汗をかいたあとに
文字数 2,737文字
グレープフルーツでも握りつぶしたように、ぼたぼたと汗が滴り落ちた。
風の通らない倉庫内ではいったん熱くなった身体は容易に冷めず、堰を切った汗は文字通り止まることなく埃の浮いた床を濡らす。
「おいヒノミカ、休むぞ。水飲まないと倒れるぞ!」
「もうちょい! 先に休んでて!」
倉庫の奥の方からくぐもった叫び声が聞こえた。
さっきから興が乗ってきたのか、宝探し感覚で没頭している。なんにでも楽しみを見出せる奴は羨ましい。
俺は身体中に張り付いた衣服に鳥肌をたてながら倉庫の外に出た。
やや日は傾き、入口のあたりは日陰になっているのもあって、本来は温かろう微風も心地よく感じる。
それにしても、なにも見つからない。
ここの経営者は金に詰まった時点で経営を放棄して、なりふり構わず金に換えてしまったのだろうか。それともこんな物でもうまく金に換えれば大金になるのだろうか。
たしかに衣類や繊維の心得はないが、例えば現実世界でいう呉服のような高級品がこんな所に保管されているとは思えない。このなかの衣類は二束三文品のはずだ。
あ、
そういやあのふとっちょ、なにやってやがる。アドレス帳を探すのに何分かかってるんだ。こっちはサウナのなかで溺れるように手足を動かしているのに。
これでなにも見つからなかったら目も当てられない。
貸付金が焦げ付くのもそうだが、ワケのわからない金属ケースをヒノミカが破壊してるんだぞ。粉物商売の方々が勘違いして戦争でも仕掛けてこないとも限らない。
「やばーい、つかれたー」
両腕をだらりとしたゾンビのような姿勢で、ヒノミカがだらだらと倉庫から出てきた。げっそりという表現がぴったりの表情で、目が半分閉じている。
「ねむーい、ちょっと休ませ……て」
おい、
「こんなところで寝るな、」
汚れちゃうとか、みっともないとか、そういう感覚はないのかこいつは。一応女だろ。
「顔に泥がついてるぞ。髪の毛もべったりだぞ。起きろ」
そんな些末なことに構っていられるかという意味だろう、んー、と気怠そうな呻りを返してくる。身体だけでも起こしてやろうかと思ったときだった。
顔に汗をかいていない。
不自然なほど干上がっていて、まるで人形のように見えた。瀬戸物が転がっているような感覚。まずい。体中の水分を絞り出してカラカラなんじゃないか。
「ヒノミカ、生きてるか!」
多少動くが、元気な頃の反応がまったくない。
俺は倉庫の隅に転がっていた桶をひったくると、首を振って水場を探した。水道どころか池でも、なんなら水たまりでもいい。とにかく水分を吸収させないと。
火事場のなんとかだろう。視界の隅に鈍い光を捕まえた。膝の高さほど立ち上がった洗い場の水道蛇口。バキバキに固着してここ十年はひねられた形跡がない上に、繭のように蜘蛛の巣が張られている。しかし贅沢は言っていられない。
桶にすり切りまで水を湛えて、ヒノミカの元にとって返す。
「水だ、飲め」
俺は半分ほどの量を倒れているヒノミカの顔にぶっかけてやり、身体を起こしてから強引に口を開けさせて桶の縁を突っ込んだ。
「たっぷりあるから、落ち着いて飲めよ」
ヒノミカはよっぽど焦っているのか。そのほとんどを吐きこぼしながらも桶に手を添えて水を欲しがるそぶりを見せた。
「おかわりか? いるか?」
水が空になると、もはや手に力も入らないのか桶を放り出して背を丸めた。
「おぉうぇえぇぇぇ」
突然、えずいた。
相当重症なのかもしれない。熱中症は異世界にもあるらしい。
「どうしたっ」
ところがヒノミカはペッと唾を吐いて、
「殺す気か! 溺死するわボケ!」
振り返りざま、脳が揺れるほどのビンタを見舞ってきた。ヒノミカはつららのように鼻水を垂らし、顔が真っ赤になっている。
「な、なんだよ」
「うるせーっ」おぅぇ「なんてもん飲ませんだ、このあほう」うぇっ「砂まみれなんだバカ」おぉぅぇ。
苦痛に顔を歪めたヒノミカは正真正銘本気だった。今までこんなにも苦悶の表情を浮かべた女を見たことがない。たしかに砂も埃も大量に混ざっていたかもしれない。顔中どころか水をぶっかけた全体に黒いものが張り付いていた。自慢の赤髪もこれじゃ形無しだ。
