酔っぱらいの覚悟
文字数 3,899文字
執務室にあったネームプレートを居酒屋のテーブルのちょうど真ん中に置いて、まるで自分の領土を主張しているようだった。
もちろんプレートには刀匠協会会長セロリの名前がある。店から持ってきたものだ。
目は眠たそうに半分閉じているが、言動はいたって元気である。もしかしたら目が座っているというやつかもしれない。
「だっておかしいじゃないですか! なんでシブカワさんが高利貸しの事務所に立ち寄るんですか」
「だから言っただろ、たまたま客が銀行とかぶったから情報を取りに来ただけだって」
もう三回も同じ話を蒸し返している。
大きな金属のグラスに注がれた、ビールによく似た発泡酒を一気に煽って、セロリは自分の名前が書かれたプレートを左手の人差し指でつつきだした。
「皇国銀行の頭取ですよ。トップですよ。皇国経済界のドンですよ」
少しイジけたポーズ、これも三回目だ。
酒が入った途端にわかりやすく雰囲気が変わった。顔もすぐに赤くなる。どこまで飲めるのか知らないがこの調子で長時間はもつまい。早く解散しないとこいつは家に帰れなくなるタイプかもしれない。
こんな治安の悪い街中に正体をなくしたまま放っぽり出すわけにもいかないし、そうなる前になんとかしないと面倒なことになりそうだ。
「どうしてそんなにシブカワにこだわるんだ。あんなじーさんのファンなのか」
「なんですか、その言い草は」
セロリは身を乗り出して俺の目の前の皿に盛られていた、得体の知れない肉の唐揚げ風甘酢っぽいものかけに箸を伸ばした。近づきながらメンチを切ってくる。
箸先がおぼつかず途中でボロンとこぼして自分の名前の書かれたプレートのうえに落とすも、べったりと甘酢的なものがついたことは意に介さない。長い綺麗な金髪がさらさらと流れて甘酢的なものを舐めるがそれもまったく気にしない。
「おい、髪にタレがついてるぞ」
「シブカワさんはですねえ、わたしの憧れなんですよ。この皇国のインフラほとんどを設計して現在の社会基盤を作ったんです。ただの銀行マンじゃないわけですよ」
箸先につまんだ唐揚げ的なものを俺に差し向けて力説。
「ありとあらゆるものを統一して、規格化して、教育を施し、多くの民の生物的水準を底上げしました。そこらの金貸しではないわけです」
どうなんですか、と座った目で訴えかけてくる。
仕方がないので、俺がおしぼりでセロリの髪先を拭いてやる。
「それは、本当か?」
この世界が俺らのいた現実世界によく似ているのはあのシブカワが設計したからなのか。あいつはただの異世界人でなく、この世界の創造者なのか。どういうことだ。
一代でそんなことが成せるとは思えない。もっと時間がかかるはずだ。
「すいません、飲み物同じものお願いします!」
「俺の質問は無視か!」
居酒屋の店内は繁盛しているようで、カウンターにもテーブルにもみっしりと人が詰まっている。それでも店員の教育が行き届いているのかこの手の注文はめざとくキャッチされる。あいよー、っと声が返された。できれば無視して欲しかった。
「わたしはですねえ、元々は皇国銀行で働いていたんですよ。シブカワさんは雲の上の存在でしたけど、憧れましたねえ」
「は? 元銀行員だって?」
どうりで。仕事中にパンツスーツっぽいのはそういうワケか。
「じゃあおたくの仕事中の服って特注で作らせてるだろう」
「な、なななんですか、その推測は」
「シブカワのスーツを真似して作ったはずだ。俺にはわかる」
「べ、別に関係ないでしょう。それ以上の追求は敵対行為とみなします」
なにを照れることがあるのか。
「ねー、おトイレに行きたいです」
珍しい料理を黙々と頬張っていた横のいすゞが足をブラブラさせて言う。そうか、どこだろうと首を回すと、
「わたしが一緒に行きましょう。ね?」
セロリがこれ幸いと、攫うようにいすゞを連れて行った。
俺は手持ち無沙汰になって、テーブルに乗る謎の豆類を口に放り込んで酒で流し込んだ。誰かと酒を飲むのは久しぶりだ。いすゞはもちろんミツハもまったく飲まない。
今日は朝から動き倒しで、汗もかいた。非常に疲れがある。酒を飲んだ時の浮遊感が足から登ってくるのがよくわかる。飲めば飲むだけ染みてゆく。
そういえば、ミツハの魔法符の話がまだだった。
あれを使えば刀匠協会と鉱物に関しては提携できる。刀匠協会としては訪ねてきた攻略者に安全性向上を提供できるし、金の足りない攻略者が行った時はウチを紹介してもらえば損はない。ウチに鉱物を転送させることで労せず手数料も取れるだろう。ミツハは経営にプラスになることには一切反対しない。
