第21話 ダイナンウミヘビ

文字数 2,961文字



 社会人になったばかりの頃、俺はよく、同僚達と釣りに行った。
 大抵は防波堤の釣りだったのだが、たまに乗合船に乗ったり、仕立て船を借り切ったり、カセ釣りをやった。
 乗合船や仕立て船は、釣りをやらない方でも聞いたことがおありだろう。
 だが、『カセ釣り』というのは、あまり耳にする機会はないはずだ。
 『カセ釣り』というのは、筏やカセ(小舟)を、波の静かな内湾の養殖ブイなどに繋いでおき、そこに釣り人を一日いくらで渡して釣らせてくれる釣りのことだ。
 狙いはヒラメ、シマアジ、イシダイ、クロダイ、メジナ、マダイなど、防波堤なんぞで釣るのとは、比べものにならないくらい、立派な獲物が多彩に釣れる。
 仕立て船や乗合船よりは安いのだが、一度渡してもらうと一日そのままであり、釣れないからといって、場所を変えたり出来ないのが難点である。しかも吹きさらしで寒い。
 しかし、釣れ始めると良く釣れるし、大物も望める。その日も俺達は、寒さに耐えつつ朝からカセで釣り続けていた。

 だが、なんとも食いの悪い日であった。
 いつもなら小さなマダイの一匹や二匹、すぐに掛かってくるのだが、その日は友人に一匹釣れただけで、昼を回っても大した獲物はなかった。
 そろそろ日も傾き、道具をしまおうかという頃になって、ようやく竿先がしなった。
 しかし、引き具合がどうもおかしい。
 魚がぐいぐい引っ張る感じではないのだ。
 最初は根掛かりしたかと思うほど重かったのが、いったん底を切ると、ふにゃふにゃと引き上げられてくる。たしかに何かが掛かっている重さがあるものの、抵抗が少なすぎる。
 獲物を引き上げた瞬間。
 俺は、『線虫』を釣ったと思った。
 線虫……寄生虫の回虫と同じ仲間。土壌にはたくさん棲んでいて、分解者として活躍する、生態系の重要な一員でもある。
 釣り上がってきたのは、白銀色で異常に細長く、前後が尖っていた。
 生物系出身で、寄生虫などを見慣れていた俺が、一瞬、線虫だと思ったのも無理はない……と思う。
 しかし、いくらなんでも線虫にしてはでかい。
 全長、約一メートル。いや、細長いから小さく見えたが、もっと長かったかも知れない。
 いくら何でもこの大きさの線虫はあるまい……とよく見ると、ほう……目がある。裂けたような口もある。エラもある……これ、魚やん。
「あ。ダイナンウミヘビか!! 」
 思わず俺は叫んでいた。
 コイツなら知っている。だが、これほどでかい個体は初めて見た。投げ釣りで釣れるのは、大きくても数十センチであった。これは、長さも太さも倍、いやそれ以上ある。
 ダイナンウミヘビ……ウミヘビの名を冠してはいるが、立派な魚類である。
 ウナギ目ウミヘビ科
 砂地に住み、砂に潜って暮らす。尻尾の先にヒレがないのは、尖った槍のような尻尾の先で、砂を掘って頭を出し、獲物を狙うからである。
 口の中には鋭い牙が並び、凶悪この上ない顔つきだが、なにしろ細長い。
 線虫のようだと表現したが、もっとも的を射た表現だと思う。
 この細長さゆえに、怖いというよりは、気持ち悪い、が第一印象になる人が多いようだ。
 朝から釣れない釣りをやり続けたことで、どうやら砂地の上に撒き餌をした形になったらしい。カセの下には、夥しい数のダイナンウミヘビが寄ってきているようであった。
 それからは、仕掛けを落とすたびに、このダイナンウミヘビが釣れてきた。
 それも一.五メートルクラスの化け物ばかり。中には二メートル近い大物も。
 しかも…………どいつも針を飲み、糸を絡ませている。
 我々の釣り同好会の鉄の掟を覚えておいでだろうか?
『毒でない限り、殺してしまったものは食わなくてはならない』
