第23話
文字数 2,163文字
☆
ぜぶらちゃん、現る!
開け放されたドアの前でわたしを連れてラズリちゃんが逃げようとするのをブロックして、仁王立ちしている。
腰ベルトに繋がっているテディベアは、待ち針が全身にくまなく刺さっている。
「殺してやったよ。お偉方はある程度の異能耐性があったが、御陵が銅像にしてくれたおかげでぶち殺すことが出来た。いや、ぶち壊すことが出来た、かな」
対峙して立つことになったラズリちゃんが、ぜぶらちゃんに訊く。
「銅像を木っ端みじんに壊す能力なんて、出そうと思って出せるわけないですわ! 犬神博士の術式で能力を底上げしたのは御陵生徒会長じゃ、ないっていうの?」
「いや、違わないな。ただし、ぜぶらちゃんは御陵とサファイアの誓いを交わした相手だということを失念しているな、あんた。身も心も捧げ合ってんのさ。能力の底上げも共有されてる。ハハッ! さっきは手加減したつもりだったけど、頭から床に激突して血を流して、気が変になったんじゃないか、風紀委員」
「保険医のサトミ先生のディスオーダーで、ある程度は治療済みですわ。……それよりも、姫路ぜぶら。あなた、ここにいた街の権力者たちも、うちの風紀委員たちも、それから生徒会役員とその手伝いのひとたちも、殺したのよ? ひとの命をなんだと思っていて?」
「コールドスリープ病棟で人体実験の被験者にさせて、それを己の金と権力のための道具にしている奴らと、それを肯定して従う奴ら。そんな奴らが、このぜぶらちゃんの最愛の恋人である御陵を、助からないと投げ捨てることは前提で、死ぬまでに〈つがい〉を用意して子供を産ませて万事解決させようとしてたんだ。跡取りがいればそれでいいってな。従う奴らも同罪。許せねーよ。ああ、許せねーな」
「だから、殺したんですの?」
「ああ。まあな。だから、殺した」
ラズリちゃんも引かないし、ぜぶらちゃんも引かない。
わたしは呟く。
「しあわせはみな、同じ顔をしているが、ひとの不幸はそれぞれさまざまな顔をしている。そして、十人十色と言うからには、こころの数だけ恋のかたちがあっていい」
夕方、茜さすマンションの部屋でラピスちゃんと語った『アンナ・カレーニナ』からの引用を。
「ふーん。さしずめ〈悲劇〉の話、ってとこだな」
応じるのは、椅子の背もたれにだらしなく背中を預けて座っている空美野涙子さんだった。
「ニーチェ『悲劇の誕生』では、悲劇はディオニュソス的なものとアポロン的なものが一緒になって出来た、という。ディオニュソス的ってのは『生存の恐ろしい闇』と『陶酔』を意味する。アポロン的とは『明るくて輪郭や秩序立っているもの』だ。この相反するものが結びついたのがギリシア悲劇だ、って言うんだな。これを潰したのが『楽観主義 』だ、って、ニーチェは言う。楽観主義は『知』や『ロゴス』で〈全てを理解したつもり〉になっちまうんだとよ。あたしもその意見には賛成だぜ。ロゴスで出来ることなんてたかが知れてんのによぉ。人間が生きてりゃ当然ぶち当たる深遠な苦悩に、それじゃ届かねぇ。苦悩を無視してこねくりまわしたロジックなんて、なんの価値もねぇ」
その場がまた静かになった。
空中に粉塵が舞って、次第に落ちていく。
みんな、言葉の続きを待っていたかのようだった。
みんな、この空美野の〈お姫さま〉が、なにを言うのかを、待っていた。
涙子さんは、再び口を開く。
「わかった気になんなよ、姫路。それから御陵。おまえらは苦悩から逃げている。そりゃああと一年で御陵は死ぬよ。それ自体は変わらねぇ。でもよ、おまえらのクソガキじみたロジックを振り回して、それで悲劇を乗り越えるだとか、苦悩が収まるなんてこたねぇだろが。逃れられない死から目を逸らしたオプティミズムとおまえらの、一体なにが違うんだ? 答えてみろよ」
血走った目になったぜぶらちゃんが、叫ぶ。
「殺す!」
テディベアを左手で持ち上げ、右手で待ち針を構えたぜぶらちゃん。
反応したのは涙子さんだった。
「詠唱キャンセル! 簡略式! 喰らい尽くせ、〈怒鳴る・ドゥ・ダック〉ッッッ!」
涙子さんも叫び、そして手を上に掲げ、振り下ろす。
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
腕が、ぜぶらちゃんの腕が、〈持っていかれた〉!
深遠が開き、ぜぶらちゃんの待ち針を構えていた腕を、その付け根から地獄の門・アバドーンが喰って、扉が閉まった。
地獄の門、アバドーンの口が閉じたときにはもう、ぜぶらちゃんの右手はなくなっていた。
一瞬の間があって、ぜぶらちゃんの腕の付け根から血液が吹き上がる。
吹き上がった血が、壁に勢いよくかかり、また、天井にも浴びせ届いた。
ショックか失血からか、ぜぶらちゃんは意識を失って倒れる。
床に血だまりが広がり、銅像のブロンズの粉と混じり合った。
天井から、血液が滴り落ちる。
血液は壁からも垂れている。
「彼女さんの手当て、しないと死ぬぜー」
興味なさそうに、涙子さんは御陵生徒会長に向かって言う。
「じゃあ、あなただけでも石化しなさい、金糸雀ラズリッッッ」
名前を呼ばれて、思わず御陵生徒会長の方に振り返ってしまったラズリちゃん。
「その瞳を見ちゃダメ! ラズリちゃんッッッ」
今度は、わたしが叫ぶ番だった。
ぜぶらちゃん、現る!
