第7話 家田さんとの思い出 〜家田基準〜

文字数 2,854文字

 僕は大学を卒業すると、この鳴滝町で図書館司書として働くことになった。それは、定年を迎えた家田さんの後任としてであった。

 2010年4月1日、僕は町役場での入庁式が終ると、すぐに図書館に来て当時の館長に挨拶をした。
「長谷川です。これからよろしくお願いします」
「うん、頑張ってね。実は、私も今日からなんだよ、図書館は」
 この時の浜垣館長は、3月まで鳴滝西小学校の校長をしていたので、僕と同じく図書館では新任であった。

 その後、家田さんを探したが見当たらなかったので、僕は作業室で製本をしていたパートの上田さんに尋ねた。
「今日も、閉架じゃないですかね?」
 上田さんにそう言われたので、閉架書庫へと向かった。

 書庫に入り、電動式の移動書架の近くまで行くと、奥から本を整理する音が聞こえてきた。
 子供の時に見た電動式の書架はとても大きく感じて、そのイメージが頭の中に残っていたが、今日見る書架は大学の図書館にあった少し背の高い書架に車輪がついているくらいにしか思わなかった。

「家田さん、いますか?」

 子供の時のなつかしさで、親しみをこめて呼んでみたが、返事がなく作業を止める様子もなかった。僕は通路が開いている書架の間を覗いてみると、すっかり白い髪が疎らになった家田さんが、黙々と作業をしていた。

「家田さん、ご無沙汰してます、長谷川です、長谷川陽介です。今日から、図書館に勤務になります。よろしくお願いします」
 家田さんは、作業する手を止めて僕に軽く頷くと、また作業を始めた。
「小学生の時に、夏休みの課題で童話を集めるのに手伝ってもらいました。覚えてますか?」
 僕が、家田さんにそう話しかけると、彼は小さい声で、うん、と言った。
「僕は、あの時の家田さんに憧れて、司書になりたくって……」

「――俺なんかに憧れて?」

 家田さんは、作業している手を止めて、しばらく何かを考えている様子だったが、ぽつりとそう言うと苦笑して、また作業を始めた。
「……では、これからまた色々と教えてください。よろしくお願いします」
 この時、僕はそう言って頭を下げた。

 そして、翌日から図書館司書としての仕事が始まった。家田さんは、1年更新の嘱託職員として、僕への仕事の引継ぎとフォローが主な役割だった。家田さんは相変わらず無口だったが、仕事は丁寧に教えてくれた。ただ本に対する愛着はひとしおで、扱い方が悪いとひどく怒られた。特に本の除籍作業については慎重で、除籍するかどうかの検討は時間を掛けてやっていた。

 ――除籍作業とは、ある程度の期間の経った本や、利用頻度の極端に低い本等を、管理する図書原簿等の台帳から消して、図書館の所有物として除去する作業の事を言う。その後、処理された本は廃棄したり町民に無料で配布したりする事になる。

 期間の定めで、除籍することが自然と決まっている本は良いのだが、ある程度の判断が必要な本の場合は、家田さんは徹底的にその対象となっている本を調べていた。
 その作業にかかる時間や労力などを考えて、今までの館長から廃棄を勧められても家田さんは頑として首を縦に振らなかった。しかも除籍する本は、毎年減らす予定の冊数より大幅に少ない為、慢性的に本の冊数は図書館が収蔵する能力を超えていた。

「また、新しい館長とも衝突しそうだわ……」
「そうね」
 パートの人たちのコソコソ話が聞こえてきた。

 僕が図書館で勤務し始めてしばらく経ったある日、昼の食事を終えて作業室を見ると、家田さんが除籍対象の本の確認作業をしていた。
「家田さん、僕も手伝いましょうか?」
 僕は作業室の中央にある作業台にあるパイプ椅子に座って、家田さんに言った。
「いや、いい」
「でも……」

「――家田さん」
 すると、浜垣館長が突然作業室に入ってきた。
「今度、竹中前市長からの寄贈図書を5百冊受け入れるから、スペースを確保しなくちゃいけないからね。そんなに悩んでたら間に合わないよ」
「……」
「長谷川君に手伝ってもらって、一気に片付けちゃってよ」

「図書館の本は、そんなに簡単に片付けれるようなもんじゃない」

「ん? なに」
 この時の浜垣館長の言葉には、明らかに怒気を感じた。
「あっ、いや……、館長。家田さんと相談して僕も手伝いますから」
 僕は焦って、すぐに浜垣館長に言った。
「う……うん、そうだな。じゃあ長谷川君頼むね」
 僕にそう言うと、浜垣館長は家田さんを睨み付けながら作業室から出ていった。

 そうして、しばらく僕も家田さんも黙ったまま時間が過ぎていった。
 その間、僕は家田さんが本を確認しているのをじっと見つめていた。

 しばらくすると、家田さんが小さな声で独り言のように話し始めた。
「俺は、40年以上ずっとここにある本を見てきたんだ」
「……はい」
 僕は静かに頷いた。
「毎年数千冊の本が入ってくると、それを1冊1冊目を通してな。ほら、ここには司書は俺しかいなかったし、何が正解かも分からなかった」

 すると、家田さんはうっすらと笑みを浮かべた。
「……ただ、読者とは違う司書の立場で本を読んでると、その内、1冊1冊に作者の思いが込められてるのが分かるんだよな。本の内容に興味がある無しに関係なく」
「そうなんですね」
「そうすると、全然読まれてないような本でも、なんとか作者の思いが一人でも読者に伝わんないかなって思っちゃうんだよな。まあ……、本に情が移るっていうのかね」

 この時の家田さんは、珍しく多弁であった。
「そういう気持ちにもなるんですね」
「うん。それとな……、全然借りられてないような本でも、毎年同じ人が、同じ季節になるとこの本を借りに来る、っていうのもあってな……」
「へえ……、そうなんですね」
「そんな事を1冊1冊考えてやってたら、除籍なんて出来ないし確かに効率悪いわな」
 家田さんは、そう言うと自虐気味に笑った。

「家田さん」

 この時、僕は決意を込めて家田さんを見つめた。
「ん?」
 家田さんは本から目を離し、この日初めて僕を見た。
「除籍する本の、家田さんなりの基準を一度ノートにまとめてくれませんか?」
「……」
「それが、この鳴滝町立図書館の歴史だと思うし、僕もしっかり引き継いでいきますので」
「……うん、分かったよ。それを作るからこれからは一緒に作業をしよう」
 家田さんは、少しの沈黙の後にそう言って頷いた。僕にはこの時、家田さんの目元が一瞬、緩んだ気がした。
「ありがとうございます」

 それから、出来上がったこの除籍作業における鳴滝町立図書館の基準として、僕たちの間では『家田基準』と言うものが出来上がった。
 今でも毎年、多少の修正は入れながらも、この基準は守られている。

 近々、家田さんが入院している玉井病院にお見舞いに行こうかと考えていた矢先、家田さんが、お亡くなりになったという連絡が図書館に入った。
 僕が、図書館司書を目指すきっかけになった方だし、この図書館に勤務してからも育ててくれた恩師であった。

「家田さん、ありがとうございました。安らかにお眠りください」
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