第34話 基本構想

文字数 4,770文字

 第1回のワークショップでは、新しい図書館への要望として、いろいろな意見が参加した町民から出された。しかし、準備室での事前の打ち合わせの中で、参加者から出された意見は、全て一旦持ち帰って検討する事にしていたので、鳴滝町側からの反論はなく終了した。
 ただ、出された意見は、新図書館建設準備室内であらかじめ考えていたものと違う部分も多く、次回以降は難しい事になるのは間違いなかった。

 翌日、役場の2階の会議室で行われる準備室の会議に僕も参加した。僕が来た時には、18人分の席がある中会議室には生涯学習部の森下部長と準備室の加藤室長の他に準備室のメンバー5人が座っていた。
「この予約本コーナーも難しいなあ。いくら図書館を便利にするって言っても」
「業者さんに訊いたら数千万円するらしいですよ。これが資料です」
 小森君は、そう言って予約コーナーの提案資料を森下部長の前に置いた。
「高いな」
 森下部長は資料を手に取り、見積もり金額を見ながら眉をひそめた。

「まあ、その前にICタグを導入するかどうかを考えなくてはいけないですよ」
 加藤室長が森下部長を見て言った。
「ICタグ、そうかそんなのもあったな。小森君、悪いけどもう一度ICタグについて説明してくれないかな。新しいメンバーもいるし」
「あ……っ、じゃあちょっとお待ちください。資料コピーしてきます」
 森下部長に依頼されると、小森君はそう言って中会議室を出て行った。
「ICタグはあれば便利だろうけど、初期費用が掛かり過ぎるんだよ。20万冊分だと家が建つくらいだよな」
「ええ、まあそうですね。でも、森下部長。盗難防止みたいなICタグ対応の周辺機器の購入なんかも考えると、新しい図書館が出来るここでやっとかないと、後の導入は難しいと思いますね」
 加藤室長がそう言うと「そうか……」と森部長は腕を組んだ。
 そして、小森君が全員分の資料をコピーして戻ってきた。

「では、説明しますね。今まで本に貼ってるバーコードですと1冊ずつでしか読み取れませんでした。それに比べてICタグ……RFタグともいうんですが、複数冊同時に情報を読み取れて、しかもある程度離れた距離からも読み取り可能なんです。その為、業務効率を高めて、待ち時間の短縮などのサービスの向上も図れると。最近ではバーコードからICタグに切り替える公共図書館はどんどん増えています。そして、このICタグとそれに対応する周辺機器などを含めたシステムの総称をRFIDと言います」

「うん、小森君ありがとう。……で、長谷川君はどう思う?」
 森下部長は、僕に意見を求めた。
「色々便利になるのは良いことだと思います。ただ、利用者が使いこなせないようだと問題だと思うんです。都心と違って、ここは子供や老人が多いですし。昨日も来館した老人が、大崎町みたいなパソコンと機械だらけの図書館はやめてくれって言ってました」
 僕がそう言うと、加藤室長も深く頷いた。

「老人にとっては、そうだろうな。ところで、小森君。次のワークショップは、弓削さん参加するんだよな」
 加藤室長がそう言うと小森君を見た。
「ええ、そうですね。自分で考えた基本構想案発表したいから、時間欲しいって言ってましたね」
「発表する前に、すり合せしといたほうがいいんじゃないか?」
「そう言ったんですけどね、時間の都合が合わないからって」
「ふう……、どうするかね。都内の有名大学の附属図書館に長年勤めてて、司書で本まで出版してるような人だからな。意見は聞かなくちゃいけないだろうけど、あんまり方向性が違ってても、まずいよな」


 ……そして1ヶ月後、第2回目のワークショップが、前回と同じ町民コミュニティセンターのイベント会場で始まった。この日は、基本構想・基本計画の作成を依頼しているMH総合企画の安井課長の説明の後に、弓削さんの時間となった。
「えー、私は一昨年まで大学の図書館に勤めておりまして、今でも嘱託職員として働いております。その中で、私の経験を元に今回、新図書館の基本構想の案を作ってきました」

