第7話 家族に

文字数 1,423文字

 田には高々と稲が干してあり、あいかわらずのんびりした様子で飛びかうトンボが、その上で羽を光らせていた。それを見ると胸がすっと冷めて、鳥彦は弱々しくため息をつくと(あぜ)に腰を降ろした。そばに生えていた狐花をおり取って、その丸い茎をぽきぽきと折って首飾りのように作ると、それを頭にかけてはしゃいでいた妹の事が思い起こされた。

 前の秋は、確かにあの井ノ原にある古びた家にいて、猿麻呂ではなく父や兄弟たちと稲を刈った。見事に実の入った稲穂を見て父は満足げに神様へ頭を下げていた。

 今年はどうなっただろうかと思うと、腹がきゅっと縮み上がる心持ちがした。

 鳥彦は、井ノ原の里に豊作をもたらす神に請われたにもかかわらず、恐ろしくて猿麻呂と一緒に逃げ出してしまった。猿麻呂はあんなものは神ではないと言ったが、本当のところどうなのか、鳥彦にはわからない。里の稲穂が空の籾(しいな)ばかりであったなら、それはきっと自分のせいだと鳥彦は思った。


「おや、鳥彦」
 顔を上げると向、かいの(あぜ)にソラシが立っていた。
 鳥彦が頭を下げると、ソラシは嬉しそうに笑い、鳥彦の方へぐるりと畦を回ってきた。

「おひとりかね」
 鳥彦がこくとうなずくと、ソラシは隣に腰かけた。
「本当にお前さんたちのおかげで今年は助かった。去年息子が()うなって、どうなることかと思うておったが」
 鳥彦が思わずふり返ると、ソラシは少し淋しそうな笑い方をした。
「ちょうどお前さんくらいの子じゃった。人が死ぬるのは、まことににあっけないものよ。昨日までは動いておったと思うのに、もうそれ以上動かぬ。親より先に死ぬるなぞ、親不孝もはなはだしい。お前も親より先にこの世を去ってはならぬぞ」
「俺は大丈夫。俺の両親はもう疫病(えやみ)で亡くなりました」
 ソラシはそうかそうかと言って鳥彦の頭をなでた。
「それはつらかったろう。しかしもう大丈夫じゃ」そう言ってソラシはまたにこりと笑う。「これからはわしがお前の親になってやるで安心せい」
 鳥彦は一瞬驚いたような顔をしたが、ありがとうございますと頭を下げた。
「でも俺たちはまたすぐ他へ移るので、次いつ会えるか」
 鳥彦が困ったように言うと、ソラシは笑んだまま首をふった。

「お前は行かぬでも良い。ここに留まってわしの子におなり」

 ソラシの言葉に鳥彦は目を丸くした。突然のことに言葉が出なかった。

「驚いたかね。昨日、猿麻呂殿と話して決まったのだよ。お前のためにもそうした方が良いと」
 一気に体の温みがすべり落ちた。頭がぐるぐるうなってうまく働かない。今ソラシは何と言ったのか。

「戻らないと」
 鳥彦が立ち上がりかけると、ソラシが袖をつかんで引き戻した。

「もう戻らぬでも良い。猿麻呂殿とはもう話がついておるのじゃ」
「うそだ」
「うそじゃあない。各地をさまようのはお前のためにはならぬ。散楽なぞやらぬでも、ここでわしと田を耕せば良い。猿麻呂殿もそのように申された。さあ、わしの家においで」
「……戻って確かめてくる」
「わからぬ奴だな。猿麻呂殿にはもう礼をしたのだ。戻ってもどうせお前のおるところはない」

 額がすっと冷たくなる。

「放せ!」
 鳥彦は袖をつかんでいるソラシの手をふりはらうと、一気に駆けだした。

「鳥彦! 戻れ!」
 ソラシの声が追ってくるがかまわず駆けた。


 そんなひどい話があってなるものか。とにかく猿麻呂に会って確かめなければならない。でも、もしも……と考えかけたが、あわてて頭をふって不吉な思いをふりはらう。
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