第28話 本を運ぶ車 

文字数 3,712文字

 移動図書館――小型のトラックを改造した移動図書館車に本を載せて、地域の人のために各地を巡回して図書館のサービスを提供する仕組みである。英語でBookmobile(略称BM)という事から、業界内ではビーエムと呼ばれる事もある。

「……今年度まで、ビーエムで使ってたイソップ号を、来年海外に寄贈するって決まったからね」
 丘の上にある図書館周辺の木々も、少しずつ紅葉に変わり始める10月のある朝、役所の生涯学習部の会議が終わると、吉田部長に言われた。

 鳴滝町では、来年度から移動図書館を廃止する予定であった。表向きは公民館図書室など、各地域に十分整備されているのでもう必要がないというのだが、実際は町の財政事情を考えての事であった。
 翌日、僕はイソップ号に久しぶりに乗り込むと、搭載された書架などの家具を一つ一つ拭きながら、まだこの移動図書館車を頻繁に使っていた頃の出来事を思い出していた……。


 僕がこの図書館に勤務し始めた頃、この移動図書館車に乗って、各地の団地や公民館などの施設を巡回していた。どこにいっても、移動図書館車は人気で、定時に行くと、その地域の子供や老人が待ち構えているくらいであった。

 ある日、僕が午前中に役場で行われていた職員研修を終えて帰ってくると、家田さんが移動図書館車に本を積み込んでいた。僕は、急いで机に研修資料を置いて手伝った。この時、僕は本を並べながら、なんとなく持っていく本が、普段とは少し違う気がした。
「今日は、いつもと本の種類が少し違うだろ?」
 家田さんが、ブックトラックを積み込みながらそう言った。
「ええ、そうですね」
「今日、施設に行ったら子供たちの様子をよく見てごらん」
「はい、分かりました」

「――おはようございます。長谷川さん、今日はよろしくね」
 僕が、本の積み込みを終えて後ろの扉から車を降りると、前方で移動図書館車の手入れをしていた運転手の森野さんが、手を止めて僕に笑顔で挨拶をしてくれた。 
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」

 森野さんは、以前僕より8歳年上だと話していたので、この時はおそらく33歳。クリーンセンターでゴミの収集車の運転手をした後、役場の専属運転手として働いていた。そして、図書館では月1回の移動図書館車の巡回の時の運転手をお願いしている。
 本を全て車に載せると、家田さんが「じゃあ、森野君、長谷川君、今日はよろしくね」と言って、館内に戻っていった。
「……じゃあ、行きますか」
「あっ、はい」 

 この日の予定は、普段のような巡回はせず、鳴滝町にある児童養護施設『ひまわりの郷』に直接向かう事になっていた。
「長谷川君は、ひまわりの郷は何回目なの?」
 車の運転をしながら、森野さんは僕に訊いた。
「2回目です」
「そっか……。実は僕、あそこの卒業生なんだ、あっ、卒業生なんて言わないか」
 そう言って森野さんは笑った。
「ああ……、そうだったんですね」
「今、ちょっと複雑な気持ちになったでしょ?」
「い、いえ」
「ははは、普通はそう思うよね。可哀想な境遇だなって。でもね、ひまわりの郷には50名くらい子供たちが住んでてね」
「そうなんですね」
「僕にとっては、大勢の兄弟に囲まれてる感じがして、とても楽しかったよ」

 そうして、20分程車で走った先にあるひまわりの郷に到着した。この日は、これから施設で行われるハロウインパーティーに参加する予定になっていた。

 僕らが施設に入ると、待っていた子供たちが車を取り囲んだ。
「きたあ、イソップ号登場」
「やったぁ」
「――こらこら、車がしっかり止まってないのに危ないぞ」
 森野さんが、車の窓を開けて子供たちに注意した。
「一樹にいちゃんを信頼してるから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないわ」 
 
 森野さんは、やれやれといった様子で首を左右に振りながら、優しく目を細めて苦笑していた。
 そして僕は、家田さんから預かった紙芝居が3組入った袋を持って助手席から降りると、森野さんと子供たちとのやり取りを見ながら、児童養護施設『ひまわりの郷』の永津館長に挨拶をする為に施設に入った。