 それから弓削さんは12ページの自分で作成した基本構想案を説明した。
「……弓削さん、ありがとうございました。これから、前回のご意見と今回の弓削さんの案を参考にしまして、次回のワークショップで、議論を深めたいと思いますのでよろしくお願いします。
 加藤室長の挨拶でワークショップが終わると、帰り支度をしている弓削さんに小森君が声をかけた。「すいません、弓削さん」
「はい」
「ちょっと、今日時間ございませんか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「申し訳ございませんが、役場の方にご足労お願いできませんか? うちの加藤がお話を伺いたいと申しておりまして……」
 弓削さんは、少し怪訝な顔をした後に「いいですよ、では後程」と、微笑みながら言って会場を出ていった。

 間もなくして、弓削さんは庁舎2階にある会議室に案内され、加藤室長と佐野主幹が話す事になった。
 その間、僕は小森君と新図書館準備室の座席に座って話をしていた。
「佐野主幹が同席するくらいなら、長谷川さんの方がいいと思いますけどね。どうせ、佐野さん何にもしゃべらないだろうから」
「だめだよ、そんな事言っちゃ」
「すいません。まあ、でもここで弓削さんと話をつけないと前に進まないですよね」
「うん、話をつけるというか、納得してもらわないとね、こちらの立場を」

「長谷川さん」
 僕を呼ぶ声が聞こえたので振り返ると、来客用のカウンターの前に立っていたのは、ハイヒールにスーツをしっかりと着こなした吉岡さんだった。
「お久しぶりです」
 僕が席を立つと、彼女はそう言って丁寧にお辞儀をした。
「もう、すっかりキャリアウーマンだね」
「ふふ、ありがと」
「どうしたの? 今日は」
「あちらの小森さんに見積書をお持ちしたの」
「ああ、そうかそうか」
 すると、小森君が僕たちを不思議そうに見ながら近づいてきた。
「すいません、小森さん。こちらが見積書になります」
「ああ、ありがとうございます。内容を見て分からない事あったら、後でメールします」
「はい、よろしくお願いいたします」
 そう言って吉岡さんは小森君にお辞儀した。
「じゃあ、長谷川館長代理もまたよろしくお願いします」
「うん、またね」

「吉岡さんをご存じなんですか?」
 吉岡さんの後姿を見ながら、小森君が不思議そうな顔をしていた。
「うん、前にここの図書館で勤めてたんだ。町の職員としてね」
「へえ……、知らなかったな。今、いろいろと予算用の見積もりを頼んでる業者の方ですよ」
「うん」
「そうなら、そうと言えばいいのにね。営業的に効果あるかもしれないのに」
「彼女はそういう人なんだよ。まあ……、勤めてる会社はそうしてもらいたいんだろうけどね」
「ですよね」

「――長谷川館長代理、会議室で加藤室長がお呼びです」
 すると、内線電話を受けた事務の鈴木さんが、僕に言った。
「え……っ、はい、じゃあ行きます」
「いよいよ、ピンチっぽいっすね。長谷川さん、頑張ってください」
「う、……うん」

 そして、僕が薄暗い廊下を歩いて会議室の扉の前に立つと、語気を強めた声が聞こえてきた。扉をノックすると、中から「どうぞ」と加藤室長の声が聞こえたので、緊張しながら扉のノブを回して部屋の中へ入った。
「失礼します」
「長谷川君、悪いね」
 僕が会議室に入ると、加藤室長はほっとしたように微笑みながら、右手を軽く上げた。
「弓削さん、彼は鳴滝町立図書館の館長代理の長谷川です」
「長谷川……? ああ、あなたが長谷川さんでしたか」
「あっ、はい。……以前、どこかでお会いしてますか?」
「いえ……」
 弓削さんは、僕の名前を聞いた時、一瞬優しい目つきになった気がしたが、すぐに目を逸らした。

