火のないところに煙

文字数 3,357文字

 街のはずれにあるものの、その活気は侮りがたい。
 どこの世界にも昼間っから酒を飲んでいる奴はいるもので、金が余っているのか時間が余っているのか、逆に余っていないから最後の花火をあげようというのか、想像するしかないが、とにかく皆楽しそうだ。

 遊郭に辛気臭い顔は似合わない。
 遊び人風の男も、武人風の男も、商人だって、食い詰め者だって、この街の異様な活気を演出する歯車であり仲間だ。現実世界の繁華街に似ているようで少し違う。
 異形の坩堝と化したグオシエンの様々な歯車を内包し、そこから生み出されるエネルギーが人を惹きつけるのかもしれない。

「毎度お世話になります」

 書生風の番頭はいつも通り馬鹿丁寧にかしこまって涼しい顔をしている。
 俺が顔をのぞかせると、上り框にいた目つきの悪い三人の男たちが入れ違いに立ち上がって、無言のまま店を出て行った。

「揃いの衣装だったけど、今のは」
「うちの若い衆でございます。無作法者ですいません。あとで躾けておきますので」

 あのガラの悪い連中が、この優男な番頭にへつらう図は想像がつかない。やはりこの男はやり手なのだろう。

「今日もジャンプするって聞いたけど」
「はい、お利息だけ入れさせていただきます」
「少しくらい元金を詰めていったっていいんだけど」

 俺は受け取った現金を勘定しながら番頭に言った。暗に詰めろ――多めに返済しろということだ。

「金融屋さんとしては利息だけ入れてジャンプしてくれた方が、利息がたくさん入ってきて嬉しいんじゃないですか」
「そりゃあ返済能力があるって確信しているときだけだ」

 ジャンプが続く方が利息ばかり入ってきて儲かりそうなものだが、客に信用がないならどんどん元金を詰めていってくれた方が安心できる。利息を一割として、元金分を賄おうと思うと十回のジャンプが必要になる。十一回目で飛ばれたとして、元金分は受け取ったからトントンだ、とはいかない。時間と手間を考えたら大損だ。

「これは手厳しい。まだ信用がありませんね」

 なにを考えているのかわからない。得体の知れない客にどんな信頼をおけというのか。

「じゃ、俺は行くよ」
「ちょっと待ってください」

 少し食い気味の意外な制止。

「今日も遊んでいきませんか」
「いかないよ」
「そうですか……おうかがいしたいことがあったのですが」

 この番頭は油断ならない人物だと思うが、刺々しくない分、ついムゲにできない雰囲気になってしまう。

「追加なら貸さないよ」
「いえ、ちょっと小耳に挟んだのですが、なんでもシキシマさんのお店に皇国銀行の頭取が訪ねてこられたとか」

 頭取?

「相談役って聞いてるけど」
「ほぅ、つまり来られたのは本当なんですねえ。そういった縁故はどこで作ったのですか。いや、商売に活かしたいなと思いまして」
「ついさっきの話だ。ずいぶん耳が早いな」
「ココには様々な方がいらっしゃいますので、街の情報はそれなりに」

 したり、と冗談めかした表情になった。憎めないといえば憎めない。

「企業秘密だ」

 なにもたまたま訪ねてきただけだなんて言う必要はない。
 なにか強大なコネクションがあると誤解してくれるなら、それはそれでよし。「逃げられない」と客に思い込ませていた方が金貸しは楽だからな。

「やはり銀行がケツモチ、とか?」
「そんなわけあるか」
「攻略資金金融は銀行が貸せないレベルの客を引き受ける為に作られた受け皿、とか?」

 なんだこいつは。

「しつこいぞ。あんまり人のシノギに首をつっこむなよ」

 番頭は非礼にいま気が付いたという風にわざとらしく表情を作って、頭を下げた。

「つい興味をそそられてしまいますねえ」
「じゃ、俺は行くから」
「ではまた次回に、よろしくお願いします」

 今度は引き止められることなく暖簾をくぐった。
 店の前の通りは傾いた日差しで所々影を伸ばし、これからが本番だという夜遊びの匂いが立ち籠めはじめていた。

 視線を左右に振ると、一ブロック向こうにさっき店のなかにいた三人組が見える。こちらをじっと睨めている。というか、俺を見ているのか。なにか企んでいるんじゃないだろうな。
 どうせ店の場所は知られているのだし、尾行したって意味などないだろうが少し気味が悪い。
 俺はそそくさと遊郭の大門をくぐって、市街の路地をジグザグに渡って自分の店に向かった。考えすぎかな、と思わなくもないが事実金貸しはよく狙われる。

