ふとっちょの誇り

文字数 5,303文字

「おまえ乗り心地がいいよな。ヒノミカの気持ちもわかる」

 カラスタは頼まれると断り切れない性格らしく、不承不承と俺を背中に乗せて集金に付き合ってくれる。
 遊郭の大門をくぐると、浮遊する少年に好奇の視線が集まる。なんだか俺まで恥ずかしくなってくるが、歩いていけと言われてもたどり着く自信がまったくない。身体は思うように動かない。

「なにをビクビクすることがあるんだよ。悪いことしたわけじゃないんだから堂々としてればいいだろ」

 明るく言って腹を叩くがノンリアクションだ。
 面白味のない奴め。

 集金先の楼閣では番頭が今日もジャンプ金を用意して待っている。完済できる金はもっているくせに利息の支払いに終始するのは目的、つまり裏があったからだ。
 いつもならもっと不愉快な気持ちになるはずだが、今日はそんなことも許せてしまえる程度に気分が良い。

 抜け目のないあの番頭のことだ、上手くやったに決まっている。
 目的地に到着すると、滑らかに減速したカラスタは乗客にまったく不快感を与えずに停止する。着地の振動さえどこか優しい。

「ありがとな。おまえも一緒に来いよ」

 えっ、という顔をする。

「ぼ、僕は行かないでいいですよ」
「いいからいいから」

 俺は有無を言わさずカラスタの二の腕を掴み、楼の引き戸を一気に開け暖簾をくぐった。

「どうも、シキシマさん」

 いつも通りの微笑を浮かべて番頭は俺たちを出迎えた。上がり框にそろいの衣装でガラの悪いのが数人。今日は出ていかないようだ。

「そろそろ来る頃合いだと思っていましたよ」

 番頭の傍らには見覚えのある金属ケース。

「あんたなら抜かりなくやってくれると思ったよ」
「約束通り、これはお渡ししますがね、とても難儀しましたよ。ややこしい相手と喧嘩になりましてねえ」

 キツネのような眼がきりりと細くなる。

「そうか。夜道に危険は付きものだしな。荒事が得意なお知り合いがたくさんいて羨ましいね」
「ご冗談でしょう。最悪の魔女と一緒にいるシキシマさんが言うセリフじゃない」
「まあ得手不得手ってもんがあるさ」

 俺は番頭からケースを受け取って中身を検める。鍵の部分が溶け落ちたケース。
 開けると、みっしりと詰まった緩衝材に埋まった氷の塊。
 鮮血と白雪の手首。
 鉄鉱の青。

「――確かに、受け取った。本当に助かった」

 まさかまたこの手に取り戻せるなんて……。

「ご禁制のものを金に換えられるか、って連絡もらったときは何事かと思いましたよ」
「俺の知る限りで、野盗まがいのことをしても足がつかないって連中に話しをつけられるのはあんたしかいなかった」

 背に腹は代えられない。シブカワの言ったように、俺は金貸しだ。目的のために手段を選ばない。

「瓶の中身はどうだった」
「さあて、わたしは仲介しただけですよ。中身がどうとかは存じません」

 おどけたように言って、一言付け加えた。

「多少犠牲が出たようですが、まあ先方は喜んでいましたね」

 戦車砲弾のような瓶に詰められた白い粉。
 そんな商売はしたこともないし、相場なんてもんは全然知らないが、あれだけの量があれば現実世界だったらビルが建つんじゃないだろうか。仕入れ値無しでそんなもんが手に入るんだ、自分で身体を賭けない上の連中は大喜びだろう。

「気に入ってもらえてよかった」

 報酬に納得できなかったら根付けを渡しちゃくれない可能性もあった。

「なんですかその得体の知れない手首は。みな戦々恐々としていたんですよ。おかしな魔法でも発動しやしないかとね」
「そんな大層なものじゃないさ」
「見る人が見たらわかりますよ。今回は約束だからお渡ししますが、あんまり高価なもんを見ると人間変わっちゃう人もいますからねえ。特に社会の裏側で生きてる人達なんかはね。ご忠告です」

 今後は関わらないように生きていきたいもんだ。俺は真面目な金貸しなんだから。

「さ、もう一個の用だ」
「お世話になってます」

 準備万端、やり手の番頭らしい。すいと利息分の封筒を差し出す。

「本当は完済できるんだろう。なんで詰めないんだ」
「そんなに自由にできるお金はありませんよ」

 この番頭がジャンプを続けるだいたいの目的は想像が付いている。
 今はまあいいかなという気持ちになっちゃあいるが、いつまでもというわけにはいかない。
 俺はカラスタの肩を掴んで番頭の前に突き出した。

