第1話 舞の稽古

文字数 877文字

「違う。右が下がっている。何度言えばわかるんだ」
「こう?」
「阿呆、上げすぎだ」

 猿麻呂(さまろ)がうんざりとして言うと、鳥彦は一気にやる気をなくした様子で、両腕をだらりと下げた。
 もう昼もだいぶ過ぎていたが、今日は朝からずっとこの調子で舞の稽古をしている。

「もう疲れた。少し休もうよ」
「うるさい。ほら、さっさとやれ」
「腕が痛い、腰が痛い、腹が減った!」
「ああもう! これぐらいの稽古でわめくな。師にこれだけ偉そうに文句を言う弟子がどこの世にいるんだ!」
「だって刀自(とじ)が」
 鳥彦が口をとがらせる。
「お前でなければとっくに(こえ)だめに放り込んでいるところだ。これだから童は嫌いなんだよ」

 ぶつぶつ言いながら天を見上げると、思ったより日も動いており、思ったより時間を費やしていたようだった。

「まあ良い。少し休むか」

 それを聞くと鳥彦は「やった」と両腕を上げ、そのまま豊かに茂った草の上にあお向けにたおれこんだ。猿麻呂は小さく息をつくと、その脇へ腰を降ろして、同じようにごろんと寝そべる。その大きな頭が、うまい具合に鳥彦の腹に乗った。

「うっ。何するんだよ。重い!」
「枕は黙ってろ」
「苦しい! どけよ! 休憩にならないじゃないか!」
「ああ、空が高くなったなぁ」
「猿麻呂!」

 鳥彦を連れ帰ってから、もうすぐ半年になろうとしていた。

 自ら定めた猿麻呂律令第二条『郷に入っては郷に従うべし』に加えて第四条『子を拾うべからず』を犯し、郷のしきたりにより、捧げ物として神の待つ山へ行こうとしていた鳥彦を、勝手に連れ帰ってしまった猿麻呂は、鳥彦のことを全てまかされているのである。

 そして今日も仲良く野原で舞の稽古をしている。


「このっ」
 鳥彦は体をよじって猿麻呂の頭の下から引き出す。
「こら、逃げるな枕」
 猿麻呂が手をのばすが、それをひょいとかわし、距離をとってふり返るが、猿麻呂が起き上がる様子もない。
「これも稽古のうちだぞ」
 猿麻呂が笑って言うと鳥彦は、べっ、と舌を出して駆けだした。それに猿麻呂は思わず大きな声を立てて笑った。
「元気なもんだ」
 少し嬉しそうに言って、猿麻呂は目を閉じた。
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