襲撃者!
文字数 5,743文字
店に戻って顔を洗って冷蔵庫から冷えた発泡水を取り出して、カウンターで並んであやとりをしているミツハといすゞの横に腰を下ろして、やっと一息つく。疲れた。
こんなとき煙草でも吸いたくなるが、この世界には紙巻きタバコの量産品がない。いや、少なくともグオシエンの街にはない。いちいち自分で巻くのも面倒だしパイプや煙管のように直接葉を味わう趣味もない。
結果諦めるしかない。
「できたよ、エッフェル塔!」
「なんじゃそれは」
「ミツハちゃんぜんぜんできてないよ」
「えっふぇるとう、とはなんだと訊いている」
「うふふ、おっきな塔だよ」
「見たことないのだからできるわけない」
「わたしとおんなじように動かせばできるよ!」
俺がいない間も存外仲良くやっている。
ミツハにとってはめまいのするほど幼稚ないすゞでも、異世界の話を聞けるのは多少楽しいのかもしれない。もしくはいすゞに遊ばれているだけかもしれないが。
「ミツハ、集金の帰りに変なガキに襲われたぞ。指に火がついていたから魔法を使える奴だと思うんだけど」
「ガキ? 皇軍じゃないのだな」
「違うと思う。強盗風だったけどひとりでやってきたり、よくわからん。ここいらを仕切っているとか名乗ってた」
「ああ、その手合いか。根付けはもっているが皇国に召し抱えられるほど力のない者が徒党を組んで反社会的になることがままある」
「俺のことをどこの誰か認識しているようだったぞ。悪徳資本家、とか言ってたし」
「ほーう、この街でわたしの身内だと知ってなお襲ってくるなど、めずらしい。誰かに空気を入れられてるんじゃないか。賢い大人ならそんな真似せんだろう」
めんどくさいことになったな。集金に行くたびに襲われたんじゃ身がもたない。遊郭の連中が襲ってくるならまだしも、なぜあんな不良少年団につけ狙われなけりゃならないんだ。
「おじさんがやってきましたよ」
いすゞさんのご報告だ。
店の戸の前に見知った常連客が現れ、慣れた様子で店内に入ってくる。
「居酒屋さん、随分早いご帰還だね」
「ちょっと大物を手に入れてさ」
その男は口髭をもっさりとたくわえ、分厚い身体をもった豪胆な風貌で、誰が見てもいかつい。ごてごてとした防具と小ぶりな剣を鳴らしてカウンターまでやってくると、いすゞはミツハの陰に半分隠れようとする。
「期日はまだ先ですよ、」
その手にはなにも見えない。
「いすゞ、発泡水をこのおじさんにもってきてくれ」
「はいっ」
たったと奥までかけていく。ミツハと違ってなにを頼んでも嬉しそうにしてくれるからありがたい。ミツハなら自分でしろと視線で寄越して終わりだ。
「あれ、子ども増えたの」
「いや、ちょっと預かってるだけ。で、なにかあったんですか」
「いやあ、なにがあったってこともないんだけどさ、〝赤の天領〟もなんか変化が起きてるね」
重厚な見た目に反してそのしゃべり口は軽快だ。少し話をもったい付けているってことは、なにか良いことでもあったのか。
「いままで何十回も入ってきたけど、最近は見たこともない生き物が城門のそばまで来てるよ」
この男は街で居酒屋を経営しているが、妻が死んでからなにか吹っ切れたのか、店の客とパーティを組んで攻略を繰り返している。若い頃は相当腕に覚えがあったそうだ。
「城門のそばっていうと?」
「俺らなんてさ、趣味みたいなもんだから。城門から一晩も歩かないエリアで小遣い稼ぎしてるような感じだろ。安心安全、でもちょっとスリルがある。こんなゲームなんだよ。なのに今回は腰高の獅子みたいな獣がいたり、何万も群れになってる虫がいたり、なんかいつもと雰囲気が違うんだ。同化が進んでいるのかもしれない」
「なかで他のパーティと会いませんでした? 女がひとりいて怪我してるはずなんだけど」
「いや、他のグループと会うことなんてそうないよ」
そうか。
「で、手に入れた大物っていうのは」
よっぽど嬉しいのか口元はほころびっぱなしだ。居酒屋グループがうちで借りていく金額なんていつもたいした額じゃない。本当に大物を見つけたなら大金が転がり込むだろう。
「それがさ、南の黒山にむちゃくちゃ重い石があってさ。色は赤くて、それ自体あまり見ない感じなんだけど、なによりその重さがすごいんだよ。拳大のものでも腰を悪くするくらいだぜ」
石?