うまくいくはずだ。
「はい、飲み物のおかわり、」
厳つい顔に笑顔を浮かべて居酒屋のおっさんがやってきた。
「これはサービスな」
琥珀色の液体が詰められたボトルと小さなグラスをふたつ、プラスいすゞ用の茶。料理の小皿をかき分けてスペースを作ると無造作に置いていく。
「ああ、こりゃあどうも」
「あとこれ」
居酒屋の大きな指がポケットに突っ込まれると、やたらと小さく折りたたまれて見える紙が出てきた。
店に来て早々、〝赤の天領〟で大きな変化があったら教えてくれとセロリが渡した地図だ。広げてみると、居酒屋自身が攻略に行って気がついたことを細かく注釈してくれている。
「結構しっかり書いてくれたんだな。新しい地図が出来上がったらここにももってくるよう伝えておくよ」
「店に来るだけでも珍しいのに、まさか女連れとはな。えらい美人の姉ちゃんじゃないか」
なっ、
「そういうんじゃないって。あれは物凄く怖い女なんだ。滅多なことは言わないでくれ」
ただでさえ魔女の末裔と子を作ったとか噂されているのに。
「あの女が赤い石買ってくれると思うから、うまいことやっとくよ」
「お、話を変えようとしたな。毎日何百人も客を見ている俺の目はごまかせんよ」
節穴め。
嬉しそうに歯を見せる居酒屋は、テーブルを離れようとして立ち止まった。なにか思い出したように首だけよじって、
「そういやさっき他の客から聞いたんだけど、遊郭の方で同じような貸金業者ができたらしいぞ」
へー、と思う。
「あれ、淡白だな。別に問題ないか?」
この世界で俺以外にノウハウをもっている奴がいるとは思えない。いたとしてもミツハくらいのものだろう。
「見様見真似でやれるほど簡単な仕事じゃないさ。そのうちなくなるよ」
端から見ていればおいしい商売に見えるかもしれないが、顧客の管理や貸付け方にはセンスがいる。回収だって楽じゃない。
「でもありがとう。ウチのお客さんを食い始めたら厄介だ。警戒しておくよ」
「そうか。じゃ、頑張れよ」
ニヤリと口元を釣り上げ、ぱんと俺の背中を叩くと居酒屋は仕事に戻っていく。なにを頑張れというのか。
だいたいあの女の性格のキツさを知らないからあんなことが言えるんだ。初対面でいきなり喧嘩腰っておかしいだろ。鋭すぎる。見てくれが良くても、怖くて男は近づけないだろう。皆の前ででっかい恥をかかされそうだ。
「なんですか、物思いにふけるというやつですか」
「ただいまー」
そういえば両手に花という状況だな、なんのありがたみもないけど。
「ほら、手書きだが居酒屋が地図を書いて注釈つけてくれたぞ」
俺は地図を差し出す。
「わあ! ボトルのお酒を頼んだのですね」
またも俺を無視してボトルを掴み上げた。せっかくの地図がもう蔑ろにされている。やっぱりこいつは酔っ払っているな。
「いすゞ、新しいお茶だ。食べ物は頼むか」
「だいじょうぶ」
「ところで、」
突然セロリは声色を変えた。絶妙なタイミングで差し込まれた言葉に、俺といすゞの視線は自然とセロリに引き寄せられた。
「この子の腕に巻いているものはなんですか。シブカワさんも同じようなものを大切にしていたと記憶しています」
腕。
あ、
いすゞの左手首には現実世界の忘れ形見、キャラもの腕時計が巻かれたままになっている。子ども用とはいえこの世界においては〝この世ならざるもの〟として莫大な価値が発生する。
「オモチャだ。俺が作ってやったんだ。たいした物じゃない」
「小さな針が動いていますが、これはなんですか」
「欲しいのか。じゃあおたくにも作ってやろうか。シブカワと同じ格好したいんだもんな」
「なっ、そういうわけではありません!」
「なんだ、そうか」
そりゃあ残念だ。残念、残念。
「ただ、不思議な物です。興味をかき立てられます。シブカワさんの物と同じですか」
「全然違う。ただの子ども用の腕飾りだ」
自分のミスに気付いたのか、いすゞは不安そうな顔をして俺の服の裾をつかんでいる。
「こんな小さい子の物を欲しがるな。取り上げるつもりか。かわいそうだろ」
「そんなことはしません。わたしをなんだと思っているんですか」
「まあ飲めよ。せっかく居酒屋がボトルくれたんだから飲まなきゃ損だぞ」
「なんですか、わたしは自分で頼んだおかわりがあるのに」
と言いつつも、右手にもったショットグラスはおずおずと伸びてくる。
もうこいつは酔い潰すしかねえ、と思う。
なにもかも忘れさせてやる。
