第5話 ハタケシメジ
文字数 2,774文字
定番となる、キノコの話である。
せっかく『きゃっち☆あんど☆いーと』などという、メルヘンチックに素晴らしい名前を付けたのだから、キノコを外しちゃいけねえ。と、俺の採集魂が叫んでいるのである。
今回の対象種は『ハタケシメジ』。
キノコ狩りをやる人にとっては、まずまず耳慣れたキノコだろうが、やらない人には「何それ?」的なキノコに違いない。まあ、ずいぶん前から栽培も確立しているから、高級スーパーに行けば栽培モノが出回っていることもあるし、それをお買い上げになったことのある方もいらっしゃるかもしれない。
しかしまあ、ハタケシメジに限らず、キノコは野生モノと栽培モノじゃあ、味も食感も比較にならない。
いやマジで。
このキノコと俺が初めて出会ったのは、大学一年の初秋。であったと思う。いや、もしかすると夏休み前だったかも知れない。
忘れもしない。一人暮らしを始めて最初のクリスマスを目前に、どでかい失恋をかました俺。
そのコを好きになりかけの頃だったから、間違いなく晩秋ではなかったはずだ。
必修科目の体育……たしか、マラソンかなんかだったと思うが、その時間に、大学構内の砲丸投げ場で集合したときに、足元にボコボコと生えていたのだ。
俺は生物学専攻で、生態学志望だったが、まだ修行不足でその頃、キノコはサッパリ分からなかった。その姿は旨そうに見える。だが、どんなに旨そうでも、種類が分からないキノコは食わないのが鉄則だ。まして、こんなに無造作に生えているのだから、まあ食えるキノコのはずはない。十中八九毒キノコだろうと、むしろ踏みつけ、蹴散らしていたのである。
ところが同じ学年に、キノコ好きの妙な男がいた。
この男。高校時代からカビやキノコなど、地味な生物に興味を持ち、その研究で推薦入学してきただけあって、そこらへんの図鑑並み、いやそれ以上に知識があった。
大学一年で既にそんなヤツだったから、まあ、いいオッサンになった今では、当たり前のように図鑑や専門書を書く方の立場となっているワケだが。
それはそれとして。
その男が言ったのだ。「これ、ハタケシメジだねえ。食べるとホンシメジに勝るとも劣らないらしいねえ」
「は? これ食えるの?」
「食べたことはないけどねえ」
それを聞いた俺の、採食魂に火が付いた。
すでにナマズの洗礼を受けて、採って食うスタンスは確立している。
構内に無数に生えているキノコを食すのに、越えるべきハードルは、識別だけだったのである。この男が言うなら間違いあるまい。ということで、授業を終えた俺は、学生寮の巨大ゴミ袋を持って現場へとって返した。
ゴミ袋……某T大学寮に居た方はご存じかも知れないが、この寮名を冠して通称されるゴミ袋は、でかくて丈夫なことで有名であった。普通のゴミ袋の三~四倍の容量を誇り、強度もずっと上。
無論、清掃員さんが使う袋であり、学生が勝手に使って良いモノではないのだが、当時はかなり頻繁に、勝手に使わせていただいていた。
ハタケシメジは、本来腐植質に生えるキノコである。
それが、なんで一見何の変哲もない芝生の砲丸投げ場にボコボコ生えていたのかは、今となっては謎である。柔道場も近かったから、もしかすると、古畳でも埋めてあったのかも知れない。しかし、とにかく数十メートル四方に一面のハタケシメジ。これは宝の山であった。
「ハタケ」などと付いているが、色、形、束になって生えている様子など、市販の「ホンシメジ」にそっくりであった。
後で知ったことだが、「ハタケシメジ」にも何タイプもあり、一本で生えたり、カサが大きく開いたり、色が薄かったりする系統もあるらしい。が、ここの一群は、それはもう立派に「シメジ」していたのである。
こんな素晴らしいシメジの塊が、放っておけば学生どもに踏み散らかされるだけの状況。ならば手加減する必要などあろうはずもない。
俺は、採って採って採りまくった。
その量は前述の巨大ゴミ袋がいっぱいになるほど。測定してはいないが、おそらく十㎏くらいはあっただろう。
その夜は、寮の共用スペースに同学年の連中を招いて、キノコ鍋パーティを催したのであった。
まあ、小説であればここで、実は毒キノコだったとかの落ちが付くところだが、これは実録であるからそのような面白い展開はなかった。とにかく、そのキノコだけで満腹するほどの量。鍋を食い、酒を酌み交わし、皆、充分に満足して帰っていったのである。