「見たこともない赤い石か! それ見せてくれないか!」
いいぞいいぞ。それはいい。
「ああ、俺もそれを頼みに来たんだ。欲張っていくつももってきたんだが、もう仲間もみんな体力の限界で、城門のところに置いてきたんだ。それで、前にくれたあの転送の札くれないかなと思って。一気にここに運ばせちゃもらえないか」
いいよいいよ、大歓迎だ。
「ミツハ!」
「ん、ああ」
めんどくさいな、という顔をしている。なんだおまえは、このチャンスにだらだらするんじゃねえ。
「魔法符だけ渡すのもな……わたしが一緒に行こう。シキシマ、転送させるから部屋を片付けておけ」
「ああ、夕飯も作ってやる。今日は魚を焼こう。頼んだぞ」
かわいらしい見た目とは真逆の気だるさを纏って、ミツハは居酒屋と一緒に店を出て行く。
これであのクソ生意気な刀匠協会をギャフンと言わせてやる。ざまあみやがれ。
「お姉さんがきましたよ」
しばらくこれからの展開を考えていると、いすゞさんのご報告が再びもたらされた。
店の入り口には人影がふたつ。
「やられたまま黙っていられるかー!!」
さっきのガキだ。
店に入ってくるなり十指の先に炎が宿る。
「あたしはヒノミカってんだ。遊郭あたりで知らない奴はいないよ。あたしを敵に回したのが運の尽きだ。覚悟しろ!」
「まて部屋のなかだぞ、バカかおまえ、どうするつもりだ」店ごと焼き払う気か。
ヒノミカはシシシシシと笑っている。
いすゞは俺の背後に隠れて、いまさらながら言った。
「わるい人かもしれません」
正解だ。
「やめろおまえ、白昼堂々そんな真似して許されると思ってるのか。いくらガキでもそれくらいの分別はつくだろ。おまえ、自分の家が焼かれたことを想像してみろ」
「そんなもん関係あるか! あたしらをコケにしたままこの街で生きていけると思うなよ」
ヒノミカがさっと左手を振ると、光の軌跡が視界を走り、同時に殴られたような衝撃と痛みが左胸に突き刺さった。ワケがわからず声も出ない。
見下ろすと硬貨ほどの穴が服に穿たれ、血の滲んだ素肌が露わになっている。
「……なんだこれ」
「シシシ、おまえはいま死んだ。本気を出せば貫通だってできるんだぜ」
今度は右手を構えてヒノミカはサディスティックに嗤う。
待てや止めろも間があればこそ。こいつは心持ち大きくなった火種を指先に宿して、軽いキャッチボールでもするように手首をスナップさせた。
指先から放たれた火の塊は超加速して鉄砲のように飛んでくる。筋肉の反応より断然速くて避ける余裕なんてありゃあしない。せいぜい、いすゞを庇って身体をこわばらせるくらいのものだ。
「わあぁーっ!!」
隠れた背中で叫び声を上げたいすゞを振り返ると、カウンター背後の壁に五つの抉れ模様。見事に火の玉が埋もれ炎は消えることなく壁を焦がしている。
俺より早く、いすゞがカウンターに残っていた炭酸水を壁にぶっかける。しかし上の方には届かない。慌てて俺もそれに倣う。
「いい加減にしろよこのやろう、」
このままじゃ後手後手に回って、あいつの手のひらでいいように弄ばれるだけだ。ダメ元でもこっちから攻撃に回らなきゃならない。
「いすゞ、しゃがんでろっ」
俺がカウンターを乗り越えるのとヒノミカが左手を振り上げたのは同時だった。捨て身でもあの手を止めよう、そう思ったとき。
「待ってよヒノミカちゃん、」
突然意識にのぼってきたもうひとりの襲撃者。
「小さな子がいるのに危ないよ」
ぽっちゃりと呼ぶにはもて余した身体を床から二十センチくらい浮かせた少年だった。なんでこんな襲撃に加わってしまったのか、多少は優しい心をもっているようで、小さないすゞに気遣いの目を向けている。
「うるさい、幼児趣味!」
「そんなぁ」
やかましい、とばかりにヒノミカは人差し指を振る。火弾は少年をかすめて入り口横の壁に突き刺さった。返す刀で左手を振り、反対側の壁にもいくつもの火弾がめり込んだ。もう無茶苦茶だ。自然収束は期待できない。
