第11話 けんか

文字数 1,021文字

 家に戻ると、不機嫌そうな父の顔とぶつかった。

「お前、近頃毎日のようにどこへ行っているんだ」
「いや、あの……」
 鳥彦が言いよどむと、父は深いため息をついた。
「朝の言い付けが済んだからと言って、ふらふらと遊び回るんじゃない。他にもやることはある。まったく。十にもなってそんなこともわからんのか」
「ごめんなさい」
 鳥彦のか細い声を聞くと、父は何も言わずに家から出て行った。少し気を落としてふり返ると、やはり福麻呂(さきまろ)がにやにやと笑っている。


馬鹿彦(ばかひこ)


 いつもなら気をおさめられる鳥彦なのだが、今日は先ほど猿麻呂にからかわれたことが尾を引いていた。

「うつけ麻呂」

「何だとこの野郎!」
 福麻呂はかっと顔を赤らめると、勢いよく鳥彦に殴りかかった。その拳が鳥彦の頬を打ち、負けじと鳥彦は福麻呂の足を蹴る。それにさらに腹を立てた福麻呂は、鳥彦の痛めた右足を踏みつける。つかみ合ったまま二人は壁にぶち当たり、灯台が激しい音を立てて倒れた。

「きゃあ! 兄さまやめて!」
 ノチセが悲鳴を上げ、ソヨメが驚いて泣き始めた。

「やめろ鳥彦! 子麻呂(ねまろ)手を貸せ」
 朝麻呂が、つかみ合った二人の間に入って叫ぶ。子麻呂はしぶしぶ腰を上げると福麻呂の腕をつかむ。体格の違う二人に引きはがされ、まだ怒りのおさまらない様子ではあったが、鳥彦は腕の力を抜いた。

「馬鹿彦! お前なんかのたれ死んじまえ!」

「福麻呂!」
 朝麻呂がたしなめるように言ったところで、騒ぎを聞きつけた父があわてて戻ってきた。

「いったい何の騒ぎだ」
「けんかです」
 子麻呂がうんざりしたように言うと、父は座敷へ上がるなり、二人の頭を殴った。

(ちち)さま! 何故俺まで殴るのですか!」
「どうせお前がけしかけたんだろう」と言って父は福麻呂をにらんだが、ため息をつくと、鳥彦の頭をもう一度殴った。「お前は自分がどれだけ幸せな生活をさせてもろうておるのか、全くわかっておらん。福麻呂がお前に意地悪く言うのはいつものことだ。それしきこらえられんでどうする」

 父と目が合うと鳥彦は目に見えておびえた。

「ごめんなさい。ごめんなさい、だから……」

「わかったのなら、明日からはきっちり働け。時間が余るようなら弟の分を手伝ってやれ。いいな」


 鳥彦が何度もうなずくと、父は大きくため息をついて、再び家から出て行った。

 それを見届けると、福麻呂は何度も馬鹿彦を繰り返した。鳥彦は部屋のすみで膝を抱えると、誰にも気付かれないように声を押し殺して泣いた。
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