第30話

文字数 1,841文字

それから二人でアパートを出て、予定通り近くの駅から電車に乗って花火大会の会場へ向かった。
電車の中もだったけど駅を降りると周りはやはり、見事なまでにカップルばかりだった。
花火大会自体は小学6年生の頃と中学一年生の頃に行ったことがあるけど、小学生の頃は健一と雄馬の3人で。
中学生の頃は他のクラスの女の子と。
その時はあまりの押しの強さに断り切れずに付き合ったけど、男として歩いてると不思議な場違い感があった。
そう、その時は。
でも今は、この場の空気を感じるほど、背筋が伸び気分が良くなってくる。
会場への道は屋外とは思えないほどの密度で歩いているというより、歩く歩道のように人の流れに押されるまま運ばれているようだった。
気を抜くと倒れるんや無いかと思ってしまう。
周りのカップルを見ると、女子は同じ事を考えているのかほとんど連れの男性に腕を絡ませたり、腕に掴まっている。
「大丈夫か?」
先生が声をかけてくれた。
「はい、大丈夫です。有り難うございます」
「もし、転びそうだったら僕に掴まって」
その言葉を聞いて、思わず顔が熱くなる。
サラッとドキドキさせるなぁ。
でも・・・
お言葉に甘えて遠慮無く、先生の腕に自分の両腕を絡ませた。
「あ・・・鈴・・・日高」
口調から先生が慌てているのが分かる。
マズい。可愛すぎる。
「有り難うございます。これで転びません」
上目遣いで先生の目を見て微笑む。
ずっと憧れていた事が出来た。
男の人に甘えるのって、こんなに安心するんだ。
驚くくらいの安らぎ。
もっと感じたくて、体を先生の腕に密着させる。
「すいません。でも、これなら安心して歩けます」
「そうか、それなら良かった」
先生の顔を見ようとしたが、反対側を向いていて表情が分からない。
でも、こんなにくっついていても離れるそぶりは無い。
安心感と自信が沸いてくる。
この人の物になりたいと言う衝動が抑えきれないくらいに溢れてしまう。
でも、私も暑さと緊張のせいかじわりと体が汗ばんできているのが分かる。
ポーチからハンカチを出して軽く汗を拭く。
「日高、暑いのか?」
「あ、そうですね。ちょっと・・・でも大丈夫です」
「じゃあ良かったらこれを」
先生はそう言うとボディバッグから細長い物を取り出した。
それは畳んである扇子だった。
先生はそれを開くと私に向かって軽く仰いでくれた。
涼しい風が顔や首を撫でる。
「・・・気持ちいい」
思わず目を閉じて心地よさに浸ってしまった。
薄く目を開けると先生は私の顔を優しい笑顔でじっと見ている。
「涼しいなら良かった」
「はい、今までのどんな団扇よりも気持ちよかったです」
私の言葉に先生は可笑しそうに笑った。
「そんな事無いだろう。お前は大げさだよ」
本当なのに。
先生のくれる風は何よりも優しい。
「でも、気に入ってくれたなら嬉しいよ。良かったらこれ使って」
そう言って先生はバッグから別の扇子を取り出して私に渡した。
「え、いいですよ。そんな悪いです」
「いいよ。これは日高にあげようと思って買ってたんだ」
「私に・・・」
「そう。今日は長く外を歩くからキツいだろうと思って。扇子とか若い子にはダサいかな?」
「いいえ!そんな事ないです。私、扇子大好きなんです。って言うか和風の小物とか大好きだからとっても嬉しいです」
必死に話す私の言葉を先生は真面目な顔で聞いてくれていた。
「そうか。そんなに言ってもらえて嬉しいよ。ならそれは僕からのプレゼント。ぜひ使って」
「・・・はい。ずっと大事にします」
私は扇子を早速広げて見る。
そこには沢山の輪切りや丸ごとの檸檬がパステル調で描かれていて、とても涼しげで可愛い色合いだった。
そんな柄も気に入ったけど、何より嬉しかったのはそれが女の子用である事だった。
それを先生からプレゼントされた。
涙が出そうになるくらい嬉しかった。
って言うか、じわりと目から溢れている。
「え?鈴村、大丈夫か」
慌てて私の顔をのぞき込む先生に、私は小さく首を振る。
「いいえ、嬉しくて・・・」
「いや、そんな大げさな。別に高い物じゃないんだから」
「違うんです。値段じゃ無いんです。私、今まで女の子として扱ってもらえた事無かったから」
それを先生からしてもらえた。
嬉しい。驚き。感動。そして愛情。どれも正解な気はするけど正解じゃない。
そんな言葉に出来ない不思議な感情が胸の奥から溢れてきて、息が詰まるくらいだった。
先生は何も言わず、また頭をポンポンと優しく叩いてくれた。
私はしばらく仰ぎもせず、汗と涙を滲ませたまま扇子に書かれた沢山の檸檬を見ていた。
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