演習林といえども、べつに普通の山林と変わりはない。入り口のあたりは、その辺の山々と同じである。植林された杉が規則正しく生えていたように思うし、植生も単調。食べられそうなものは、木の実はおろか、キノコも山菜も何もなかった。
 だがさすが演習林。入り口から百メートルも歩くと、がらっと植生が変わった。
 ちょうど大きく道がカーブし、それまで山の影になって寒々としていた針葉樹林が切れ、日差しが差し込む明るい斜面に変わった瞬間、俺達は息を呑んだ。
 葉が落ちかけ、ツルがむき出しになったその繁みは、まさにヤマブドウの塊と言って良い状態だった。
 食える木の実がこれだけ鈴なりで、なんで周囲のサルやクマが来て食わないのか不思議だったが、今にして思えば、クマやサルはその時期、低山でドングリを食い漁っていたのであろう。霜が降りて実の甘みが増す時期が来れば、たぶん、彼等も食べに来ていたに違いない。
 ともあれ、野獣のライバルが居ないのはありがたい。
 俺達は、大変贅沢にヤマブドウを収穫していった。
 贅沢に。とは、一カ所で採り尽くさず、大きくて美味そうな房だけ選んで、ぽいぽいとカゴに入れていくやり方だ。
 質の良い実を持ち帰る、という理由だけではない。資源保護にもなるし、野生動物たちの餌を横取りするわけだから、採り尽くしたりするわけにはいかないからだ。
 採取量の上限も決めた。
 たしか、一人あたりスーパーの手提げ袋一杯ずつ、だったと思う。
 当時はジャムの作り方を知らなかったので、日持ちのしない実は果実酒にでもするほかなく、大量に採っても仕方なかったってのもある。
 この時点で、持ち帰る気のない、ついてきただけ女子と、もっと持ち帰りたい男子の間で「ヤマブドウ採取量取引」が成立した。
 要するに、「あたしいらないから、あたしの分、あんた持って帰りなよ」ってことだ。
 今にして思えば、「CO2排出量取引」を彷彿とさせて笑える。
 さて、ヤマブドウの鈴なりになった林を抜けると、さらに奥にはチョウセンゴミシの群落があった。
 ヤマブドウなら分かるが「チョウセンゴミシ」など聞いたことがない、という方も多いだろう。そう、たしかに山の幸として、あまりメジャーな木の実ではない。
 チョウセンゴミシ(朝鮮五味子)は、モクレン科マツブサ属の落葉性ツル植物である。
 秋に果実は赤く熟し、食用、薬用とされる。この実には鎮咳去痰、強壮の効能があるとされる、いわゆる薬用植物なのだ。「五味子」というのは、味の基本となる『酸』、『苦』、『甘』、『辛』、『鹹』の五つの味を兼ね備えている、という意味である。
 生薬として、実際に漢方薬にも配合されているらしいが、まあ、俺達にとっては、体に良いかも知れない程度。美味しい木の実ってことで充分だった。
 ヤマブドウが酸っぱさと意外な甘さを持っていて、おやつ代わりに食べられるのとは違って、同属のマツブサに似た松ヤニ臭があって少々生臭く、苦みのある実で、生食しても大して旨くないのが残念だが、リキュールにすればなかなか上等な酒になるらしい。
 この植物も、ハタケシメジの時に購入した、山菜・木の実・キノコの本に載っていて、以前から興味のあった木の実である。
 俺は喜々として採集したが、同行した連中にはヤマブドウほどの人気はなかった。
 その後、林道でヤマネの死体を拾ったり、ついでに野生生物センターに寄ったりしたが、まあ、その辺の話題は割愛しよう。
 大学に帰った俺達は、すぐにヤマブドウとチョウセンゴミシの処理にかかった。
 なにしろ、大量に採ってきたものだから、どっちも自重で汁が浸み出し、えらいことになっていたからだ。
