開闢此の方の魔女
文字数 3,635文字
店に戻ればミツハといすゞのふたりがカウンターに座り、その向かいには客がいた。
扉を開けた音で振り返り、目が合うとにこりと微笑んでみせた。
「お世話になります」
根付け、鉄鉱の青を手首に下げた少女――たしかリリリンといった。
「どうした、やっぱり中止になったのか」
「いえ、明朝に出発することになりました。資金を融通していただいてありがとうございました」
借りに来た時よりは落ち着いて見える。腹を括ったということだろうか。
「商売で貸しただけだ。必ず利息をつけて返してくれよ」
「生きて帰ってこいよ、で良いではないか。照れているのか」
ミツハは眼を細めてしたりとする。いすゞも真似して不器用に口を引きつらせる。こんな店にいては純粋六歳児の教育上よろしくないかもしれないな。
「男たちはどうした」
「えっと……遊郭? に行ってくるとのことです。景気付けだそうで……わたしはついて行くわけにもいかないので」
リリリンは頬を赤らめながらカウンターに視線を落とす。
「しょうがねえ連中だな」
「い、いえっ、みんなわたしの為に協力してくれて、友達思いでとても優しい人たちです。それに、男の人ってそういうもの……なんですよね?」
「なにを隠そう、こやつもいま遊郭から戻ったところだ。本当にやくたいもない」
「えっ」
リリリンは手を口に当てて驚いている。
「誤解させるようなこと言うな! 根にもってんのか」
へらへらと笑ってフォローもしない気らしい。嫌な奴だ。
「で、どうしたんだ」
「他に知り合いもいないので、お話できたらなと思って来てしまいました」
金を貸す側と借りる側が仲良くなるのは、あまり良い状況とはいえない。金に詰まったら情もなく追い込まねばならないし、債務者というのは恐怖を感じる順番に金を返していく。本人がどんなに綺麗事を吐いたとしても、友人知人は甘える相手でしかないのだ。俺は体験的に確信している。
だから、
「勘違いしないほうがいい。俺らは味方じゃないんだぞ」
「わかっている……つもりです」
少し悲しそうな顔をした。もしかしたらものすごく不安で、現実に押しつぶされそうになっているのかもしれない。すぐ明日には物理的な死が待ち構えているような錯覚、そういうものにとらわれる客は多い。平和から隔絶された、得体の知れない魔物の縄張りに踏み込んでいくのだ。楽しめる方がどうかしている。
「そういえばっ、」
リリリンは沈んだ空気を一掃するように明るく言った。
「こちらのお店はかの大魔法使いミツハ・クラルル様の末裔がいらっしゃると聞いていたのですが」
「末裔でなく本人であり、すでに魔法使いではない。魔女と呼ばれている」
少しツンとしてミツハが即答した。
数瞬の沈黙。
「もしかして、え、あなたが……だってまだ子どもに見え、」
「なにも知らんのか」
このおチビちゃんに見える女が、大昔から歳も取らずに生き続ける札付きの魔女だというのは一部で有名だった。この界隈のガラの悪い連中もミツハを見かけると顔をしかめていつの間にか消えてしまう。
「殿中で根付けを光らせ国家反逆の賊にされた。以降、わたしは魔女と呼ばれ日の当たる場所から閉め出されて今にいたる」
「殿中の詠唱事件は教科書で勉強したけど……五百年以上前のことだと思うんです」
へぇ、と思う。
寿命という概念が正常に機能していることが逆にびっくりする。それなりになんでもありの世界なんじゃないのか、と。
「皺だらけの婆さんなら良かったか?」
「い、いえ。不老不死の魔法は存在し得ないと習いましたので」
俺からすればそんなもの、この世界そのものが素っ頓狂であり、さもありなんという印象だ。
「ふん。冥土の土産に聞かせてやろうか」
「おねがいしますっ」
そこまで言うならしようがない、と腕を組んで小さな身体を精一杯偉そうに反らせてミツハは口を開いた。
「あの頃のわたしは宮廷魔導士として最も勢いがあった。早くに亡くなった母親から根付けを相続し、自身では魔力のコントロールに関して当代随一と思い込んでいた。しかも我が家系に受け継がれた緘魔石――根付けは壱番。かつて世界に充満していた魔力総量のうち半分を緘したと言われている。そのほか根付けは何百あれど、残り半分の魔力を分け合っているに過ぎない」
リリリンのもつ二桁番台の根付けでも充分に稀少であるし、昨日の溢れる光量を思い出しても相当に強力なものに思えた。ミツハの話が本当なら壱番というのは文字通り桁が違う代物なのだろう。
「当時は今と違い魔力の使い方が多様化していなくてな、はっきり言って武力扱いだ。わたしは将軍に仕えながら、自分でもひとりの世話係を雇っていた。というか、平たく言えば弟子というやつだ。そいつはわたしと幼少の頃からの友人でな、男であったが珍しく魔法感性も良くて色々教えてやっていた」
今も幼少じゃないかと合いの手を入れると、スネをがつんと蹴られた。
「しかしいつからか、そいつは将軍の正妻から寵愛を受けるようになる。毎日部屋に呼ばれるのだ。わたしはそれが事件として発覚するまで気がつかなかった。気づいた時にはもう手遅れだ。御台所は被害者であり、クセの悪い下男に手込めにされていたという話になる。当然そいつは首を斬り落とされた。ただ、わたしはそいつが女を襲うような男でないことをよく知っている。小さい頃から一緒に過ごしてきたからな。気の弱いやさしい奴だった。だからどうしても許せず、殿中で衝動のままに根付けを光らせ、御台所を葬った――」
葬った?