 のである。
 俺達は必死で彼等を介抱し、なんとか半数くらいをリリースすることに成功した。
 だが……残念なことに、息を引き取ったダイナンウミヘビが数匹。
 掟は守らねばならない。これは持ち帰るしかなかった。
 そうこうするうち、同行した一人が七十センチクラスのヒラメを釣り上げた。久しぶりの大物に、皆の喉が鳴る。
 だが、そいつは社員寮ではなく、自宅通勤である。
 ヒラメはぜひ、彼の帰りを待つご家族に召し上がっていただきたい。
 というわけで俺達は、ダイナンウミヘビのみで夜の宴会を行うことに決めたのであった。
 さて、ダイナンウミヘビをさばくのには、まず、長さが問題になった。
 そもそも、長すぎてまな板の上に乗らないのである。
 仕方なく、開く前に筒切りにする。つまり、まな板の長さに合わせてぶつ切りにしたわけだ。
 料理法は考えてなかったのだが、ウナギに似た姿、そしてウナギ目であるから、蒲焼き、と言うことで全員の意見が一致した。
 だが、背開きにしていく途中で、その恐るべき骨の状態に、俺は息を呑んだ。
 あのうねうねとした線虫のごとき力強い動き。砂の中に尻尾から潜っていくという荒技。
 それを支えていたのは、強靱な筋肉であった。だが、その筋肉の動きをサポートしていたのは、異常に発達した骨だったのである。
 普通の魚は、背骨から身を剥がすと、骨はほとんど付いてこない。
 肋骨が内臓を守っており、あとは中骨が通っている程度。
 だが、このダイナンウミヘビは、この肋骨も中骨も発達具合がハンパ無い。
 凄まじく太く、そして長く、背中から腹まで通っているのである。骨抜きで抜こうにも、発達した筋肉がまとわりついて離れない。
 骨が体の隅々にまで行き渡っている感じであった。
 普通であれば、ここで諦めるかも知れない。
 だが、ここで突然、俺の耳元で『山岡さん』が囁いた。
「京都のハモ料理には、『骨切り』という技法があるのです」
 なるほど。骨切りか。
 俺は、自分の持つ包丁の中で、もっとも切れ味の良い小出刃を持ち出し、山岡さんの教え通り、一ミリ感覚で骨を切るつもりで、サクサクと切っていった。
 さすが『美味しんぼ』の山岡さん。このような時にまで教えをくださるとは。
 一生付いていきますぜ? コミックは古本屋に売っぱらって一冊も残ってないけど。
 まあ、骨切りなんて初めての経験であったから、少し皮まで切ってしまったりもしたが、おおむね上手くできた。だが、初めての食材で初めての料理法。食ってみなくては分からない。
 恐る恐る、ダイナンウミヘビの蒲焼きを口に持っていく友人。
 しかし。
「美味えぇえええ!!
 意外なことであった。
 どう見ても線虫にしか見えないあのダイナンウミヘビが、偶然辿り着いた料理法で、ここまで美味くなるとは。
 ヒラメを食い損ねて、がっかりしていた友人達の顔が輝いた。
 骨切りが割とうまくいった、というのもあるが、それ以上に身質がいいのだ。締まっていて、上品なのに旨味が強い。コレを今まで捨てていたとは、何ともったいないことをしたのであろうか。
 料理はあっという間になくなった。
 ダイナンウミヘビは間違いなく美味い食材である。ウナギよりも上品で、アナゴよりもコクがある。高級料理のハモは、ろくに食ったことがないので比較のしようがないが、もしかすると同じくらいの美味かも知れない。
 釣りをされる方がこれを読んでおられるならば、もし外道でダイナンウミヘビを釣ったら、是非とも試してみていただきたい。
 病みつきになること請け合いである。

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