セーラー服と日本刀
文字数 5,172文字
「金貸しは感情的になってはいけない、やら偉そうに講釈されたことがあった気がするのー。いまのおまえは感情的じゃないのか。ん?」
面目無い。
「そんな金にならん意地の張り合いにまだこだわっているのか。さっさと忘れて近づかなければいいだろう。女を追っかけ回すことに抵抗を感じない道徳不感症め」
ミツハは呆れ顔の頬を両手で包むように支えてカウンターに肘をついている。いすゞも真似をしてさらに足までぶらぶらさせてにこやかだ。
「でもさ、あそこで情報がもらえれば、リリリン一行がどのあたりで躓いたのか知ることができる。そうすりゃウチのお客に見に行ってもらうこともできるだろ。なにか痕跡とか情報が入ってくれば現状の推測ができる」
リリリンの手首は今も氷柱のなかに浮かんでいる。本人がどういう状況にあるのかさっさとはっきりさせたいんだ。
「だからといって、こだわりすぎるのは感心せんな」
「わかってる。条件が一致する客がいればなーってだけだ」
セロリとかいう女と物別れになって、俺はひとつ計略を練った。ミツハは忘れろと言うがそうもいかない。しかし刀匠協会でのアレから幾日も経つのに、毎日訪れる攻略者たちのなかには作戦に必要な条件を満たすパーティがおらず、横槍でも入っているんじゃないかと邪推するレベルだ。
「今日は遊郭の集金日だぞ。ジャンプするそうだ。わたしが代わりに行ってこようか」
「いいよ、俺が行ってくる」
「なんじゃ、そんなに楽しいのか遊郭は。女に囲まれていたい快楽過敏症め」
「仕事だ!」アホか。
「怪しいのぅ、いすゞ」
「あやしい、あやしい」
「うるさい。夕方に行ってすぐ帰ってくるから、飯用意しておいてくれ。今日はおまえの当番だろ」
そんなのんびりした午後だった。
「おいシキシマ」
ミツハの声が鋭くなる。視線は店の外に注がれていて、俺もすぐにそれに気がついた。
「ん? あれ、客か?」
ガラス越しに白髪を撫で付けた小柄な老人が立っている。店内を舐め回すように見ているのもそうだが、異様なのはその背後だ。黒い甲冑に身を包む、まるで戦国武将のような集団がガラスを埋め尽くしている。その数、二十は下らない。
尋常じゃない迫力に、店内にいながら少し気圧される。攻略者のパーティだとしたらとても活躍しそうだ。
「シキシマ、気をつけろ。あれは魔法のたぐいじゃ」
は?
詳細を聞く間もない。
「失礼する」
甲冑軍団を従える、代表者と思しき老人は俺の気持ちなんて斟酌せず、さっさと店のなかに入ってきた。左手のステッキを支えにしてぎこちなく歩く様は頼りなくもあるが、醸し出す雰囲気は決して弱々しいものではなかった。ミツハの言った「魔法のたぐい」というのはどういう意味の警告だ。魔法使いなら俺の横にも座っているんだが? 客のほとんどは魔法を使えるんだが?
