第36話

文字数 1,950文字

「所で、山辺先生の容態はどうなんです?僕、この後約束があって、早く行かなきゃなんです」
「あ、そうなんだ!ごめんなさいね。えっとね・・・先生は夏風邪みたい。今は9度近くあって、中々食事も食べれないみたいで。電話の声を聞くと、かなりガラガラ声だったから心配だけど・・・」
「ふうん。大変ですね。有り難うございます。じゃあ僕はこれで失礼します」
「え?なに、その反応!ドライ~」
清水先生の呆れたような声を背中に聞きながら、私は早足で職員室を後にした。
表情はできる限り無反応にしたつもりだけど、内心は気が気で無かった。
先生、そんなに酷いんだ。
食事も食べれないなんて・・・
早くそばについていてあげたい。
お水も飲ませてあげたいし、お粥も作ってあげたい。
本当に何か口実を作って、カラオケをキャンセルしようか。
かなりその方向に傾いていると、携帯が鳴った。
見ると健一からのラインだった。
見ると「女の子、みんなお前に会うの楽しみにしてる(涙)早く来てくれ」と、言うものだった。
あ、健一気の毒に・・・と、思うと共にさすがにこれでキャンセルは言えない。
仕方ない。参加するだけして、途中で抜けよう。
深々とため息をつくと「オッケー、今から行く」とだけ返した。
カラオケ店に向かいながらも、頭の中は先生に何を持って行こうかで一杯だった。
店に入って、教えてもらっていた部屋に近づくとすぐにカラオケ特有のお腹に響く低音と共に健一のはやし立てる声が聞こえてきた。
かなり盛り上がってるな。
途中参加にありがちな気後れを感じながらドアを開けると、全員がこちらを向く。
木下さんが嬉しそうな笑顔で小さく手を振っている。
アップテンポのギターが効いた曲を歌っているのは雄馬だったが、途中で歌うのを止めて「やっと来た?主役登場」とニヤリとしながら言った。
「じゃあ昭乃はここだよ、ここ!」と健一が何故かマイクを使って木下さんの隣を指し示した。
「もう!健一君うるさい」向かいにいる木下さんが、不快感を隠そうともせずに抗議したけど、健一は意にも介していないようだった。
すでに木下さんには目もくれずに、一緒に来ているショートカットの可愛らしい女子に熱心に話しかけていた。
ショートカットの子も健一のテンションを嫌がる感じも無く、ニコニコと話しを聞いている。中々良い感じじゃん。
もう一人の子は歌い終わった雄馬に、飲み物を渡している。
何ともわかりやすい。
だが、雄馬はさほど興味も無い感じで困ったような表情で私の方を見てくる。
雄馬もかなりモテるんだよね。
でも何故か今まで浮いた噂をほとんど聞かない。
時々思い出したように彼女を作るけど、長続きしていないようだ。
まぁ、以前「お前らとつるんでる方が楽しいから」とか言ってたから、基本硬派なのかな。
そんな事を考えながらソファに座ると、隣の木下さんが恥ずかしそうに小声で言った。
「この前のお祭り有り難う。楽しかったね」
「うん、そうだね。すごく楽しかった。木下さんも可愛かったし」
そう言うと木下さんは見て分かるくらいに顔をほころばせ、顔を逸らした。
実際は先生との花火大会の事で頭がいっぱいだったから、申し訳なかったけど・・・
「僕、今までお祭りとか男子としか行ったこと無かったから、女の子と行くとあんなに違う景色が見えるんだ、って思った」
それは嘘ではない。
お祭りには今まで健一と雄馬の3人で行くことがほとんどだったけど、やっぱり好きな人とデートとして行くか、女子と友達感覚で行くことに憧れていた。
だから、それが叶って木下さんには感謝していた。
ただ、木下さんの望む形じゃないんだろうとは思うので、改めて心が痛い。
「私も今まで女子とばかりだったから、鈴村君と行ったのが男子と二人で行った初のお祭りなんだ」
そう言うと木下さんは顔を赤らめて言った。
「だから鈴村君と行けて良かった」
その言葉と表情を見ながら、私は内心困っていた。
木下さん、これは完全に・・・
「ね、また一緒に遊びにいかない?・・・二人で」
どう答えればいいんだろう。
今までもこういったことはあって、それまでは体よく断ってた。
でも、なんでだろう。
今はその気持ちにどうしてもならない。
木下さんの気持ちの動きがすごく自分の中に重なってくる。
上手い言葉が浮かばずに居ると、雄馬が私の隣に勢いよく腰を下ろした。
「昭乃、次良かったら一緒に歌おうぜ」
そう言うと私の返事も待たずにさっさと曲を入れる。
木下さんが少しムッとしているように見えたが、私は内心ホッとしていた。
雄馬はいつも私の気持ちをエスパーのように察してくれる。
私もあんな風に人の心を手に取るように知れたら・・・
そんな考えをかき消すように私の好きな曲が流れた。
ピアノのバッキングが心地よい、優しいメロディの曲。
お言葉に甘えて雄馬と一緒に歌う。
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