 現実世界で働いていたときも、ホームの先頭には立てなかったし、自宅の鍵はより堅牢なものに取り替えた。金融業者専門の強盗だっている業界だ。
 両腕を広げれば左右に触れそうな小道に入ったときだった。
 電灯もなく、まもなく夕闇に塗りつぶされてしまいそうな暗がりで、それはあまりにも唐突に現れた。

「ちょいと待ちな」

 声だけははっきりと届いたが、出処がわからない。
 突然の声に足を止めたが闇に慣れない目には正体がつかめない。

「下だこら! とぼけてんじゃねー」

 口汚いが存外かわいらしい声が真下から届いた。
 視線を下ろすと、すぐ目の前に俺の顎まで届かない程度の身長で怒っている奴がいる。長い赤髪をポニーテールに結って目を吊り上げている。少女のようだが女らしい所作がまるでない。なんだこのちんちくりんは。

「ぶつかったか?」
「あんた有名な悪党らしいな。あたしはここいらを仕切ってるヒノミカってもんだ」
「はあ? ガキがなに言ってんだ」
「はあ? ガキじゃないもう十五だけど」
「胸だってぺたんこじゃないか」
「はっ、なっ、ばっ、」

 そいつは言いたいことがしとどに溢れ、喉で詰まったのかぱくぱくと口を動かして顔を真っ赤にした。髪まで逆立て、人差し指を俺に突きつけ、怒りのボルテージが最高潮に達したためかぴょんと飛び上がって、ロックバンドのサビのように叫んだ。

「成長の緩急は人それぞれだろ! 身体的特徴をいじるのは反則だろ! あほう!」

 一回息継ぎして、

「栄養が足りないのはおまえら悪徳資本家のせいだ。虐げられた民の怒りを思い知れ!」

 意味不明な叫びを聞いたそんなときだった。
 そいつのすぐ後ろにうち捨てたれたゴミの山がボウと赤くなって路地を淡く照らした。真っ黒な煙がもくもくと上がりはじめる。

「おわ、おい火事だぞ。こっちこい!」
「やっ、ちょっ」

 俺は目の前のガキを抱えると走って通りまで戻った。

「おまえ火事だっつって、そこらの大人集めてこい。急げ」

 腰のあたりをパンッと叩く。
 火元までとって返すと、すでにひとりで消火できるレベルをはるかに超えている。犬小屋であれば全焼レベルと言ってもいい。大量の水がないとまず消えない。こんなときにミツハでもいれば、そこらから水を生成してざばっとかけられるのに。

「勘違いするな、」

 言葉とともに魔法かってくらい唐突に火が小さくなりすっと消失した。

「あんた、あたしの魔法にビビりすぎ――」

 振り返ると突き立てた人差し指にオイルライターのようなゆらりとした炎を宿したガキがほくそ笑んでいた。
 まさに魔法だった。
 俺はそいつの頭に遠慮なくゲンコツを落とした。ゴッと鈍い音がする。

「痛っ」

 ガキは両手で頭頂部を押さえると、まるで礼拝するようにうずくまる。そのまましばらく動かない。

「魔法憶えたてかしらねえけど、悪戯もたいがいにしろよ。火事になったらどうするつもりだ。やって良いことと悪いことの区別もつかないのか」

 見ると小さな肩を小刻みに揺らしているので少し申し訳ない気すら涌いてきた。それでもやはり火遊びは良くないし、こんなイタズラで街を焼けば人死にだって出るかもしれない。どの世界でも火事を出したら重罪だ。その痛みとともにやってはならないことを学習するだろう。

「火付け強盗みたいな真似はもうよせよ」ったく。

 足元からは鼻をすする音が小さく聞こえている。
 こんなときは聞こえないふりをして家路を急ごう。
 トラブルに巻き込まれるのはごめんだぜ。
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