第32話 アユ

文字数 4,791文字


 俺の親父はアユ釣りが好きだった。
 七回忌を終えた頃、遺品の釣り道具を整理したのだが、その五割がアユ釣り用、残りの四割がヘラブナ用で、一割が海釣り用だった。
 釣れさえすれば海釣りだろうが、川釣りだろうが、ルアーだろうが、餌釣りだろうが、なんでもやる、節操のない俺とはちょっと違う。
 シーズンになると、親父は毎週のようにアユ釣りに行った。それも暗いウチからいなくなり、昼頃には大量のアユを、オトリ缶に入れて帰ってきたものだ。
 当然のように、子供の俺はついて行きたがったのだが、川に立ち込んで釣ることの多い友釣りは、大人ですら毎年水死人の出る釣りだ。なかなか連れて行ってはくれなかった。
 母と姉も俺も連れて、四人で行ったこともあったが、やはり川は危ない、との母の意見で一回こっきりのイベントになった。中学に入ってからは、二度ほど同行したが、友釣りのやり方がイマイチ釣れるとは思えず、そのうちついて行かなくなった。
 だって、縄張り争いで追っかけてくるのを引っかけるなんて、神業じゃねえの? と思ってしまったわけだ。ちゃんと習っておかなかったことを今も後悔しているが。
 親父は地元のとある一級河川の漁業権も持っていて、投網の一種「さぎり網」もやっていた。
 さぎり網の場合の対象は、下りアユ。
 増水した日の夕方なぞにふらっと出かけていって、一度に百とか二百とかの数のアユを持ち帰ってくる。殆どのアユがぱんぱんに卵を持っていて、塩焼きで食うと絶品であった。
 また、コロガシ、という引っかけ釣りも得意だった。これも下りアユを狙う漁法だ。
 下りアユ。落ちアユともいう。すなわち産卵期を迎えて下流域で産卵行動をとろうと、川を下ってくるアユのことだ。この頃になると縄張り行動はとらず、何匹かで群れになっている。増水時には特に大きな群れになり、下る数も増えるので狙い目らしい。
 らしい、というのは、俺はあまりこの漁法に付き合わなかったせいだ。一度も行ったことがないわけではないが、その時には大漁とはほど遠い数しか捕れなかった。
 アユ一種をたくさん捕って食べることより、様々な魚種を釣ったり捕ったりして、観察したり飼育したりすることの方が好きになりつつあったのがその理由だ。
 社会人になって、郷里に戻ってから、父と一緒に行こうと企んだこともあったが、今度は母が父の体を心配して反対。よく人が死ぬ、ってんで、俺にもアユ釣り禁止令が出た。
 まあ、父の一族は代々短命で、その中の何人かは釣りの最中や釣りの支度中、釣りに行く道中に亡くなっているので、気持ちは分かる。
 だが、そんなことに気をつけていても、結局父は短命だった。
 釣り関係で死ぬ人が多かったのは、単に釣りに掛けている時間が長かったので、その最中にポックリ逝く確率が上がった、というだけであろうと思う。
 で結局、そうしたまともなアユ釣りは、覚えることのないまま、今に至る。
 それでは『きゃっち☆あんど☆いーと』にならないではないか。とお怒りにならないでいただきたい。そんな俺でも、アユを捕獲して食べる、という経験はちゃんと積んでいるのである。

 釣らないでどうやって捕ったのか?