「こいつは返すよ」

 一瞬、仮面を歪める不審が走った。
 カラスタも首を後ろにひねって焦った顔を俺に向ける。

「どういう意味で」
「こいつはあんたらの配下のものだろう。俺の店からの顧客情報をせっせとあんたらに送ってる。最初はヒノミカかと思ったが、あいつはそこまで賢しいマネはできない。こいつは見かけによらず頭は回る」
「初めて見る子ですがねえ」
「この辺で金貸しを始めた奴がいるってのは聞いてるんだ。あんたらだろう。俺から金を借りたのも手口を勉強するためだ。あんたの不可解な金の借り方もこれなら納得できる」

 〝赤の天領〟に隣接しているこのグオシエンでは〝この世ならざるもの〟が身近にある。うまくすれば大金が飛び交う渦中に入れる。俺に一社独占で美味い思いをさせておくのはもったいない、と誰でも考えるだろう。

「その業者がうちの客の借金を肩代わっていってる。最近は見事に完済客ばかりだ。貸付残高はみるみる減っている。簡単だもんな、すでに高利貸しから借りてる客には、そこより安く貸してやれば誰だって借り換えてくれる」

 現実世界の金融業者は当たり前にみんなやっている。

「ほう」
「うちの米びつに手を突っ込まれたら看過できない。店を出す分には目をつむるがな」

 すこしピリッとした沈黙が張り詰める。

「それではその業者を探しておきます。シキシマさんがそうおっしゃっていたことは伝えておきましょう」

 まあいいさ。

「じゃあ、カラスタ……お別れだ。遊びに来たら飯は食わせてやる」
「えっ、え」

 泣きそうな顔をしてもダメだ。
 そのとき、上がり框にいたうちのひとりが寄ってきて、カラスタの頭をぱんと叩いた。

「使えねえ野郎だな」

 口が悪いうえに手が早い。そのまま胸ぐらを掴んで表に引きずり出そうとする。

「おい、カラスタ」

 俺が声をかけると、ふたりの足が止まる。

「昨日の帰り道、話してたことを憶えてるか」

 ヒノミカにできておまえにできないことなんてないはずだ。

「サノンって人形遣いとそいつ、どっちがおっかないんだ」

 俺がなにを言っているのか、わかるのはカラスタだけだ。

「……でも」
「いくぞコラ」

 男がまた胸ぐらをぐいと引く。カラスタはうつむいたまま動こうとしなかった。

「ちんたらしてんじゃねえ」

 ぱん、ともう一発頭をはたかれる。
 その男にとってはなんでもない日常の行為だったんだろう。やたらと頭をはたいてくる奴ってのはいる。それでも、やられる方にはこんなに屈辱的なことはない。
 もう一度男が胸ぐらを掴んでカラスタを店から引っ張り出そうとしたとき――男の身体が音もなく宙を舞った。

「うわああああああああああ!」

 そして自分を鼓舞するようにカラスタは叫ぶ。
 男はそのまま入り口の戸を突き破って通りまでふっとんだ。柔道の投げ技――じゃ生ぬるい。トラックにはね飛ばされたように身体がねじれ、回転し、地面に叩きつけられている。

 カラスタは目に見えてぶるぶると震えていた。

「てめえ、」

 男は起き上がるとえらい剣幕でカラスタに向かってきた。あきらかに格下だと思っている年下の男に、こんな真似をされて激高している。刃物でももっていれば斬りかかっていただろう。
 しかし両の足は空をかくばかりで、こちらに向かってくるどころか段々と身体が浮き上がっていく。地面をグリップしなければ身体は前に進まない。

「殺してやる!」

 顔を真っ赤にした恫喝の言葉もいまは届かず町内に響くだけだ。
 男は楼閣の屋根あたりまで身体をもち上げられ、徐々に言葉を失っていった。
 火事と喧嘩は遊郭の華、と言うかどうかは知らないが周囲には珍しい見せ物に人だかりができはじめる。あきらかに赤ら顔の連中が焚きつけるように冷やかしを投げつけている。

