第33話 ワークショップ

文字数 1,825文字

 夏の暑さも和らいできた9月中旬のある日、僕は昼の休憩時間に近藤さんと昼食を食べていた。
「長谷川さんの弁当はいつ見ても豪華ですね。京子さんの愛情を感じるなあ。毎朝わざわざ家まで届けに来るんでしょ」
「うん」
「いよいよ、結婚ですね」
「いや、まだこれから結納だよ」
「いいなあ、幸せそうだ。なっ、園部さん」
 近藤さんは、ちょうど休憩室に入ってきた園部さんに言った。
「ですね。でも、既に結婚してるうちの方が弁当貧相なのは納得できませんけどね」
「ははは、聖子ちゃんに言っちゃうぞ。そんな事言ってると」
「やめてくださいよ。弁当作ってくれなくなっちゃう」
「へえ……、聖子さんって言うんだね、園部さんの奥さん」
「元々、前の図書館で一緒に勤務してたんです」
「ああ、職場結婚でしたか」
「ええ」
「あっ、カウンター代わらなきゃ」
 そう言って、近藤さんは自分の弁当を片付けると小走りで休憩室を出て階段を上がっていった。

「……さてと、じゃあ、僕も新図書館の基本構想とワークショップの打ち合わせがあるから、役場の準備室へ行ってくるね」
「そうか、今週はワークショップでしたか。色々たくさん意見言う人もいるんでしょ。前に勤めてた市の図書館計画の時に、興味本位で参加しましたけど、市民が何人か興奮しちゃって大変そうでしたよ」
「まあね、ただ新図書館計画のワークショップってのは、活発な意見を住民に言ってもらって反映させていく場だからさ」
「まあ、最近の傾向だし、しょうがないですかね」
「うん。僕は後ろで話聞いてるだけだからいいけど、進行役の加藤室長は大変だよね。さてと……、じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」

 図書館準備室の隣にある打ち合わせ室では、すでに加藤室長が準備室のメンバーと話をしていた。
「小森君、弓削さんは都内の大学の図書館にいたんだよな」
「ええ、定年前の最後は閲覧課長だったって言ってましたね」
「そうか。こないだ弓削さん、基本構想の案を作ったからって持ってきてたよな」
「はい、ワークショップでコピーして配布してくれって言ってました」
「そうか……、長谷川君には渡してくれたの?」
「ええ、お渡ししてあります」

「こんにちは」
「おっ、長谷川君。こないだの弓削さんの基本構想案、目通してくれた?」
「あっ、はい」
「内容的にはどうなの? うちで作ったのと比べて」
「それが、何件か問題ありますね」
「やっぱりか……、どんな問題があるの?」
「閉架書庫はなるべく減らして、本は利用者が手に取りやすいように開架に並べるとか。みんなが集まって共同研究するオープンなスペースを設ける。あとは、館内で飲食するスペースが必要」
「なるほどな、大学の附属図書館にあるようなスペースだな。斬新だけど、公共の図書館はちょっと違うからなあ」
「そうですね」

 それから二日後、新図書館建設のためのワークショップは鳴滝町の役場から歩いて3分程の場所にある町民コミュニティセンターのイベント会場で行われていた。
「今回から数回行われるワークショップで、皆さんの思いをもとに、魅力ある図書館を作っていきたいと考えておりますので、奇譚のないご意見をお聞かせ下さい」
 30人ほどの町民を前に、いつもの加藤室長とは様子が違う、にこやかで優しい声の挨拶からワークショップは始まり、役場側の担当者と基本構想の作成を依頼している業者の簡単な紹介や趣旨説明などを終えると、早速、最前列に座っていた老人から声が上がった。

「普通、基本構想なんてのは作る前に町民の話を聞くもんじゃないのかね」
「ええ、すいません。ただ、時間的な制約もありますので、まずはこちら側で最低限の部分をお示ししてから、皆さんのご意見を伺うという事でございます」
 加藤室長が、丁寧に返答した。
「それでも町民の税金で建てるわけだから、どんどん意見を取り入れてもらわないと」
 老人の隣に座っていた中年の男性も同調するかのように発言した。
「ええ、もちろんです。ただ、ある程度予算や場所など決まった範囲でやっていかなくてはいけない部分もございますので」

 僕の隣に座っていた準備室の小森君が耳元で囁いた。
「あれは、室長も一応想定していた発言ですね」
「そうだね」
「それにしても、今日はなかなか厳しい一日になりそうですね」
「いや、今日だけじゃなくて、これからしばらく続くよ」

 この時、僕は窓の外から見える大ケヤキが、降り出した雨に濡れ始めているのを横目で見ながら、憂鬱な気分になっていた。
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