 結局、梅酒用のでかい瓶を、ヤマブドウで二瓶、チョウセンゴミシで四瓶果実酒にした。
 だが、ヤマブドウをリキュールにするのは、ワインとの兼ね合いで酒税法上禁止になっているらしい。ので、違反をしたことは、ここだけの秘密にしておいていただきたい。

 さて、一気に時間を進めよう。

 チョウセンゴミシとヤマブドウの酒を開封したのは、ハクレンを料理したその日。つまり、木の実狩りから七ヶ月後のことであった。
 ハクレンの料理を待ちつつ、俺達は、ビールで乾杯した後、いよいよ果実酒を飲むことにしたのである。
 味を確かめるために、まずは、ストレートでいただく。
 ヤマブドウは、さすがと言っていい味だった。ちょっと度が強すぎたが、ワインだと言って飲ませても、気付かないヤツはいるかも知れない。というくらい、ワインっぽかった。
 いや、赤ワインのように渋味がないぶん、より飲みやすいかも知れない。
 で、チョウセンゴミシはどうだったかというと、独特の松ヤニの匂いがほのかに香り、悪くはないが、特に良い香り、というほどではなかった。
 味の方も、酸味が強いわけでなし、甘味が強いわけでなし。
 ただ、他の果実酒と違って、かなり複雑な味わいである。これは、大人の味とでも言うのであろうか、「五味子」の名を冠されるだけのことはある、ということなのだろう。
 しかし、ストレートはさすがにキツイので、基本は水割りやソーダ割りで飲む。すると、クセが緩和されて、なかなかの旨さになった。
 料理を待ちつつボチボチと飲み始めた俺達は、手持ち無沙汰だったこともあって、一人の後輩をいじり始めた。
 そいつは、その年に入学したばかりの一年生。
 どうやら最近、片思いの相手に振られたらしい。いや、振られたっつーか、どうやら友人に先を越されたらしく、思いすら伝えてはいない様子。
 それでマジに落ち込んでいる。これ以上面白い酒の肴があろうか。
 俺も、一年の時に振られて以来、恋人が居ないまま大学生活を過ごしていたから、共感すると同時に、ハッパをかけたくなった。
「大丈夫。世の中に女なんか、星の数ほど居るんだ。…………ただ、あのコはこの世にたった一人だけどな」
 そんなことを言っていじめた記憶がある。
 今考えると、ただのムカつく先輩だが、ソイツにしてみりゃ俺はサークルの幹部クラスの大先輩。しかも、失恋の傷跡も癒えない精神不安定な状況でのことだから、反論もできずにメソメソしているしかない。
 調子に乗って『ハクレンに引きずり込まれそうになった後輩』も言葉責めにかかる。
 そのうち、ハクレンが焼き上がり、それを食いながら……ふと気づくと、すでに日付が変わっていた。
 そういえば、妙に酒の無くなるペースが早い。っていうか、時間が経つにつれてスピードアップしてないか??
 普段の飲み会であれば、そろそろお開きの時間だし、それ以前に何人かつぶれていてもおかしくない量の酒が消えているにも関わらず、誰も眠気も吐き気も訴えなかった。
 ここでおかしい、と思えば良かったのだ。
 だが、俺自身もこの「すべてが躁状態の妙な空気」に完全に巻き込まれてしまっていて、それがおかしいとは気づかなかった。
 そのうちに、目の据わった『失恋後輩』の反撃が始まった。
「…………じゃあ、先輩達は彼女居るんスか?」
 俺はもちろん前述の通り、『農業系ワイルド後輩』にも『ハクレンに引きずり込まれそうになった後輩』にも、この時点では彼女はいなかった。
「彼女はいないが好きな人ならいるッ!!
「それじゃあ、俺と同じじゃないッスかッ!!
「そうとも言うッ!!
