第28話 赤い戦士と騎士団長と終戦
文字数 3,785文字
茂の視界に映るのは……。
目の前に赤い鎧の大男……おそらくキヴリという戦士。その後方、整列した兵が守るのは武装した漆黒の馬。騎乗するのは背丈の低い髭もじゃ男……あれが悪の国王か。黒い瘴気を放っていて、確かになんだかすごく悪っぽい。
いつの間にか戦場の最前線まで進んでいたようだ。間違えましたちょいと後ろへ戻りたいですなんて言っても、前方からのっしのっし歩いて来る筋肉ムキムキのキヴリは許してくれないだろう。……なら。
「うおりゃっ!」
茂は大きな声を出して踏み込み、両手に下げた日本刀を振り上げた。キヴリは軽いステップで身を引いて避ける。踏み出す足を変えながら何度も作り出す刃筋を、まるで最初から分かっているかのようにヒラヒラ躱わされてしまう。
そして渾身の力を込めて振り抜いた刀は、あっさり片手で受け止められてしまった。強い力で握られた刀身は、引こうとしても押してみても微動だにしない。
キヴリが右の拳を振りかぶる。慌てて茂は日本刀から手を離し身体を捻って後ろに下がろうとするが、おそらく間に合わない。
しかし放たれた強烈な拳は茂ではなく、その背後に短剣を持って忍び近付いていた傭兵の顔を粉砕した。傭兵は遥か後方まで飛ばされて数回跳ね、身体を反り返した状態で止まった。
「戦いの邪魔をするな!」
地を揺るがす野太い声に、周りで剣や槍を交わしていた敵兵、傭兵、騎士たちの動きが止まる。皆、味方を吹っ飛ばしたキヴリとやられた傭兵の酷い有様に幾分か引いているようだ。
エメキオとディロスが茂の前に立ち、それぞれ武器を構える。モナークも動きの止まった傭兵たちを振り切って茂のもとへ駆けつけた。
キヴリは革手袋に軽く刺さった日本刀を地に投げ捨て、口端を上げる。がっしりした体躯にお似合いの厳つい顔に無精髭。兜を着けない彼の長い黒髪は草原を吹き抜ける風で揺れている。
「ふたり同時に来い。ひとりずつでは弱すぎる」
「そうね……。助言に感謝するワ!」
エメキオが踏み込んで、両手に握った鉄剣を振るう。躱わすキヴリのステップを合図に、今度はディロスの斧が最短距離で振り出される。
キヴリが大きく上に飛び、身体を後ろに回転させながら斧を蹴る。斧はディロスの手から離れて旋転しながら宙を舞う。
さらにディロスは左足を前に出し体を捻り重心を移動させて右腕で殴りかかる。
キヴリは着地しながらその拳撃を左手で受け止め、エメキオから突き出される剣の先を腕装甲で弾き、剣身を這うように伸ばした右の拳でエメキオの鎧を砕く。
エメキオはよろめき、仰向けに倒れた。
ディロスの右手を掴んだまま、キヴリは宙から落ちてきた斧を右手で捕る。もの凄い力で握られて右腕の自由が効かず、ディロスは逃げられそうにない。
キヴリが斧を振りかぶった瞬間、その斧は極小さな光弾によって弾き飛ばされた。さらに光弾が連射され、キヴリの腕や足、赤い鎧にぶつかって消える。
左手をくるんと回してディロスを転倒させたキヴリは、目の前の赤ずくめを睨む。
「……何だ、その変な杖は」
「ちぇっ、あんまり効かないか。火力が足りねぇのか、そもそも役に立たねぇのか。改良が必要だなぁ」
リエムは銃っぽい小さな魔導砲を乱暴に放り捨て、自身の鉄剣を鞘から抜き、失神して仰向けに倒れているエメキオの鉄剣も拾い上げた。
左右それぞれに持った鉄剣を手首の動きでくるくると廻しながら、ゆったりとキヴリに歩み寄る。
先制してキヴリへ右手の剣を振るい、それを腕装甲で弾かれると、すぐに左手の剣で斬りつけた。キヴリの赤い鎧の装甲が甲高い音を立てて僅かにへこんだ。
リエムは間髪入れず、回転しながら剣を振り続ける。動きの速さにキヴリは防戦一方、ジリジリと後ろへ下がりながら剣撃を弾いていく。
呆然と観戦していた周囲の傭兵や敵兵、騎士たちは本来の仕事を思い出し一斉に動き始めた。
ここは最前線であり、十人ほどの敵兵に取り囲まれた茂とモナークは、互いを背にして攻撃に備える。モナークは長剣を構えているが茂は残念ながら手ぶらだ。
敵兵たちが同時に動き出した。茂にかかった風の精霊の支援は未だに有効なようで、向かってくる敵の動きがやたらと遅く見える。避けて敵の隙を作ることに専念し、その場で位置を変えながら、その隙を活用してモナークが敵兵を削っていく。
茂は急に足の力を失い転倒した。力を使い過ぎたのかも知れない。それを見逃さず、数人の敵兵が茂のもとへ押し寄せる。
「ポレイト!」
叫びながらモナークが長剣で先頭の兵の鎧を弾く。その後方から飛びついてきた傭兵に押し倒されて、彼女は地を滑る。
傭兵が勢いそのまま、茂に槍の穂先を向け迫り来る。