「ハッピーハロウイン!」
 1階にある事務室に向かっている途中、聞き覚えのある大きな声が聞こえてきた。
 声の方向を見ると、そこには図書館の田中副館長が、トレーニングウエア姿でニコニコしながら立っている。
 そして、子供たちが「トリック・オア・トリート」と言うと「ハッピーハロウイン!」と言って、長い棒に大きな飴の付いたお菓子を渡していた。
「あれ? ……田中副館長」
「おっ、長谷川君。そっか、今日は君が参加してくれんのか。ああ……、今日僕は休みもらってるんだ」
「そうでしたか……」
「どうも、田中先生」
「おう、一樹。そうか、そうだったな。お前今年からビーエムの運転手やってるんだってな」
「はい、お陰さまで」
「うんうん」
「田中先生は、何年か前にこの施設にボランティアで来られてから、ずっとお世話になっててね。役場の仕事も、紹介してくれたんだ」
 僕が二人のやり取りを不思議そうに見ていると、森野さんがそう言って僕に説明してくれた。
「そうでしたか……」

「あっ、そうそう。家田さんから紙芝居預かってこなかった?」
 田中副館長が、思い出したように僕に言った。
「――あっ、はい。これです」
 僕が、袋に入った紙芝居を手渡すと、田中副館長は満足そうに言った。
「おお、ありがとう。紙芝居のデビューも、こっちが先だったんだよ」
「そうだったんですね」

 そして、僕は児童養護施設の永津館長に挨拶を済ますと、移動図書館車に戻り準備を始めた。
 まず、車体の横の扉を開けて書架を出し、それから後部扉を開けて積んであるブックトラックを降ろして車の横に並べた。
 車の近くでは、子供たちが待ち切れない様子で立っている。

「よし。じゃあ好きな本を持っていっていいよ」
 準備を終えて僕がそう言うと、子供たちは「やったあ」と言いながら書架に集まってきた。
 僕は、本を選んでいる子供たちを見ながら、出掛けに家田さんが言っていた、今日は本の種類を変えている理由を考えていた。

「あ……っ、そうか」
 しばらくすると、僕は本に親子や家族に関する本が無い事に気づいた。そして、いろいろな仕事をしている人の本や車の本等がいつもより多い気がした。
「どうしました?」
 隣にいた森野さんが、僕に訊いてきた。
「ええ……、今日持ってきた本は、いつものビーエムに載せる本と少し変えてるって、家田さんに聞いてきたんです」
「ああ……なるほど。そう言えば、何年か前に家田さんがビーエムの担当でここに来てくださった時に、偶然僕も居合わせたんだけどね……」

 森野さんの話によると、その日は巡回の日で他の地域の公民館も回ってから、この施設に来たらしい。 
 その時、ある女の子が好きな象を題材にした絵本をその場で何人かで読み始めた。それは、象の家族の話で、強くて優しいお父さん象の存在を信じられない女の子と別の女の子が口論になったと言う事だった。

 その時の家田さんは、すごく後悔をした様子だったらしい。
「ああ……、そんな事が」
「うん、そうなんです。ここにいる子たちは、いろいろな環境で育ってますからね」
「そうですね……」

 そして、この日は時間に余裕があったので、僕は低学年の子供向けに絵本の読み聞かせを始めた。2,3冊の本をもって施設の集会所に入ると、当初予定していた人数の3名より多い7名の子供がいたので、急遽テーブルの上に絵本を置き、紙芝居のような形で本を読むことにした。

 ……すると、子供たちが次々と集まってきてしまったので、隣の部屋で紙芝居をしていた田中副館長が拗ねてしまい、僕は後日なだめるのに大変だった事を覚えている。
 そして、施設の担当の方々が、美味しそうな料理とケーキをテーブルに並べると、子供たちは我先にといった様子で自分の席に座り始めた。

 翌日の朝、遅番の時間に出勤すると「昨日は、どうだった?」と、家田さんに訊かれた。
「はい、好評でしたよ。家田さんが選んだ本も良かったです」
「そうか……、あそこではみんなが一緒に読んで楽しめる本がいいな。それと、親子や家族の話は、複雑な感情を持つ子もいるから持っていかない方がいい。後は、職業の本とか将来こんな仕事したい、頑張ろうって思えるような本を選んでみたんだ」
「なるほど」

 僕はこの時、家田さんがたった一度の行事でも、真剣に考えて本を選んでいる事に感心した。そして、この時の家田さんの気持は今の僕に受け継がれている……。


「長谷川さん、来週から医療介護センターに貸し出す本のリストに目を通してもらいました?」
 僕がイソップ号での清掃作業を終えて事務室に戻ってくると、近藤さんに訊かれた。
「うん……、えっと、近藤さん。すいませんが、このチェックした本を変えてもらってもいいですか? 患者さんが良い感情持たないかも」
「はい、了解です」

 こうして、この移動図書館車のイソップ号は、来年から南アフリカで、都市から離れた過疎地域の児童や生徒を対象に、英語や現地語の書籍を積載して活躍することになった。

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