第4話 生還と屋台と浮かぶ船
文字数 3,714文字
茂は目を開けた。
体を動かそうとしても、痛みが酷く手足に力を込められない。仕方なく目だけをキョロキョロ動かし周囲を観察する。
天井は低く、無垢の羽目板が下手くそな施工で並べられている。落ちてこないか心配になるほどだ。壁も似たようなもので、木の板をおそらく木釘で打ちつけただけの様子。地震でもあれば簡単に崩壊しそう。
部屋の隅には、錆びて鞘から出ない日本刀が立てかけられていた。
……ああ、ちゃんとこの世界に戻してくれたんだな。
木窓がつっかえ棒に支えられ、しっかりと開かれている。そこから部屋へ強烈な光が入り込み、侵入してくる砂埃をキラキラと映し出している。
肉の焼ける匂いがする。外に焼肉屋……なんてあるのだろうか。
その匂いのせいで、茂はとてつもない空腹感を覚えた。これは何日かあるいはもっと長い期間、意識を失っていたのかも。
「ポレイト! 目を覚ましたか!」
ディロスの声に反応しようとするも、首が動かない。だから代わりに発声を試すことにした。
「……こ、……こは……?」
「王都の市場街だ。すぐにミディアを呼んでくるよ」
ミディアを……。モナークはいないのだろうか。
ドタバタと景気の良い音を立ててディロスが去って行く。
茂は、川の中で意識を失う直前に見たモナークの顔を思い出していた。
しばらくして、階段を上がる足音が聴こえてきた。その後は木の床を足早に歩く音。眼前にミディアの険しい顔が現れ、茂の目を見てホッとしたような表情に変わる。
「よかった。ポレイト、生きてた」
「ミ……ディ。……モナ……、クは……」
「モナークは城にいる。……ねえ、なんでモナークのこと訊くの。ここにいるのは私だよ」
そう言って茂の頬をつねった。
「いて……て」
茂の頬から手を離し、今度はゆっくりと頭を撫でる。
そしてミディアは優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ディロスによると、城を襲ったシイラや巨大な生き物は、土蜘蛛の全滅を見届けて東へ戻って行ったらしい。モナークは現在、城でリエム率いる騎士団にシイラたちのことを報告しているんだとか。先の戦闘の功労者として、ダークエルフであっても王都へ入ることを許可するために、リエムが提案したということだった。
「三夜も眠ってたんだ。ゆっくり体を慣らしていけばいい」
夜、ようやく体を起こした茂に、ディロスは蜜柑のような食べ物を渡しながら言った。手の平に収まる大きさで橙色な果実を触り、茂は首を傾げる。
「これは、どうやって食べたらいいのかな?」
「そのまま齧るんだよ。マンドサルという果樹に生る実だ。この籠いっぱいで銅貨1枚だぞ。ありがたいな」
それは安いってことか。この世界の貨幣価値が全く分からないから、動けるようになったら買い物でもしてみようかな。確か銅貨を5枚持ってたはずだ。
茂はマンドサルの実を一口齧る。
「うっま!」
皮は分厚くてボソボソしてるけど、中は甘くてみずみずしい。味は……梨に似てる気がする。これなら幾らでも食べられそうだ。
急に勢いづいて食べ始めた茂を、ディロスは嬉しそうに眺めていた。
ディロスは床で寝ると言って、薄い布を体に巻き付けさっさと眠ってしまった。様子を見に来たミディアは、茂が果実を食べているのを見て、ウンウンと満足気に頷いて自室へ戻って行った。モナークは城から戻って来なかったようだ。
一日中、窓の外から街の喧騒が流れ込んでいたが、夜になると不気味なほどに静まり返った。そうしてディロスのいびきだけが部屋に響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、茂は木製のベッドの縁に腰掛けた姿勢から立ち上がってみた。多少フラつくが足に力は入るみたいだ。
ヨロヨロと歩いて光射す木窓に近付き、外の景色を観る。
幅の広い道の両端に屋台が軒を連ねる。肉を焼いている店や、野菜なのか果物なのか、緑、黄、赤のかたまりを積んでいる店がある。他にもブーツを直している店、大量の器を積み上げている店、カラフルな糸を売る店と、食事以外の店も各種取り揃えておりますという感じ。外に出ればもっとたくさんの店を観て廻ることが出来るだろう。
茂はワクワクして、起きがけのディロスにいきなり頼みごとをする。
「階段を下りたいんだけど、手伝ってもらえるかな」
ディロスの肩に手をかけて、一歩一歩慎重に階段を下りていく。
1階の開け放たれた出入り口から外に出てすぐ、茂は驚いた。
「今まで寄ってきた町と全然違う……。こりゃ都会だな」