火は衰えることなく、点々と左右の壁を焦がし続けて剣呑な黒煙がもくもくと充満してくる。
「やめろ」
掴みかかろうとすると、両肩両膝にパンパンと衝撃が走り、なすすべもなく床に転がってしまう。むちゃくちゃ痛い。しかしその痛みも怒りの燃料として、感じたそばからくべられていく。
「卑怯だぞ、魔法なんか使いやがって」
現実世界でいえば拳銃を突きつけて非道な欲望を満たしているようなものだ。拳銃を携行した火付け強盗なんて少年犯罪の域を超えている。
いすゞが奥からもってきた水を壁にかけるも、あまり消火に期待はできない。
「いすゞ、はやく外に逃げろ」
耳に入らないのか、いすゞは容器をもって奥に走っていく。魔法によって炎をコントロールできるとすると水は無駄かもしれない。
「おまえら目的はなんだ」
「気分を晴らすことさ」シシシシシ、と。
俺は笑って力の入らない膝をなんとか踏ん張って立ち上がる。もう店は放棄していすゞとともに脱出した方がいいのかもしれない。こんな通り魔的襲撃で店を失うのは惜しいが、健康な身体といくらかの債権が残っていればやり直しはきくだろう。
あ、
気付く。
リリリンの根付けが奥の部屋に凍結されたままだ。あれをなんとかしなけりゃ。
ミツハの氷魔法が火力に対してどこまで有効かはわからないが、もし溶け出して手首も根付けも燃やしてしまっては、リリリンの人生とこの世界の財産が同時に失われることになる。こんなアホなガキの思いつきで灰にはできない。
「俺のことはどうしてもいい。店と小さい子どもは無関係だ。どこへでもついて行ってやるから火を消してくれ」
「おまえが嫌がるなら、なおさらやめられないな」
「馬鹿ガキ! 洒落で済む一線を完全に越えるぞ」
「じょーとーっ!!」
――そんなときだった。
花火をバケツに突っ込んだような音が立て続けにステレオで響き、続けてパキパキとなにかが鳴り始める。
入り口に人影。
「なんだこのざまは、シキシマ」
ミツハ!
「このふたりがさっき言っていた強盗か?」
入り口に立つミツハは店内の惨状も泰然と見下ろしていた。背は低いが睥睨というのがぴったりくる貫禄がある。両手ともぶらりと下げていつもとなんら変わらない。逆に、後ろにいた居酒屋の巨体の方があたふたとしてみえる。
「なにすんだ悪徳資本家ぁ!」
俺の目の前にはいつの間にか火付け強盗の女が氷に吊られていた。両手をバンザイして、炎の灯っていた五指どころか手首より先が天井から伸びた氷柱に呑み込まれている。足元はパキパキと鳴らしながら現在進行形でゆっくりと氷が覆っていく。それは膝から腰へと生きもののように動いていた。見ているだけで寒い。
壁の火弾もすべて消え、黒い焦げ跡を残すのみ。
「つめたい、いたい、つめたーい!! 助けろこらー!!」
浮かんでいた少年はもち前の危機回避能力が発動したのか、床に降り、ミツハから五歩は距離をとって視線を落としていた。助けるどころかヒノミカには近づこうともしない。
「このわたしの根城を襲撃するとはなかなか根性の据わったことだ。誰にそそのかされたのか、言ってみろ」
ミツハがヒノミカの前に立って尋問口調で問う。
「あたしがそんなに安い女に見えるかぁ!」
「もうすぐそのやかましい口も氷に覆われ、おまえの短い生涯は終わる。言いたいことがあるなら今のうちに吐いておけよ」
まるで大蛇が巻きついていくように、魔法によって生み出された氷はヒノミカの身体を這い上がっていく。このままいけば一分かからずこの少女を氷漬けにすることだろう。
「まった、まった! ちょっとまって!」
「おまえはシキシマがちょっと待てと言ったとき聞いてやったのか」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
すでに目尻からは涙がこぼれ、メンタルの弱さを存分に曝け出している。さっきまでの勢いはどこへ行ったのだと問い質したい。
「黒幕は誰だ。さっさと白状しろ」
