第15話

文字数 3,227文字

先生・・・
先生は私を見た後、男性に言った。
「なんで彼女は泣いてるんですか?」
「いや・・・お前に関係ないだろう」
威嚇のつもりなのか、男性は低い声でゆっくりと言った。
「関係あります。僕は警察です。その様子を見るとただ事ではないように見られますが」
「・・・」
男性は黙ってしまった。怖くて男性の方を見れないためどんな表情をしているのか分からない。
って言うか・・・先生、何を考えてるの!?
あまりに予想外の方向からの対応に、理解が追いつかない。
まさか・・・こんな人だとは。
絶対バレるに決まっている。
そうなったら先生が。
だが、このとんでもない嘘が意外と効果てきめんだったようで、男性はブツブツ言いながら後ろを向いて早足で歩いて行った。
私はまだ怖くて俯いていたが、やがて先生が近づいてきた。
「大丈夫だよ。さっきの人はもう居なくなったから」
その言葉におずおずと顔を上げる。
そこには優しい笑顔の先生の顔が合った。
その顔を見た途端、体の力が抜けて涙があふれ出してきた。
「あ、だ、大丈夫?酷い目に遭ったね。今日はもう家に帰った方が良いよ。一人で帰れる?」
私は泣きじゃくりながら無言で首を横に振った。
まださっきの男性が追いかけてくるのでは、と思うと怖くて一人では帰れそうに無かった。「そうか、じゃあ家まで送るよ。僕の車で良かったら。あと、この公園はしばらく走らない方がいい」
私は泣きながら先生の進めるままに車に乗った。
「大丈夫?中、汚いし匂いも気にならないかな?」
先生は知らないせいかしきりに気を遣ってくれるが、乗るのは二度目なので問題ない。
車に乗って、間近に先生を感じると安心感が増し、涙も収まってきた。
さらに先生は持参していたスポーツドリンクも渡してくれた。
緊張の連続で喉が渇いていたせいか、スポーツドリンクが体に染み渡るようだ。
そして、冷静さもほぼ戻り余裕も生まれてきた。
「大分落ち着いたみたいだね。でも、今帰ったら親御さん心配するかな?もうちょっとしてから車出そうか?」
「あ・・・あの、まだ実は怖くて。良かったらしばらく車を走らせて頂けたら・・・」
我ながら何ともずるいことを、と内心呆れてしまった。
さっきまでの不審者に対する恐怖などどこへやら、今はそれを利用しようとしている。
まさに「泣いたカラスがもう笑った」と言うやつ。
でも、私はこれはチャンスかも、と思えていた。
ただ、走ってただけでは先につながらなかったが、これならもしかしたら・・・
「オッケー、分かった。じゃあ君が落ち着くまで走らせようか」
先生はニッコリ笑って車を出した。
やった。
言葉通り、それからしばらく走っていたが、その間車内では色々と話すことが出来た。
お互いの自己紹介や日頃のこと。趣味など。
私は「日高 亜季」と名乗った。
日高は母の旧姓で亜季は自分の名前をもじったのだ。
そして隣町の中学校に通っている2年生と言うことにした。
さすがにそこを正直に言うわけには行かない。
朝の光を受けて運転する先生の顔はいつもより凜々しく見えて、ついつい顔がほころんでしまう。
今、この空間は先生と私だけのもの。
先生は私だけを見て、私だけにしゃべってくれている。
清水先生では無く。
そのせいか自然と口も軽くなる。
「山辺さん、まさか先生とは知りませんでした。あんな事を言われたのでてっきり警察の方だと」
なんて三文芝居、と笑いそうになりながらも山辺先生の正体を初めて知った体を意識し、驚いた口調で言った。
まあ実際、あの嘘には驚かされたけど。
「いや、ごめん。実は僕も結構びびっててね。普通に先生と行っただけじゃ立ち去らないかも、と思って。警察なら行けるかなと」
「ふふっ、でももし『警察手帳をみせろ』と言われてたらどうなさるつもりだったんですか?」
「あ・・・ほんとだね。良かった~」
安堵のため息を漏らす先生を見て、私は思わず口を押さえて笑い出してしまった。
なんて可愛いんだろう。
学校でも天然な所はある人だと思ってたが、まさかここまでとは。
「い、いや、笑わないでよ。僕も今になってテンパっちゃってるんだから」
「ふふっ、でもそんな可愛い嘘のお陰で助けて頂いたんで感謝してます」
「いやいや、お恥ずかしい。・・・しかし、日高さんなんて言うか・・・中学二年生と思えない雰囲気だね。なんて言うか・・・雅やかで丁寧で。僕の方が年下みたいだよ」
私はカッと顔が熱くなるのを感じた。
この口調は私自身ずっと心の中で使っていた。
自分の理想の女性。
男性として振る舞うことを強く意識して以後、心の中では反対にどんどんと理想の女性像を作るようになり、本や漫画、ドラマや周囲の女性から影響を受けながらこうありたい、こう生きたい、と言うイメージを作ってきていたのだ。
雅やかな大和撫子。
私の夢見ていた女性だった。
だから、よりによって山辺先生に言ってもらえたことで天にも昇る心地だった。
「有り難うございます。でも・・・その・・・山辺さんが年下だなんて。そんなに・・・素敵なのに」
そう言った後で、自分に驚いた。
いきなりなんて事を!
