深夜深々
文字数 3,216文字
ふっくらとした頬には愛嬌がある。
昔から太った奴には弱かった。
小学生の頃に、太っていることを原因に虐められている奴がいると、黙っていられなかった。教科書を盗られたときには取り返してやったこともある。
現実世界での金貸しの回収で、膝を抱えた丸こいガキが居たら親を怒鳴れなかった。弁当を差し入れてやったこともあるし、一緒にゲームをしたこともある。
だから、
「今まで散々、手心加えてやったんだ、今回くらいは俺の力になれよ」
「なんですか、それー」
俺の寝るベッドの横でカラスタはブーたれていた。
小さいヒノミカと違って、成人男性はすこぶる重いと言う。
「ヤフリアースさん、久しぶりだね!」
俺が目覚めたと聞いてモグリ医者が部屋に飛び込んできた。こんなに馴れ馴れしい奴だったっけ。えくぼを浮かべて友達のように話しかけてくる。
「こないだ置いていったこれ、これさあ、」シュッシュとライターの火花を散らす。「なかに入っていた液体がないと火が着かないんだね」
「そりゃそうですよ」
「使い切っちゃったんだ。今度はこれの中身をもらえないかな。みんなに自慢しまくってすぐなくなっちゃって」
二重三重に無理がある。
「それ、使い捨て用だから無理ですよ」
「えっ! なんで、そうなの」
「今回はそちらの人が現金で払ってくれると思うから」
俺の声を聞いて、シブカワがちらりとこちらを見た。返事もせず、すぐに書類へ視線を戻す。サノンは背後霊のように傍らに立ってむっつりと黙っている。
約束通りシブカワは書類をもってこさせ、モグリ病院の一室でぐりぐりとペンを走らせ中だ。早くしないと折角の計画がミツハにめちゃくちゃにされる。
「ブーちゃん、あの書類をもって店に帰るから、最大限全速力で頼む。明日から毎日美味いもん食わせてやるからよ」
「う、美味いもの、ですか」
なんでも好きなもんを食わせてやるよ。
これが無事に済んだら安いものだ。
「できたぞ。根付けの場所を教えてもらおう」
サノンが幾枚かの書類をすぐ横までもってきていた。
俺はリリリンの家の完済証明書と、攻略資金金融に一切関わらないと書かれた証文にシブカワのサインを確認した。
「あれ、こっちの書類は皇国銀行の印が押してないけど」
「攻略資金金融など街金の仕事に皇国がお墨付きなど与えられない。私個人の名前もこの国ではそれほど安くはない。そこは納得してもらおうか」
まあ、いいか。
俺が書類を受け取ろうと手を伸ばすと、サノンが頭上にもち上げた。
「先に根付けの隠してある場所を言え。そっちの信用の方が数段落ちる」
ひでえなあ。
「誤魔化す気なんかない。銀行だったらすぐに調べられると思うが、この街にひとつ大きな繊維問屋がある。皇軍のテント納入なんかもしてるところだ。そこの問屋の倉庫に隠してある」
「問屋の倉庫?」
シブカワが訝しむ。それは銀行屋としてとても板についていた。
「心配しないでも不渡り出して夜逃げしている。さっきも寄ったが静かなものだ」
「おい」入り口に立っていた皇軍兵士に声をかけると、「繊維問屋だ。すぐに照会しろ。それから二十名ほど集めて出発しろ」
「ちょっとまった」
まだなんかあるのか、とシブカワはずいぶん気が急いた様子だ。そんなに根付けが大切か。
「倉庫も広い。入ったら左手に沿って奥に進む。少し飛び出した腰高の木箱があったら、それだ。なかには目一杯衣類が放り込まれている。その服を全部取り出すと、木箱の底が二重になってるのがわかるから。二重底のなかに鍵付きの金属ケースが詰め込まれていて、それに根付けを入れてきた。鍵は壊れている。以上」
シブカワが目配せすると、兵士はすぐに出ていった。