「殺したのか……将軍の妻を?」
「そんな、教科書にはそんなこと書いていないです」
「当代の武の頂である将軍の嫁が品性下劣だと後世に残せるわけがないだろう。たとえ本当に犯されていたとしても表に出るわけがない」
「おまえよく殺されなかったな。信じられない」
「殺されたさ。根付けも取り上げられ身体だってこの通り、永遠に子どものままだ」
「魔法、なんでしょうか」
「討伐の日、使える魔法のすべてを使って抗ったのだが、難しかった。なにせ有史以来ここまで大きな国家反逆を起こした者はいなかっただろうからな。一瞬にしてすべてが敵になった。相手は宮廷魔導士数百人だ」
ひょえ、と素直な少女らしくリリリンは驚いてみせる。
「命からがら逃げきったが、なんの作用か成長が逆行し始めた。きっと誰かが、わたしの存在を生まれてくる前にリセットしようとそっち系の大きな魔法を使ったんだろう。ところが、わたしの魔力と拮抗して単にリセットとはいかず、少しずつ若返るようになってしまったのだと思う」
「でも若返りが止まったのですね」
「たぶん魔法を使った本人がなにかで死んだのだろう。わたしは生きながらも、もう何年かしたら胎児になり孤独に死ぬのかと考えて十年以上も絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。この身体で成長の逆行が固定されたと気づいたとき、はじめて心安らかに眠ることができたよ。そのまま数百年経ち、今は逆に〝死ねない〟という絶望と戦っているのだ。もっと敬え」
なるほど、と膝を打ってリリリンは大きく頷く。
「皇国において開闢此の方最悪の魔女、と記されているのが不思議だったのです。殿中で根付けを光らせるなんて自刃ものとは聞きますが、そこまで悪しく言われるなんて釣り合わない、と。しかし長年の疑問がひとつ晴れました。それにこのような歴史に名を残した方とお知り合いになれて、良い土産話ができました」
「開闢此の方最悪の魔女、か。何十年か前までは『悪辣の魔女』と書かれていたようだが、飽いてひねりを加えはじめたのかの。あまり嬉しくはないな」
まてまてまてまて、
「ミツハ、その話が本当なのだとしたら、とんだお尋ね者じゃないか」
俺がヤフリアースという名を捨てた手前、この店含む生活インフラの契約から大小各種名義はすべてミツハになっている。天下を揺るがす大罪人が堂々と生活できるものか。
「今の時代にあの頃のわたしと、わたしのしたことを知っている人間はただのひとりも存在しない。公式の記録が残っていないのは今話した通り。悠久の時間が罪を洗い流したのだよ、シキシマくん」
したりと微笑んで言う。
やっぱりだ。
「作り話だろ、ミツハ」
指摘した途端、くっくっくっく、と笑いだし腹を抱えた。横で見ていたいすゞも真似をして魔女のような笑い方をする。店のなかでは幼い女の子ふたりの笑い声だけが響いて、発泡水のように生まれてははじけて消える。
「信じるも信じないもおまえの自由だ」
明日から始まるリリリンのダンジョン攻略が、泡のようにはじけないことを願わずにはいられない。
もちろん、貸付金のためにな。
扉を開けた音で振り返り、目が合うとにこりと微笑んでみせた。
「お世話になります」
根付け、鉄鉱の青を手首に下げた少女――たしかリリリンといった。
「どうした、やっぱり中止になったのか」
「いえ、明朝に出発することになりました。資金を融通していただいてありがとうございました」
借りに来た時よりは落ち着いて見える。腹を括ったということだろうか。
「商売で貸しただけだ。必ず利息をつけて返してくれよ」
「生きて帰ってこいよ、で良いではないか。照れているのか」
ミツハは眼を細めてしたりとする。いすゞも真似して不器用に口を引きつらせる。こんな店にいては純粋六歳児の教育上よろしくないかもしれないな。
「男たちはどうした」
「えっと……遊郭? に行ってくるとのことです。景気付けだそうで……わたしはついて行くわけにもいかないので」
リリリンは頬を赤らめながらカウンターに視線を落とす。
「しょうがねえ連中だな」
「い、いえっ、みんなわたしの為に協力してくれて、友達思いでとても優しい人たちです。それに、男の人ってそういうもの……なんですよね?」