開け放されたドアの前でわたしを連れてラズリちゃんが逃げようとするのをブロックして、仁王立ちしている。
腰ベルトに繋がっているテディベアは、待ち針が全身にくまなく刺さっている。
「殺してやったよ。お偉方はある程度の異能耐性があったが、御陵が銅像にしてくれたおかげでぶち殺すことが出来た。いや、ぶち壊すことが出来た、かな」
対峙して立つことになったラズリちゃんが、ぜぶらちゃんに訊く。
「銅像を木っ端みじんに壊す能力なんて、出そうと思って出せるわけないですわ! 犬神博士の術式で能力を底上げしたのは御陵生徒会長じゃ、ないっていうの?」
「いや、違わないな。ただし、ぜぶらちゃんは御陵とサファイアの誓いを交わした相手だということを失念しているな、あんた。身も心も捧げ合ってんのさ。能力の底上げも共有されてる。ハハッ! さっきは手加減したつもりだったけど、頭から床に激突して血を流して、気が変になったんじゃないか、風紀委員」
「保険医のサトミ先生のディスオーダーで、ある程度は治療済みですわ。……それよりも、姫路ぜぶら。あなた、ここにいた街の権力者たちも、うちの風紀委員たちも、それから生徒会役員とその手伝いのひとたちも、殺したのよ? ひとの命をなんだと思っていて?」
「コールドスリープ病棟で人体実験の被験者にさせて、それを己の金と権力のための道具にしている奴らと、それを肯定して従う奴ら。そんな奴らが、このぜぶらちゃんの最愛の恋人である御陵を、助からないと投げ捨てることは前提で、死ぬまでに〈つがい〉を用意して子供を産ませて万事解決させようとしてたんだ。跡取りがいればそれでいいってな。従う奴らも同罪。許せねーよ。ああ、許せねーな」
「だから、殺したんですの?」
「ああ。まあな。だから、殺した」
ラズリちゃんも引かないし、ぜぶらちゃんも引かない。
わたしは呟く。
「しあわせはみな、同じ顔をしているが、ひとの不幸はそれぞれさまざまな顔をしている。そして、十人十色と言うからには、こころの数だけ恋のかたちがあっていい」
夕方、茜さすマンションの部屋でラピスちゃんと語った『アンナ・カレーニナ』からの引用を。
「ふーん。さしずめ〈悲劇〉の話、ってとこだな」
応じるのは、椅子の背もたれにだらしなく背中を預けて座っている空美野涙子さんだった。
「ニーチェ『悲劇の誕生』では、悲劇はディオニュソス的なものとアポロン的なものが一緒になって出来た、という。ディオニュソス的ってのは『生存の恐ろしい闇』と『陶酔』を意味する。アポロン的とは『明るくて輪郭や秩序立っているもの』だ。この相反するものが結びついたのがギリシア悲劇だ、って言うんだな。これを潰したのが『
その場がまた静かになった。
空中に粉塵が舞って、次第に落ちていく。
みんな、言葉の続きを待っていたかのようだった。
みんな、この空美野の〈お姫さま〉が、なにを言うのかを、待っていた。
涙子さんは、再び口を開く。
「わかった気になんなよ、姫路。それから御陵。おまえらは苦悩から逃げている。そりゃああと一年で御陵は死ぬよ。それ自体は変わらねぇ。でもよ、おまえらのクソガキじみたロジックを振り回して、それで悲劇を乗り越えるだとか、苦悩が収まるなんてこたねぇだろが。逃れられない死から目を逸らしたオプティミズムとおまえらの、一体なにが違うんだ? 答えてみろよ」
血走った目になったぜぶらちゃんが、叫ぶ。
「殺す!」
テディベアを左手で持ち上げ、右手で待ち針を構えたぜぶらちゃん。
反応したのは涙子さんだった。
「詠唱キャンセル! 簡略式! 喰らい尽くせ、〈怒鳴る・ドゥ・ダック〉ッッッ!」
涙子さんも叫び、そして手を上に掲げ、振り下ろす。
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
腕が、ぜぶらちゃんの腕が、〈持っていかれた〉!
深遠が開き、ぜぶらちゃんの待ち針を構えていた腕を、その付け根から地獄の門・アバドーンが喰って、扉が閉まった。
地獄の門、アバドーンの口が閉じたときにはもう、ぜぶらちゃんの右手はなくなっていた。
一瞬の間があって、ぜぶらちゃんの腕の付け根から血液が吹き上がる。
吹き上がった血が、壁に勢いよくかかり、また、天井にも浴びせ届いた。
ショックか失血からか、ぜぶらちゃんは意識を失って倒れる。
床に血だまりが広がり、銅像のブロンズの粉と混じり合った。
天井から、血液が滴り落ちる。
血液は壁からも垂れている。
「彼女さんの手当て、しないと死ぬぜー」
興味なさそうに、涙子さんは御陵生徒会長に向かって言う。
「じゃあ、あなただけでも石化しなさい、金糸雀ラズリッッッ」
名前を呼ばれて、思わず御陵生徒会長の方に振り返ってしまったラズリちゃん。
「その瞳を見ちゃダメ! ラズリちゃんッッッ」
今度は、わたしが叫ぶ番だった。