焦げ太りの仁義

文字数 3,802文字

 缶ジュースを飲みたいからといって小銭を借りていった友人が、その金を返せないからと代わりに家を差し出してきたらどう思うだろうか。

 焦げ肥りの真骨頂だろう。
 返済が困難になって焦げ付いたとき、担保のおかげで逆に金利以上の利が出ることはままある。しかしそれが友人知人からとなれば、受け取る方もなかなかの根性がいる。

「だから債務者とは仲良くなっちゃだめなんだよ」

 別にミツハが悪いわけではないが、他に言う相手もいないし、ひとりごちたらそのような形になってしまった。

「その教訓を学ぶための、教科書のような出来事であったな」

 言い返してくるかと思ったが、わりと素直に受け止めている。
 リリリンたちにはきっと、とても大きな脅威が襲いかかったのだろう。抜き差しならないその(きわ)に、リリリンは自らの手首を斬り落として、根付けを転送してきた。

 ――と、解釈するのが最も自然だ。
 これはどういう意味だろう。
 知らない誰かに奪われるくらいなら、あるいは自身の死によって〝赤の天領〟に朽ちさせてしまうくらいなら、ちょっと顔見知りの貸金業者に送った方がマシだと判断したのか。

 ふざけやがって。
 今回の件がもし、リリリン御一行がものすごく嫌な連中で、街の嫌われ者で、皇国からも指名手配がかかるような極悪人であったなら、八十万の貸付で生涯に何度もお目にかかれないような貴重な根付けが手に入ったと大喜びしたかもしれない。三代先まで遊んで暮らせるような大金が手に入るだろうし、もし売らないにしても二桁台の根付け――膨大な魔力が引き出せる緘魔石を自宅に飾っておけるという所有欲は他のもので満たせることはなかなかないだろう。

 俺とミツハは言葉少なに〝赤の天領〟へ向かって歩いている。
 いすゞはどこか遊びに行くと勘違いしているのか、勝手にミツハの左手を握ってぶんぶんと振り回している。

 それは突然現れるような錯覚を与えてくる。
 そりゃあ〝ゲート〟が開いて〝この世ならざるもの〟がこの世界に現れるまでは未開墾のジャングルであったのだから当然なのだが、普段生活する街中の平坦さから比べて、長大な壁とそれを超えるような背の高い木々が目の前にせまると、この落差に思考が追いつかなくなる。

 葉はもっさりと茂り、様々な種類の緑がモザイクのように立ちはだかり視界を完全に遮る。現実世界の木々もあそこまで成長するものなのだろうか。足下まで陽が入ってこないのは容易に想像がつくし、好んで入っていこうという奴らはやはりおかしいと思う。

「あれはなんですか。どうぶつ園?」
「ドウブツエン? なんだそれは」
「動植物を檻のなかに入れて、人間が歩いて見て回る公園だ」

 ミツハは少し首をかしげると、

「そうだな、それならあれはどうぶつ園というものだろう」

 そこは目に見えない結界で隔離されているという。
 千年以上も前に魔物が湧き出て暴れまわった結果、直接討伐することを諦め、皇国の魔導士たちは〝ゲート〟を中心に広大な緩衝エリアを含めて結界を張った。

「わたしもここに結界を提供したことがあるのだぞ」
「提供?」
「そうだ、魔法適性のある者はまずこの世界の絶対防衛ラインである〝赤の天領〟に結界を張ることから覚えさせられる。攻撃よりも大切なことだからな。故にここの結界は何百年、何万人もの魔導士が結界を提供して連綿と受け継がれているのだ。目には見えないが毎年毎年それは強固になっていることだろうな」

 開闢此の方の魔女がそう言うと、知覚できない結界も頼もしいものに思えてくる。
 結界外郭の城門に向かって歩いていると、見覚えのあるものがいくつか視界に現れた。この景色はかつて俺がこの世界に飛ばされてきた以来だ。

「まずは城門に行ってみるか。シキシマ」頼んだぞ、とミツハは顎をしゃくる。
「おまえの方が弁が立つだろ。行ってきてくれよ」
「ふん。このような幼い姿形で城門の兵士が相手にすると思うか」
「む……」普段は子ども扱いに怒りをたぎらせるくせに。

 仕方のないことだが、しかし釈然としないものがある。パシリ扱いだ。
 城門は〝赤の天領〟の出入り口であり、そこはとても重要な施設でもある。終末思想のいかれた奴らがテロでも仕掛けて、閉じられた世界を解放してしまったなら秩序社会が終わる。当たり前だが、生半可な警備体制ではなかった。

