第14話 山登りと魔物の雛と花火

文字数 4,687文字

「ポレイト、自分で上がって()い!」

 モナークの声が響いてきた。ゆっくりと引き上げられつつあるものの、岩を()がり切るまでにはかなり時間がかかる。既に(しげる)の腕の(ちから)は限界を迎えており、ここから(つる)をよじ(のぼ)るのは難しそうだ。自分の体重が恨めしい。体重か……。

 天然石のネックレスに手をかけたい。しかし片手を離すと体を支えきれず10メートル下の地面へ落ちてしまうだろう。視界の(はし)でコッカトリスの姿がどんどん大きくなる。今、(ひたい)から(したた)り落ちてくるのは間違いなく冷や汗だ。
 (いち)(ばち)か大声で呼んでみることにした。

「助けてく……身体を軽くしてくれ! 頼む!」

 緑色の光が左肩に収束して、妖精風の姿を形作る。

『どうしてこんな頻繁に危機を迎えているのかしら。面白い子ねぇ』
「そう、危機だから早く!」
『はいはい危機危機。もうちょっと普段から運動しなさいよ』

 風の精霊は小言を放ちながら、小さな両腕を前に出してクルンと円を(えが)く。その瞬間、(しげる)の身体が空っぽになったかのようにほとんどの重力を失った。

 急速にグングン引き上げられ、勢い余って岩を飛び越え宙を舞う。(つる)を引いていたモナークとディロスが随分と下に見える。それこそ20メートルくらいは余分に舞い上がってしまったのではなかろうか。

「このまま落ちたら死ぬんじゃ……」
『大丈夫! 軽いから落ちてもそんなに痛くないよ!』

 ……本当か? まあでもジタバタするくらいしか出来ないし、信じるしかない。

 (しげる)は一応、受け身の姿勢をとりながら墜落していく。見渡す限り岩岩岩。様々な形状の大きな岩と小さな岩で構成された地面。どこに()ちたとしても普通なら、握りつぶされたトマトみたくグシャグシャになってしまいそうだ。

 地面に叩きつけられる寸前、恐怖に目を閉じて息を止めた。

 (しげる)の身体は地面に弾き返され、二度、三度とポヨンポヨン跳ねて転がる。最終的には生まれたての赤ん坊のような姿勢で仰向けになって止まった。その格好があまりにも恥ずかしくてすぐ起き上がる。

「ポレイト!」

 モナークが駆けて来る。その走り姿の後ろで、大きなコッカトリスが羽ばたいている。確か目を合わせても触れられても石になってしまうとかなんとか。周りは岩だらけで(ひら)けており、隠れる場所など無い。さて、どうしようか。

 ティーナがふたりを呼びつける。

「こっちこっち! ミディアが目隠しを作ってくれるって!」

 走り出してすぐ、(しげる)はあえなく転んでしまった。身体が軽すぎて上手く地面を蹴ることが出来ないのだ。
 それに気付いたモナークが(しげる)の服を(つか)み、持ち上げたまま走り始める。荷物のように運ばれるのは気持ち()くないが仕方なし。

 ミディアが作り出した茶色いドームの、人ひとり(ぶん)()いた穴に滑り込む。球体を上半分だけ残して切ったような目隠しで、これならコッカトリスの視線に(とら)われることはなさそうだ。

 5人は静かに魔物の影の行き先を注視する。……通り過ぎて、……何度か旋回して、…………、どこかへ向かう。羽音が徐々に遠ざかっていく。

 (しげる)とミディアは脱力してその場にへたり込む。精霊に随分と(ちから)を吸われたみたいだ。

「ハァ……。コッカトリスが飛んで来ただけでドタバタしちゃったなぁ」
「ちょっと疲れた。ティーナ、少し休んでいい?」
「いいよ。でも夜までには下山したいから、ほんの少しだけね」

 ミディアは絶望の眼差しでティーナを見つめた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 再び歩き始めた一行。気付けばかなり高いところにいたらしく、遥か下に王都の全貌を望むこととなった。
 丘の上には、くすんだ灰色のレミルガム城。そこから平原にかけて城下街が広がっている。街は全体的に(かわら)屋根やレンガ積みの建物が多いようで、(だいだい)や赤っぽい色に染まっている。魔物対策なのか敵国が存在するのか、街は楕円形で全体がグルッと壁に囲まれている。