料理は単純な水炊きであった。ダシは昆布。白菜、ニンジン、大根、ネギ、豚肉、しらたきなどとともに水で煮上げ、ポン酢でいただく。キノコがメインの鍋とはいえ、具全体の半分が絶品キノコという贅沢さである。
「匂いマツタケ、味シメジ」とはよく言ったもので、実に美味かった。ホンシメジはいまだ食べたことがないから味について比較は出来ないものの、ハタケシメジ本体から出た旨味は、どの具材にも染み込んで人生最高レベルの鍋となっていた。
あの時期、あの仲間達とだったからかも知れないが、あの時以上に美味い鍋は、あれからもお目に掛かったことはない。それほどのものだった。
当時、失恋をかます前のあのコも食べに来てくれた。準備や片付けをてきぱきと手伝ってくれた彼女に、さらに惹かれていったのは言うまでもない。
だが、例の巨大なゴミ袋いっぱいのキノコは、十数人で明け方まで食い続けても、食い尽くせるモノではなかった。
減ったのはほんの十分の一くらい。このままでは腐ってしまう。
そこで俺は、学内の書店に走った。山菜やキノコの本を入手するためである。インターネットなどほとんど普及していない時代であった。こうした場合の対処法を探すのは、書籍に頼るより他になかったのだ。
さて、なんとか入手したキノコ狩りの本には「塩漬けにせよ」とあった。
で、必要な塩の量は、と見ると……「キノコと同量」とある。俺は、その日、小さなスーパーの売り場の塩を、すべて買い占める羽目になった。
いったん茹でて塩漬けにしたハタケシメジは、新鮮な時ほどではなかったが美味かった。
たしか、クリスマスくらいまで何回か鍋をやった記憶がある。その記憶はなくはないのだが、味の感動がいまいち記憶にないのは、前述したようにその後に派手な失恋をして、終日ぼんやりしている事が多かったせいだろう。
失恋などとかっこいいことを言ってはいるが、恋人に振られたわけではなく、単に片思いが実らなかっただけなのであるが。
今も秋になると、ハタケシメジを食いたくなる。だが、もう二度とあのような巨大な群落に行き当たることはないのであろう。そして、あの頃の仲間達との記憶と同時に、失恋の記憶もまた頭をもたげてくる。
俺にとっては、ハタケシメジはまさに青春のキノコなのである。
せっかく『きゃっち☆あんど☆いーと』などという、メルヘンチックに素晴らしい名前を付けたのだから、キノコを外しちゃいけねえ。と、俺の採集魂が叫んでいるのである。
今回の対象種は『ハタケシメジ』。
キノコ狩りをやる人にとっては、まずまず耳慣れたキノコだろうが、やらない人には「何それ?」的なキノコに違いない。まあ、ずいぶん前から栽培も確立しているから、高級スーパーに行けば栽培モノが出回っていることもあるし、それをお買い上げになったことのある方もいらっしゃるかもしれない。
しかしまあ、ハタケシメジに限らず、キノコは野生モノと栽培モノじゃあ、味も食感も比較にならない。
いやマジで。
このキノコと俺が初めて出会ったのは、大学一年の初秋。であったと思う。いや、もしかすると夏休み前だったかも知れない。
忘れもしない。一人暮らしを始めて最初のクリスマスを目前に、どでかい失恋をかました俺。
そのコを好きになりかけの頃だったから、間違いなく晩秋ではなかったはずだ。
必修科目の体育……たしか、マラソンかなんかだったと思うが、その時間に、大学構内の砲丸投げ場で集合したときに、足元にボコボコと生えていたのだ。
俺は生物学専攻で、生態学志望だったが、まだ修行不足でその頃、キノコはサッパリ分からなかった。その姿は旨そうに見える。だが、どんなに旨そうでも、種類が分からないキノコは食わないのが鉄則だ。まして、こんなに無造作に生えているのだから、まあ食えるキノコのはずはない。十中八九毒キノコだろうと、むしろ踏みつけ、蹴散らしていたのである。
ところが同じ学年に、キノコ好きの妙な男がいた。
この男。高校時代からカビやキノコなど、地味な生物に興味を持ち、その研究で推薦入学してきただけあって、そこらへんの図鑑並み、いやそれ以上に知識があった。
大学一年で既にそんなヤツだったから、まあ、いいオッサンになった今では、当たり前のように図鑑や専門書を書く方の立場となっているワケだが。
それはそれとして。
その男が言ったのだ。「これ、ハタケシメジだねえ。食べるとホンシメジに勝るとも劣らないらしいねえ」
「は? これ食えるの?」