 彼女の居ない他の連中も集まって、好きなコの名前を窓(一階)から叫ぼうということになった。
 彼女持ちも、彼女の名を叫ぶ。
 俺も、一年の時に振られた片思いの相手の名を叫んだ。
 迷惑きわまりない飲み方だが、このシェアハウス、森の中の一軒家であるからして、ご近所迷惑になることはなかった。まあ、タヌキやキツネは驚いたろうが。
 どれだけ叫んでも、闇に吸い込まれていく好きなコの名前。その空虚さと、妙な満足感が、昂揚する雰囲気に拍車を掛ける。
 騒ぎは更にエスカレートしていった。
 宴会には女子も何人か参加していたが、だーれもその中の女子の名を呼ばなかった。
 今にして思えば実に失礼な話だ。今の俺なら「でも一番美人だと思うのは○○さん!!」とか「××さんは、最高に可愛いぞー!!」とか、本気半分、冗談半分に、彼女らの名も叫んでいたと思うが。
 まあ、そんな気の利いたヤツは一人もおらず、男どもの乱行に呆れた女子達は、日付の変わったあたりでさっさと帰ってしまった。
 女っ気がなくなってからもテンションは変わらず、俺達は歌い、叫んだ。
 泣くヤツ、笑うヤツ、女子がいないのをいいことに下ネタに走るヤツ、自然保護の議論を始めるヤツ、格闘ごっこを始めるヤツ……妙なハイテンションのまま……気づけば周囲は完全に明るくなっていた。

 翌日の二日酔いは酷かった。
 頭が割れそうに痛み、周囲がぐるぐる回る感覚。寝ていても、地面が立ち上がってくるような感じで、しかも興奮状態は冷めず、眠ることも出来ない。
 そんな状態が夕方くらいまで続き、ようやく酒が抜けたその翌日も、疲労で眠りっぱなしということに相成ったのであった。
 完全に限界を超えて飲んでいたはずなのに、どうして俺達はつぶれなかったのか?
 後日、例の山菜の本を読んだ俺は、チョウセンゴミシの項を見て唖然とした。
 「滋養強壮、特に肝臓機能強化と精力増強に効能あり」
 要するに、いくら飲んでもチョウセンゴミシのパワーで肝機能が強化され、かつ精力も増強されて、眠ることが出来なかったということのようだ。
 薬には適量、というものがあり、それを越えると毒なわけで、俺達は一種のチョウセンゴミシ中毒状態であったとも言えよう。
 ともあれ、なかなか面白い酒に出会ったものだと、それから二、三回、つぶれない宴会を楽しんだ。もちろん、今度は量を加減してだ。
 きちんと適量飲めば、つぶれないだけでなく、二日酔いがかえって軽減でき、体調も良い。まあ、本来は薬酒であるようだから当たり前かも知れないが、その上美味いのだから言うこと無しの良い酒だ。
 だが、最初の宴会でせっかくのチョウセンゴミシ酒は、相当量空けられてしまっていた。
 しかも追加で作ろうにも、季節も限定され、場所も遠い。
 結局、飲み尽くした後は再度作ることも出来ず、この歳になるまでチョウセンゴミシの実には再会できていない。
 だが数年前、思い出したように「ハクレン後輩」から出来上がったチョウセンゴミシ酒が届いた。久しぶりにあの場所へ行ったのだと、手紙には書かれていた。
 実はかなり少なくなっていたようで、あれほどの当たり年は、なかなかないそうだ。
 この酒は、大事に飲もうと思いつつ、いまだに栓を開けていない。

 そうそう。
 あの乱行の夜があってから、すぐに「農業系ワイルド後輩」には彼女が出来た。
 その後を追うように「失恋後輩」にも彼女が出来、数ヶ月後には「ハクレン後輩」にまでも彼女が出来た。大学生活……いや、社会人になってからも彼女が出来ず、結局、古風なお見合いで結婚した俺は、今も、人生にやり残したものがあるような気がしている。
 アイツが送ってきたチョウセンゴミシ酒になかなか手を付けられないのは、そういう理由もあるのかも知れない。
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