迷子の迷子の
文字数 3,053文字
「悪党め。かなりきつめの条件を付けたな。〝赤の天領〟から〝この世ならざるもの〟なんて転送させたら八十万くらい楽勝だろう。なにがモンスターの角だ。そんなもの送って寄こしたら返済した釣りでしばらくは遊んで暮らせるぞ」
ミツハはパーティが帰ったあとの入り口を見つめたまま呟くように言った。批判の色はあまり含まれていない。揶揄するようなものだ。
「三日で全滅する可能性もある。金融業ってのはリスクの対価で飯を食ってるんだ」
ダンジョン攻略知識のないままこの街に来る客が悪いとも言える。
「途中で根付けを担保になどと無茶を言ったのは作戦か」
「最初に無理目の要求をして、取り下げるかわりに厳しい条件を飲み込ませるのは金貸しの基本だ。いきなり五日で一割なんて言うと拒否反応を起こしかねないからな」
ミツハはじとっとした眼で俺を睨めてのたもうた。
「今日の飯当番はおまえだ。大儲けの前祝いと思って、得意のコロケとやらを作ってくれ」
狙いはそれか。
この世界にはコロッケすらない。目の前の魔女がそれをいたく気に入ったとしても不思議はない。ガキの頃から食べている俺だって大好きなんだからな。唯一の不満があるとすればソースがないことだ。男やもめにそれを製造するのは低くないハードルがある。レシピすら存在しない。
「あいつら戻ってくると思うか」
「さあ。一億集めるということにとらわれて無理な侵攻をすれば、想像していなかったような悪魔に首を狩られるだろう。あの根付けの娘は魔力を引き出せるようだが、五人を守り抜けるかというと疑問だ。しかし〝赤の天領〟を吹く風は気まぐれだ。こちら側にもち込まれていないような超絶稀少鉱石や、モンスターの遺物が安易に転がり込んでくる可能性もないわけじゃない」
その場合の「可能性」とやらは、毎日散歩をしていれば皇国の姫殿下に見初められる可能性だってあるぞ、というような笑い話に近いものがある。
「それにしてもあの根付け、なんだってあんなパーティに……完全なる猫に小判だな」
「ね? ネコニコナン?」
「いや、なんでもない」
失言だった。
「あの娘、北端から来たと言っていたな。おおかた皇国の中心にいた偉大な魔法使いを先祖にもつんだろう。番手の若い偉大な魔法使いでも政治や権力に興味がなければ、中央を離れて牧歌的な地方で余生を過ごすというのはよくあった話だ。この数百年、運良く見つからずに生活していたのだろうが、家が傾いて借金を抱えたんじゃないのか」
それで唯一の財産とも言える根付けと友人をともなって、魔界交差点たるこのグオシエンの街にやってきた、と。
そうだとしたら絶望的だと思う。土俵際ぎりぎりでの逆転を狙ったギャンブルなど勝てるわけがない。特に借りた金で打つギャンブルには必敗の理がある。
「せめて五日は生き残ってくれると良いんだけどな」
俺とミツハは店のカウンターに並んで座って、組んだ腕に顎を乗せ、ガラス張りの店正面から表通りをぼんやりと眺めていた。日が傾きアンニュい夕刻だった。
ミツハの雰囲気が暗いのはいつものことだが、今日はどこか心ここにあらずという雰囲気があった。それは俺が勝手に意識している色眼鏡故かもしれないが、うんともすんとも言わず眼をつむることもなく、夕日に染まった通りに視線を注いでいると、感慨にふけっているように見えてしまう。
きっと番手の若い根付けを相続した魔法使いに会ったからだ。
かつて出会ったばかりの頃、ミツハは自分が壱番の根付けの継承者だと言ったことがある。その頃は魔法使いの流儀など知ったこっちゃないから感動も薄かったが、この商売を始めてから三桁番台の根付けでも相当稀少であると知った。
二桁番台なんて、それこそ一生拝めずに死ぬ奴がほとんどだろう。そのなかで壱番の根付けと言えば、つまりこの世界に数多ある緘魔石の最高峰だ。
今のミツハの落ちぶれっぷりを見ていると、とても信じられない。
本人曰く、すでに壱番の根付けは所有していない。
普段はおくびにも出さないが、筋の良い根付けを見て自分の手にあるはずだった天下第一の根付けを思い出したんじゃなかろうか。
「……なんだあいつは」
不意にミツハが口を開いた。
店の前をとぼとぼと歩く子どもがひとりいる。
「ん? あっ!」
俺は思わず立ち上がってしまった。
小学校に上がるか上がらないかという年頃の女の子だろうか。見た目だけはミツハに近い。ところが容姿はまだしも、その格好に強烈な違和がまとわりついている。異質な存在感がある。
「おまえのお仲間に見えるな、シキシマ」
その子どもとすれ違うと皆が振り返って興味深そうな顔をする。この街は〝赤の天領〟に隣接する唯一の街で、異質なものを街中で目にする機会は多い。それゆえにソレを目当てに集まってくる不逞の輩も多く、またそういう連中に金を出す奴も多い。事実はどうあれ、街のなかでは俺もそういった連中の末端くらいには思われているだろう。