「サノンはこのふたりに、証文をもたせた人形を一体付けてくれ。倉庫に根付けがあると確認できるまで証文は渡すな。それとなかった場合……そうだな、この太った子の腕を落としてかまわない」
「なっななっ」
カラスタは口を複雑に動かしたが、出てくる音は言葉になっていなかった。
「心配するな根付けはある」
とは言っても、常に見張っているわけじゃないけどさ。
「シブカワさん、俺が城門で倒れてからどれくらいの時間が経ってる」
「一時間くらいだな」
現実世界では世界的に有名な機械式時計を確認してそう言った。一時間程度ならそう悪くない。
「じゃあ俺も、ミツハが目覚める前に戻りたい。行くか」
カラスタは苦い顔をしつつも、背中に乗れと腰を落とした。
「肩車でもいいか」
「駄目です」
洒落も通じない。
「ヤフリアースさん、また来てくれよ」
何度もこんな病院にお世話になるほどヴァイオレンスな日常を過ごしたくない。
「気が向いたらね」
カラスタの背中に乗ると、すっと浮き上がるのがわかった。不思議な浮遊感だ。
「じゃあなシブカワさん。もう会いたくないけど」
「お互いのためにも、根付けがすぐに見つかることを願っているよ」
ガキのくせに丸こく大きい背中が、びくりと揺れた。
*
漆黒の武者は俺たちの五歩後ろでぴたりと着いてきた。
ガシャリガシャリという音がしんとした夜の街によく響いている。カラスタは気味悪がってか、思ったよりも速いスピードが出ていた。といっても、普通に歩くのと変わらないが。
「この人形って声も聞こえてるのかな」
「さあ、聞こえないと思いますけど」
「こんなに遠隔操作できるなんて、結構あの女はすごい魔法使いなのかな」
「皇国に雇われてるってだけで桁違いにすごいです。ガクリョーに入るだけでもとてつもないのに、すでに仕事までこなすんだから」
「魔導学寮とかいうやつか。おまえとかヒノミカの根付けって何番とかあるのか」
「さあ。子どもの頃は母ちゃんから『実はうちの根付けは、かの殿中の事件で行方不明になった壱番の根付けだ』って聞かされたけど、絶対嘘だし。ヒノミカちゃんも似たようなこと言われてたみたいだし」
笑う。
「俺からしたら宙に浮くだけでも充分すごいぞ」
「……僕はすごくなんかないですよ。昼間、ヒノミカちゃんがあの人形遣いに逆らったとき、本当にびっくりしました。二桁番台の根付けを相続して皇国に雇われているような相手に喧嘩売るなんて……」
考えてもみなかった。
俺の額に突きつけられた漆黒の刀、それをはじき飛ばしたヒノミカ。自分より強大な相手に向かっていくなんて誰にでもできることじゃない。
「はは、開闢此の方最悪の魔女、ミツハが居なかったらあいつ死んでたな」
無鉄砲な奴だ。
「一応感謝しておくか」
カラスタは浮いているもんだからなんの音もしない。騒音問題とは無縁のクリーン魔法使いだ。
だから、会話がやんで深夜の静まりかえった街のなかで、やたらと静寂が耳についた。世界には自分たち以外居ないんじゃないかと錯覚するような、夢から覚めてしまいそうな、そんな深々とした空気。
あ、
「おい、止まれ」
首をひねって背後を見ると、闇に溶け込みそうな鎧甲はただ突っ立って静止していた。右手に証文の入った筒を握って前につき出している。
「ちょっと戻ってくれ」
太った少年の肩越しにそれを受け取ると、なんの感慨もなくサノンの人形は踵を返した。
「なんですかね」
「捜し物が見つかったんだろう」
「ほんとですか!」
問題はここからだ。
このままでミツハが納得するとは思えない。
「腕が落とされなくて良かったな」
ぐすりぐすりとカラスタは声もなく泣きだす。
「おまえ今日泊まっていけよ。セロリって姉ちゃんのベッドで一緒に寝ていいからよ」