「おじいさんがはいってきましたよ」
いすゞが、見れば誰でもわかる報告をする。
「こわい人かもしれません」
まるで参謀のように追加情報をくれる。
「いすゞ、向こうに行ってよう」
珍しく子供らしい声を出して、ミツハはいすゞと一緒に店の奥に駆けていく。ミツハが逃げるような相手だと? なんだ? 不穏なものを感じる。
「いらっしゃい」
俺は訳も分からないまま、接客する羽目になる。
「今日はどういうご用件で」
「いや、〝赤の天領〟に用があるんだ。その前に有名な攻略資金金融というのを見ておきたくてね」
老人は勧めるまでもなくカウンターの椅子に座り足を組んだ。横柄だ。金を借りようという客の態度じゃない。間近で見るステッキには銀色の金属で宝飾が凝らされている。金に困っている風にはとても見えない。
男の引き連れている甲冑の兵士はふたりだけ店のなかに入ってきた。まるでロボットだ。カシャリカシャリと金属のこすれ合う音がする。艶のある黒い甲冑は材質と色合い以外は戦国時代のそれと変わらない。
ただ、なかの兵士が人間じゃないということはわかった。甲冑と同色の面を装着しているが、双眸に人間らしい色がない。手足は金属棒のように細く、血肉が詰まっていないのは一目瞭然。もし人間だと紹介されても納得できない。これは人形、マシーン、オートマタとかいうものだろう。
もうひとり、リリリンと変わらない年恰好の少女が現れた。老人の傍らに立って目をつむり、微動だにしない。首から根付けがぶら下がっている。この機械兵士たちを動かしているのはこの少女ということか。
「どういったご用件ですか。見学だけならお断りですよ、うちは観光名所じゃない」
これで帰ってくれりゃあ気が楽なのに――俺は気がついてしまった。
こいつはこの魔法世界の人間じゃない。
俺と同じく現実世界の住人だったんじゃないのか。
服装からしてこの世界の規格とは異なっている。老人が身を包んでいるのは完全なスリーピースのスーツで、少女の方は黒いセーラー服を少し改造したようなものだ。少なくとも、俺がこの世界に飛ばされてから見たことはないし、セーラー服とスーツの成り立ちを思えば現実世界の影響下にないとおかしい。
しかも、老人は眼鏡までかけている。
「私ははこういう者でね」
足を組んだまま内ポケットから名刺を取り出す。その仕草だってとても慣れている。ビジネスマンのそれだ。
『皇国銀行常任相談役 シブカワ エイジ』
はい確定。
こんな名前の奴はこの世界のネイティブにはいない。
「シブカワさん、ですか」
まぎれもなく現実世界からやってきている。ずいぶんと出世しているようだが、俺よりも相当長い時間ここにいるのだろうか。俺も仲間だと打ち明けた方が良いのか? こいつらの目的はなんだ?
「うちに融資の提案ですか」
シブカワは俺の冗談にくすりともしなかった。
「最近この店に融資を頼みに来た女がいなかったかな。鉄鉱の青という上等な緘魔石をもっていて何人か仲間もいたはずだ。〝赤の天領〟の攻略をするために城門を通ったのは確認している。金はもっていないから、それならここで融資を受けたはずだと思ってね」
次はおまえの番だ、と視線をよこす。
こいつはなんだ。なにか嫌な予感がする。
しかしこの魔法世界で生きてきて初めて出会った現実世界の大人だ。お子様いすゞと違って戻るために試行錯誤はしただろうし、なにか情報をもっているかもしれない。俺よりこの世界における立場はずっと上のようだし、より長期にわたってここでの生活を送っているはずだ。力になってくれるなら味方に付けたい。どうしたらいい。
「いたかな、そんな子」
一回とぼける。
「うちは彼女の家に多大な融資を行っていてね。まあ回収中なわけだけど、重要な担保である緘魔石をもち出してしまってね。なんとしても取り戻さないと大変なことになる。君も金貸しならわかるだろう」
そういうことか!
皇国銀行を相手に、無い袖は振れないは通用しないだろう。家宝の緘魔石は奪われたくない。だからリリリンは家のために身体を賭けて大金を作りにきた。
それにしても、この世界に生きていてまさか銀行と回収がバッティングするとはな。現実世界だったら相手にもしないが、今はそういうわけにもいかない。俺にとっては現実世界とつながる細い糸だ。対応を間違えたくない。
「貸すより返してもらう方が大変ですもんね」
シブカワは頷く。
「〝赤の天領〟も広大だ。君なら大方の攻略者がどこへ向かうのか、どういう行動を取るのか、統計的な知識があるんじゃないかな」
俺は顔をしかめずにはいられない。なにせそういった知識をほとんどもっていないからな。
「あんまり詳しくないんですよ」
ウチはアイテム転送で一撃狙いなんだ。攻略者が帰ってこようとこまいと、一回目の期日さえ生き残ってくれれば丸焦げはない。
シブカワの欲しがっている情報は、ウチよりも刀匠協会の方が相応しい。あそこは客が帰ってこないと成立しないからな。
「もっと言えば彼女たちがどこに立ち寄るのか、具体的な情報をもっているのじゃないかな」
俺は首を振る。
シブカワは目をそらさない。
「もし君の情報で担保を回収できたら、君が彼女に融資をしている分は銀行で肩代わろう。うちの金額に比べたら端金だろう。彼女は未熟だ。どうせ死ぬぞ。君にとって今は回収の最大チャンス、というところだ。わかるな」
その顔はあくまでも真っ当な銀行マンだった。余裕があって誠実で、筋の通った理屈を背負って生きている。しかしそんなものはまやかしだ。俺にその仮面は通用しない。銀行ほど信用ならない看板もないと俺は知っている。巨大資本と上流階層を背景に、市井の民など自分たちの邪魔になれば虫けらのように蹂躙する。
しかし、だ。
シブカワは俺よりもこの世界の情報をもっているだろう。現実世界に帰るという悲願の可否はともかく、ヒントは得られるかもしれない。そしてこんなチャンスが今後訪れるか、という問題もある。
俺も現実世界から飛ばされてきたんだ、と打ち明けたら仲間になれるか?
