第18話 年が明けると

文字数 2,777文字

 年が明けると、1月4日から鳴滝町立図書館は通常通り開館した。新年初日の今日は、図書館の職員全員が早番の時間に出勤して開館の準備をする。
 僕は、館内に鏡餅を置くと、年末から飾ってあるお正月飾りの門松、しめ縄を確認する為に正面玄関に向かった。他の人も連休中に溜まった返却本の処理や、今日行われるイベントの準備に忙しく働いている。

 そして9時になり、僕はいつものように自動ドアを開けようとロックを外す準備をしていると、並んでいる近所の知り合いの老人たちの元気な会話が聞こえてくる。
「やあ、村中さん。おめでとう」
「ああ、おめでとう。今年も歳越せたね」
「はは、なんとかね」
「そういや、紅白どっちが勝った?」
「赤組だな」
「そうか、そうか。あの司会やってたの綾瀬はるかだっけか。あの娘かわいいな」
「やすさん、まだまだ若いねえ。歌手より、そっちばかり見てたのか」
「かみさん亡くなったら、20歳若返ったわ」
「あはは」

 僕は、そんな光景を微笑ましく見ながら、ロックを外してドアを開けた。
「新年あけましておめでとうございます。鳴滝町立図書館、平成28年開館します」
 そう言って挨拶すると、僕はそのまま正面玄関の脇に立った。そして、今日もいつものように来館者を迎える。

 まだ学校も休みなので、朝早くから小学生や、中学生の姿も見える。今日から学校が始まる6日までの3日間、図書館では百人一首や、独楽回しなどの正月向けのイベントをボランティアの老人の方がやっているからだ。
 これは、数年前に田中副館長が自ら企画したもので、講師役を知り合いの老人に頼む事から全て彼がやっていた。今では役場からの予算も付けて貰える立派な恒例行事になっている。
 そして、昼からのメインイベントとして、ミニステージで田中副館長のお正月バージョンの紙芝居イベントを行う予定にしていた。

 僕が玄関に立っていると、いつも来る見慣れた老人が、今日は男の子に手を引かれてやってきた。
「おめでとうございます。けんさん、お孫さんですか?」
「うん、ちょうど東京に住んでる息子が、家族連れて帰ってきてるからな。孫が、本読みたいって言うから連れてきた」
「そうですか。あ……っ、今日はお子さん用に動物の絵が描かれたしおりを配ってますので、よければ貰ってください。カウンターの横に置いてあります」
「おお、それは孫も喜ぶわ」
「後、昼からの独楽回しの講師お願いしますね」
「オッケー、オッケー。任せといて」 
 そう言いながら老人は、子供に手を引かれて入っていった。

 そして事務室に戻ると、早朝から役場での仕事始めの式に出席していた吉田館長と田中副館長が戻ってきた。そして、そのまま吉田館長の年始の挨拶を聞く為、カウンター業務をしているパート以外の職員は、事務室の隣のミーティング室に集合した。

「今年は、図書館も色々変わる年ですので、気持ちも落ち着かない事もあるかと思いますけど、みんなでがんばっていきましょう」
 吉田館長の後には、田中副館長が挨拶をした。
「私事だけど、今年3月で一応定年となります。職員としては残り3カ月となりましたが、元気よくやっていきますのでよろしくね」
「一応って……、まだやる気満々だね」
 僕の隣にいた吉岡さんが横田さんに耳打ちすると、彼は口元に笑みを浮かべている。

 そして、僕はいつも通り正午からカウンター業務をして、午後1時からの休憩時間に昼食を食べていると、隣で食べていた田中副館長が話しかけてきた。
「今日は、昼からの紙芝居は人多そうだね」   
「そうですね、午前中も開始時間の問い合わせが数件あったみたいですしね」
「ほお、それは困ったなあ」
「困ったような顔になってませんよ、副館長」 
 吉岡さんが、薄笑いをしながら言った。
「ははは、吉岡さんにはかなわんな」
「……さて、じゃあ準備するかな」
 そう言って、弁当を片付けると、田中副館長は隣の作業室へと入っていった。

 こうして、この日の午後から行われた田中副館長の紙芝居は、大盛況のうちに終わった。桃山幼稚園の園児たちも今日は、両親や祖父母と一緒に来て楽しんでいた。
 紙芝居が始まる頃に、京子さんが間野部長と一緒に図書館にやってきたので、パートの間では、にわかにざわついていたようであったが、僕は無視して紙芝居の準備をしていた。京子さんも僕に気を使って、園児たちの両親に簡単に挨拶をすると、すぐに帰っていった。この時、僕は間野部長に年始の挨拶をしたが、その様子を見る限り、京子さんとの関係にはまだ、気づいていないようであった。

「いやー、盛り上がってましたね。さすが集客力ありますね」
 この日の夕方、横田さんがそう言うと、田中副館長は満更でもない様子で言った。
「今日は、うちの孫も来てたからね。ちょっと気合が入ったよ」
「お孫さんにも、いいとこ見せれて良かったですね」
 僕がそう言うと、田中副館長は嬉しそうに頷いた。


 正月のイベントも終わると、その後何事も無く1月は過ぎてゆき、すでに1月29日の金曜日になっていた。この日、僕と田中副館長が、休憩室で昼食の弁当を食べていると、昼過ぎから本庁に呼ばれていた吉田館長が戻ってきた。
 僕は午前中に頼まれていた事の報告があったので、昼食の手を止めて事務室に行くと、吉田館長の目は充血していて、いつもと様子が違っていた。
「館長、何かあったんですか?」
「あっ、ああ……。うん」
 そう言って、吉田館長は曖昧な返事をして、自分の机に座った。

「何か、良からぬ事が起こったみたいだね」
 僕が、吉田館長に報告を終えて休憩室に戻ると、田中副館長が小声で僕にささやいた。
「……そうですね」
 そして休憩が終わり、僕が休憩室から出てくると、事務室から吉田館長が言った。
「田中さん、ちょっとそのまま休憩室で待っててもらえる。話があるから」
「あっ、……はい」
 そして、僕はこの日、午後からの大村公民館図書室移転の打ち合わせの為外出した。

 夕方、僕が大村公民館の図書室で、朝から作業をしていた吉岡さんを車に乗せて戻ってくると、事務室には重い空気が漂っていた。
「なんかあったんですか?」
 吉岡さんが、田中副館長に小声で尋ねると「う、……うん」と、彼は曖昧に応えた。
「長谷川君、悪いんだけど……、パートさん全員集まってもらうから、日下部さんとカウンターを代わってもらえる?」
 吉田館長が、僕に頼んだ時の表情はいつもと違っていた。
「はい、分かりました」
 僕が階段を上がっていく時、すれ違った吉岡さんを見ると彼女も心配そうな顔をしていた。

 この時、僕はもう気づいていた。いよいよ図書館の業務委託の計画が動き出した事を。そして、カウンターを日下部さんと代わり、夕方の時間の混雑した業務をこなしながら、地下1階で行われている吉田館長の報告の様子が気になっていた。
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