「俺たちが泊まってる市場街(いちばがい)は、あそこ、東の(はし)の方かな?」
「そうだ。亜人が多く暮らす市場街(いちばがい)で、反対の西側にあるのは歓楽街(かんらくがい)だ。ワシの研究所は歓楽街にある」

 そこからディロスは(ささや)(ごえ)で続ける。

「モナークとミディアは中心の貴族街(きぞくがい)(はい)れない。あそこは()める人族だけの場所だからな」

 ……なるほど、身分的な(へだ)たりもあるのか。あんまり関わりたくないところだけど、よく考えたらもう皇帝と皇子(おうじ)たちにしっかり関わってるな。

「ちょっと男たちぃ、観光してないで。先を急ぐよ!」

 いつの間にかティーナたちとの距離が広がっていた。(しげる)とディロスは追いつこうとして早足で進み始める。

「ピェー!」

 なんだか間抜けな、甲高い鳴き声が響いてきた。見上げた先には小さな鳥を両手で(かか)げるミディアの姿。小鳥は頭から腹まで黄色で、羽根はほんのり黒色に見える。あれ? この色……。

「それ、コッカトリスの(ひな)じゃないか?」
「でも眼が(あお)い。目を合わせても石にされないよ」

 ミディアはキョトンとした顔で首を(かし)げた。まあ、もし彼女が石になっていたら大惨事なわけだけど。
 モナークもティーナも寄って来て、ミディアの手の中の小鳥を眺める。

可愛(かんわい)いねぇ。これが成長したらあの(いか)ついコッカトリスになるのか」
「ミディア、この子どこにいたの?」
「そこの岩の(かげ)に落ちてた。いきなり鳴いたからビックリ」

 歩みを止めて全員が悩み始める。色からしてコッカトリスの(ひな)であると思われるが、わざわざ巣まで返しに行くのはリスキー過ぎる。かといってこの愛らしい(ひな)を放っておくわけにもいかないだろう。
 確実に薬草まで辿(たど)り着きたいティーナが(みな)見廻(みまわ)して提案する。

「とりあえず進もうよ。で、巣があったら返して、無かったらその時考えよう」
「……焼いて食べるのはダメだからね」
「そんなこと考えるの、ミディアくらいだよー」

 間の抜けた会話でおおよその方針が決まり、また一行は歩き出した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 空に鈍色(にびいろ)の雲がかかり、陽射しを遮る。雨の匂いはしないから、……天空神の涙は降らなさそうだ。前回降った時に一度死んでいるので、出来ればここでは降らないでいただきたい。

「なあ、ティーナひとりの(ほう)()かったんじゃないか? 俺たち……特に俺なんて邪魔だろ」
「そんなことないよ。あなたたちを連れて来た理由(ワケ)はもうすぐ分かる」

 そう言って彼女は腕を上げ、山頂のほど近くを指し示す。遠目でもかなり大きいと分かる影が(みっ)つ。巨大な馬もしくは牛といったところか。

「あれは、ケンタウロス?」
「おそらくカトブレパスだね。あいつらがキルビノの周りにいるから、ここまで採りに来る者はほとんどいないの。登山も大変だったでしょ」
「なるほど。もしかして俺たちがアレを引き付けてる(あいだ)に、薬草を採るつもりだったのか」
「うん。まあ、逆でもいいけど、どっちにしてもひとりじゃ無理なんだよね」

 ふいに後ろから(しげる)の服が引っ張られた。

「あっちにコッカトリスの巣がある。この子を返したい」
「あれ? その子ちょっと弱ってないか?」

 ミディアの手の中で、(ひな)が細かく震えながら縮こまっている。
 コッカトリスの子なら、早く巣に返してあげるべきだ。でも、ここで騒ぎを起こせば上のカトブレパスとやらに気取(けど)られる可能性がある。さてどうしたものか。

 モナークが山頂とコッカトリスの巣の方向を交互に見ながら、足音を立てず近寄って来た。

「あたしが飛んで、どっちも引き付けるよ。その(あいだ)にティーナはキルビノの葉っぱを()って、ミディアはその子を巣に返しな」
「モナーク、コッカトリスは危ないんじゃないか。目が合ったら終わりだぞ」
「そんな間抜けなことにはならないよ。さあディロス、ポレイト、(ちから)を借してくれ」

