初日のこと
文字数 3,488文字
今でもたまに夢を見る。
数え切れないほど多くの奴が代わる代わる俺の顔をのぞき込んでいた。
「死んでるんじゃないのかい」
誰かが言うと、
「馬鹿、目が開いている」
そして口論が始まる。
「目を開けたまま死ぬ奴もいるだろ」
俺は小指の先すら動かせずに、言われたい放題言われ、じっとそこで意識が染みこんでくるのを待っていた。
なんだここは、誰だこいつら、俺はなにをしているんだ――。
しつこく昼寝に抗う子どものように、俺の意識は浮上したり沈んだり、あの世この世と馬車を駆っていた。
明確に目が覚めたときにやっと、自分がどこかに寝かされているんだと気付いた。まったく見覚えのない小屋のような内装の部屋で、なぜここにいるのか皆目見当がつかない。
「……なんだおまえら」
俺を取り囲んでいた数人に声をかけると、
「おい! 先生呼んでこい! 八号室が目覚めやがった!」
それからしばらく、俺の精神は著しい混乱をきたした。こいつらがなにを言っているのか、本当に理解できない。いや、言っている言葉の意味はわかるが、その方向性があさって過ぎてどうしても自分の常識と折り合いをつけられない。
医者と思しき男は当たり前のように言う。
「ヤフリアース君で良かったかな」
断じて違う。
「天領の通行申請記録を見て郷里に連絡をしておいた。三日前に帰られたが、知り合いだという人がふたり来て十日くらい君につきっきりで面倒を見ていたよ。なにせずっと昏倒していたからね」
誰が。
「君はずいぶんと軽装だったが、全身を〝この世ならざるもの〟で固めていた。なにがあったのか憶えているか? 役所の人間が来て、意識が戻ったら〝赤の天領〟のマップ化に協力して欲しいと言っていたぞ」
赤の天領? この世ならざるもの?
なんだそれは。戦争でも始まったのか。こいつらの服装はなんだ、現代人とは思えないデザインだ。まるでアニメ映画の中世世界だ。これは夢か?
「覚えているか」
その男は部屋の隅の方を指さしたので目をやると、見慣れたスーツが壁に掛けられていた。間違いなく俺のスーツだった。ワイシャツもあるしベルトもあるし先月買ったばかりの革靴も揃えて置かれていた。
「これが身に付けていた小物だ」
脱衣籠ほどのケースが枕元に置かれていて、腕時計もあるし煙草もあるしライターもあるし、財布はなかったけど携帯もあった。
「心配しないでもなにも盗っちゃいないよ。こっちもこれで飯を食っているんだ」
これで、の意味はだいぶん後になって判明した。
こいつらはいわゆるモグリの医者で、ときおり現れる〝赤の天領〟からの生還者を早急に保護して、その見返りとして金銭に代わる物を受け取るという商売をしている。最初は足下を見たとんでもない外道かと思ったが、これはこれで恨まれない事情と需要がある。
怪我をして城門まで戻ってくるような奴はそのほとんどが命からがらで、一刻一秒を争うようなケースがほとんどらしい。心身とも無事に戻ればその脚で行きたいところに行けばいいが、意識もないような奴は第三者に助けてもらうほかない。
その第三者をやっているのがこいつらだ。
皇国だっていつとも知れない患者のために医者を待機はさせないし、城門を管理している魔導士たちはその結界を維持するだけで精一杯、モグリだろうがなんだろうが助けてくれれば御の字だ。
俺は自分の意識の上で三日前に買った使い捨てライターをベッドに置いて、ある日その偽病院から夜逃げした。
赤の天領も、この世ならざるものも、知ったこっちゃないが自分は金をもっていなかったからしかたない。支払いがそれで足りたかどうかは定かじゃない。でも医者の奴は魔法でもないのに親指だけで火の出るそれを興味深げにいじり倒して、とても欲しそうにしていたから喜んでくれたと信じている。
どうやら自分の知っている世界とは別の場所で倒れていたんだと知ったときの恐怖は尋常じゃなかった。早く帰らないと大変なことになると思った。
おそらくここは異世界なんだろうと、冷静に認めることができたのは空腹に耐えかねて身の回りのものを売ったあたりのことだ。俺の身に付けていたすべては〝この世ならざるもの〟と呼ばれ高く取り引きされた。この世界に存在しないモノだからだ。
ヤフリアース。
俺の知らないところで、俺の名前をそう認識している人たちがいる。なんとも気持ちの悪い話だが、俺は生まれ育った村を飛び出し〝赤の天領〟というダンジョンまで宝探しに出かけて、戻ってきたと思えば見慣れぬ格好をしたまま、城門にて瀕死で発見されたということだ。
ところがそんな記憶は一切ない。欠片もない。
前日まで貸金業を生業として楽しく生きていたんだ。
なんで鉄筋コンクリートのジャングルで生まれ育った俺が、腰に剣を差した連中や魔法使いが当たり前にうろつく世界に覚えがなきゃならない。
逃げ出すしかないだろう?