「本来は、今の図書館の実質的な責任者という事でやってもらってるんですが、やはり新しい図書館の計画でも彼の経験が必要だという事で、最近ではこちらの方にも参加してもらってるんです」
「ああ、そうですか。それはいい事ですね、やはり実際現場に立ってる人間の意見は必要ですよ」
 僕は、この時弓削さんの言葉に嫌味を感じた。おそらく現場の意見というものに自分も含まれてるんだろうな、と思った。
「ええ、そうですね」

 そして、軽く咳ばらいを二度すると、加藤館長は表情を引き締めて説明を始めた。
「……それで、さきほどの話ですが、開架の冊数を増やしたり、ラーニングコモンズのような共同学習するにはスペースの確保が必要です。しかし、今の候補地ですと、どこも全然スペースが足りてないんですよ」
「でもね、1冊でも多く本は開架に出して、利用者に見てもらうほうが良いと思うんです。ラーニングコモンズだって、今の大学の図書館だと主流ですよ」
「大学の図書館とは違いますよ、公共の図書館は」

 どうやら、この二人の言い合いはしばらく前からずっと続いているようであった。加藤室長の隣にいる佐野主幹は、ずっと下を向いて黙っている。この様子から、おそらく佐野主幹の援助が期待できず、僕が呼ばれたという事であろう。

「どう思う? 長谷川君」
 早速、加藤室長は僕を見て意見を求めた。
「はい。確かに、少しでも多くの本を開架に並べたり、ラーニングコモンズのような学生たちが学び合いをするようなスペースは理想だと思います。しかし、それにはかなり広い場所が必要になりますので、今の段階だと、少しでも確保できるように努力するとしか、言えないんじゃないかと思います」
「うん、そうだな。……じゃあ弓削さん、開架の冊数はご希望の現状の5割増は難しいとして、増やす努力はしていきます。しかし、基本計画にはその数字は書けません。出来なかった時に責任問題になりますからね」
「役人は、ほんと責任取るのを嫌がりますね」
「それは言い過ぎじゃないですか、弓削さん。高い目標値を出しちゃうと後の修正が大変だという事です。町長が公式に発表するものですからね」
「はい、はい。……それにしても、あなた方がどれだけ良い図書館を作ろうと思ってるのか疑問ですね。こちらの佐野さんも、申し訳ないけどやる気があるようには思えない。箱物作っとけば、町民は満足するだろうくらいにしか思ってないような気がするんです」
「いや、我々も一生懸命考えてるんですよ」
「しかし、基本構想からすでに業者に任せちゃって……」
「我々が、足りない専門知識を補うために業者に任せるのは当たり前の事です。ただ、決定していくのは我々ですし、町民の意見は最大限尊重します」
「ふん、まあいいです。ただ、出来る限り増やす方向で検討してください」
「分かりました。これから立地が決まれば、建物の基本設計と実施設計の会社も選定していきますので、その中で検討していきます」

「まあ……、色々厳しいことを言ったが、私もこの先、死ぬまで利用させて貰うつもりの図書館です。少しでも良い図書館になればと思っての事なのでお許し下さい」
 最後は、弓削さんは優しい口調になって頭を下げた。
「いえ、こちらも貴重なご意見ありがとうございました」

 弓削さんが帰った会議室では、加藤室長と佐野主幹と僕が残った。
「ふう……。それにしても佐野君、もう少ししっかりしてくれよ」
 加藤室長はそう言うと、佐野主幹を見て微笑んだ。
「あ……っ、はい。すいません」

「ありがと……な、長谷……」
 加藤室長が、そう言って立ち上がった瞬間、彼は突然前のめりに倒れた。
「加藤室長どうしたんですか? 加藤室長」
 僕は、慌てて彼に近づいて様子を見ると気を失っている。
「佐野主幹。すいません、室長の応急処置をよろしくお願いします。僕は救急呼んできます」
「あ……っ、はい。分かりました」

 僕は急いで会議室を飛び出すと、薄暗い廊下を走っていった。
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