 自信たっぷりの笑顔でふたりの男を集め、モナークが計画を伝える。

「それで逃げ切れるか? 失敗したら……」
「ポレイトは心配し過ぎ。あたしを信じて!」

 そう言われてしまうと(なん)とも返せなくなる。ディロスも思案顔のまま(うなず)く。不安は残るものの、他に()いアイデアが出るわけでもなく。

 (しげる)は天然石のネックレスを握り、風の精霊に向けて願い事をした。

『……やってあげてもいいけど、長くかかればかかるほどキミは疲れるんだからね』
「いいよ。今の俺たちに出来るのはこれくらいみたいだ」

 風の精霊はひと(いき)()いて、モナークの足元を緑色に光らせる。そのモナークは何度か小さく跳んで、自分が軽くなったことを確認した。

「よし。ディロス、あたしを思いっきり投げてくれ」
「分かった。……必ず無事に戻ってくるのだぞ」
「うん」

 モナークの背から黒い翼が生える。メキメキと伸び続け、過去(かこ)(イチ)に広がった。
 ディロスが両手でモナークの軽装を(つか)んで持ち上げ、左足を中心にぐるん、ぐるんと体を回して勢いをつけていく。
 そして四回転目で彼女を上空へ向け放り投げた。

 まずコッカトリスの巣の上を通り過ぎる。狙い通り、大きな鳥の魔物が慌てて飛び立った。そのコッカトリスをぐんぐん引き離し、モナークは山頂に向かって螺旋(らせん)(えが)くように飛び上がっていく。

「ミディア、コッカトリスの巣に行こう! ティーナとディロスは薬草を採ってきてくれ!」

 ティーナたちは軽く手を振りながら山頂に向かって走り出した。
 両手で(ひな)を温めるミディアの体を支えながら、(しげる)はコッカトリスの巣に近付く。

 幾つかの岩を越えて巣の全貌が見えた時、ふたりの顔色が変わる。

「……ダメだ。これより先には行けない」

 巣の中には、コッカトリスの(ひな)が5羽。しかも……。

「眼が赤い。この子のは(あお)いのに」
「赤いやつと目を合わせちゃいけないんだよな。(ひな)でもやっぱり石にされるのか?」
「分からない。もしかしてこの子、赤くないから捨てられた?」

 ……どうなんだろう。迷ってる暇は無い。目を(つむ)りながらこの子を巣に置いてくる? でも元々捨てられてたのなら藪蛇(やぶへび)になるのでは? 考えろ考えろ、どうすべきか……。

「……その子を服の中に()れてやってくれ。ミディアの体の熱で温めるんだ」
「でも……」
「この子があんな下の(ほう)まで飛んで行ったとは思えない。きっと捨て子だ。返したら殺される。この子を連れて戻ろう」

 今にも泣き出しそうな顔を見せて、ミディアは弱った(ひな)をそっと服の中へ()れた。
 (しげる)は彼女の手を取り駆け出した。山頂付近では、相変わらずグルグル周り続けるモナークとコッカトリスの追いかけっこが続いているようだ。

 (しげる)の体から(ちから)が抜けていく。そろそろ限界かも知れない。それにモナークだってずっと飛び続けられるわけじゃない。

「あの子は巣に返せた?! こっちは葉っぱ、集めたよ!」

 ティーナが滑るように()りて来た。ディロスも器用に岩の(あいだ)を飛び跳ねながらやって来る。

「いや、おそらく捨て子だ。巣に返すのは諦めたよ」
「そうなんだ。ならもうこの山に用は無いね」

 ティーナが指をパチンと鳴らす。山頂付近で大きな破裂音を伴って色とりどりの光が舞う。まるで花火みたいだ。ティーナが薬草を採取しながら仕掛けたのだろう。
 コッカトリスやカトブレパスたちが音と光に驚き混乱して、モナークの追尾をやめた。

 その花火を合図にモナークが滑翔(かっしょう)して降りて来た。翼をたたみながら岩の上に転がり、立ち上がって叫ぶ。

「逃げよう! すぐに追って来るよ!」

 ディロスは(あし)(ちから)が入らない(しげる)と、やたら服の中の(ひな)を気にして動きの遅いミディアを左右の脇に(かか)えた。

「少し揺れるぞ!」

 余裕の笑みを浮かべながら、腕っぷしの強い大男が岩を飛び跳ね降りて行く。その浮遊感と何度も眼前に迫り来る岩や荒れた地面に、(かか)えられたふたりは恐怖のあまり声も出ない。

 そうして、(ふもと)まで()りる頃にはふたりとも気絶していましたとさ。
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