「なんで?」
極東の岩山から湧き出ているという発泡水をすすりながら、いすゞはきょとんと俺に問うた。しかしその身体はミツハの陰に隠れている。
「なんでって、知らない奴になりすまして生活できるか。俺はここに来る前日までの記憶がしっかりあるんだ。いきなりヤフリアースだって言われたって嫌悪しかない」
「けんお?」
いすゞは俺がこの世界に迷い込んでから、初めて出会った同世界人だ。なにか俺の知らない情報をもっていないものかと色々話をしてみるが、本人は状況をなにも理解していないようだ。
「そういえば、いすゞ今いくつだ」
「ろっ、六さい、です」
「小学校は」
「もうすぐいくって、おかあさんが……」
三秒も目を合わせていると、いすゞはいとも簡単にたじろいでうつむいてしまう。まるでヤドカリのようだ。殻の役割をしているのがミツハだ。
「シキシマ、この子どもはなんでわたしにまとわりつくのだ。同族ならそっちでなんとかしろ」
「姿形が似ているから安心なんだろ。おまえは俺らの世界でいうところの六歳児だ」
はっはっは、と笑うと眉根をぴくぴくとさせて脇腹を小突いてくる。
「なんじゃ、小童め」
ミツハはもったいなくも若すぎる容貌にコンプレクスがあるのか、わざとらしく古くさい言葉遣いをしはじめる。わかりやすい奴だ。
「こわっぱ?」
いすゞが不思議顔で首をかしげる。
犬猫じゃあるまいし、簡単に人間を拾ってきてはいけない。
やっかいなことになるとは思っていた。わかっていたと言ってもいい。それでも、同じ世界から突然こちらに飛ばされてきた生活力ゼロの子どもを放り出すことはできなかった。ミツハと一緒に風呂に投げ込み服を分けてやり同じベッドに寝かせて、一晩明けたら多少は元気を取り戻したように思う。
たしかに自分らしくない行いだ。
今は三人並んでカウンターに座り、発泡水を飲みながらガラス張りの店内から表を眺めてぼんやりとしていた。早朝の通りは二十人に一人くらいの割合で剣をぶら下げた奴がいて、いすゞはまるでニチアサのような格好を見るたびに「おおー」と嬌声をあげている。
それでなくともグオシエンの街は様々な人種の坩堝と化している。多くの地方から多くの民族が集まってきて統一感のない日常を少しずつ溶かしあっている。異質なものはそこらじゅうにある。
「ミツハ、今日の予定は」
「先週借りに来た遊郭の番頭がいたろう。小切手の割引で二百万出した。あそこの決済日だ」
「ゆうかく?」
「前日連絡は」
「ちゃんときた。ジャンプすると言っている。ジャンプならもってこいと言ったら、足代を出すから集金で頼むということだ」
「ゆうかくって」
「そういうのは昨日言っといてくれよ」
「わたしが集金に行く。手間が増えるでなし、怒ることはないだろう」
「ねえねえ、ゆうかくって――」
「そんな格好で遊郭歩き回る気かよ」
「おかしいか?」
「あたりまえだ!」
ミツハは心外だという目をして頬を膨らませる。しかし中身はともかく見た目だけはかけっこもおぼつかないお子様だ。そんなのが遊郭を歩き回るところを見たらどう思うか、少しでも想像力を働かせて欲しい。
「もぅ、なんで無視するの」
「いすゞ、こいつは人でなしじゃ。相手にするな」
ふたりは姉妹のようにコンビを組んで、しれっとした目つきで俺を非難する。
やかましくなりやがった。
数え切れないほど多くの奴が代わる代わる俺の顔をのぞき込んでいた。
「死んでるんじゃないのかい」
誰かが言うと、
「馬鹿、目が開いている」
そして口論が始まる。
「目を開けたまま死ぬ奴もいるだろ」
俺は小指の先すら動かせずに、言われたい放題言われ、じっとそこで意識が染みこんでくるのを待っていた。
なんだここは、誰だこいつら、俺はなにをしているんだ――。
しつこく昼寝に抗う子どものように、俺の意識は浮上したり沈んだり、あの世この世と馬車を駆っていた。
明確に目が覚めたときにやっと、自分がどこかに寝かされているんだと気付いた。まったく見覚えのない小屋のような内装の部屋で、なぜここにいるのか皆目見当がつかない。