こいつがどんな人間かわからないのに?
回収のライバルに客の情報と媚びを売って、目的を果たしてもいいのだろうか?
俺はなにがしたい?
「……もったいぶって申し訳ないですが、ウチにはきていませんよ。金を貸したら忘れるはずがないですから」
子どものような感情論で思考がタイムアウト、軽いジャブを打って突き放してしまう。やはり気にくわない。
シブカワは、ふーぅ、と芝居がかった溜息をついた。
「今はそうでもないが、昔は私も貸し付け業務を何百とまとめてきてね、この眼と耳には少し自信がある。……つまり、君は嘘をついているね」
言いたいことはよく解る。俺だって自分の眼には自信があるし、嘘に対する過敏さは職業病ともいえる。でも、認めるわけにはいかない。
「嘘なんかつきませんよ」
頬に風を感じた――断じて音なんてしなかった。
二体の真っ黒な荒武者はいつの間にか腰のものを抜き、その鋒は俺の左右の頬まで頭髪一本分というところでびたりと静止している。喧嘩別れが決定的になった瞬間だ。
「やめろ、サノン」
気が付けばセーラー服の眼は開かれ、首から下がった根付けは夕日のような色を放っていた。俺の嘘に対する「指導」というつもりか。生意気なガキめ。
俺の両目のすぐ下で皮膚に切れ目を入れようかというその刃物は、反りがある片刃の、いわゆる日本刀に見えた。刀身も甲冑同様に真っ黒で、その刃紋からは黒い妖気が煙のようにゆらりと滴り落ちてその不気味さに拍車をかけている。
シブカワは俺の視線に目ざとく気がついた。
「見たのは初めてかな。〝赤の天領〟からもち帰られた特殊鉱物で打たれた刀だ。まるで悪魔でも宿るようだろう。目には目を、異形には異形を――というわけだ」
「あんたら強盗か」
シブカワが手を振ると、黒い刀身は荒武者の腰にさっと戻った。
「ははは。今日は挨拶に寄っただけだ。ここはかの有名なミツハ・クラルルという魔女の末裔の店なんだろう。大昔になにがあったのかは知らんが、歴史に名を残した魔女の末裔ならお会いしてみたいんだがね。さっきの子どもたちは君と魔女の末裔の間に生まれた子かね」
どえらい誤解もあったものだ。
突っ込みどころは満載だが、この銀行家はどうも味方にはなりそうもない。どういう人物か判断がつくまで余計な情報を与えるのは得策じゃない気がする。そもそも銀行は街金をバカにしているものだ。セーラー服は俺を殺そうとするし、ミツハは気をつけろと言伝た。その直感を信じたほうがよさそうだ。
「滅多に店には来ませんよ。銀行の方が来たことは伝えておきます」
「そうか、まあ残念だがしようがないな。しばらく街に滞在するからまた寄らせてもらうよ」
シブカワはステッキに力を込めて立ち上がるとサノンというセーラー服を促した。サノンはリリリンと変わらない年齢に見えるが、その性格は真逆だろう。愛想のかけらもないうえに、年長者である俺に対する敬意も感じられない。眼光鋭く睨めつけてから、二体の人形を従えた。