俺はなにも言わずに店の外に飛び出した。
不逞の輩が跋扈する地域で保護者もなくほっつき歩いているとしたら大問題だ。
「おい、そこのガキ」
なんて呼びかけて良いかわからず、つい伝法な物言いになってしまった。
少女はびくりと静止すると、緊張した面持ちで唇を噛み締め、振り向いた。
服装もこの辺じゃ見かけないものだし、デザインの方向性というか思想というか体系が、自分にとってとても馴染み深いものに思われた。そして、俺はその腕にはめられているものを見て確信する。
「親はどうした。なんでひとりでこんな街を歩き回っているんだ。どうやって来たんだ」
「あ、あの、だいじょうぶなので」
精一杯気丈に見せようと頑張っているが、その足は震えている。それを見て、俺は少しだけ冷静になった。この年頃の女の子をミツハしか知らないせいか、いまいち正しい接し方がわからない。えらく怖がらせてしまったようだ。
目線を合わせればいいんだっけ。いや、そりゃ猫だったかな。とにかく腰を落とした。
「怖がらせてごめん。その腕の時計、見せてくれないかな」
少女はぎゅっと握っていたスカートから左手を離して、無言のまま俺に差し出した。
なにも奪い取るつもりはない。
首を曲げて文字盤を覗き込むと、そこには子ども向けに有名な可愛らしい猫のキャラクターが微笑んでいた。間違いない。
「お母さんとはぐれちゃったんだろ」
少女の目にはすでにいっぱいの涙がたまっていて、決壊までの時間はそう残されていないようだ。
「心配しなくていい。俺は君と同じ世界から来たんだ。このキャラクターも知ってるぞ。ミティだろ。妹が好きでたくさんグッズを集めていたからな。なにも心配はいらないよ。わかるか」
少女がこくんと頷くと、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちて地面を濡らす。
「シキシマ、なにを泣かしている」
ミツハが俺の背中越しに顔を覗かせて、少女を見た。こいつが現れると、遠巻きに俺たちのことを見ていた奴らが苦い顔をして去っていく。
「どうだ、おまえの仲間だったのか――え、」
途端に少女の口がわななき、ぶわっと涙が溢れ、えっえう、という嗚咽とともに盛大に泣き出した。
「なんだ、どうしたんだ」
「ミツハ、聞いて驚け! この子は俺と同じ世界からやって来たんだ!」
ミツハはパーティが帰ったあとの入り口を見つめたまま呟くように言った。批判の色はあまり含まれていない。揶揄するようなものだ。
「三日で全滅する可能性もある。金融業ってのはリスクの対価で飯を食ってるんだ」
ダンジョン攻略知識のないままこの街に来る客が悪いとも言える。
「途中で根付けを担保になどと無茶を言ったのは作戦か」
「最初に無理目の要求をして、取り下げるかわりに厳しい条件を飲み込ませるのは金貸しの基本だ。いきなり五日で一割なんて言うと拒否反応を起こしかねないからな」
ミツハはじとっとした眼で俺を睨めてのたもうた。
「今日の飯当番はおまえだ。大儲けの前祝いと思って、得意のコロケとやらを作ってくれ」
狙いはそれか。
この世界にはコロッケすらない。目の前の魔女がそれをいたく気に入ったとしても不思議はない。ガキの頃から食べている俺だって大好きなんだからな。唯一の不満があるとすればソースがないことだ。男やもめにそれを製造するのは低くないハードルがある。レシピすら存在しない。
「あいつら戻ってくると思うか」
「さあ。一億集めるということにとらわれて無理な侵攻をすれば、想像していなかったような悪魔に首を狩られるだろう。あの根付けの娘は魔力を引き出せるようだが、五人を守り抜けるかというと疑問だ。しかし〝赤の天領〟を吹く風は気まぐれだ。こちら側にもち込まれていないような超絶稀少鉱石や、モンスターの遺物が安易に転がり込んでくる可能性もないわけじゃない」
その場合の「可能性」とやらは、毎日散歩をしていれば皇国の姫殿下に見初められる可能性だってあるぞ、というような笑い話に近いものがある。
「それにしてもあの根付け、なんだってあんなパーティに……完全なる猫に小判だな」
「ね? ネコニコナン?」
「いや、なんでもない」
失言だった。
「あの娘、北端から来たと言っていたな。おおかた皇国の中心にいた偉大な魔法使いを先祖にもつんだろう。番手の若い偉大な魔法使いでも政治や権力に興味がなければ、中央を離れて牧歌的な地方で余生を過ごすというのはよくあった話だ。この数百年、運良く見つからずに生活していたのだろうが、家が傾いて借金を抱えたんじゃないのか」
