第8話 運

文字数 977文字

 戸籍のうえでは、夫に出された者は死んだことにでもなるのだろうが、そのおりに国に返さねばならぬ田を、そのまま家族が所有でき、なおかつその田に税はかからなくなる。日々数々の税にあえぎあえぎ暮らしている百姓にとっては大きなことであろう。

 特に今回夫となったのは、子は多くとも貧しい下戸(げこ)の子だったのだ、と郷長は言った。下戸とは、男の働き手が少なく財と呼べる物もない、貧しい家のことである。

 数年前の疫病でその家の男子が一人去り、その子はその家で五人目の男子だったため、父親は大層落胆した様子だったという。
 五人の男を無事二十一歳まで育てた父親の課役(かえき)(労務税)は免除される、というお上の取り決めがあるのである。もう少しで課役が免除される矢先の出来事だったという。

 しかし翌年、彼に好機が巡る。父親の友人夫妻がこの世を去ったのである。友には男の子が一人あり、友は命が消えるその前に、その子をその男に託した。一人残された子を育ててくれるならば、己らの田をもお前に托そう。子を引き取る者に田を引き渡してもらえるよう、郷長にもすでに通してある、と。

 そうしてその男の子は彼の家へ引き取られ、男は友の田を得た。そして、このままうまく子らが成人すれば、男の課役は免除されるはずだった。そこへハタタ神の稲穂が降ったのである。


「結局、子は去りましたが田はそのまま彼が持っております。(おそ)れ多い稲穂が降ったとはいえ、その血のつながらぬ子を夫として出し、田を失いもしなかったのですから、なかなかの強運と言えましょうなあ」
 郷長は感慨深げに言った。
「──なるほど」
 郷長はゆるやかに首をふった。
「皆そのようなものです。戸籍を(いつわ)ったり絶えた家の田を我がものとしたりと、大なり小なり(りょう)(法令)には背きまする。そうでもせねば生きてゆけぬのです。猿麻呂殿とて、そのようなものでありましょう?」

 その言葉に猿麻呂は曖昧に笑うしかなかった。流浪という方法で田は失ったが、その全ての税を免れているのである。

「ところで、男取りというのもよくあることなのでしょうか。毎年のようにあるとそのうちには女ばかりの里になりましょう」
 興味津々と言った体で猿麻呂が問うと、郷長はからからと笑った。
「毎年は困りまする。せいぜい十年二十年に一度、といったところです」

 なるほど、と猿麻呂はめずらしく苦い笑みを浮かべた。
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