ディロスがその傭兵に体当たりして横へ流れていった。さらにその後ろから別の敵兵が現れる。
茂は近くに落ちていた鉄剣を左手で掴み、慣れない動きで初撃を弾いた。敵兵は崩れた体勢をすぐに立て直し、今度は突き刺そうと剣先を下に向けて振りかぶる。
目の前の土が突如盛り上がり、敵兵を包み込み宙高く放り投げた。
茂は振り返り、ミディアの姿を確認する。
「ミディア、なんでここまで?!」
「リエムが下りたからついて来た。私は役に立つ!」
不味い。助けられたのはいいが、彼女は鎧すら身に着けていない。狙われたら……。
その時、大きな影が茂の眼前を通過した。遅れて風圧と土煙が顔にかかる。
視線でその影を追う。武装した馬を操る悪の国王の後ろ姿があった。奴は先端に鋭利な斧を付けた長槍を持ち、真っ直ぐミディアへ向かって行く。
ミディアは焦って馬の進路の土を盛り上げる。馬はひらりと飛び越え彼女へと突き進む。
「避けろミディア!」
立ちすくんで動けないミディアへ向けて悪の国王が槍を構えた。
尻もちをついてしまったミディアと迫り来る悪の国王の間に突然、空からの刺客が現れる。
コッカトリスだ。驚き目を見開いた悪の国王は、コッカトリスの視線により瞬時に石と化し、重力に負け草地に落ちゴトッと硬い音を立てた。
騎手を失った馬はミディアへと伸びる進路を逸れて、あらぬ方向へ駆けて行った。
コッカトリスの出現で戦場は阿鼻叫喚。皆、今まで命のやり取りをしていたのが嘘かのように、魔物の視線の範囲外へ逃げ出した。逃げ遅れたのはミディア、茂、モナーク、ディロス、キヴリ。リエムはキヴリの背に隠れ、魔物と視線を合わせないようにしている。
コッカトリスが地に降りて、首を動かし戦場を見廻す……。
「……あれ? 石にならないな」
真っ先に目を合わせてしまった茂が呟いた。
ミディアが立ち上がり、トテトテと茂に近付いて来る。コッカトリスは彼女の動きをじっと見つめていた。
「もしかして、この子?」
そう言ってミディアは服の中から雛ポミモスを出した。
ポミモスは彼女の両手から離れて、コッカトリスにヨチヨチ歩み寄る。
『山に居たコッカトリスね。あの子の親だわ』
いつの間にか茂の肩の上に風の精霊がいた。腕を組んで、なんだか偉そうな態度で喋っている。
『様子を見に来たのかも。自分で捨てといて今更なによ、ねぇ!』
「ねぇって言われても……」
コッカトリスはポミモスに顔を近付け、点検作業のように様々な角度から観る。やはり、眼が蒼いことを気にしているのか。
戦場は先ほどまでの喧騒を忘れ、皆が遠巻きにコッカトリスの動きを注意深く見守っている。
やがて、コッカトリスが嘴で雛ポミモスを自身から離した。そして再びミディアをじっと見つめる。
風の精霊が呟く。
『この子を……』
「ミディア。そいつは、この子をよろしくって言ってるみたいだぞ」
ミディアは跪き、ポミモスを両手でそっと拾い上げる。しっかりとコッカトリスを見据え、大きく頷いた。
コッカトリスは羽ばたいて、空へと帰っていった。
『あの親、泣いてたねぇ。魔物の気持ちはよく分かんないわ』
……それをお前が言うのか。って、心を読まれたらマズイな。
鳥の魔物とのやり取りをぼうっと眺めていたキヴリは、かつて主だった石像を見遣り、溜息を吐いて呟く。
「弱い者を狙い、あげく魔物により石にされてしまう。……我が主はそんな間抜けではないはずだ。あんなもの、主だとは認めん」
リエムをチラリと見た後、キヴリは戦場の端まで聴こえる大きな声で叫ぶ。
「主は死んだ! 報酬はないものと思え! 各々、さっさと国へ帰れ! 戦は終わりだ!」
傭兵たちから悲痛な叫びが生まれる。
そして皆、文句を言いながら北へと歩き出す。中には騎士団の面々にここでの仕事はあるかと尋ねる者まで出現する始末。
リエムが、とっとと帰るために歩き出したキヴリを呼び止める。
「なぁ、悪の国王は誰の指示で動いてたんだ? 傭兵を雇ったところで、屍人が全滅したらおれたちに敵わないなんてこと、初めから分かってただろ」
キヴリは面倒くさそうに振り返り、ひとこと言い放った。
「知らん!!」
あからさまにガッカリするリエムの横に、茂とミディアがやって来た。ミディアの両手に包まれているポミモスを見て、キヴリが微かに笑みを浮かべた。
「その魔物の子、育てるのか?」
「うん。育てる」
「そうか。まぁ、……大切に、してやれよ」
そう言って踵を返し、戦士キヴリは去って行った。
ミディアがポミモスの頭を優しく撫でながら言う。
「お腹、空いた」
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