第15話 小鳥の舞

文字数 1,479文字

「っくしょい!」

 大げさなくしゃみをする猿麻呂に、鳥彦が冷たい視線を送る。

「何だよ。お前はぬれてもいないくせに」
「阿呆。誰かが俺のことを褒め称えているんだよ」

 そしられているの間違いだろう、と鳥彦は火にかざしていた衣を裏返す。その目の前にはふてくされた様子の童が二人、同じようにぬれた衣をたき火にかざしている。

「いきなり川に放り込むなんて、信じられない」
 童の一人がぶつぶつ言うと猿麻呂はわざとらしく顔をしかめる。
「阿呆。うちの大事な舞手(まいて)に石を投げたろう。それぐらい当然だね」
「俺は川へ投げられるようなことはしていないぞ」
 鳥彦が腹立たしげに言うと猿麻呂は「きれいになったろう」などと相変わらずである。

「舞手?」
 童たちの視線が鳥彦に移る。髪は先ほどの騒ぎで乱れ、()えているというわけではないが、やせっぽちであばらが浮いて出ているし背もそう高くはない。どうしてもひ弱な印象を与えてしまうのは否めない。

「こいつがか?」

 いかにも馬鹿にしたような童の口ぶりに、鳥彦はぷいとそっぽを向く。

「そうとも。まだ数は少ないがなかなか見事に舞うぞ」言ってみるも(いぶか)しげな目をしている童に猿麻呂はまたひと笑いする。「さもあろう。まだほんの童だからなぁ。どれ、猿麻呂様が特別に笛を奏じてやろう。鳥彦、一差(ひとさ)し舞ってやれ」

「どうして」
 鳥彦はこれ以上ないというほど嫌そうな顔をした。あれほど馬鹿にした童のために舞う必要がどこにある、とその目が言っている。それにぬれた衣を着るのも裸で舞うのもごめんである。

「良いから。ほら、これを貸してやる」

 言いながら猿麻呂は着ていた直垂(ひたたれ)を脱いで(ひとえ)になると、脱いだ衣を鳥彦に着せつけた。なおも鳥彦は仏頂面で抵抗したが、猿麻呂が本当に笛を取りだしたので、しまいには不承不承、彼の差し出す(かわほり)を受け取った。先ほど猿麻呂が何でもないように「なかなか見事に舞う」と言ったことが、少なからず鳥彦の気持ちをほぐしていた。



 ちらりり ちらはあ ちいらり
 りらはあ たらちやら あたりり
 とりひい ちらりひ



 軽やかな笛の音とともに鳥彦もまた軽やかに舞う。

 猿麻呂がいつもやるような滑稽(こっけい)なものではなく、謡のない美しい舞である。
 常にはない緩やかさで腰を落とし、あるいはくるりと回り、腕を持ち上げたかと思えばそこに目印でもあるかのように微妙な角度でぴたりとそれを止める。
 鞨鼓(かっこ)の拍子もないのでやりにくかったが、ちらと目をやると童たちがぽかんと口を開けているのがわかった。

 鳥彦が動きを止め、名残惜しそうに笛が最後の音を吹き終わる。


「どうだ。なかなか見事だろう」
 猿麻呂がにっと誇らしげに歯を見せると、童たちは素直にうなずいた。その様子が、初めて猿麻呂が舞を見せてやった時の鳥彦によく似ていた。

「お前本当に舞えるんだな」
「こんな舞は初めて見た。他には?」
 先ほどとはうって変わり、親しげにまとわりついてくる童たちに鳥彦がたじろいでいると、こらこら、と猿麻呂が口を挟む。
「これ以上はただでは見せてやらん」
「何だ(こす)いのう」

 童が口を尖らせると猿麻呂は「なにぃ」とわざとらしく片方の眉をぐいと持ち上げた。それに少なからず嫌な予感を感じ取った童たちは少し身構える。

「もう一度川へ投げてやろうか!」

 二人はぎゃっと叫んで逃げ出し、猿麻呂はそれを追いかける。

「うわあっ。熊男に食い殺される!」
「阿呆! 俺様は猿だ!」

 その様子を呆れて見ていた鳥彦も、いつの間にか巻き込まれ大鬼ごっこが始まってしまった。そのうち捕まった童がどぼんどぼんと川へ投げ入れられ、また逃げて追われて大騒ぎである。
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