「なにを隠そう、こやつもいま遊郭から戻ったところだ。本当にやくたいもない」
「えっ」
リリリンは手を口に当てて驚いている。
「誤解させるようなこと言うな! 根にもってんのか」
へらへらと笑ってフォローもしない気らしい。嫌な奴だ。
「で、どうしたんだ」
「他に知り合いもいないので、お話できたらなと思って来てしまいました」
金を貸す側と借りる側が仲良くなるのは、あまり良い状況とはいえない。金に詰まったら情もなく追い込まねばならないし、債務者というのは恐怖を感じる順番に金を返していく。本人がどんなに綺麗事を吐いたとしても、友人知人は甘える相手でしかないのだ。俺は体験的に確信している。
だから、
「勘違いしないほうがいい。俺らは味方じゃないんだぞ」
「わかっている……つもりです」
少し悲しそうな顔をした。もしかしたらものすごく不安で、現実に押しつぶされそうになっているのかもしれない。すぐ明日には物理的な死が待ち構えているような錯覚、そういうものにとらわれる客は多い。平和から隔絶された、得体の知れない魔物の縄張りに踏み込んでいくのだ。楽しめる方がどうかしている。
「そういえばっ、」
リリリンは沈んだ空気を一掃するように明るく言った。
「こちらのお店はかの大魔法使いミツハ・クラルル様の末裔がいらっしゃると聞いていたのですが」
「末裔でなく本人であり、すでに魔法使いではない。魔女と呼ばれている」
少しツンとしてミツハが即答した。
数瞬の沈黙。
「もしかして、え、あなたが……だってまだ子どもに見え、」
「なにも知らんのか」
このおチビちゃんに見える女が、大昔から歳も取らずに生き続ける札付きの魔女だというのは一部で有名だった。この界隈のガラの悪い連中もミツハを見かけると顔をしかめていつの間にか消えてしまう。
「殿中で根付けを光らせ国家反逆の賊にされた。以降、わたしは魔女と呼ばれ日の当たる場所から閉め出されて今にいたる」
「殿中の詠唱事件は教科書で勉強したけど……五百年以上前のことだと思うんです」
へぇ、と思う。
寿命という概念が正常に機能していることが逆にびっくりする。それなりになんでもありの世界なんじゃないのか、と。
「皺だらけの婆さんなら良かったか?」
「い、いえ。不老不死の魔法は存在し得ないと習いましたので」
俺からすればそんなもの、この世界そのものが素っ頓狂であり、さもありなんという印象だ。
「ふん。冥土の土産に聞かせてやろうか」
「おねがいしますっ」
そこまで言うならしようがない、と腕を組んで小さな身体を精一杯偉そうに反らせてミツハは口を開いた。
「あの頃のわたしは宮廷魔導士として最も勢いがあった。早くに亡くなった母親から根付けを相続し、自身では魔力のコントロールに関して当代随一と思い込んでいた。しかも我が家系に受け継がれた緘魔石――根付けは壱番。かつて世界に充満していた魔力総量のうち半分を緘したと言われている。そのほか根付けは何百あれど、残り半分の魔力を分け合っているに過ぎない」
リリリンのもつ二桁番台の根付けでも充分に稀少であるし、昨日の溢れる光量を思い出しても相当に強力なものに思えた。ミツハの話が本当なら壱番というのは文字通り桁が違う代物なのだろう。
「当時は今と違い魔力の使い方が多様化していなくてな、はっきり言って武力扱いだ。わたしは将軍に仕えながら、自分でもひとりの世話係を雇っていた。というか、平たく言えば弟子というやつだ。そいつはわたしと幼少の頃からの友人でな、男であったが珍しく魔法感性も良くて色々教えてやっていた」
今も幼少じゃないかと合いの手を入れると、スネをがつんと蹴られた。
「しかしいつからか、そいつは将軍の正妻から寵愛を受けるようになる。毎日部屋に呼ばれるのだ。わたしはそれが事件として発覚するまで気がつかなかった。気づいた時にはもう手遅れだ。御台所は被害者であり、クセの悪い下男に手込めにされていたという話になる。当然そいつは首を斬り落とされた。ただ、わたしはそいつが女を襲うような男でないことをよく知っている。小さい頃から一緒に過ごしてきたからな。気の弱いやさしい奴だった。だからどうしても許せず、殿中で衝動のままに根付けを光らせ、御台所を葬った――」
葬った?