「王都、つまりこのレミルガム城下の街は、大陸中の知識が集まる場所だ。様々な研究も盛んに行われている。ポレイトが驚くのも無理はなかろう。これでも中心の貴族街からは随分と離れているのだぞ」
綺麗なレンガ積みの建物や、漆喰かモルタルを塗りつけたように平坦な壁。屋根は木板を並べたものもあれば、赤っぽい瓦を組み合わせたものもある。3階建て、4階建てなんかもあって、平屋ばかりだった他の地域の建物とは技術力に差がありすぎて困惑してしまう。まるで別世界だ。
さらに茂は、はめごろしの窓を見つけ触れてみる。
ガラスのようだが、ガタガタで分厚く透明感は無い。ステンドグラスみたいに小さいガラスを何かでくっつけて組み合わせ、窓の大きさにしているみたいだ。
景色を楽しみながら彷徨いていた茂は、遠くにモナークの姿を発見した。彼女も茂の姿に気付き、早足で駆けてくる。
「ポレイト!」
大きな声を上げながら、モナークは勢いそのまま茂に抱きついた。
「あのまま、動かないのかと思ってた」
「モナークのことが気になって、戻ってきたんだ」
モナークが茂の目をじっと見る。彼女の瞳は濡れていた。
「本当に?」
「もちろん、本当だよ。モナークも、ミディアも、ディロスも大事な仲間だから」
「……うん」
もう一度モナークは茂を抱きしめ、肩に顔をうずめた。茂も彼女の背中に両腕を回す。
やがて、道を行き交う群衆が騒つき始めた。
目立つ赤ずくめが背筋をピンと張って歩いて来る。
「ポレイト。生き返って早々悪いけど、陛下がお呼びだ」
ニッコリと紳士的な笑顔を作り、リエムは城の方向を指差した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リエムは炉端焼きの店前で足を止め、店主に話しかける。
「この旅人に一番良い肉を用意してやってくれ」
「かしこまりました。しかし、皇子が旅人と一緒というのは珍しいことですな」
「その呼び方は……まぁいい。ポレイト、腹が減っているだろう。肉を食べながら行こう」
襟を正しているリエムが面白くて、茂は苦笑いしてしまった。
「えっと、皇子だったのか。騎士団長ってのは?」
「皇帝陛下の子だから皇子と呼ばれているが、おれの役目は騎士団を率いて王都や同盟国の領地を守ることだ」
「そんなお方がなんであの時、ひとりで魔物狩りしてたんだよ」
「……それは忘れてくれ。あの小さな魔導砲を試したかったんだ。悪かったな、その傷。魔物の探知棒は確かにあのダー……モナークに向いていた。それなら魔物だと思うだろう」
茂の鼻すじには、銃みたいなので撃たれた時の小さな傷痕が残っていた。
「お待たせしました。こちらをどうぞ。皇子も、どうぞ」
「ああ。ありがとう。払いは部下のティーナに任せるよ」
店主から肉の刺さった木の棒をもらう。久しぶりの串焼きだ。茂は思い切りかぶりつく。
「あっちぃ!」
「ハハハ。焼きたてだからな。歩いているうちに冷めてくるよ」
串焼きを目の前に掲げたまま歩いて、川に架かる橋の袂で止まる。
「ここでティーナの船を待つ。さ、肉を食べよう」
茂は遂に串焼きを味わう。
……めちゃくちゃ美味い! 牛か、それに近い生き物だろう。少し塩で味を整えているのか、噛むたび口腔内に旨みがじんわりと滲み出してくる。ずっと肉といえば干し肉だったから、こんなの食べたらもう干し肉なんて食べられないぞ。
「美味いだろ。なんとこれで銅貨3枚だ」
「それは安いのか? それより、いい加減その喋り方やめたらどうだ。絶対、無理してるだろ」
リエムは周りを見渡して、囁くように答える。
「街では皇子らしくしておかないと。面倒だがこの先、皇帝になるかも知れない立場としては必要なことなんだよ。ハァ……」
皇子様も大変だなぁ。
「なぁ、なんで俺が復活したの知ってたんだ。ミディアかディロスに聞いたのか?」
「それは、もうすぐ分かるのではないかな」
リエムの視線の先に、川の流れに逆らって下流から進んで来る小型の船があった。
「あれは……浮いてる?!」
黒髪ポニーテールで黒い軽装の女が操る、3人か4人くらいしか乗れなさそうな船は、明らかに川面より1メートルほど上の宙を滑っている。
「ティーナは水の精霊術士。そして我が騎士団の諜報役でもある。クライモニスからの襲撃も、お前が生き返ったのも、おれに教えたのは彼女だ」
川縁に着いた船へ、先ずはリエムが乗り込み、左手を差し出してくる。その手を取った茂は船に引き入れられた。
船頭のティーナが茂の顔をまじまじと見つめ、意外な言葉を発する。
「あなた、やっぱりニッポンジンよね」
突然のことで戸惑う茂にティーナは悪戯な笑みを浮かべ、小さな浮遊船を発進させるのであった。
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