第20話

文字数 1,721文字

「日高さん、来てたんだね」
「は、はい。今日は遅・・・かったんですね」
「うん、うっかり寝坊しちゃって。リンゴが起こしてくれてやっと、って感じで」
ああ、そうか。
確かに先生、最近放課後も職員室で忙しそうにしてたもんな。
かなり疲れてたんだ。
「でも、日高さんが帰るのに間に合って良かったよ。毎週顔を合わせてるから、顔見ないと物足りないな、と思ってたから」
そう言って笑う先生の笑顔を見ていると、それまでの私の強ばった心がまるでふかふかのお布団に入ったときのようにほぐれていくのを感じる。
先生の声までが、心にくすぐったく響くように感じる。
なんて現金なんだろ、私。
「じゃあ、僕は今から走ってくるから。日高さんも休み楽しんでね。それじゃあ」
え?え?ちょっと・・・
走り去ろうとする先生を見ながら自分が顔を左右に振って挙動不審なそぶりになっているのが分かった。
「あ・・・あの!」
立ち止まって不思議そうな表情で振り返る先生に向かって言った。
「私・・・まだ走り足りないので、ご一緒させてください」
「それはいいけど、大丈夫?疲れてない?」
「大丈夫です。実を言うと携帯ばかり見てて、ほとんど走ってなかったんです」
まぁある意味間違っては居ない。
先生に心の中で罵詈雑言をぶつけながら、ずっと携帯を見ていたんだから。
それを聞いて先生はおかしそうに笑った。
「駄目だよ、ここは走る所なんだから!と、言ってもそれは分かるよ。実は僕も何度かやったことがある。入り口のベンチでつい」
「え、意外。イメージと違いますね」
「はは、マズいこと言っちゃったかな。でも、日高さんにしか言ってないから学校のみんなにはバレないか」
照れくさそうに笑う先生を見ながら、私は心地よい優越感で一杯だった。
先生も携帯をずっと見てたりするんだ。
また先生の秘密を知った。
クラスの人たちや他の先生たちも知らない事を。
だが、その時胸の奥で急にズキッと何かが痛んだ。
秘密・・・
そうだった。
日高亜季になって忘れていた嘘つきの自分が、秘密という言葉を切っ掛けに自分の表面に浮かび上がって来たように感じた。
そんな気持ちを心の中で、心の隅に押し込めた。
今は嘘つきじゃ無い。
今の自分は本物の自分。
本物の今のうちに先生ともっと話したい。
「・・・どうかした?大丈夫?」
心配そうに見る先生に私は笑顔を返した。
「何でもありません。行きましょうか。リンゴちゃんも待ちきれないみたいですし」
「そうだね。ずっとお預け食らってるから、イライラしてるみたいだし」
それから、しばらく走りながらいつものようにお互いの一週間を話す。
と、言っても私の話の内容は半分ホントで半分嘘だった。
いや、ほとんど嘘かも知れない。
一週間では無く一月の事。
クラスメイトとゲームセンターに行った事は、カフェに行ったことに。
ラーメン屋へ行ったことはクレープを食べに行ったことに。
家でクラスの男子とゲームをしてたことは、家で友達と一緒にコスメの練習をしていたことに。
嘘と言うよりは、キラキラしている夢を話すことで本当にその世界に居るように感じ、それを先生が面白そうに聞いているのを見ると、その世界を共有できているように感じ、まるで先生とその世界で生きているかのような高揚感を感じていたのだ。
それから先生の一週間を聞くと、また優越感とさらなる高揚感で満たされる。
この人といると、自分になれる。
自分で居させてくれる。
この人と居るときだけは。
ずっとこの時間が続いてくれたら・・・
ずっと日高亜季になって、ずっとこの人のそばにいたい。
でももう少ししたら夢もおしまい。
また嘘つきの私になる。
そう思うと夏休みが終わる時みたいな・・・いや、それを数倍強くしたような寂寥感が押し寄せてきた。
鈴村昭乃に戻った私を、この人はどう思うんだろう。
もしかしたら、距離置かれる?
あのときすごく嫌な事を言ってしまったし。
雄馬や健一は?
誰も鈴村昭乃の私を見てくれないのかな・・・
そう思った途端、胸がドキドキしてきて苦しくなった。
思わず立ち止まった私を先生は心配そうに見た。
「大丈夫?日高さん。やっぱり疲れたかな」
「いいえ、そうじゃないです」
そこまで言ったところで、口が勝手に動き言葉が零れた。
「私って嘘つきなんです」
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