第11話 麗しい女

文字数 1,753文字

「天なる雲雀(ひばり) ()()や雲雀」

 調子よく歌いながら大きな男が行くのに、(おうな)(老女)が大きくよけて行ったが、それを知ってか知らずか、猿麻呂は足取りも軽やかに道を行く。
 ふり仰いだ空は、やはり春に霞んでいたが、良く晴れている。

「寄り来や雲雀 富草(とみくさ) 富草持ちて」

 うまく事が運んだとあって、いつになくご機嫌なのである。
「用意周到、とはこのことだな」
 言いながら荷を背負い直す。しかしああも暗い中で面をかけると(めくら)同然だな、などとぶつぶつ言いながらすりむいた肘に目をやる。

 やれることはやった。後はもう里の者が考えることだ。
 もう一度空に目を向けると、すいと燕が横切った。

 その時、背後でくすくすとほのかに笑い声がした。

「ようもまあ、ぬけぬけと」

 ふり返ると、美しい女が目に留まった。猿麻呂と目が合うと女は美しく微笑した。なかなか仕立ての良い衣を(かづ)き、微笑む姿はたいそうなまめかしい。男であれば誰もが鼻の下を伸ばしそうなものだったが、猿麻呂はそれを見るなり、あからさまに嫌そうな顔をした。それに女は少しおどろいた様子で目をしばたかせた。

「なんだその顔は」
「いや、麗しい女は好きだが、経験から言って、そういうのが俺に寄って来る時は、ろくなことにならぬものだ」
 それを聞くと女はまたころころと笑い、小走りに駆けて背を向けて歩き始めた猿麻呂の脇をついてきた。
「おもしろいことを言う。確かにその通りやも知れぬ」
「ついてくるなよ」
「ほほ。そなた、なかなかうまく(あざむ)きおったな」
 先ほどまでの陽気が嘘のように、猿麻呂の背筋をひやりとしたものが伝った。
「……何の話だ」
「隠さずとも良い。全て知ってのことじゃ」
「何を見たと言うのだ。俺は急いで戻らねばならぬ。女を拾うておる暇はない」
 そう言って袖先をつまんでいた女の指を振り払うと、また女はころころと笑う。

 いったい何なんだと思いながら、猿麻呂はちらりと女に目をやる。(かづ)いた衣の奥からのぞく赤い唇が白い肌に映えて美しく、ほのかに()き物の香りが鼻先をかすめてゆく。

 どうしたものかと辺りに目をやるが、道は見える限り一本道で両脇は岩のむき出した斜面になっており横へも抜けられそうもない。

「そなたのやりようは神をないがしろにしたとしか言えぬぞ。おりもせぬ使いを(かた)って空言(そらごと)を吹き込むなど」
 猿麻呂の額に悪い汗がにじむ。
「お前、(みこ)か何かか?」
 まさか、と女はおかしそうに言う。
 いったいあの真夜中の出来事を、彼女がどうして知り得たかは謎だが、猿麻呂が闇夜にまぎれてしでかしたことを、何か知っているようである。

「男取りなど、尊いお方の仕業ではない」猿麻呂はなんだか投げやりな心持ちになって言った。「俺は無駄な祭をひとつ減らすよう仕向けただけのこと。失うばかりで特に得る物もない祭だ」
「ほほ。果たしてそうかのう。欺かれたと知れば宮主も大あわてであろうな」
「何が言いたい。あの祭をまだやりたいのか、それとも俺を皆の前に突きだして罪人にしたいのか、俺をおどして何かかすめ取ってやろうなんてことを考えているのか?」

 猿麻呂がいらいらと言うと、またしても女はころころと笑う。他人を笑わせることを生業としている猿麻呂だったが、未だかつて笑われてこれほど不愉快な思いをした覚えはない。

「どれも(いな)よ」極上の笑みを浮かべて女が言う。「昨夜はろくに眠れずにお疲れのようじゃし、ここいらで意地悪もおしまいにしてやろう」
 それはどうも、と肩に触れた女の手を払う。
「しかし、そなたもまだまだ知るべきことが多くある」
「わかったからもう井ノ原へ帰ってくれ。俺は本当に急いでいるんだ」
「まことに無礼な男だな」
「育ちが悪いものでな」
 不機嫌そうに足を速めてゆく猿麻呂に女は、まあよい、とまた少し笑った。
「そなたのような輩が一人二人おっても良かろう。小鳥(、、)はそなたにくれてやる。花をもらうのも、まあ、悪くない」

 またわけのわらぬことを、と眉を寄せたところで猿麻呂はぎくりと歩む足を止めた。


 小鳥──?


 あわててふり返ったが、そこには遅い桜が風に花びらを舞わせるばかりで、女の姿どころか人っ子一人見あたらない。

 道は一本。脇道もなければ脇は岩のむき出した斜面。

「ええぇ……」

 くぐもった声を喉からひねり出すと、全身から冷たい汗が噴き出した。
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