 素手、で捕る猛者もいるらしいが、俺は網だったのである。
 網なんか使っていいのか? と言われれば、コレが実はダメなのである。
 漁業権の設定されている川で、指定漁法以外のやり方で魚を捕ってはいけない。これは自分が漁業権を持っていても同じである。叉手網、投網、タモ網などで、アユを狙うのは、違法、ということだ。
 しかし、漁業権のない場所であれば話は別。
 むろん、そういう場所は民有地だったり農業用水路だったりして、別の問題も生ずるわけだが、それらもクリアした、アユを自由に捕獲できる場所がないのか? といえば、数は少ないが、ある。
 そういう場所を探し出せば、フナやメダカを掬うようにアユを掬って食べることも、まあ、不可能ではないわけだ。
 で。
 話は高校時代にまで遡る。
 前述したが、その頃、俺は魚の飼育に凝っていた。
 といっても、タナゴだけとか、金魚だけとか、グッピーだけ、という、世によくおられる一ジャンルのマニアではない。国産、外国産、熱帯産、冷水系、海水なんでもアリ。
 場合によっては魚類以外の、エビ、カニや、水生昆虫、両生爬虫類まで。
 なんでもかんでも飼ってみよう、という状況であった。
 休日になるとその辺の野山だけでなく、水田や用水路で魚を捕るのだ。しかも高校の生物部の部長、などという名目を利用し、高校に飼育施設を勝手に作り上げ、様々な魚を飼育していた。
 だが、そういう「魚捕り遊び」は親父も大好きで……というか、もともと親父が教えてくれた遊びだったわけだが、小学生の頃はもちろん、中学、高校生になっても親父と二人でタモ網、ブクブク付きバケツを車に乗せて、県内一円はもとより、遠くは他県まで魚捕りに行ったものであった。
 特によく行ったのは琵琶湖であった。
 当時の琵琶湖周辺は土水路も多く、琵琶湖から様々な魚類が行き来していたし、湖岸に清冽な湧き水の流れる用水路まであって、そこではスジシマドジョウだの、イチモンジタナゴだの、カネヒラだの、ウツセミカジカだのといった今では姿を見ることすら難しくなった希少種がいくらでも獲れた。
 ちょうど、ブラックバスやブルーギルが爆発的な増殖を開始し始めた頃でもあったのだが、それでもそいつ等の入り込めない水深の浅い場所には、在来種がちゃんといた。
 琵琶湖自体の水も、美しく透きとおり、防波堤の上から砂地の湖底を優雅に泳ぐカマツカの姿がよく観察できたことも覚えている。
 さて。
 親父も俺もそこそこ忙しかったから、琵琶湖行きは年に数回であった。
 それでも多い方だとは思うが、年中行っていたわけではなく祭日や連休の多い秋頃に多かったのであろう。親父がお袋にアユ釣りを禁止されるまでは、春先から初夏にはあまり行かなかったのではないだろうか。
 というのは、前述の湧き水水路が、春先から初夏にかけて、湖から遡上するコアユに埋め尽くされるとは、その時まで全く知らなかったからである。
 その時がいつだったか、定かに覚えてはいないのだが、暑からず寒からず。おそらくGWの後くらいだったと思う。
 いつものノリで魚捕りに行こう、ってんで俺は親父と琵琶湖へ出かけた。
 だが、水温が低すぎるのか、はたまた田植えの後の泥水と水量のせいか、どこの用水路でも芳しい成果は得られなかった。
 そこで最後の手段的に、例の湧き水の流れる水路へ行ってみよう、と言うことになったわけであった。
「うおおおお!? なんじゃこりゃ!!