心配することなんか全然ない。
俺はいすゞの頭をポンと撫でて腹を括った。
もちろんプレートには刀匠協会会長セロリの名前がある。店から持ってきたものだ。
目は眠たそうに半分閉じているが、言動はいたって元気である。もしかしたら目が座っているというやつかもしれない。
「だっておかしいじゃないですか! なんでシブカワさんが高利貸しの事務所に立ち寄るんですか」
「だから言っただろ、たまたま客が銀行とかぶったから情報を取りに来ただけだって」
もう三回も同じ話を蒸し返している。
大きな金属のグラスに注がれた、ビールによく似た発泡酒を一気に煽って、セロリは自分の名前が書かれたプレートを左手の人差し指でつつきだした。
「皇国銀行の頭取ですよ。トップですよ。皇国経済界のドンですよ」
少しイジけたポーズ、これも三回目だ。
酒が入った途端にわかりやすく雰囲気が変わった。顔もすぐに赤くなる。どこまで飲めるのか知らないがこの調子で長時間はもつまい。早く解散しないとこいつは家に帰れなくなるタイプかもしれない。
こんな治安の悪い街中に正体をなくしたまま放っぽり出すわけにもいかないし、そうなる前になんとかしないと面倒なことになりそうだ。
「どうしてそんなにシブカワにこだわるんだ。あんなじーさんのファンなのか」
「なんですか、その言い草は」
セロリは身を乗り出して俺の目の前の皿に盛られていた、得体の知れない肉の唐揚げ風甘酢っぽいものかけに箸を伸ばした。近づきながらメンチを切ってくる。
箸先がおぼつかず途中でボロンとこぼして自分の名前の書かれたプレートのうえに落とすも、べったりと甘酢的なものがついたことは意に介さない。長い綺麗な金髪がさらさらと流れて甘酢的なものを舐めるがそれもまったく気にしない。
「おい、髪にタレがついてるぞ」
「シブカワさんはですねえ、わたしの憧れなんですよ。この皇国のインフラほとんどを設計して現在の社会基盤を作ったんです。ただの銀行マンじゃないわけですよ」
箸先につまんだ唐揚げ的なものを俺に差し向けて力説。
「ありとあらゆるものを統一して、規格化して、教育を施し、多くの民の生物的水準を底上げしました。そこらの金貸しではないわけです」
どうなんですか、と座った目で訴えかけてくる。
仕方がないので、俺がおしぼりでセロリの髪先を拭いてやる。
「それは、本当か?」
この世界が俺らのいた現実世界によく似ているのはあのシブカワが設計したからなのか。あいつはただの異世界人でなく、この世界の創造者なのか。どういうことだ。
一代でそんなことが成せるとは思えない。もっと時間がかかるはずだ。
「すいません、飲み物同じものお願いします!」
「俺の質問は無視か!」
居酒屋の店内は繁盛しているようで、カウンターにもテーブルにもみっしりと人が詰まっている。それでも店員の教育が行き届いているのかこの手の注文はめざとくキャッチされる。あいよー、っと声が返された。できれば無視して欲しかった。
「わたしはですねえ、元々は皇国銀行で働いていたんですよ。シブカワさんは雲の上の存在でしたけど、憧れましたねえ」
「は? 元銀行員だって?」
どうりで。仕事中にパンツスーツっぽいのはそういうワケか。
「じゃあおたくの仕事中の服って特注で作らせてるだろう」
「な、なななんですか、その推測は」
「シブカワのスーツを真似して作ったはずだ。俺にはわかる」
「べ、別に関係ないでしょう。それ以上の追求は敵対行為とみなします」
なにを照れることがあるのか。
「ねー、おトイレに行きたいです」
珍しい料理を黙々と頬張っていた横のいすゞが足をブラブラさせて言う。そうか、どこだろうと首を回すと、
「わたしが一緒に行きましょう。ね?」
セロリがこれ幸いと、攫うようにいすゞを連れて行った。
俺は手持ち無沙汰になって、テーブルに乗る謎の豆類を口に放り込んで酒で流し込んだ。誰かと酒を飲むのは久しぶりだ。いすゞはもちろんミツハもまったく飲まない。
今日は朝から動き倒しで、汗もかいた。非常に疲れがある。酒を飲んだ時の浮遊感が足から登ってくるのがよくわかる。飲めば飲むだけ染みてゆく。
そういえば、ミツハの魔法符の話がまだだった。
あれを使えば刀匠協会と鉱物に関しては提携できる。刀匠協会としては訪ねてきた攻略者に安全性向上を提供できるし、金の足りない攻略者が行った時はウチを紹介してもらえば損はない。ウチに鉱物を転送させることで労せず手数料も取れるだろう。ミツハは経営にプラスになることには一切反対しない。
