第39話

文字数 1,983文字

それからどのくらい時間が経ったのか。
腕時計を見るといつの間にか、アパートの前に来てから一時間半も経っている。
時間が経つのはあっという間だな。
蒸し暑いせいだろうか。
ずっと頭が痛い。
頭痛によってまた吐き気を感じていると、突然先生の部屋のドアの鍵が開く音がして、清水先生が「じゃあまた。お大事にしてください」と軽やかな口調で言ってドアを閉める。
その言葉を聞くと、私の中の大事な物を汚された様に感じた。
目の前が真っ赤に染まってくる。
呼吸が出来ない。
清水先生はどこまで天然なのか私の存在に気づくこと無く階段を降り、そのままアパートの反対の道を歩いて行ったため、私も距離を置いて後を付ける。
こんなことをして、一体私は何がしたいんだろう。
何を期待してるんだろう。
そんなことは何も分からなかった。
ただ、何かをしていたかった。
何もしない状況に心が保てる自信が無かった。
じゃあなぜ山辺先生のところに行かないんだろう?
それは嫌だ。
きっと山辺先生を幻滅させる私になってしまいそうで怖い。
どんな事を言ってどんな事をしてしまうのか。
想像も出来ない。
だからこそとても怖かったのだ。
だから清水先生を追うのは消去法に近かった。
でも、どちらにせよまともな考えじゃ無い。
うん、今の私はきっとまともじゃ無いんだろうな。
清水先生は駅に入るとやがて2本後に入ってきた電車に乗り込んだので私も続けて乗り込む。多分家に帰るんだろうな。
そうしたら私はどうするつもりなんだろう。
やがて20分ほどすると、名古屋駅に止まりそこで清水先生は降りた。
この駅を降りるといくつもの大型商業施設、高級ブランドの路面店やオフィスビルが建ち並んでいる市の中心部とも言える場所になるためか、この時間でもまるで吐き出されるかのように、沢山の人が降りていく。
吐き出された人々は急いでいるかのような早足でいくつもの流れを作っているため、別の流れに入った清水先生を一瞬見失いかけたが何とか視界の端に捉え、後に続くことが出来た。
どこかで買い物でもするんだろうな。
そんな事をぼんやりと考えていると、やがて清水先生は携帯で話し出した。
結構な距離を取っているせいか、内容は聞こえない。
通話が終わると、さっきよりも歩調を早くして歩き出したが、後に着いていくうち妙な違和感を感じ始める。
先生は予想していた商業施設や路面店の並ぶ表通りでは無く、裏通りの方に足を向けていたのだ。
やがてそれまでの華やかな明かりは無くなり、代わりにポツリポツリと雑居ビルに取り付けられた看板の下品な照明が目立ってきた。
そこにはいかがわしいお店の名前が書かれている。
時間帯のせいだろうか、スーツ姿の男の人が粗野な大声で同じくスーツ姿の道行く男性に声をかけている。
そんな中を歩いていると、自分が来てはいけないところに踏み入ってしまっているように感じ、怖くなってきた。
もう帰ろうか。
そう思ったとき、清水先生が一件の店の前で立ち止まり、急に周囲を見回し始めたので、慌てて近くの路地に隠れる。
やがて清水先生はそのお店の方に向き直った。
え、まさか・・・
先生はそのままお店に入っていこうとしていたのだ。
私は目の前の光景に呆然としていたが、頭の片隅で何かが浮かんだ。
言語だろうかイメージだろうか、よく分からないその何かに動かされるようにお店に入る姿を携帯で写真に撮る。
さっきの写真には一緒に映り込んでは居たが、念のためお店の看板「イメージクラブ ソフィア」も改めて撮る。
心臓が早鐘のように音を立ててまるで破裂しそうなくらいに大きく動いている。
頭に沢山の血が巡ってて、大きく鼓動しているのが分かる。
そのままお店に近づくと、外に働いている女性たちの写真があった。
その一枚は厚化粧をしており、髪型も異なるが紛れもなく清水先生だった。
震える手でその写真を撮る。
その時、背後から「お兄さん、何やってるの」と低いが威圧感のある声が聞こえた。
驚いて振り返ると、お店の従業員だろうか、20代くらいの金髪で口ひげを蓄えた男性が腕組みしてこちらを見ていた。
だが、最初険しい表情をしていた男性は、私の見た目を確認すると表情を緩めた。
「ああ、坊ちゃんか。何?こういう店興味あるの?」
頭の中がすっかりパニックになっていたが、何とか言葉を絞り出す。
「は、はい・・・でも・・・今は良いです」
「そうしてよ。君、学生でしょ?俺らが怒られちゃうから。あと、さっきの写真も消しといてね。ってか君、むしろ客じゃ無くてこっちで働けるんじゃ無い?」
そう言ってニヤニヤしている男性の言葉に自分の何かを汚されたみたいな気がして、背筋に虫が這いずるみたいな怖気を感じた。
私は唇を噛みしめ返事をせずに頭を下げると、振り返って小走りでその場を離れた。
背後から茶化すような口調でさっきの男性の「またお越しくださ〜い」と言う声が聞こえてきたが、耳を塞いだ。
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