第3話 あめひとぶり

文字数 1,242文字

「柿とあけびと、どっちが良い?」
 声に目を開くと鳥彦の顔があった。

「柿」
 猿麻呂がなかばうめくように言うと、鳥彦が干し柿を差し出した。それを受け取り、のろのろと体を起こすと、あくびが口をついて出た。

「ソラシ殿がくれたんだよ。あの人は良い人だな」
「……お前、食い物をもらったからと言って、ほろほろ付いていくんじゃないぞ」
「何を言っているんだ。ソラシ殿は良い人だよ。猿麻呂みたいに大声を出さないし、人を枕にもしないしな」

 猿麻呂はふんと鼻を鳴らすと、干し柿をかじる。

「お、ずいぶん甘いな」
「このあけびも甘いぞ」
「ああ、また冬が来るな」
「当たり前だ。秋が来れば冬も来るさ」
「おい、冬はなかなか厳しいぞ。今回みたいな小屋でも見あたらなければ、風が吹こうが雪が降ろうが、あの天幕(あげはり)の中で過ごさなければならんのだぞ」
「平気だよ。それぐらい」
「言ったな。凍えそうになっても泣き言を言うなよ。いくら刀自が……」

 急に言葉を切った猿麻呂を鳥彦が見上げると、妙に険しい顔をしていた。視線の先をたどると川縁を歩く家族連れが目に入った。

「何? 知っているのか?」
「いや、あれは勾引(かどわかし)だ」

 えっ、と鳥彦は家族連れをふり返る。よく目をこらしてみるが、やはり遠目には家族にしか見えない。

「家族に見えぬでもないが違うな。童や女を売るためにいろんなところからさらったり買ったりして引き連れているんだ。お前もかどわかされぬように気をつけろよ」

 そこで猿麻呂は何か思い至ったようにぽんと手を打ち、そういえば俺もお前を盗んで来たんだったなあと、またがはがはと大きな声で笑った。






「ここに舞いまするは(こまの)猿麻呂(さるまろ)。人はいざ、我が歌舞(うたまい)は散楽には(あら)ず。猿が歌舞にて猿楽と申す」
 いつもの口上(こうじょう)とともに猿麻呂の猿楽が始まる。

 もう半年ともに各地をめぐり、何度も見ているにもかかわらず、こういう時の猿麻呂の姿には、つい、働こうとする手を止められてしまう。今日はいったい何を舞うのだろう。軽業もあるのだろうか、二人舞いはやらないのか、などと思いながら鳥彦は境内を回る。
 こうして集まった観客の周りを回って、どの時にどう客が反応したか観察して後ほど猿麻呂に報告するのが、まだ舞も歌もできぬ鳥彦に与えられた仕事なのである。

 とはいえ、もう長く散楽を生業(なりわい)にしている猿麻呂には、自分がどう動けば人が笑い、どんな技を見せれば驚くのかということはよくわかっているはずで、鳥彦の仕事は体裁を整えたにすぎない。しかしそれでも鳥彦は一生懸命働いている。


 今日も境内はにぎわっており、老いも若きも男も女も、富貴(ふうき)貧賤(ひんせん)も同じく集まってわいわいとはやし立てている。

天人(あめひと)の作りし田の石田は いなゑ」
 刀自が拍子を取り、黒麻呂が謡う。

 天人振(あめひとぶり)りだ、と鳥彦は口の中でつぶやいた。固い固い石のような田を耕す翁の舞。猿麻呂が初めて鳥彦に見せてくれたのが、この天人振りだった。その時はこれを天人振りとは知らなかったが、今はそれもちゃんと知っている。それが少し鳥彦にはほこらしかった。
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