鼻をすする音が足音代わりに響いていた。
昔から太った奴には弱かった。
小学生の頃に、太っていることを原因に虐められている奴がいると、黙っていられなかった。教科書を盗られたときには取り返してやったこともある。
現実世界での金貸しの回収で、膝を抱えた丸こいガキが居たら親を怒鳴れなかった。弁当を差し入れてやったこともあるし、一緒にゲームをしたこともある。
だから、
「今まで散々、手心加えてやったんだ、今回くらいは俺の力になれよ」
「なんですか、それー」
俺の寝るベッドの横でカラスタはブーたれていた。
小さいヒノミカと違って、成人男性はすこぶる重いと言う。
「ヤフリアースさん、久しぶりだね!」
俺が目覚めたと聞いてモグリ医者が部屋に飛び込んできた。こんなに馴れ馴れしい奴だったっけ。えくぼを浮かべて友達のように話しかけてくる。
「こないだ置いていったこれ、これさあ、」シュッシュとライターの火花を散らす。「なかに入っていた液体がないと火が着かないんだね」
「そりゃそうですよ」
「使い切っちゃったんだ。今度はこれの中身をもらえないかな。みんなに自慢しまくってすぐなくなっちゃって」
二重三重に無理がある。
「それ、使い捨て用だから無理ですよ」
「えっ! なんで、そうなの」
「今回はそちらの人が現金で払ってくれると思うから」
俺の声を聞いて、シブカワがちらりとこちらを見た。返事もせず、すぐに書類へ視線を戻す。サノンは背後霊のように傍らに立ってむっつりと黙っている。
約束通りシブカワは書類をもってこさせ、モグリ病院の一室でぐりぐりとペンを走らせ中だ。早くしないと折角の計画がミツハにめちゃくちゃにされる。
「ブーちゃん、あの書類をもって店に帰るから、最大限全速力で頼む。明日から毎日美味いもん食わせてやるからよ」
「う、美味いもの、ですか」
なんでも好きなもんを食わせてやるよ。
これが無事に済んだら安いものだ。
「できたぞ。根付けの場所を教えてもらおう」
サノンが幾枚かの書類をすぐ横までもってきていた。
俺はリリリンの家の完済証明書と、攻略資金金融に一切関わらないと書かれた証文にシブカワのサインを確認した。
「あれ、こっちの書類は皇国銀行の印が押してないけど」
「攻略資金金融など街金の仕事に皇国がお墨付きなど与えられない。私個人の名前もこの国ではそれほど安くはない。そこは納得してもらおうか」
まあ、いいか。
俺が書類を受け取ろうと手を伸ばすと、サノンが頭上にもち上げた。
「先に根付けの隠してある場所を言え。そっちの信用の方が数段落ちる」
ひでえなあ。
「誤魔化す気なんかない。銀行だったらすぐに調べられると思うが、この街にひとつ大きな繊維問屋がある。皇軍のテント納入なんかもしてるところだ。そこの問屋の倉庫に隠してある」
「問屋の倉庫?」
シブカワが訝しむ。それは銀行屋としてとても板についていた。
「心配しないでも不渡り出して夜逃げしている。さっきも寄ったが静かなものだ」
「おい」入り口に立っていた皇軍兵士に声をかけると、「繊維問屋だ。すぐに照会しろ。それから二十名ほど集めて出発しろ」
「ちょっとまった」
まだなんかあるのか、とシブカワはずいぶん気が急いた様子だ。そんなに根付けが大切か。
「倉庫も広い。入ったら左手に沿って奥に進む。少し飛び出した腰高の木箱があったら、それだ。なかには目一杯衣類が放り込まれている。その服を全部取り出すと、木箱の底が二重になってるのがわかるから。二重底のなかに鍵付きの金属ケースが詰め込まれていて、それに根付けを入れてきた。鍵は壊れている。以上」
シブカワが目配せすると、兵士はすぐに出ていった。