「あの、」おれはシブカワの背中にひとつの疑問を投げた。「銀行が身体を賭けて、天領に入っていくんですか」
安全地帯でいいとこ取りが銀行の本分だろう。
返事の代わりだろうか。
今までの穏やかな会話からはかけ離れた、凄惨な笑みを浮かべてシブカワは店を出て行った。
面目無い。
「そんな金にならん意地の張り合いにまだこだわっているのか。さっさと忘れて近づかなければいいだろう。女を追っかけ回すことに抵抗を感じない道徳不感症め」
ミツハは呆れ顔の頬を両手で包むように支えてカウンターに肘をついている。いすゞも真似をしてさらに足までぶらぶらさせてにこやかだ。
「でもさ、あそこで情報がもらえれば、リリリン一行がどのあたりで躓いたのか知ることができる。そうすりゃウチのお客に見に行ってもらうこともできるだろ。なにか痕跡とか情報が入ってくれば現状の推測ができる」
リリリンの手首は今も氷柱のなかに浮かんでいる。本人がどういう状況にあるのかさっさとはっきりさせたいんだ。
「だからといって、こだわりすぎるのは感心せんな」
「わかってる。条件が一致する客がいればなーってだけだ」
セロリとかいう女と物別れになって、俺はひとつ計略を練った。ミツハは忘れろと言うがそうもいかない。しかし刀匠協会でのアレから幾日も経つのに、毎日訪れる攻略者たちのなかには作戦に必要な条件を満たすパーティがおらず、横槍でも入っているんじゃないかと邪推するレベルだ。
「今日は遊郭の集金日だぞ。ジャンプするそうだ。わたしが代わりに行ってこようか」
「いいよ、俺が行ってくる」
「なんじゃ、そんなに楽しいのか遊郭は。女に囲まれていたい快楽過敏症め」
「仕事だ!」アホか。
「怪しいのぅ、いすゞ」
「あやしい、あやしい」
「うるさい。夕方に行ってすぐ帰ってくるから、飯用意しておいてくれ。今日はおまえの当番だろ」
そんなのんびりした午後だった。
「おいシキシマ」
ミツハの声が鋭くなる。視線は店の外に注がれていて、俺もすぐにそれに気がついた。
「ん? あれ、客か?」
ガラス越しに白髪を撫で付けた小柄な老人が立っている。店内を舐め回すように見ているのもそうだが、異様なのはその背後だ。黒い甲冑に身を包む、まるで戦国武将のような集団がガラスを埋め尽くしている。その数、二十は下らない。
尋常じゃない迫力に、店内にいながら少し気圧される。攻略者のパーティだとしたらとても活躍しそうだ。
「シキシマ、気をつけろ。あれは魔法のたぐいじゃ」
は?
詳細を聞く間もない。
「失礼する」
甲冑軍団を従える、代表者と思しき老人は俺の気持ちなんて斟酌せず、さっさと店のなかに入ってきた。左手のステッキを支えにしてぎこちなく歩く様は頼りなくもあるが、醸し出す雰囲気は決して弱々しいものではなかった。ミツハの言った「魔法のたぐい」というのはどういう意味の警告だ。魔法使いなら俺の横にも座っているんだが? 客のほとんどは魔法を使えるんだが?