「知らない! ほんとだよお。お金をもらって、懲らしめて欲しいって言われたんだ」
「おい、そこのふとっちょ」
「はいっ!」その両手足は綺麗に揃い、教科書に載せたい気をつけ姿勢がそこにある。「僕は浮遊魔法を良いことに、みんなに乗り物扱いされる脇役です。なんの詳細も聞いていません!」
見た目が生む怠惰さを微塵も感じさせないハキハキとした受け答え。
「貴様は歩かないから太るんだ、歩け!」
ミツハは囚われの火付け強盗少女に向き直りじっと睨み付けた。氷はすでに顎の先まで上がってきていてもはや声を出す余裕もないだろう。
「亡き者にするのは簡単だが、それでは償いきれぬだろう。壁や床の修理費用は頂こうか」
瞬間、胸のあたりの氷が砕け散り、そこだけ露わになる。ミツハはなにを思ったのかヒノミカの服をまくり上げ右手を突っ込んだ。
「ひゃうっ」
きつく拘束されているせいか、声とは裏腹に微動だにしない。できない。
「火の魔法使いよ、金が用意できないのなら身体で払ってもらうぞ。それも嫌なら根付けはわたしが預かろう」はっはっは、と。
ミツハの右手にはネックレス状の根付けがぶら下がっていた。
ううううう、と悲しそうにヒノミカの声が響く。
哀れに感じた俺はまだまだ甘いのかもしれない。
こんなとき煙草でも吸いたくなるが、この世界には紙巻きタバコの量産品がない。いや、少なくともグオシエンの街にはない。いちいち自分で巻くのも面倒だしパイプや煙管のように直接葉を味わう趣味もない。
結果諦めるしかない。
「できたよ、エッフェル塔!」
「なんじゃそれは」
「ミツハちゃんぜんぜんできてないよ」
「えっふぇるとう、とはなんだと訊いている」
「うふふ、おっきな塔だよ」
「見たことないのだからできるわけない」
「わたしとおんなじように動かせばできるよ!」
俺がいない間も存外仲良くやっている。
ミツハにとってはめまいのするほど幼稚ないすゞでも、異世界の話を聞けるのは多少楽しいのかもしれない。もしくはいすゞに遊ばれているだけかもしれないが。
「ミツハ、集金の帰りに変なガキに襲われたぞ。指に火がついていたから魔法を使える奴だと思うんだけど」
「ガキ? 皇軍じゃないのだな」
「違うと思う。強盗風だったけどひとりでやってきたり、よくわからん。ここいらを仕切っているとか名乗ってた」
「ああ、その手合いか。根付けはもっているが皇国に召し抱えられるほど力のない者が徒党を組んで反社会的になることがままある」
「俺のことをどこの誰か認識しているようだったぞ。悪徳資本家、とか言ってたし」
「ほーう、この街でわたしの身内だと知ってなお襲ってくるなど、めずらしい。誰かに空気を入れられてるんじゃないか。賢い大人ならそんな真似せんだろう」
めんどくさいことになったな。集金に行くたびに襲われたんじゃ身がもたない。遊郭の連中が襲ってくるならまだしも、なぜあんな不良少年団につけ狙われなけりゃならないんだ。
「おじさんがやってきましたよ」
いすゞさんのご報告だ。
店の戸の前に見知った常連客が現れ、慣れた様子で店内に入ってくる。
「居酒屋さん、随分早いご帰還だね」
「ちょっと大物を手に入れてさ」
その男は口髭をもっさりとたくわえ、分厚い身体をもった豪胆な風貌で、誰が見てもいかつい。ごてごてとした防具と小ぶりな剣を鳴らしてカウンターまでやってくると、いすゞはミツハの陰に半分隠れようとする。
「期日はまだ先ですよ、」
その手にはなにも見えない。
「いすゞ、発泡水をこのおじさんにもってきてくれ」
「はいっ」
たったと奥までかけていく。ミツハと違ってなにを頼んでも嬉しそうにしてくれるからありがたい。ミツハなら自分でしろと視線で寄越して終わりだ。
「あれ、子ども増えたの」
「いや、ちょっと預かってるだけ。で、なにかあったんですか」
「いやあ、なにがあったってこともないんだけどさ、〝赤の天領〟もなんか変化が起きてるね」
重厚な見た目に反してそのしゃべり口は軽快だ。少し話をもったい付けているってことは、なにか良いことでもあったのか。