「食べたことはないけどねえ」
それを聞いた俺の、採食魂に火が付いた。
すでにナマズの洗礼を受けて、採って食うスタンスは確立している。
構内に無数に生えているキノコを食すのに、越えるべきハードルは、識別だけだったのである。この男が言うなら間違いあるまい。ということで、授業を終えた俺は、学生寮の巨大ゴミ袋を持って現場へとって返した。
ゴミ袋……某T大学寮に居た方はご存じかも知れないが、この寮名を冠して通称されるゴミ袋は、でかくて丈夫なことで有名であった。普通のゴミ袋の三~四倍の容量を誇り、強度もずっと上。
無論、清掃員さんが使う袋であり、学生が勝手に使って良いモノではないのだが、当時はかなり頻繁に、勝手に使わせていただいていた。
ハタケシメジは、本来腐植質に生えるキノコである。
それが、なんで一見何の変哲もない芝生の砲丸投げ場にボコボコ生えていたのかは、今となっては謎である。柔道場も近かったから、もしかすると、古畳でも埋めてあったのかも知れない。しかし、とにかく数十メートル四方に一面のハタケシメジ。これは宝の山であった。
「ハタケ」などと付いているが、色、形、束になって生えている様子など、市販の「ホンシメジ」にそっくりであった。
後で知ったことだが、「ハタケシメジ」にも何タイプもあり、一本で生えたり、カサが大きく開いたり、色が薄かったりする系統もあるらしい。が、ここの一群は、それはもう立派に「シメジ」していたのである。
こんな素晴らしいシメジの塊が、放っておけば学生どもに踏み散らかされるだけの状況。ならば手加減する必要などあろうはずもない。
俺は、採って採って採りまくった。
その量は前述の巨大ゴミ袋がいっぱいになるほど。測定してはいないが、おそらく十㎏くらいはあっただろう。
その夜は、寮の共用スペースに同学年の連中を招いて、キノコ鍋パーティを催したのであった。
まあ、小説であればここで、実は毒キノコだったとかの落ちが付くところだが、これは実録であるからそのような面白い展開はなかった。とにかく、そのキノコだけで満腹するほどの量。鍋を食い、酒を酌み交わし、皆、充分に満足して帰っていったのである。
料理は単純な水炊きであった。ダシは昆布。白菜、ニンジン、大根、ネギ、豚肉、しらたきなどとともに水で煮上げ、ポン酢でいただく。キノコがメインの鍋とはいえ、具全体の半分が絶品キノコという贅沢さである。
「匂いマツタケ、味シメジ」とはよく言ったもので、実に美味かった。ホンシメジはいまだ食べたことがないから味について比較は出来ないものの、ハタケシメジ本体から出た旨味は、どの具材にも染み込んで人生最高レベルの鍋となっていた。
あの時期、あの仲間達とだったからかも知れないが、あの時以上に美味い鍋は、あれからもお目に掛かったことはない。それほどのものだった。
当時、失恋をかます前のあのコも食べに来てくれた。準備や片付けをてきぱきと手伝ってくれた彼女に、さらに惹かれていったのは言うまでもない。
だが、例の巨大なゴミ袋いっぱいのキノコは、十数人で明け方まで食い続けても、食い尽くせるモノではなかった。
減ったのはほんの十分の一くらい。このままでは腐ってしまう。
そこで俺は、学内の書店に走った。山菜やキノコの本を入手するためである。インターネットなどほとんど普及していない時代であった。こうした場合の対処法を探すのは、書籍に頼るより他になかったのだ。
さて、なんとか入手したキノコ狩りの本には「塩漬けにせよ」とあった。
で、必要な塩の量は、と見ると……「キノコと同量」とある。俺は、その日、小さなスーパーの売り場の塩を、すべて買い占める羽目になった。
いったん茹でて塩漬けにしたハタケシメジは、新鮮な時ほどではなかったが美味かった。
たしか、クリスマスくらいまで何回か鍋をやった記憶がある。その記憶はなくはないのだが、味の感動がいまいち記憶にないのは、前述したようにその後に派手な失恋をして、終日ぼんやりしている事が多かったせいだろう。
失恋などとかっこいいことを言ってはいるが、恋人に振られたわけではなく、単に片思いが実らなかっただけなのであるが。
今も秋になると、ハタケシメジを食いたくなる。だが、もう二度とあのような巨大な群落に行き当たることはないのであろう。そして、あの頃の仲間達との記憶と同時に、失恋の記憶もまた頭をもたげてくる。
俺にとっては、ハタケシメジはまさに青春のキノコなのである。