山辺先生は少し照れくさそうに笑顔を浮かべると首元を掻いた。
どうやら困ったときの癖らしい。
「君みたいに可愛い子からそう言われると、困っちゃうな。・・・あ!今のは変な意味じゃないからね!」
先生は慌てて訂正するが、もう遅い。
(可愛い)
先生の口から出たその言葉はまるでパンに甘いシロップが染み渡るように、私の心に心地よく広がった。
この時間がずっと続いて欲しい。ずっと一緒にドライブしていたい。
やはり私はこの人が好きだ。
「いや、ほんと困ったな・・・あ、そうだ!気持ちは落ち着いたかな?もし大丈夫そうならそろそろ送るけど」
その言葉で、夢心地だった意識が急に引き戻された。
そうだ、怖い気持ちが落ち着くまでのドライブだったのだ。
流石にあんな会話をしておいてまだ怖いので、などとは言えない。
残念だけど、ここまでかな。
でも、何とか次につなげたい。
何か・・・
「あ・・・はい、よろしくお願いします。お陰ですっかり落ち着きました。ただ、これからどうしようかと」
「これからって?」
「はい、私あの緑地公園で毎週走ってたんですが、もうあそこを走るのが怖くて・・・でも朝の光を浴びて走るのは、本当に楽しいんです」
「そうか・・・確かにあそこを走るのはもうキツいよね」
「はい」
「まぁ、言ってる僕もあそこはしばらく走れないし。明日から少し離れた別の公園に変えようと思ってるんだ」
「え!そんな所があるんですか」
「うん、さっきの緑地公園ほどじゃ無いけど、あそこも中々ジョギングコースとしてはいい所だよ。良かったら日高さんも今度からそこにするといい」
その言葉に心臓が大きく高鳴った。
あまりのトントン拍子ぶりに怖くなった。
「は、はい!ぜひ!そんな公園知らなかったので楽しみです」
「そんなに喜んでもらえて良かったよ。走るのって素晴らしい事だから。それをあんな事で無くして欲しくなかったから」
もちろん喜ぶに決まっている。
先生からそう言ってもらえたなら、今度から大手を振って先生と走ることが出来るのだ。
「ぜひお言葉に甘えて今週末からそこで走らせて頂きます。あの・・・もしそこでお会いしたら走るのご一緒してくださいますか?ワンちゃんもすごく可愛いし、また見たいですし」それは嘘じゃ無い。
可愛いと思ったのは本当だから。
案の定先生は嬉しそうに笑った。
「有り難う。そう言ってくれてコイツも喜ぶよ。こっちこそもし会ったらぜひ走ろう」
吊り橋効果、と言うのを本で読んだことがあった。
非日常の出来事を共有した者同士は、理屈では無い一体感が生まれると。
普通なら「これからも一緒に走ろう」などと言っても体よくかわされていただろうけど、この場は私と先生には一時的だが心理的な一体感がある。
そのせいか信じられないほど上手くいった。
言質を取ることが出来た。
もし、は無い。
絶対に会うつもりだし、絶対一緒に走るつもりでいる。
頑張らないと。
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