「悪かったよ。ほっといたら死んじゃうかと思ってよ」
「くそっ。あんたじゃなくてミツハ社長と一緒だったらきれいで冷たい水が飲めたのに」
あいつを水筒扱いしてやるな。
だいたいなんであいつが社長で俺が先輩なんだ。どういう判断だ。別にいいけど。
「もうほっといて……あと、倉庫の奥になんか見つけたよ。あたしは少し寝る……起こさないでくれよな」
またもパタンと倒れ、泥水と化した地面に躊躇なくダイブした。
「良かれと思ってやったのに」
「…………」
「怒ってんのか」
「…………」
こいつがいいと言うならもういいだろう。どうなっても知らん。
それより倉庫のなかだ。
一度外に出たあとだと、まるで壁でもあるのかってくらい倉庫内の空気は濃厚だ。どろりとした熱気を掻き分けながらヒノミカの痕跡を逆にたどっていく。適当に食い散らかしながら奥へ奥へ進んで行ったのがよくわかる。あいつは整理整頓ができない子だ。間違いない。
そして最深部、隅の方に積み上げられたソレ。
立ったままの小学一年生を十人ほど収容できそうな木箱がある。大量に。他の収容物と違って箱に統一性がある。これは中身はすべて同じ物か、もしくは同じ出処の物だろう。
木箱のひとつは横っ腹をヒノミカに焼き開けられ中身を晒していた。あいつの能力は十徳ナイフのようだ。
箱から引きずり出されたと思しき物も、どうやら布の塊であるが――明らかに他の物と比べてぶ厚く固い。細い金属パイプも転がっていて、かなりの大物に見える。
俺はどでかい座布団のような布を広げてみて、金属パイプを横に並べて、それがなにであるかわかった気がした。現実世界にあるものと構造は似ている。
思っている通りならこれはお宝だ。
交渉次第でまとまった金に変えられる。
問題は引き取り手だが、あのふとっちょが仕事をしていたらなんの問題もないだろう。相手さえ見つかれば掛け合いには自信がある。
俺はとりあえず手当たり次第木箱に魔法符を貼って、店に転送した。あの転送の部屋には全部入りきらないだろうが、向こうにいるミツハがなんとかするはずだ。これは他の奴に見つかる前に隠してしまった方がいい。
俺はヒノミカを引っ張り起こして、表の建物へ急いだ。
風の通らない倉庫内ではいったん熱くなった身体は容易に冷めず、堰を切った汗は文字通り止まることなく埃の浮いた床を濡らす。
「おいヒノミカ、休むぞ。水飲まないと倒れるぞ!」
「もうちょい! 先に休んでて!」
倉庫の奥の方からくぐもった叫び声が聞こえた。
さっきから興が乗ってきたのか、宝探し感覚で没頭している。なんにでも楽しみを見出せる奴は羨ましい。
俺は身体中に張り付いた衣服に鳥肌をたてながら倉庫の外に出た。
やや日は傾き、入口のあたりは日陰になっているのもあって、本来は温かろう微風も心地よく感じる。
それにしても、なにも見つからない。
ここの経営者は金に詰まった時点で経営を放棄して、なりふり構わず金に換えてしまったのだろうか。それともこんな物でもうまく金に換えれば大金になるのだろうか。
たしかに衣類や繊維の心得はないが、例えば現実世界でいう呉服のような高級品がこんな所に保管されているとは思えない。このなかの衣類は二束三文品のはずだ。
あ、
そういやあのふとっちょ、なにやってやがる。アドレス帳を探すのに何分かかってるんだ。こっちはサウナのなかで溺れるように手足を動かしているのに。
これでなにも見つからなかったら目も当てられない。
貸付金が焦げ付くのもそうだが、ワケのわからない金属ケースをヒノミカが破壊してるんだぞ。粉物商売の方々が勘違いして戦争でも仕掛けてこないとも限らない。
「やばーい、つかれたー」
両腕をだらりとしたゾンビのような姿勢で、ヒノミカがだらだらと倉庫から出てきた。げっそりという表現がぴったりの表情で、目が半分閉じている。
「ねむーい、ちょっと休ませ……て」
おい、
「こんなところで寝るな、」
汚れちゃうとか、みっともないとか、そういう感覚はないのかこいつは。一応女だろ。
「顔に泥がついてるぞ。髪の毛もべったりだぞ。起きろ」
そんな些末なことに構っていられるかという意味だろう、んー、と気怠そうな呻りを返してくる。身体だけでも起こしてやろうかと思ったときだった。