 こんな場面に出くわしたら、だいたいの奴は俺と同じ気持ちになったはずだ。
 口許が緩んでしまう。

「やればできるじゃねえか」

 カラスタは興奮した顔つきでまだ震えていた。

「あいつは屋根の上にでも降ろしてやれよ」

 落ち方によっちゃ結構危ない高さだ。怪我をさせると禍根を残す。

「番頭さん、」俺は店のなかに向かって声をかけた。「入り口の修理代は俺がもつよ。二百万できれいにしてやってくれ。つーことで、今預かってる利息と合わせて二百二十万、これで完済だ。短い付き合いだったな。小切手は返す」

 預かっていた小切手を取りだした俺は、真ん中からひと思いに破った。二枚になった紙片はひらひらと地面に落ちる。
 番頭はいつも通り涼しげな顔のまま、肩をすくめてなにも言わなかった。他の連中もそれを見て黙ったままだ。

「さあ帰ろうか」

 俺はカラスタの肩に腕を回した。

「え、で、でも」
「俺は歩けねーんだから、しっかり頼むよ」

 なけなしの筋力で、立ったままの背中に飛び乗る。

「とりあえずこの荷物はおまえん家に隠しておいてくれよな。人に見られると元の木阿弥だし」

 なにも言わずにカラスタは浮かび上がって、しばらくそこに留まっていた。
 屋根の上からは男の罵声が降り注いでいる。

「こんなとことは縁切っちゃえよ」

 こいつとヒノミカにはうちの店の修繕費を稼いでもらわないといけないしな。貴重な労働ソースをこんなところに裂いてもらったら困るんだよ。

「うちの店には皇軍の魔法使いだってはねのける魔女がいるんだ。そしておまえは魔女の身内なんだ。遊郭の連中が何人集まったって関係ねえ。なんにも気にしないでよ、うちで頑張れよ」

 俺はひゃははと笑ってシリアスな空気を吹き飛ばそうとした。
 それなのに、

「ふぁぃっ」

 こいつまた泣いてやがる。

        *

「ちがうっ。こうだと言ってるのに、なんじゃ何回も何回も」
「ううっ」

 カウンターに置き去りにされていた紐の輪っかを見つけてしまったのが運の尽きだ。ヒノミカは朝からあやとりの指導を受けて頬を濡らしている。

「だってなに作ってるかわからないしぃ」
「エッフェル塔じゃ!」
「なんなんですかぁエッフェルトーって」

 すでに何度も泣きを入れている。不器用さにかけてはヒノミカの右に出る者はいないようだ。そんなことも知らないのか、とミツハは得意になって網状の紐をきゅっともち上げている。自分より劣った奴を見つけてえらく楽しそうだ。

「ヒノミカちゃん、おっきな塔だよ。ふふふ」

 いすゞは得意そうにキュッキュと指を動かして、

「とうきょうタワー」

 イタズラっぽくそう言った。
 ヒノミカもミツハもギョッとして、そのエッフェル塔とたいして変わらないものを見つめる。

「なんじゃ、とうきょうたわあ、とは」
「社長、トーキヨータワーですよ」
「おっきな塔」

 塔ばっかじゃねえか。

 あの日以来、ミツハはあまり俺と目を合わせようとしない。露骨に避けているというわけじゃないが、どこかツンとしている。そんなものはなんとなくわかる。代わり、いすゞやヒノミカとの距離が近くなったような気がする。

 まだ怒ってんのか、とゲンナリするところではあるが、殺されないだけましだという考え方もできる。
 俺もガキの頃にやったあやとりの技をひとつでも憶えていたら、この場のスターになれたかもしれない。なりたかないけど。

 正直、いつシブカワと黒甲冑軍団が乗り込んでくるのか、と気が気じゃなかった。いまでも客が来るたびにびくりとしてしまう。
 しかしあれから店には来ていない。

 あの日、あのシブカワの手先が繊維問屋の倉庫に根付けを回収しに行った深夜、ヤクザものに金属ケースを横取りさせた。報酬はご禁制の白い粉。自分のやったことが正義か否かというのはもちろんわかっている。
 わかっていてやったのだ。

 体面上だけだとしても、俺が無関係を装ったまま鉄鉱の青を取り戻すにはこれしかなかった。
 その白い粉が流通したせいで不幸になる奴が出るかもしれないし、銀行は一億もの貸付金を焦がすことになるし、シブカワ自身の立場にも影響を与えるかもしれない。
 わかっていてやったのだ。

 自分勝手にもほどがあると、この世界を作った、この世界に俺を投げ込んだ、神様的存在に愛想を尽かされるかもしれない。

 それでも俺は金貸しだから。
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