「……なんだおまえら」
俺を取り囲んでいた数人に声をかけると、
「おい! 先生呼んでこい! 八号室が目覚めやがった!」
それからしばらく、俺の精神は著しい混乱をきたした。こいつらがなにを言っているのか、本当に理解できない。いや、言っている言葉の意味はわかるが、その方向性があさって過ぎてどうしても自分の常識と折り合いをつけられない。
医者と思しき男は当たり前のように言う。
「ヤフリアース君で良かったかな」
断じて違う。
「天領の通行申請記録を見て郷里に連絡をしておいた。三日前に帰られたが、知り合いだという人がふたり来て十日くらい君につきっきりで面倒を見ていたよ。なにせずっと昏倒していたからね」
誰が。
「君はずいぶんと軽装だったが、全身を〝この世ならざるもの〟で固めていた。なにがあったのか憶えているか? 役所の人間が来て、意識が戻ったら〝赤の天領〟のマップ化に協力して欲しいと言っていたぞ」
赤の天領? この世ならざるもの?
なんだそれは。戦争でも始まったのか。こいつらの服装はなんだ、現代人とは思えないデザインだ。まるでアニメ映画の中世世界だ。これは夢か?
「覚えているか」
その男は部屋の隅の方を指さしたので目をやると、見慣れたスーツが壁に掛けられていた。間違いなく俺のスーツだった。ワイシャツもあるしベルトもあるし先月買ったばかりの革靴も揃えて置かれていた。
「これが身に付けていた小物だ」
脱衣籠ほどのケースが枕元に置かれていて、腕時計もあるし煙草もあるしライターもあるし、財布はなかったけど携帯もあった。
「心配しないでもなにも盗っちゃいないよ。こっちもこれで飯を食っているんだ」
これで、の意味はだいぶん後になって判明した。
こいつらはいわゆるモグリの医者で、ときおり現れる〝赤の天領〟からの生還者を早急に保護して、その見返りとして金銭に代わる物を受け取るという商売をしている。最初は足下を見たとんでもない外道かと思ったが、これはこれで恨まれない事情と需要がある。
怪我をして城門まで戻ってくるような奴はそのほとんどが命からがらで、一刻一秒を争うようなケースがほとんどらしい。心身とも無事に戻ればその脚で行きたいところに行けばいいが、意識もないような奴は第三者に助けてもらうほかない。
その第三者をやっているのがこいつらだ。
皇国だっていつとも知れない患者のために医者を待機はさせないし、城門を管理している魔導士たちはその結界を維持するだけで精一杯、モグリだろうがなんだろうが助けてくれれば御の字だ。
俺は自分の意識の上で三日前に買った使い捨てライターをベッドに置いて、ある日その偽病院から夜逃げした。
赤の天領も、この世ならざるものも、知ったこっちゃないが自分は金をもっていなかったからしかたない。支払いがそれで足りたかどうかは定かじゃない。でも医者の奴は魔法でもないのに親指だけで火の出るそれを興味深げにいじり倒して、とても欲しそうにしていたから喜んでくれたと信じている。
どうやら自分の知っている世界とは別の場所で倒れていたんだと知ったときの恐怖は尋常じゃなかった。早く帰らないと大変なことになると思った。
おそらくここは異世界なんだろうと、冷静に認めることができたのは空腹に耐えかねて身の回りのものを売ったあたりのことだ。俺の身に付けていたすべては〝この世ならざるもの〟と呼ばれ高く取り引きされた。この世界に存在しないモノだからだ。
ヤフリアース。
俺の知らないところで、俺の名前をそう認識している人たちがいる。なんとも気持ちの悪い話だが、俺は生まれ育った村を飛び出し〝赤の天領〟というダンジョンまで宝探しに出かけて、戻ってきたと思えば見慣れぬ格好をしたまま、城門にて瀕死で発見されたということだ。
ところがそんな記憶は一切ない。欠片もない。
前日まで貸金業を生業として楽しく生きていたんだ。
なんで鉄筋コンクリートのジャングルで生まれ育った俺が、腰に剣を差した連中や魔法使いが当たり前にうろつく世界に覚えがなきゃならない。
逃げ出すしかないだろう?
