第29話 キジ

文字数 2,823文字


 それは、少し肌寒さを覚えるようになってきた、十一月中旬のことであった。
 俺の手元に、一枚の稟議書が回ってきた。こう見えても管理職であるから、稟議を通すか否かは、俺の裁量に任されている。
 だが大抵の場合、稟議書の内容は、必要最低限のものしか回って来ないので、権力をふるう機会は少ない。
 タイヤのパンク、営業車の物損事故、リース期限の来たコピー機やシュレッダーの機種交換などなど。
 しかしその日回ってきた稟議書は、ちょいと様子が違っていた。
「O野営業所工場二階の窓ガラス修理・七万円」
 待て。
 O野の工場二階って、あの工場? 軒先まで七メートル、その更に上についている明かりとりの窓?
 割ろうにもあそこに届くモノがないでしょ。しかもたしか、火災防止のための防爆ガラスだったはず。
 割れたものはしゃあないけど、どうやって割ったのよ???
 疑問に思った俺は、O野営業所の所長に電話した。
「ああ、所長。お疲れ様です。この、工場二階の窓って……何で割れたんです?」
『ああ、それ? 実はですね。キジが割ったんですよ』
「はああ? キジ?」
『はい。昼休みに、すっごい物音がしてですね。見に行ったら工場の中にキジが落ちていて、ガラスが割れとったんですわ』
 なるほど、そういうことか。
 キジは体が重く、その割に翼が小さいせいか、飛ぶのが下手で、ほぼ真っ直ぐしか飛べない。何かに驚いて飛び立ったキジが、工場の窓ガラスに突っ込んだとしても、不思議はない。
「そのキジ、どうしたんですか?」
『埋めましたよ。敷地内に』
 ほほう。
 ということは、死んで一日かそこらのキジが埋まっている、というわけか。
 とはいえ、十一月である。そろそろ肌寒いとはいっても、腐ってしまっている可能性はなくもない。だが、こんなチャンスも滅多にあるモノではない。
 俺は、ガラスの状況確認という理由を付けて、早速営業所へ向かった。
 O野営業所は、もっとも山奥の営業所であるが、立地は町中だ。こんなところにキジがいるとは驚きだが、まあ、車か何かに驚いたのだとすれば、不思議なことは何もない。
「で、どこに埋めたの?」
 俺はごく自然にキジの死体の在処を聞き出すと、早速死体を掘り出した。
「うえ。どうすんスかそんなもん」
 見ていた工員の一人が気味悪そうに俺に聞く。
「いや、こんな場所に埋めておくと、犬や猫が掘り返しに来るからね。それに立派なオスだから、剥製にならないかなーって思ってね」
 などと言い訳しつつ、気持ちはとっくに食う方に傾いていたのであった。
 さてさて。
 これ以上腐らせるわけにはいかない。キジはすぐに持ち帰り、会社をサボって倉庫でさばくことにした。
 時間が経っているせいか、羽はむしりやすかった。だが、むしりやすすぎて羽と一緒に皮も取れてくる場所がある。
 やはり、少々死んでから時間が経ったせいで、内臓のあたりが腐りかけているらしい。
 見えてきた内臓は、破らないようにそっと取り出したが、かなりの悪臭であった。
 だが、筋肉そのものには臭いもなく、肉として問題なく食えそうな状況だ。
 キジをさばくのは初めてだが、毛をむしってしまえば大きさも形もニワトリと大差ない。手羽、もも肉、胸肉、と切り分けていくと、実に美味そうな肉の塊ができあがった。
 しかしだ。
 このキジ、一人で食うにはさすがに量が多すぎる。
 また、良いダシが出ると評判のキジだ。やはり鍋でいただきたい。そこで持ち帰って、恐る恐る妻に切り出してみたところ、意外にも反応は悪くなく、家の冷凍庫に保管することを許してくれた。
「キジでしょ? だったらいいわよ」
 丁寧に洗ったザリガニはダメだったのに、キジはOKってのはよく分からんが、まあ、見た目フツーの鶏肉だからな。
 しかし、コレを食べるまでが大変だった。
 鍋をするたびにキジ肉を入れて良いか聞くのだが、そのたびに却下。
 いわく、「味が濁る」「私達は食わん」「別の機会にやれ」
 で、結局、年を越すことになってしまったのである。
 ついにキジを食べる機会を得たのは、二月の頭。娘のピアノコンクールとかで、妻と二人、東京へ行くことになり、留守番中の俺と息子の二人で鍋をすることにしたからだ。
 息子はザリガニを食ってみて美味い、と分かって以来、俺の持ち込む食材は信頼してくれている。果物はミカンとリンゴしか食えず、トーストはバターのみ、それどころかちょっと変わった食材はすべて敬遠する偏食少年のクセに、キジ肉には興味があるというのだからこいつも変わっている。
 二人で買い物に行き、食材を選ぶ。
 野菜はシンプルにネギ、白菜、ニンジンのみ。キジ肉がダメだった場合を考えて、豚肉も買った。味がハッキリするよう、水炊きである。
 さて、凍った肉を取り出し、臭いを嗅いでみると、なんと、太もも部分からイヤな臭いが。
 どうやら、内臓に近かった大腿骨の付け根は腐っているらしい。冷凍前はここまで酷い臭いはしなかったのだが、二ヶ月以上経つのだ。冷凍後に多少なりとも腐敗が進んだということかもしれない。
 だが、膝から下、っていうとヘンだが、要するにドラムスティックの部分は問題なく、手羽元、手羽先、胸肉、背肉も大丈夫そうであった。
 美味しそうなもも肉を捨てるのはつらかったが、食い意地で食中毒を起こしては何にもならない。とにかく安全第一。しっかりと火を通し、俺が一口目を食べてみる。
 まずは腐りの気になった脚の、ドラムスティックにかじりつく。
 …………おお……なんと柔らかい……地鶏などより、余程柔らかくて食べやすい。煮すぎたせいか少しカスカスするが、旨味は抜群だ。
 大丈夫そうだということで、息子にも勧めてみる。
「美味しい!!
 思わず声が出る。息子もキジ肉が気に入ったようだ。
「手羽先の方が柔らかくて美味い」
 よく煮込んだせいだろうか、確かに手羽先の方が骨離れが良く、格別に美味かった。
 胸肉、背肉は切れなかったので、一体の肉ブロックと化していたが、これまた美味かった。カスカスした感じはさらにきつかったが、肉が大きい分、ダシが内側に閉じこめられていたのであろう。
 ドラムスティックには、ニワトリにはない、ゼラチン質の腱が幾つも入っていて、ちょっと不気味であったが、その分、しっとりして締まりも良かった。
 ついでに放り込んだ、庭で採れたハツタケ、チチアワタケ、クギタケの冷凍も、良いダシを出している。
 俺は妻がいないのを良いことに、キウイフルーツを使った自作の発泡酒をしこたま呑んで酔った。
 二人で一羽をなんとか食い尽くしたが、野菜は食いきれず翌日まで残ることとなった。
 会社の窓ガラスを叩き割ったキジ。
 考えようによっては七万円のキジなわけだが、それ以上に楽しませてもらったと言っていい。
 だがやはりこうなると、キジバトやカモも食べてみたいものだ。出来ればシカやウサギも獲ってみたい。
 銃猟免許……とろうかな…………。

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