「おじいさんがはいってきましたよ」
いすゞが、見れば誰でもわかる報告をする。
「こわい人かもしれません」
まるで参謀のように追加情報をくれる。
「いすゞ、向こうに行ってよう」
珍しく子供らしい声を出して、ミツハはいすゞと一緒に店の奥に駆けていく。ミツハが逃げるような相手だと? なんだ? 不穏なものを感じる。
「いらっしゃい」
俺は訳も分からないまま、接客する羽目になる。
「今日はどういうご用件で」
「いや、〝赤の天領〟に用があるんだ。その前に有名な攻略資金金融というのを見ておきたくてね」
老人は勧めるまでもなくカウンターの椅子に座り足を組んだ。横柄だ。金を借りようという客の態度じゃない。間近で見るステッキには銀色の金属で宝飾が凝らされている。金に困っている風にはとても見えない。
男の引き連れている甲冑の兵士はふたりだけ店のなかに入ってきた。まるでロボットだ。カシャリカシャリと金属のこすれ合う音がする。艶のある黒い甲冑は材質と色合い以外は戦国時代のそれと変わらない。
ただ、なかの兵士が人間じゃないということはわかった。甲冑と同色の面を装着しているが、双眸に人間らしい色がない。手足は金属棒のように細く、血肉が詰まっていないのは一目瞭然。もし人間だと紹介されても納得できない。これは人形、マシーン、オートマタとかいうものだろう。
もうひとり、リリリンと変わらない年恰好の少女が現れた。老人の傍らに立って目をつむり、微動だにしない。首から根付けがぶら下がっている。この機械兵士たちを動かしているのはこの少女ということか。
「どういったご用件ですか。見学だけならお断りですよ、うちは観光名所じゃない」
これで帰ってくれりゃあ気が楽なのに――俺は気がついてしまった。
こいつはこの魔法世界の人間じゃない。
俺と同じく現実世界の住人だったんじゃないのか。
服装からしてこの世界の規格とは異なっている。老人が身を包んでいるのは完全なスリーピースのスーツで、少女の方は黒いセーラー服を少し改造したようなものだ。少なくとも、俺がこの世界に飛ばされてから見たことはないし、セーラー服とスーツの成り立ちを思えば現実世界の影響下にないとおかしい。
しかも、老人は眼鏡までかけている。
「私ははこういう者でね」
足を組んだまま内ポケットから名刺を取り出す。その仕草だってとても慣れている。ビジネスマンのそれだ。
『皇国銀行常任相談役 シブカワ エイジ』
はい確定。
こんな名前の奴はこの世界のネイティブにはいない。
「シブカワさん、ですか」
まぎれもなく現実世界からやってきている。ずいぶんと出世しているようだが、俺よりも相当長い時間ここにいるのだろうか。俺も仲間だと打ち明けた方が良いのか? こいつらの目的はなんだ?
「うちに融資の提案ですか」
シブカワは俺の冗談にくすりともしなかった。
「最近この店に融資を頼みに来た女がいなかったかな。鉄鉱の青という上等な緘魔石をもっていて何人か仲間もいたはずだ。〝赤の天領〟の攻略をするために城門を通ったのは確認している。金はもっていないから、それならここで融資を受けたはずだと思ってね」
次はおまえの番だ、と視線をよこす。
こいつはなんだ。なにか嫌な予感がする。
しかしこの魔法世界で生きてきて初めて出会った現実世界の大人だ。お子様いすゞと違って戻るために試行錯誤はしただろうし、なにか情報をもっているかもしれない。俺よりこの世界における立場はずっと上のようだし、より長期にわたってここでの生活を送っているはずだ。力になってくれるなら味方に付けたい。どうしたらいい。
「いたかな、そんな子」
一回とぼける。
「うちは彼女の家に多大な融資を行っていてね。まあ回収中なわけだけど、重要な担保である緘魔石をもち出してしまってね。なんとしても取り戻さないと大変なことになる。君も金貸しならわかるだろう」
そういうことか!
皇国銀行を相手に、無い袖は振れないは通用しないだろう。家宝の緘魔石は奪われたくない。だからリリリンは家のために身体を賭けて大金を作りにきた。
それにしても、この世界に生きていてまさか銀行と回収がバッティングするとはな。現実世界だったら相手にもしないが、今はそういうわけにもいかない。俺にとっては現実世界とつながる細い糸だ。対応を間違えたくない。
「貸すより返してもらう方が大変ですもんね」
シブカワは頷く。
「〝赤の天領〟も広大だ。君なら大方の攻略者がどこへ向かうのか、どういう行動を取るのか、統計的な知識があるんじゃないかな」
俺は顔をしかめずにはいられない。なにせそういった知識をほとんどもっていないからな。
「あんまり詳しくないんですよ」
ウチはアイテム転送で一撃狙いなんだ。攻略者が帰ってこようとこまいと、一回目の期日さえ生き残ってくれれば丸焦げはない。
シブカワの欲しがっている情報は、ウチよりも刀匠協会の方が相応しい。あそこは客が帰ってこないと成立しないからな。
「もっと言えば彼女たちがどこに立ち寄るのか、具体的な情報をもっているのじゃないかな」
俺は首を振る。
シブカワは目をそらさない。
「もし君の情報で担保を回収できたら、君が彼女に融資をしている分は銀行で肩代わろう。うちの金額に比べたら端金だろう。彼女は未熟だ。どうせ死ぬぞ。君にとって今は回収の最大チャンス、というところだ。わかるな」
その顔はあくまでも真っ当な銀行マンだった。余裕があって誠実で、筋の通った理屈を背負って生きている。しかしそんなものはまやかしだ。俺にその仮面は通用しない。銀行ほど信用ならない看板もないと俺は知っている。巨大資本と上流階層を背景に、市井の民など自分たちの邪魔になれば虫けらのように蹂躙する。
しかし、だ。
シブカワは俺よりもこの世界の情報をもっているだろう。現実世界に帰るという悲願の可否はともかく、ヒントは得られるかもしれない。そしてこんなチャンスが今後訪れるか、という問題もある。
俺も現実世界から飛ばされてきたんだ、と打ち明けたら仲間になれるか?
