第12話

文字数 3,686文字

その翌日も、私は緑地公園のベンチに座っていた。
テスト期間中で時間を持て余していることもそうだったけど、もしかしてまたあの犬に会えるかも、と思う自分もいた。
すると案の定、ベンチに向かって歩いてくる先生と犬の姿があった。
「お、また鈴村か。お前勉強大丈夫か?」
「ご心配なく。僕、普段から勉強してるんで」
「凄い事言ってるな。他の生徒にも聞かせてやりたいよ」
先生は驚いていたけど、当然のこと。
普段の授業の範囲から出す物なんだから、普段からしっかり勉強してれば勉強は最小限で良い。
そう言うと先生は苦笑いしながら言った。
「確かにそうだが、そんな簡単な物じゃ無い。そう言えるお前はやっぱり凄いよ」
そんなものなのかな。
自分の事もテストくらいにシンプルだったら・・・
そんな事を考えていると、そばでクルクル回っていた犬がワンワンと大きな声で吠え始めた。「こら、リンゴ。もうちょっと待て。今大事な話してるんだから」
「あ、すいません。いいですよ、そんなたいした事話してないし、行ってください」
「そうは行かないよ。それにお前はコイツの事を聞いてくれた初めての人なんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。コイツを見た人は結構引く人が多くてな。見た感じも個性的だし」
「そんな事・・・この子も先生みたいに大事にしてくれる人の所にいて幸せだと思います。なんの不安も無く」
「そうだといいけど。でもたまに余計なことをしているのかも。こいつは本当に幸せなんだろうか、って考えることがある」
「幸せですよ。だって先生がいなかったらどうなってたか分からないんでしょ。先生の『救ってやりたい』って言う気持ちがあったから」
失礼ながら大して考えずに発した言葉であったが、先生はどこか悲しげだが何とも優しい表情で言った。
「そうだね。でも・・・それ以上にコイツが生きたがっていた。走りたがっていたように思えたんだ。だったらそうしてやりたい。それだけの単純な理由だった。愛する物を救いたい、とかそんなレベルの高い気持ちじゃ無い。他人の『こうあるべき』なんて余計なお世話だよ。ただ、コイツを納得させてやりたい。それだけなんだ」
「納得・・・」
胸の中に引っかかりを感じて思わず口に出た言葉に、先生は頷いて静かに言った。
「うん。他人はどう思うかはどうでもいい。自分が納得できるか。それだけじゃないかな。だって他人は僕やコイツの代わりにはなれないんだから」
その言葉で引っかかりがストンと落ちた。
そうだ。自分の人生なんだ。自分が納得できるか。
それが一番なんじゃないか。
それと共に、私自身の今までの人生がずっとどこか「周囲に納得してもらう」事が目的になり、その報酬として自分の人生の安全が守られる、と思っていた。
でも、私はそれに「納得」していたのだろうか?
その時、目の前の色がグッと濃くなったような気がした。
そして、目の前の人が驚くほどに色鮮やかに見えた。
光の粒が・・・沢山。
「どうした、鈴村?大丈夫か」
ハッと我に返ると先生が心配そうに私を見ていた。
どうやらずっとボーッとしていたらしい。
って言うか、何?これは。
「顔赤いけど大丈夫か」
そう言って近づいてきた先生から、無意識に数歩後ずさった。
あれ?なんで?
先生はそんな私を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめん。引いちゃったね。いきなりこんなに熱く語っちゃって悪かった。僕もビックリしているんだ。今まで誰にもこんな気持ちをしゃべったこと無いのに」
私はその言葉に驚くほど胸が高鳴った。
心地よい優越感。そして、名前の分からないおかしな感情。
ただ、とにかく先生の顔を真っ直ぐ見る事が出来なかった。
一体どうしちゃったんだろう。
「ごめんな、せっかく気分良く散歩してた所を邪魔しちゃって。じゃあまた明日学校で」
先生は優しい笑顔でそう言って犬と共にまた、軽やかなシューズの音と車椅子の転がる音と共に走って行った。
あ・・・
私は何も言えずに見送った。
そして先生の姿が見えなくなると、急に周囲の色がくすんで見え心なしかひんやりとしているように見えた。
そんな中に一人でベンチに座っていることが急にさみしいと感じると共に、置いてけぼりにされたように思え先生にイライラを感じた。
生徒を置いて行っちゃうなんて。
もう歩く気にならず、今日は早めに帰ることにしたが、帰り道の間先生の言った「今まで誰にもこんな気持ちを・・・」の言葉が何度も浮かんできて、その時は胸が暖かくなり景色のキラキラ具合が増した。
その夜は気を抜くと昼間の先生の白いランニングウェアや、笑顔が浮かんでしまった。
いや、そうではない。
考えたくて仕方ないのだ。
なぜなら思い出すと幸せだからだ。
これは・・・もしかして。
うっすら正体が分かりかけているこの感情に、何故か不安を感じた。
気を紛らわせたくて、また鍵をかけて化粧をした。
だが、鏡を見る度に浮かぶのはあの人の事だった。
この姿をたまらなく見せたくて仕方ない。