 まあ、ここも他の場所と似たようなモンだろうと多寡を括って覗き込んだ俺は、思わず声を上げていた。
 他の水路は泥濁りであるのに、ここだけは透明な水。その水中を、小型のスリムな魚の群れが、まるで黒雲がたなびくように右往左往しているのだ。
 ぱっと見、種類は分からなかったが、とりあえず捕まえてみるしかない。
 俺と親父は、いつものパターン。つまり挟み撃ち戦法で群れを追い詰めた。
 挟み撃ち戦法とは、片方が水路をふさぐくらいの大きな叉手網を構えて待ち、もう片方が両手に持ったタモ網で群れを工法に逃さないようにしながら、川底を歩いて追い込むやり方だ。
 これがハマると、叉手網が持ち上がらないくらいの大漁になる。
 この時も作戦は当たり、叉手網が一度で満杯になるほどの銀鱗が煌めくこととなった。
 岸に上げたその魚を見て、俺も親父も驚いた。
「これ……アユや」
 話には聞いていたし、夏頃にはたまにタモ網に入ることもあったのだが、これほどの数のコアユを一度に捕ったことはない。
 いいのか? と少し思ったが、考えてみればこれまでさんざん捕ったテナガエビも、ホンモロコも、ギンブナも、琵琶湖では漁業権種。コアユだからダメということはないだろう。
 まあ実際、捕ったのは湖でも河川でもない場所であるから、天然記念物でもない限り法に触れるわけではない。
 結局その日は、コアユ以外捕れなかったこともあって、持ち帰って食べることにした。
 コアユは天ぷらもしくはフライに限る。塩焼きにするには小さすぎ、甘露煮は手間が掛かりすぎる。
 この時は天ぷらにした。
 鰹だしと昆布だしを合わせた天つゆに、大根おろしを加え、揚げたてをじゅっと付けて食べる。
 サクサクした衣の食感が最高である。
 小さいながらもアユらしく、少し苦みのある味わいはなかなかのものだったが、捕った場所が場所だけに、残念ながら少し泥臭さが勝っていたように思う。
 できれば、数日泥吐きさせてから調理すべきだった。
 この時期のコアユは、特に藻類を食べずに底生動物をよく食べていることも、味わいに影響していたのかも知れない。
 その後も一、二度捕りに行ったが、その場所に行った日の夜には金縛りに掛かると親父が言い出して、不気味なので行くのをやめてしまった。
 すぐ近くに墓場があるので、そのせいだと親父は思いこんでいたようだが、行ってみれば分かるが、近くに墓場のあるとこなんて珍しくもない。
 墓場で採集したわけではないし、たぶん関係ないだろう。
 その後しばらくして、親父の持病が悪化した事から考えると、祟りっていうよりも、親父の体調が悪いことが、金縛りを引き起こしていたのではないかと思う。
 だが、祟りのことはさておき、この話を読んで面白そうッてんで琵琶湖周辺に行き、網でコアユなど捕っていて、地元の漁師さんに怒られても、当方は一切関知しない。
 前述したように法律上は問題ないはずだが、地元の方とトラブってその言い訳が通用するかどうかは分からないし、そもそも農地=私有地に踏み込まないと、農業用水路で採集など出来ないのであるから。
 当時は地元の方は、怪しいよそ者の俺達ににこやかに挨拶してくれ、釣る時にはこうするとか、姉川の方はもっといるとか世間話までしてくださったが、あれから随分と月日が流れてしまった。
 あののどかな風景と人柄が、今も維持されているかは分からない。

 さて、この話には後日談がある。
 俺は当時、一畳分ほどの巨大水槽を持っていて、そこに熱帯魚を飼っていたのだが、全部食べるのも面白くないってんで、そのコアユを十匹ほど泳がせたのである。
 当然、すぐ死ぬであろうと予想した。
 だが、予想に反してコアユたちはいつまで経っても死ななかった。
 網で一気に捕ったおかげで、傷が少なかったこと。
 きちんと水温合わせをしてから水槽へ入れたこと。
 水槽が巨大で、素早く泳ぐアユも頭をぶつけたりしなかったこと。
 井戸水を使って毎週水替えしていて、水質が安定していたこと。
 などなど、様々な要因が重なったおかげだとは思う。
 だが、そのうちに熱帯魚用のフレークフードに餌付いたことにはさらに驚かされた。
 ひらひら沈む餌を、ぱくぱくとついばむアユ。
 これは初めて見る光景だったし、アユの成魚は藻類しか食べないと思いこんでいた俺には衝撃でもあった。
 水草の森の中を、コアユとネオンテトラやコリドラス、ドワーフグラミー、エンゼルフィッシュなどが混泳している水景は、なかなかにシュールで楽しかった。
 実家の店先に置いてあったので、道行く人が覗き込むのだが、一般的な熱帯魚に詳しい人が
「これはネオンテトラだねー。あっコリドラス……ん??? これ、何?」
 などと呟くのを見るのも楽しみの一つであった。
 コアユは冬を越し、翌年の春先まで生きて、ポツポツと死んでいった。おそらく寿命であったのだろう。一年魚のアユにしては長生きした方だ。
 コリドラスやネオンテトラが勝手に繁殖しているような水槽であったが、あのコアユが死ぬ前に卵を産んだかどうかは確認できていない。
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