第1話 鳴滝町立図書館の朝

文字数 1,624文字

 埼玉県の北部、北葛飾郡にある人口4万6千人の鳴滝町の中心部、鳴滝町役場の裏の小高い丘の上にある地下1階地上2階の鳴滝町立図書館。築40年を過ぎた、赤いレンガ造りの建物である。図書館までは並木道になっていて、春の一時期は綺麗な桜が咲いている。
 5年前、僕は鳴滝町に職員として採用されてから、図書館司書としてこの図書館に勤務している。

「皆さん、おはようございます」

 2015年6月9日、僕は朝礼当番として挨拶をしていた。今朝のニュースでは、今日から梅雨入りしたとアナウンサーは話していたが、窓から外を見ると雲1つない快晴であった。
「今日は、早番が僕と田中副館長。パートは馬場さん、浅田さん、島田さんにお手伝いをお願いします」
 この図書館では、早番は午前8時から午後5時まで、遅番が午前11時から午後8時までの勤務となっている。

「今日は2時から1階の児童コーナーで桃山保育園の園児12名に紙芝居の読み聞かせがあります。紙芝居舞台は僕が用意しますので、紙芝居が始まる前に読み聞かせスペースに利用者がいたら他の場所に移ってもらってください」

「――あっ、桃山保育園ってことは、京子ちゃん来るね」

 浅田さんが隣の馬場さんにささやいた。
「……浅田さん」と僕は苦笑いをしながら彼女を見た。
「あら、ごめんなさい」
 彼女が大げさな様子で謝ると、周りの人からクスクスと笑い声が起きた。
「では、開館準備に取り掛かってください」

「で、今日は京子ちゃん来るの?」
 朝礼が終わると、早速田中副館長がそう言って僕に近づいてきた。
「知りませんよ。付き合っている訳でもないですし」
 僕がそう言って、冷たくあしらうと「へへっ」と意味ありげな笑みを浮かべ、彼は新聞の整理に向かっていった。
 なんだよ、あの笑い方――僕はみんなの視線を気にしながらの今日一日を思うと、少し気を重くしながら1階への階段を上がっていった。

 図書館の朝の準備は忙しい。まず、1階にあるブラウジングコーナーの8紙ある新聞の朝刊の差し替え、そして古くなった新聞を1週間、1か月といった単位でファイリングを行う。その日の新聞は、すぐ取りだしやすいようにブラウジングコーナーにある新聞用の棚に並べる。朝の新聞は大人気で、もう9時になるのを今や遅しと外で並んでいる人がいるくらいだ。
 そして、パソコンの図書館システムを立ち上げ、引き継ぎ事項の確認や、昨日の夜に閉館してから返却用ポストに入っている本の取りだしをして返却処理をする。そして、処理された本を書架に戻す作業をする。

 今日も、みんな忙しそうに朝の開館準備をしている。天気が悪そうな時は倉庫から傘立てを持ってきて玄関に置く。そこまで終わると、大体もう9時近くになっていた。そして一通りの準備が終わると、僕はいつものように玄関の自動ドアを開けにいく。

 閉館中の看板を裏返して開館に変え、そして自動ドアのロックを外す準備をしていると、大抵は並んでいる近所の知り合いの老人に声をかけられる。
「おはよう、洋ちゃん」
 今日も、にこにこしながら茶色いニット帽を被った老人が近づいてきた。
「おはよう、加藤さん」
「そういや、昨日長谷川のじいさんにホームセンターであったぞ」
「ああ、何か庭にベンチを作るって言ってから、その材料を買いに行ってたかも知れませんね」
「相変わらず元気だな。まだゲートボールも現役審判だしな」
「そうですね、じゃあ開館しますね」

 僕が自動ドアのロックを外すとドアがゆっくりと左右に開き始める。
「よっしゃ。今日は1番乗りだから、読売新聞読めそうだな」
「走らないくださいよ」
 僕が加藤さんに声をかけると「はい、はい」と言いながらも、彼は小走りでブラウジングコーナーへと向かっていった。僕はその姿を見ながら、やれやれと苦笑いした。
 そして、そのまま玄関に立ち、入館する利用者に朝の挨拶をしながら出迎えるのが、僕の日課である。

 こうして、今日も鳴滝町立図書館は開館をする。



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