こいつがどんな人間かわからないのに?
回収のライバルに客の情報と媚びを売って、目的を果たしてもいいのだろうか?
俺はなにがしたい?
「……もったいぶって申し訳ないですが、ウチにはきていませんよ。金を貸したら忘れるはずがないですから」
子どものような感情論で思考がタイムアウト、軽いジャブを打って突き放してしまう。やはり気にくわない。
シブカワは、ふーぅ、と芝居がかった溜息をついた。
「今はそうでもないが、昔は私も貸し付け業務を何百とまとめてきてね、この眼と耳には少し自信がある。……つまり、君は嘘をついているね」
言いたいことはよく解る。俺だって自分の眼には自信があるし、嘘に対する過敏さは職業病ともいえる。でも、認めるわけにはいかない。
「嘘なんかつきませんよ」
頬に風を感じた――断じて音なんてしなかった。
二体の真っ黒な荒武者はいつの間にか腰のものを抜き、その鋒は俺の左右の頬まで頭髪一本分というところでびたりと静止している。喧嘩別れが決定的になった瞬間だ。
「やめろ、サノン」
気が付けばセーラー服の眼は開かれ、首から下がった根付けは夕日のような色を放っていた。俺の嘘に対する「指導」というつもりか。生意気なガキめ。
俺の両目のすぐ下で皮膚に切れ目を入れようかというその刃物は、反りがある片刃の、いわゆる日本刀に見えた。刀身も甲冑同様に真っ黒で、その刃紋からは黒い妖気が煙のようにゆらりと滴り落ちてその不気味さに拍車をかけている。
シブカワは俺の視線に目ざとく気がついた。
「見たのは初めてかな。〝赤の天領〟からもち帰られた特殊鉱物で打たれた刀だ。まるで悪魔でも宿るようだろう。目には目を、異形には異形を――というわけだ」
「あんたら強盗か」
シブカワが手を振ると、黒い刀身は荒武者の腰にさっと戻った。
「ははは。今日は挨拶に寄っただけだ。ここはかの有名なミツハ・クラルルという魔女の末裔の店なんだろう。大昔になにがあったのかは知らんが、歴史に名を残した魔女の末裔ならお会いしてみたいんだがね。さっきの子どもたちは君と魔女の末裔の間に生まれた子かね」
どえらい誤解もあったものだ。
突っ込みどころは満載だが、この銀行家はどうも味方にはなりそうもない。どういう人物か判断がつくまで余計な情報を与えるのは得策じゃない気がする。そもそも銀行は街金をバカにしているものだ。セーラー服は俺を殺そうとするし、ミツハは気をつけろと言伝た。その直感を信じたほうがよさそうだ。
「滅多に店には来ませんよ。銀行の方が来たことは伝えておきます」
「そうか、まあ残念だがしようがないな。しばらく街に滞在するからまた寄らせてもらうよ」
シブカワはステッキに力を込めて立ち上がるとサノンというセーラー服を促した。サノンはリリリンと変わらない年齢に見えるが、その性格は真逆だろう。愛想のかけらもないうえに、年長者である俺に対する敬意も感じられない。眼光鋭く睨めつけてから、二体の人形を従えた。
「あの、」おれはシブカワの背中にひとつの疑問を投げた。「銀行が身体を賭けて、天領に入っていくんですか」
安全地帯でいいとこ取りが銀行の本分だろう。
返事の代わりだろうか。
今までの穏やかな会話からはかけ離れた、凄惨な笑みを浮かべてシブカワは店を出て行った。