第9話

文字数 2,262文字

翌日。
この日は朝から雨だった。
空一面を覆う雨雲のため、登校時から教室は電灯が点いており微かに耳に染み込む雨音と共に何とも非日常的な心地よさを出していた。
私は本当に雨が好きらしい。
ただ、クラスの女子の中には雨の日は気圧の関係で偏頭痛がする、と言って恨めしげに空を見ている子が数人居て「低気圧女子」と言うらしいけど、そんな子たちを見るときだけは雨に対して少しだが嫌な気持ちになってしまう。
男子たちはそんなものなったこと無いらしい。私ももちろん。
そんな事を考えていると教室の扉が開いて、担任の先生が入ってきた。
全員立ち上がって挨拶と礼をする。
「はい、皆さんおはようございます」
担任の山辺景太郎(やまべ けいたろう)先生はいつもの柔らかい笑顔で軽く会釈をすると、教卓に僅かに身を乗り出して話し出した。
「今日は朝からずっと雨で嫌だね。先生、今日寝坊しちゃって急いで校舎に入ったら段差に躓いちゃってもうちょっとで転びそうになっちゃった。焦った~」
その言葉に生徒たちからドッと笑い声が起こった。
「朝から何やってんだよ先生」
「ってか、ホントに転んでたらヤバかったよね。びしょ濡れで授業する先生なんてかなりレアじゃない?」
「いや、それはそれで面白いんじゃない?俺だけは支持する」
「サイテ~」
生徒たちの親しみのこもったからかいに、山辺先生はやや芝居がかった感じで両手を挙げて制した。
「大丈夫。こういうときに備えて先生日頃から着替えをロッカーに入れてあるから」
その言葉に教室内はさらに笑いが広がった。
「訳わかんない、先生」
「そんなもん想定するなよ」
私も笑いながら改めて山辺先生を見た。
男性にしてはやや長めの髪は本人曰くくせっ毛との事で、いつもはめている丸眼鏡も相まってまるで漫画に出てくる学者のようだ。
目鼻立ち自体は実はそんなに悪くはないんだけど、いかんせん全体に漂う野暮ったさのため、女子人気はイマイチ。
ただ、男子からは今回のように自分をネタにして場の雰囲気を和ませていることもあり、友達感覚で慕われているようだ。
かといって、見下されているかと言えばそんな事も無く、押さえるところはしっかり押さえて指導したり段取りを進めるためその点でも慕われていた。
ある男子が先生のことを「優しい親戚のお兄ちゃん」と言ったことがあるが言い得て妙だと思った。
また、そういった気安さのせいでクラスのみんなも山辺先生には気楽に相談事を持ちかけられるようだ。
「さて、ここからは真剣に。来週には中間テストがあるけどみんなちゃんと勉強してるか?中学生になって初めてのテストだから、確かに今後のテストに比べて難易度は低いと思う。だけどここで良い点が取れるかどうかで今後の中学での勉強の流れが決まると行っていいくらい大切だから。最初のテストで良い点を取れると自信になって、今後もその勢いで勉強していける。でも悪い点だと今後の授業や勉強へのモチベーションも下がりがちになるから、しっかり気合い入れて取り組むように」
山辺先生はさっきまでのどこかおちゃらけた雰囲気などどこへ行ったのかと思うようなトーンで一気に話した。
先ほどとの雰囲気の落差に自然と生徒たちの表情も締まっているように見える。
食えないなこの先生は。
かくいう私もその言葉に火を付けられたのだから単純な物だ。
朝からそんな事を考えていたせいだろうか、放課後に山辺先生に声をかけられた時は内心驚いた。
「ごめん、帰り際に声かけて。ちょっと手伝って欲しい事があって」
「あ、いいですけど」
この日は健一は部活。雄馬は体調不良のため早退していたので、一人でのんびり帰ろうと思ってたので特に問題は無かった。
私の返事に先生はホッとしたような様子で「有り難う、助かるよ。他の生徒にはみんな断られちゃってて」と笑みを浮かべた。
まぁ仕方ない。
みんなやること多いし、私もたまたま一人じゃ無かったら恐らく断ってた。
そんな事を思いながら軽い暇つぶしのつもりで職員室近くの事務室に入って見るとその内容は、3年1組のテスト用紙の準備だった。
学年も違うので意外だった。
「先生、3年とは関係ないよね。なんでこんなのやってるの?」
「3年1組の担任やってる岡林先生がインフルエンザで休んじゃってね。答案は出来てたけど他の準備は流石にキツいだろうから、やっててあげようと思って」
「じゃあ手伝いの手伝いって事じゃん」
「そういうこと。ごめん。後で好きなの奢るから」
その言葉を聞き、即座に頭の中に近所のコーヒーショップが出した「桜シェーク」が浮かんだ。
前々から興味があったのだ。
そのシェークの名前を出すと先生はにこやかに言った。
「もちろん。じゃあ帰りに寄っていこうか」
その言葉に気を良くして私はいそいそと取りかかった。全く現金な物だ。
先生に言われてコピーを取り、それをそろえて箱に入れる作業を行ったが、流石に手伝いを求められるだけあって中々の量だった。
そのため終わったのは5時半過ぎた頃だった。
この日は6時間授業だったので、1時間近く手伝ってたことになる。
「有り難う。ホントに助かったよ。お疲れ様」
「どういたしまして。この量は確かに一人じゃ無理だったと思うよ」
げんなりしながら言う私に先生はすまなそうに頭を下げる。
「思った以上に時間かかった。すまない。でも先生もちょうど終わりだから、さっき言ってたコーヒーショップ行こうか」
喉が渇いていたし、ずっと動いていたせいかやたら甘い物が欲しくなっていた私は喜んで申し出を受けた。
って言うか、これを楽しみに頑張ってたようなものだし。
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