顔に汗をかいていない。
不自然なほど干上がっていて、まるで人形のように見えた。瀬戸物が転がっているような感覚。まずい。体中の水分を絞り出してカラカラなんじゃないか。
「ヒノミカ、生きてるか!」
多少動くが、元気な頃の反応がまったくない。
俺は倉庫の隅に転がっていた桶をひったくると、首を振って水場を探した。水道どころか池でも、なんなら水たまりでもいい。とにかく水分を吸収させないと。
火事場のなんとかだろう。視界の隅に鈍い光を捕まえた。膝の高さほど立ち上がった洗い場の水道蛇口。バキバキに固着してここ十年はひねられた形跡がない上に、繭のように蜘蛛の巣が張られている。しかし贅沢は言っていられない。
桶にすり切りまで水を湛えて、ヒノミカの元にとって返す。
「水だ、飲め」
俺は半分ほどの量を倒れているヒノミカの顔にぶっかけてやり、身体を起こしてから強引に口を開けさせて桶の縁を突っ込んだ。
「たっぷりあるから、落ち着いて飲めよ」
ヒノミカはよっぽど焦っているのか。そのほとんどを吐きこぼしながらも桶に手を添えて水を欲しがるそぶりを見せた。
「おかわりか? いるか?」
水が空になると、もはや手に力も入らないのか桶を放り出して背を丸めた。
「おぉうぇえぇぇぇ」
突然、えずいた。
相当重症なのかもしれない。熱中症は異世界にもあるらしい。
「どうしたっ」
ところがヒノミカはペッと唾を吐いて、
「殺す気か! 溺死するわボケ!」
振り返りざま、脳が揺れるほどのビンタを見舞ってきた。ヒノミカはつららのように鼻水を垂らし、顔が真っ赤になっている。
「な、なんだよ」
「うるせーっ」おぅぇ「なんてもん飲ませんだ、このあほう」うぇっ「砂まみれなんだバカ」おぉぅぇ。
苦痛に顔を歪めたヒノミカは正真正銘本気だった。今までこんなにも苦悶の表情を浮かべた女を見たことがない。たしかに砂も埃も大量に混ざっていたかもしれない。顔中どころか水をぶっかけた全体に黒いものが張り付いていた。自慢の赤髪もこれじゃ形無しだ。
「悪かったよ。ほっといたら死んじゃうかと思ってよ」
「くそっ。あんたじゃなくてミツハ社長と一緒だったらきれいで冷たい水が飲めたのに」
あいつを水筒扱いしてやるな。
だいたいなんであいつが社長で俺が先輩なんだ。どういう判断だ。別にいいけど。
「もうほっといて……あと、倉庫の奥になんか見つけたよ。あたしは少し寝る……起こさないでくれよな」
またもパタンと倒れ、泥水と化した地面に躊躇なくダイブした。
「良かれと思ってやったのに」
「…………」
「怒ってんのか」
「…………」
こいつがいいと言うならもういいだろう。どうなっても知らん。
それより倉庫のなかだ。
一度外に出たあとだと、まるで壁でもあるのかってくらい倉庫内の空気は濃厚だ。どろりとした熱気を掻き分けながらヒノミカの痕跡を逆にたどっていく。適当に食い散らかしながら奥へ奥へ進んで行ったのがよくわかる。あいつは整理整頓ができない子だ。間違いない。
そして最深部、隅の方に積み上げられたソレ。
立ったままの小学一年生を十人ほど収容できそうな木箱がある。大量に。他の収容物と違って箱に統一性がある。これは中身はすべて同じ物か、もしくは同じ出処の物だろう。
木箱のひとつは横っ腹をヒノミカに焼き開けられ中身を晒していた。あいつの能力は十徳ナイフのようだ。
箱から引きずり出されたと思しき物も、どうやら布の塊であるが――明らかに他の物と比べてぶ厚く固い。細い金属パイプも転がっていて、かなりの大物に見える。
俺はどでかい座布団のような布を広げてみて、金属パイプを横に並べて、それがなにであるかわかった気がした。現実世界にあるものと構造は似ている。
思っている通りならこれはお宝だ。
交渉次第でまとまった金に変えられる。
問題は引き取り手だが、あのふとっちょが仕事をしていたらなんの問題もないだろう。相手さえ見つかれば掛け合いには自信がある。
俺はとりあえず手当たり次第木箱に魔法符を貼って、店に転送した。あの転送の部屋には全部入りきらないだろうが、向こうにいるミツハがなんとかするはずだ。これは他の奴に見つかる前に隠してしまった方がいい。
俺はヒノミカを引っ張り起こして、表の建物へ急いだ。