悶々として眠れなかったせいか、目の下のくまが酷い。
心なしか顔色も悪い気がする。
まぁ、ほぼ寝ていないんだから心なしかじゃ無く本当に顔色も悪いんだろうけど・・・
この顔のままで学校に行くのは嫌だったので、朝食を急いで済ませるとポットを部屋に持ち込んでお湯を出し、タオルを温めると目にしばらく当てた。
それを繰り返している家に何とか見られるようになってきたので、学校に行くことにした。
今日は4時間目は数学か・・・
山辺先生は数学を担当しており、4時間目は数学だった。
朝夕のホームルームと4時間目の授業。
今日は先生と多めに顔を合わせる。
それを思うと、学校に向かう足取りも自然と速くなってくる。
私は先生に会うのが楽しみなんだ。
昨夜は自分のよく分からない気持ちに動揺していたが、一晩経ちハッキリとその姿を自覚していた。
私は・・・先生の事が・・・
そこまで考えたとき、突然背後から背中を叩かれたので思わず「ひゃあ!」と甲高い声を出してしまった。
慌てて振り返るとそこには雄馬がポカンとした表情で立っていた。
「あ、お・・・おはよう」
自分でも驚くほどうろたえながら言葉が出たので、それに対しさらに動揺していた。
自分の心の中を見られてしまったようで、たまらなく恥ずかしい。
一人でテンパっている私をみて雄馬は苦笑いしながら言った。
「悪いな。今度から先に声かけるよ」
「い、いや。ごめん。ちょっと考えごとしてて」
「大丈夫か?何かすっげえ酷い顔しているけど」
「えっ!嘘でしょ!」
しまった。動揺して思わず素の口調が出てしまった。
だが、雄馬は気づいていないようだった。
ほっ。
さっきの驚いたときの声と言い、気をつけないと。
いやいや、そんな事よりも酷い顔って。
「え?そんなに不細工になってる?」
「ああ。顔色は悪いし、目の下は結構なくまが出来てるし。昨日寝てないの?」
「ちょっと・・・」
「そうか。あんま考えすぎるなよ。力になれる事なら俺や健一に話せよ」
「有り難う。でも大丈夫だから」
本当に雄馬はいつでも私の微妙な変化に気づいて、声をかけてくれる。
健一が私の変化に鈍感で、ストレートな言い回しを好むタイプなのに対して、雄馬は私の些細な変化に気づいてはさりげなく配慮してくれる、と言う感じなのだ。
ただ・・・今回のような場合は雄馬の観察眼の良さがヒヤヒヤさせられる。
「ゴメン。鏡とか持ってる?」
「あるよ。はい」
雄馬から借りた鏡で自分の顔を慌ててチェックした。
本当は自宅には化粧用のコンパクトやお気に入りの可愛い手鏡もあったものの、流石に学校には持って来れないし、学校ではあえて外見に無頓着なように振る舞っていた。
それも地味にストレスなのだが、一旦ここを緩めると学校内で鏡を見る事を始め、外見を整える行為にどんどん没入しそうな気がして不安だったのだ。
それはさておき、鏡に写る自分はなるほど雄馬の言ったとおり酷い顔だった。
許されるなら今すぐにファンデーションとリップを塗りたいくらいに。
頬や唇は青くなり、目も充血している。
何より目の下が見てすぐに分かるくらい浅黒い。
私は泣きたくなって鏡から目を離せなかった。
こんな顔で先生と会わないと行けないなんて。
本気でこのまま体調不良と嘘ついて早退しようかと思えてくる。
「少し急がないと間に合わないぞ」
ハッとして時計を見ると確かにギリギリだ。
しまった。思わず立ち止まって鏡を見てしまった。
「やばい、悪いな付き合わせちゃって」
「いいよ。行くぞ」
雄馬はさらに歩調を早めていた。
急がせちゃって悪いことをした。
そりゃ機嫌も悪くなるだろう。
その後、何とか間に合って教室に入ると健一が驚いたような表情で私たちを見た。
「珍しいな。お前たちが」
「昭乃が自分の顔が気になるみたいでな」
「えっ、なになに」
健一が聞こうとした時、山辺先生が入ってきた。
私は自然と体が固まるのを感じた。
だが、幸い私の席は最後列のため先生の顔はそこまでハッキリと見えない。
と言うことは先生からも私の顔はあまり見えないと言うことだ。
ホッとしながら改めて前を見る。
教卓に上がった山辺先生を思った以上にじっと見入っている自分がいた。
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