「サノンはこのふたりに、証文をもたせた人形を一体付けてくれ。倉庫に根付けがあると確認できるまで証文は渡すな。それとなかった場合……そうだな、この太った子の腕を落としてかまわない」
「なっななっ」
カラスタは口を複雑に動かしたが、出てくる音は言葉になっていなかった。
「心配するな根付けはある」
とは言っても、常に見張っているわけじゃないけどさ。
「シブカワさん、俺が城門で倒れてからどれくらいの時間が経ってる」
「一時間くらいだな」
現実世界では世界的に有名な機械式時計を確認してそう言った。一時間程度ならそう悪くない。
「じゃあ俺も、ミツハが目覚める前に戻りたい。行くか」
カラスタは苦い顔をしつつも、背中に乗れと腰を落とした。
「肩車でもいいか」
「駄目です」
洒落も通じない。
「ヤフリアースさん、また来てくれよ」
何度もこんな病院にお世話になるほどヴァイオレンスな日常を過ごしたくない。
「気が向いたらね」
カラスタの背中に乗ると、すっと浮き上がるのがわかった。不思議な浮遊感だ。
「じゃあなシブカワさん。もう会いたくないけど」
「お互いのためにも、根付けがすぐに見つかることを願っているよ」
ガキのくせに丸こく大きい背中が、びくりと揺れた。
*
漆黒の武者は俺たちの五歩後ろでぴたりと着いてきた。
ガシャリガシャリという音がしんとした夜の街によく響いている。カラスタは気味悪がってか、思ったよりも速いスピードが出ていた。といっても、普通に歩くのと変わらないが。
「この人形って声も聞こえてるのかな」
「さあ、聞こえないと思いますけど」
「こんなに遠隔操作できるなんて、結構あの女はすごい魔法使いなのかな」
「皇国に雇われてるってだけで桁違いにすごいです。ガクリョーに入るだけでもとてつもないのに、すでに仕事までこなすんだから」
「魔導学寮とかいうやつか。おまえとかヒノミカの根付けって何番とかあるのか」
「さあ。子どもの頃は母ちゃんから『実はうちの根付けは、かの殿中の事件で行方不明になった壱番の根付けだ』って聞かされたけど、絶対嘘だし。ヒノミカちゃんも似たようなこと言われてたみたいだし」
笑う。
「俺からしたら宙に浮くだけでも充分すごいぞ」
「……僕はすごくなんかないですよ。昼間、ヒノミカちゃんがあの人形遣いに逆らったとき、本当にびっくりしました。二桁番台の根付けを相続して皇国に雇われているような相手に喧嘩売るなんて……」
考えてもみなかった。
俺の額に突きつけられた漆黒の刀、それをはじき飛ばしたヒノミカ。自分より強大な相手に向かっていくなんて誰にでもできることじゃない。
「はは、開闢此の方最悪の魔女、ミツハが居なかったらあいつ死んでたな」
無鉄砲な奴だ。
「一応感謝しておくか」
カラスタは浮いているもんだからなんの音もしない。騒音問題とは無縁のクリーン魔法使いだ。
だから、会話がやんで深夜の静まりかえった街のなかで、やたらと静寂が耳についた。世界には自分たち以外居ないんじゃないかと錯覚するような、夢から覚めてしまいそうな、そんな深々とした空気。
あ、
「おい、止まれ」
首をひねって背後を見ると、闇に溶け込みそうな鎧甲はただ突っ立って静止していた。右手に証文の入った筒を握って前につき出している。
「ちょっと戻ってくれ」
太った少年の肩越しにそれを受け取ると、なんの感慨もなくサノンの人形は踵を返した。
「なんですかね」
「捜し物が見つかったんだろう」
「ほんとですか!」
問題はここからだ。
このままでミツハが納得するとは思えない。
「腕が落とされなくて良かったな」
ぐすりぐすりとカラスタは声もなく泣きだす。
「おまえ今日泊まっていけよ。セロリって姉ちゃんのベッドで一緒に寝ていいからよ」
鼻をすする音が足音代わりに響いていた。