「殺したのか……将軍の妻を?」
「そんな、教科書にはそんなこと書いていないです」
「当代の武の頂である将軍の嫁が品性下劣だと後世に残せるわけがないだろう。たとえ本当に犯されていたとしても表に出るわけがない」
「おまえよく殺されなかったな。信じられない」
「殺されたさ。根付けも取り上げられ身体だってこの通り、永遠に子どものままだ」
「魔法、なんでしょうか」
「討伐の日、使える魔法のすべてを使って抗ったのだが、難しかった。なにせ有史以来ここまで大きな国家反逆を起こした者はいなかっただろうからな。一瞬にしてすべてが敵になった。相手は宮廷魔導士数百人だ」
ひょえ、と素直な少女らしくリリリンは驚いてみせる。
「命からがら逃げきったが、なんの作用か成長が逆行し始めた。きっと誰かが、わたしの存在を生まれてくる前にリセットしようとそっち系の大きな魔法を使ったんだろう。ところが、わたしの魔力と拮抗して単にリセットとはいかず、少しずつ若返るようになってしまったのだと思う」
「でも若返りが止まったのですね」
「たぶん魔法を使った本人がなにかで死んだのだろう。わたしは生きながらも、もう何年かしたら胎児になり孤独に死ぬのかと考えて十年以上も絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。この身体で成長の逆行が固定されたと気づいたとき、はじめて心安らかに眠ることができたよ。そのまま数百年経ち、今は逆に〝死ねない〟という絶望と戦っているのだ。もっと敬え」
なるほど、と膝を打ってリリリンは大きく頷く。
「皇国において開闢此の方最悪の魔女、と記されているのが不思議だったのです。殿中で根付けを光らせるなんて自刃ものとは聞きますが、そこまで悪しく言われるなんて釣り合わない、と。しかし長年の疑問がひとつ晴れました。それにこのような歴史に名を残した方とお知り合いになれて、良い土産話ができました」
「開闢此の方最悪の魔女、か。何十年か前までは『悪辣の魔女』と書かれていたようだが、飽いてひねりを加えはじめたのかの。あまり嬉しくはないな」
まてまてまてまて、
「ミツハ、その話が本当なのだとしたら、とんだお尋ね者じゃないか」
俺がヤフリアースという名を捨てた手前、この店含む生活インフラの契約から大小各種名義はすべてミツハになっている。天下を揺るがす大罪人が堂々と生活できるものか。
「今の時代にあの頃のわたしと、わたしのしたことを知っている人間はただのひとりも存在しない。公式の記録が残っていないのは今話した通り。悠久の時間が罪を洗い流したのだよ、シキシマくん」
したりと微笑んで言う。
やっぱりだ。
「作り話だろ、ミツハ」
指摘した途端、くっくっくっく、と笑いだし腹を抱えた。横で見ていたいすゞも真似をして魔女のような笑い方をする。店のなかでは幼い女の子ふたりの笑い声だけが響いて、発泡水のように生まれてははじけて消える。
「信じるも信じないもおまえの自由だ」
明日から始まるリリリンのダンジョン攻略が、泡のようにはじけないことを願わずにはいられない。
もちろん、貸付金のためにな。