それで唯一の財産とも言える根付けと友人をともなって、魔界交差点たるこのグオシエンの街にやってきた、と。
そうだとしたら絶望的だと思う。土俵際ぎりぎりでの逆転を狙ったギャンブルなど勝てるわけがない。特に借りた金で打つギャンブルには必敗の理がある。
「せめて五日は生き残ってくれると良いんだけどな」
俺とミツハは店のカウンターに並んで座って、組んだ腕に顎を乗せ、ガラス張りの店正面から表通りをぼんやりと眺めていた。日が傾きアンニュい夕刻だった。
ミツハの雰囲気が暗いのはいつものことだが、今日はどこか心ここにあらずという雰囲気があった。それは俺が勝手に意識している色眼鏡故かもしれないが、うんともすんとも言わず眼をつむることもなく、夕日に染まった通りに視線を注いでいると、感慨にふけっているように見えてしまう。
きっと番手の若い根付けを相続した魔法使いに会ったからだ。
かつて出会ったばかりの頃、ミツハは自分が壱番の根付けの継承者だと言ったことがある。その頃は魔法使いの流儀など知ったこっちゃないから感動も薄かったが、この商売を始めてから三桁番台の根付けでも相当稀少であると知った。
二桁番台なんて、それこそ一生拝めずに死ぬ奴がほとんどだろう。そのなかで壱番の根付けと言えば、つまりこの世界に数多ある緘魔石の最高峰だ。
今のミツハの落ちぶれっぷりを見ていると、とても信じられない。
本人曰く、すでに壱番の根付けは所有していない。
普段はおくびにも出さないが、筋の良い根付けを見て自分の手にあるはずだった天下第一の根付けを思い出したんじゃなかろうか。
「……なんだあいつは」
不意にミツハが口を開いた。
店の前をとぼとぼと歩く子どもがひとりいる。
「ん? あっ!」
俺は思わず立ち上がってしまった。
小学校に上がるか上がらないかという年頃の女の子だろうか。見た目だけはミツハに近い。ところが容姿はまだしも、その格好に強烈な違和がまとわりついている。異質な存在感がある。
「おまえのお仲間に見えるな、シキシマ」
その子どもとすれ違うと皆が振り返って興味深そうな顔をする。この街は〝赤の天領〟に隣接する唯一の街で、異質なものを街中で目にする機会は多い。それゆえにソレを目当てに集まってくる不逞の輩も多く、またそういう連中に金を出す奴も多い。事実はどうあれ、街のなかでは俺もそういった連中の末端くらいには思われているだろう。
俺はなにも言わずに店の外に飛び出した。
不逞の輩が跋扈する地域で保護者もなくほっつき歩いているとしたら大問題だ。
「おい、そこのガキ」
なんて呼びかけて良いかわからず、つい伝法な物言いになってしまった。
少女はびくりと静止すると、緊張した面持ちで唇を噛み締め、振り向いた。
服装もこの辺じゃ見かけないものだし、デザインの方向性というか思想というか体系が、自分にとってとても馴染み深いものに思われた。そして、俺はその腕にはめられているものを見て確信する。
「親はどうした。なんでひとりでこんな街を歩き回っているんだ。どうやって来たんだ」
「あ、あの、だいじょうぶなので」
精一杯気丈に見せようと頑張っているが、その足は震えている。それを見て、俺は少しだけ冷静になった。この年頃の女の子をミツハしか知らないせいか、いまいち正しい接し方がわからない。えらく怖がらせてしまったようだ。
目線を合わせればいいんだっけ。いや、そりゃ猫だったかな。とにかく腰を落とした。
「怖がらせてごめん。その腕の時計、見せてくれないかな」
少女はぎゅっと握っていたスカートから左手を離して、無言のまま俺に差し出した。
なにも奪い取るつもりはない。
首を曲げて文字盤を覗き込むと、そこには子ども向けに有名な可愛らしい猫のキャラクターが微笑んでいた。間違いない。
「お母さんとはぐれちゃったんだろ」
少女の目にはすでにいっぱいの涙がたまっていて、決壊までの時間はそう残されていないようだ。
「心配しなくていい。俺は君と同じ世界から来たんだ。このキャラクターも知ってるぞ。ミティだろ。妹が好きでたくさんグッズを集めていたからな。なにも心配はいらないよ。わかるか」
少女がこくんと頷くと、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちて地面を濡らす。
「シキシマ、なにを泣かしている」
ミツハが俺の背中越しに顔を覗かせて、少女を見た。こいつが現れると、遠巻きに俺たちのことを見ていた奴らが苦い顔をして去っていく。
「どうだ、おまえの仲間だったのか――え、」
途端に少女の口がわななき、ぶわっと涙が溢れ、えっえう、という嗚咽とともに盛大に泣き出した。
「なんだ、どうしたんだ」
「ミツハ、聞いて驚け! この子は俺と同じ世界からやって来たんだ!」