「なんで?」
極東の岩山から湧き出ているという発泡水をすすりながら、いすゞはきょとんと俺に問うた。しかしその身体はミツハの陰に隠れている。
「なんでって、知らない奴になりすまして生活できるか。俺はここに来る前日までの記憶がしっかりあるんだ。いきなりヤフリアースだって言われたって嫌悪しかない」
「けんお?」
いすゞは俺がこの世界に迷い込んでから、初めて出会った同世界人だ。なにか俺の知らない情報をもっていないものかと色々話をしてみるが、本人は状況をなにも理解していないようだ。
「そういえば、いすゞ今いくつだ」
「ろっ、六さい、です」
「小学校は」
「もうすぐいくって、おかあさんが……」
三秒も目を合わせていると、いすゞはいとも簡単にたじろいでうつむいてしまう。まるでヤドカリのようだ。殻の役割をしているのがミツハだ。
「シキシマ、この子どもはなんでわたしにまとわりつくのだ。同族ならそっちでなんとかしろ」
「姿形が似ているから安心なんだろ。おまえは俺らの世界でいうところの六歳児だ」
はっはっは、と笑うと眉根をぴくぴくとさせて脇腹を小突いてくる。
「なんじゃ、小童め」
ミツハはもったいなくも若すぎる容貌にコンプレクスがあるのか、わざとらしく古くさい言葉遣いをしはじめる。わかりやすい奴だ。
「こわっぱ?」
いすゞが不思議顔で首をかしげる。
犬猫じゃあるまいし、簡単に人間を拾ってきてはいけない。
やっかいなことになるとは思っていた。わかっていたと言ってもいい。それでも、同じ世界から突然こちらに飛ばされてきた生活力ゼロの子どもを放り出すことはできなかった。ミツハと一緒に風呂に投げ込み服を分けてやり同じベッドに寝かせて、一晩明けたら多少は元気を取り戻したように思う。
たしかに自分らしくない行いだ。
今は三人並んでカウンターに座り、発泡水を飲みながらガラス張りの店内から表を眺めてぼんやりとしていた。早朝の通りは二十人に一人くらいの割合で剣をぶら下げた奴がいて、いすゞはまるでニチアサのような格好を見るたびに「おおー」と嬌声をあげている。
それでなくともグオシエンの街は様々な人種の坩堝と化している。多くの地方から多くの民族が集まってきて統一感のない日常を少しずつ溶かしあっている。異質なものはそこらじゅうにある。
「ミツハ、今日の予定は」
「先週借りに来た遊郭の番頭がいたろう。小切手の割引で二百万出した。あそこの決済日だ」
「ゆうかく?」
「前日連絡は」
「ちゃんときた。ジャンプすると言っている。ジャンプならもってこいと言ったら、足代を出すから集金で頼むということだ」
「ゆうかくって」
「そういうのは昨日言っといてくれよ」
「わたしが集金に行く。手間が増えるでなし、怒ることはないだろう」
「ねえねえ、ゆうかくって――」
「そんな格好で遊郭歩き回る気かよ」
「おかしいか?」
「あたりまえだ!」
ミツハは心外だという目をして頬を膨らませる。しかし中身はともかく見た目だけはかけっこもおぼつかないお子様だ。そんなのが遊郭を歩き回るところを見たらどう思うか、少しでも想像力を働かせて欲しい。
「もぅ、なんで無視するの」
「いすゞ、こいつは人でなしじゃ。相手にするな」
ふたりは姉妹のようにコンビを組んで、しれっとした目つきで俺を非難する。
やかましくなりやがった。