うまくいくはずだ。
「はい、飲み物のおかわり、」
厳つい顔に笑顔を浮かべて居酒屋のおっさんがやってきた。
「これはサービスな」
琥珀色の液体が詰められたボトルと小さなグラスをふたつ、プラスいすゞ用の茶。料理の小皿をかき分けてスペースを作ると無造作に置いていく。
「ああ、こりゃあどうも」
「あとこれ」
居酒屋の大きな指がポケットに突っ込まれると、やたらと小さく折りたたまれて見える紙が出てきた。
店に来て早々、〝赤の天領〟で大きな変化があったら教えてくれとセロリが渡した地図だ。広げてみると、居酒屋自身が攻略に行って気がついたことを細かく注釈してくれている。
「結構しっかり書いてくれたんだな。新しい地図が出来上がったらここにももってくるよう伝えておくよ」
「店に来るだけでも珍しいのに、まさか女連れとはな。えらい美人の姉ちゃんじゃないか」
なっ、
「そういうんじゃないって。あれは物凄く怖い女なんだ。滅多なことは言わないでくれ」
ただでさえ魔女の末裔と子を作ったとか噂されているのに。
「あの女が赤い石買ってくれると思うから、うまいことやっとくよ」
「お、話を変えようとしたな。毎日何百人も客を見ている俺の目はごまかせんよ」
節穴め。
嬉しそうに歯を見せる居酒屋は、テーブルを離れようとして立ち止まった。なにか思い出したように首だけよじって、
「そういやさっき他の客から聞いたんだけど、遊郭の方で同じような貸金業者ができたらしいぞ」
へー、と思う。
「あれ、淡白だな。別に問題ないか?」
この世界で俺以外にノウハウをもっている奴がいるとは思えない。いたとしてもミツハくらいのものだろう。
「見様見真似でやれるほど簡単な仕事じゃないさ。そのうちなくなるよ」
端から見ていればおいしい商売に見えるかもしれないが、顧客の管理や貸付け方にはセンスがいる。回収だって楽じゃない。
「でもありがとう。ウチのお客さんを食い始めたら厄介だ。警戒しておくよ」
「そうか。じゃ、頑張れよ」
ニヤリと口元を釣り上げ、ぱんと俺の背中を叩くと居酒屋は仕事に戻っていく。なにを頑張れというのか。
だいたいあの女の性格のキツさを知らないからあんなことが言えるんだ。初対面でいきなり喧嘩腰っておかしいだろ。鋭すぎる。見てくれが良くても、怖くて男は近づけないだろう。皆の前ででっかい恥をかかされそうだ。
「なんですか、物思いにふけるというやつですか」
「ただいまー」
そういえば両手に花という状況だな、なんのありがたみもないけど。
「ほら、手書きだが居酒屋が地図を書いて注釈つけてくれたぞ」
俺は地図を差し出す。
「わあ! ボトルのお酒を頼んだのですね」
またも俺を無視してボトルを掴み上げた。せっかくの地図がもう蔑ろにされている。やっぱりこいつは酔っ払っているな。
「いすゞ、新しいお茶だ。食べ物は頼むか」
「だいじょうぶ」
「ところで、」
突然セロリは声色を変えた。絶妙なタイミングで差し込まれた言葉に、俺といすゞの視線は自然とセロリに引き寄せられた。
「この子の腕に巻いているものはなんですか。シブカワさんも同じようなものを大切にしていたと記憶しています」
腕。
あ、
いすゞの左手首には現実世界の忘れ形見、キャラもの腕時計が巻かれたままになっている。子ども用とはいえこの世界においては〝この世ならざるもの〟として莫大な価値が発生する。
「オモチャだ。俺が作ってやったんだ。たいした物じゃない」
「小さな針が動いていますが、これはなんですか」
「欲しいのか。じゃあおたくにも作ってやろうか。シブカワと同じ格好したいんだもんな」
「なっ、そういうわけではありません!」
「なんだ、そうか」
そりゃあ残念だ。残念、残念。
「ただ、不思議な物です。興味をかき立てられます。シブカワさんの物と同じですか」
「全然違う。ただの子ども用の腕飾りだ」
自分のミスに気付いたのか、いすゞは不安そうな顔をして俺の服の裾をつかんでいる。
「こんな小さい子の物を欲しがるな。取り上げるつもりか。かわいそうだろ」
「そんなことはしません。わたしをなんだと思っているんですか」
「まあ飲めよ。せっかく居酒屋がボトルくれたんだから飲まなきゃ損だぞ」
「なんですか、わたしは自分で頼んだおかわりがあるのに」
と言いつつも、右手にもったショットグラスはおずおずと伸びてくる。
もうこいつは酔い潰すしかねえ、と思う。
なにもかも忘れさせてやる。
心配することなんか全然ない。
俺はいすゞの頭をポンと撫でて腹を括った。