第5話 稲刈り

文字数 994文字

***

「そらそら、鳥彦。もっと景気よく刈れ」
 隣で猿麻呂が笑い、鳥彦は、うん、とくぐもった声を出して、ひたいの汗をぬぐう。それにソラシもまた笑う。

 目の前には黄金(こがね)に波打つ稲穂の海が広がり、そこへ男や女が一列に並んでふぞろいな歌声を響かせながら鎌を引く。刈り入れである。



 田中の井戸に 光れる田水葱(たなぎ)
 摘め摘め吾子女(あこめ)
 小吾子女(こあこめ) たたりらり
 田中の小吾子女



 始めはみんな黙々と手を動かしていたのだが、一節猿麻呂が口ずさむと、歌はどんどん連なってゆき、ついにそれは、この田全てに広がった。

 口を動かせばそのぶん疲れそうなものなのに、歌うと少し鎌を持つ手が軽くなるように思われるのはなぜだろう。鳥彦もみんなについて歌いながら、そんなことを考えていた。

 鳥彦らが刈っているのはソラシの田で、世話になった礼にと、猿麻呂が刈り入れの手伝いを申し入れたのである。
 (あぜ)には赤い狐花(きつねばな)(彼岸花)がぽつぽつと咲き、少しかたむいて黄みを増した日が稲穂をさらに輝かせている。その上をきらきらとトンボが飛びかうのをちらと目で追い、鳥彦は何となく古里のことを思い出していた。



 日が地に落ちかけて手を置くと、汗をぬぐいながらソラシが猿麻呂に頭を下げた。

「いや、本当にご苦労でございました」
「なんのなんの。これしきのことで疲れを見せるようでは俳優(わざおぎ)は務まらぬよ。なあ、鳥彦」
 猿麻呂が、足下でうずくまっている鳥彦の頭をがしがしとなでると、鳥彦は迷惑そうに「うん」と言った。もう手も足もくたくたで、どこでも良いから早く寝転がってしまいたい、と言うのが真情のようである。

「お前さんたちのおかげで、今年は早くに終われるよ。わしのところはかかあと年寄りしかおらぬもので、春も周りに苦労かけたでなあ。鳥彦もよう働いてくれた。礼にまた柿でももってこよう」
「いや、お気遣いなく。鳥彦、先に小屋へ戻って良いぞ」
 それを聞くと鳥彦はやれやれというように息をつき、ソラシに頭を下げると、小屋の方へ向かっていた竹彦のところへ、のろのろと歩いていった。


「本当にかわいい子じゃ。あまり似てはおらぬが、お前さんの子かね」
 ソラシが言うと猿麻呂は、いや、と曖昧に笑った。

「やはりそうかね」と言って少し考えるような顔をし、ふとその赤い顔を正して猿麻呂に向き直った。「ひとつ聞いてもらえぬじゃろうか」

 猿麻呂は、その思いつめたような表情に眉を上げた。
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