 大きな柵と、武装した兵士と、金属の門と、石の壁。壁というかもう城じゃないかと誰もが思う。
 警備に当たっている連中も、俺が近づくだけでぎろりと睨み絶対に視線を外さない。
 小さな妹たちを連れて散歩していますよ、というテイを装って俺は詰所のような建物に寄っていく。料金所のような受付けを見つけてノックした。

「なんでしょう」

 いかにも融通の効かなそうな、冷たい感じの青年が座っていた。

「えっと、昨日から今日にかけて、なかから戻ってきた奴はいないか。五人のパーティでひとりだけ女がいたはずだ」
「そういう話は聞いていませんね」
「怪我をしてひとりで帰ってきたとか、ふたりで帰ってきたとか、そういうのもなかったかな」
「はい」
「この子たちの兄姉なんだ、」

 俺はミツハといすゞをダシにして情に訴えてみる。

「そのうちの女は、手首から先を失っていたかもしれない」

 そう言うと青年は少しだけ眉根を寄せて、小さく首を振った。否定。
 この国の管理者たちが〝赤の天領〟に挑む者たちをどういう目で見ているのか、とてもわかりやすい対応だ。公的には、広く〝ゲート〟を閉めに行ける人材を集めようということだが、残念ながらそれは有名無実となっている。むしろ一攫千金を狙ったいかがわしい階層の商売にされていると皆が知っている。
 幼い子どもが取り残されようが、手首を失う少女がいようが、知ったことではないのかもしれない。

「ムダじゃな。いくぞ」

 もうちょっと親身になって、せめて親身になった振りをして同僚に訊いてみるくらいのことをしてもいいだろうが、と思うがゴネて要求が通るような世界じゃない。

 次はミツハに頼んで、俺が担ぎ込まれた野良病院に聞き込みに行ってもらう。
 ミツハは「自分で行ってこい」と口を尖らせたが、どうも俺の間違った歴史を知っている奴には会う気がしない。俺という存在を強烈に脅かす危険分子だ。
 めんどくさそうに悪態をつかれた甲斐もなく、あっさりと病院にはいないことが判明する。

 リリリンの手首は、ミツハにそれと認識された途端に魔法で凍結された。どこかから湧き出た水が瞬く間にペキペキと音を発する見事な瞬間冷凍だった。今は部屋のなかで天井までの氷柱に根付けごと埋め込まれている。

 やはりそのまま貰ってしまおうという気にはならず、かといって債権を放棄するような金貸しにあるまじき道徳を行使するつもりもない。生きて戻ってきて貸付金を取り戻せれば一番いいが、それも叶わないとなると別の方法で債権回収して根付けは家族に届けてやるのがスマートだという気がする。
 しかしそこまで労力を割いてやる義理もない、とも思う。

 難しいところだ。

 俺はもしかしたらただ納得したいだけなのかもしれない。思いがけず転がり込んできた身の丈に合わない至宝を自分のものとしてもいいよ、という大義名分。
 例えば四方八方手を尽くしたが本人は戻ってこない、これは俺への正式な返済なんだ、とか。べつに古物趣味はないし、いらないけど俺が預かっておく他に手はないだろう、とか。そういう精神的な納得を得るための作業。それを今やっている。

 だけど根付けと通称される緘魔石はその家で代々受け継いでいくものだと聞いている。石ももち主を選ぶというし、相続外の凡人が握ったからといって魔法が使えるようになるでもない。俺がもっていたって売る以外に利用価値もないんだけどな――。
 そんな考えが行ったり来たり、ぐるぐると頭のなかで渦巻いている。

「シキキマ、次はどうする。北端の街まで取り立てにいくか」
「いや、割に合わないな」
「そしたらどうぶつ園まで助けに行くか」

 刀剣どころか金属バットぐらいしかまともに振ったことのない俺が、のこのこと魔窟に出張っていっても自殺行為であることは明白だ。せめてミツハのように――ん?

「そういえばおまえ、なんでまだ魔法使えるんだ」

 緘魔石の魔力を出し入れしたり精密にコントロールすることで人外の力を発揮できるというなら、それを取り上げられたミツハは俺と同じような一般人になるのではないのか。

「使える? この程度で使えるなどとは笑止。全盛期のわたしと比べれば、鋭利な刃物と枯れ葉くらいの違いがあるんだがな」はっはっは、と。

 子どもらしからぬ高笑いで過去の栄華を誇りに誇り倒している。しかも真相はブラックボックスだ。死人に口なし。全盛期のわたし、とやらを知っている者はこの世にはもういない。

「緘魔石がなくとも多少の魔法が有効なのは、ひとえに天才故の例外かな」ふふふ、と。
「自分でもよくわからないのか」

 聞こえていないふりをして、ミツハはいすゞとともにぐんぐんと歩いていく。

 そこに大物の影は見えなかった。
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