「いままで何十回も入ってきたけど、最近は見たこともない生き物が城門のそばまで来てるよ」
この男は街で居酒屋を経営しているが、妻が死んでからなにか吹っ切れたのか、店の客とパーティを組んで攻略を繰り返している。若い頃は相当腕に覚えがあったそうだ。
「城門のそばっていうと?」
「俺らなんてさ、趣味みたいなもんだから。城門から一晩も歩かないエリアで小遣い稼ぎしてるような感じだろ。安心安全、でもちょっとスリルがある。こんなゲームなんだよ。なのに今回は腰高の獅子みたいな獣がいたり、何万も群れになってる虫がいたり、なんかいつもと雰囲気が違うんだ。同化が進んでいるのかもしれない」
「なかで他のパーティと会いませんでした? 女がひとりいて怪我してるはずなんだけど」
「いや、他のグループと会うことなんてそうないよ」
そうか。
「で、手に入れた大物っていうのは」
よっぽど嬉しいのか口元はほころびっぱなしだ。居酒屋グループがうちで借りていく金額なんていつもたいした額じゃない。本当に大物を見つけたなら大金が転がり込むだろう。
「それがさ、南の黒山にむちゃくちゃ重い石があってさ。色は赤くて、それ自体あまり見ない感じなんだけど、なによりその重さがすごいんだよ。拳大のものでも腰を悪くするくらいだぜ」
石?
「見たこともない赤い石か! それ見せてくれないか!」
いいぞいいぞ。それはいい。
「ああ、俺もそれを頼みに来たんだ。欲張っていくつももってきたんだが、もう仲間もみんな体力の限界で、城門のところに置いてきたんだ。それで、前にくれたあの転送の札くれないかなと思って。一気にここに運ばせちゃもらえないか」
いいよいいよ、大歓迎だ。
「ミツハ!」
「ん、ああ」
めんどくさいな、という顔をしている。なんだおまえは、このチャンスにだらだらするんじゃねえ。
「魔法符だけ渡すのもな……わたしが一緒に行こう。シキシマ、転送させるから部屋を片付けておけ」
「ああ、夕飯も作ってやる。今日は魚を焼こう。頼んだぞ」
かわいらしい見た目とは真逆の気だるさを纏って、ミツハは居酒屋と一緒に店を出て行く。
これであのクソ生意気な刀匠協会をギャフンと言わせてやる。ざまあみやがれ。
「お姉さんがきましたよ」
しばらくこれからの展開を考えていると、いすゞさんのご報告が再びもたらされた。
店の入り口には人影がふたつ。
「やられたまま黙っていられるかー!!」
さっきのガキだ。
店に入ってくるなり十指の先に炎が宿る。
「あたしはヒノミカってんだ。遊郭あたりで知らない奴はいないよ。あたしを敵に回したのが運の尽きだ。覚悟しろ!」
「まて部屋のなかだぞ、バカかおまえ、どうするつもりだ」店ごと焼き払う気か。
ヒノミカはシシシシシと笑っている。
いすゞは俺の背後に隠れて、いまさらながら言った。
「わるい人かもしれません」
正解だ。
「やめろおまえ、白昼堂々そんな真似して許されると思ってるのか。いくらガキでもそれくらいの分別はつくだろ。おまえ、自分の家が焼かれたことを想像してみろ」
「そんなもん関係あるか! あたしらをコケにしたままこの街で生きていけると思うなよ」
ヒノミカがさっと左手を振ると、光の軌跡が視界を走り、同時に殴られたような衝撃と痛みが左胸に突き刺さった。ワケがわからず声も出ない。
見下ろすと硬貨ほどの穴が服に穿たれ、血の滲んだ素肌が露わになっている。
「……なんだこれ」
「シシシ、おまえはいま死んだ。本気を出せば貫通だってできるんだぜ」
今度は右手を構えてヒノミカはサディスティックに嗤う。
待てや止めろも間があればこそ。こいつは心持ち大きくなった火種を指先に宿して、軽いキャッチボールでもするように手首をスナップさせた。
指先から放たれた火の塊は超加速して鉄砲のように飛んでくる。筋肉の反応より断然速くて避ける余裕なんてありゃあしない。せいぜい、いすゞを庇って身体をこわばらせるくらいのものだ。
「わあぁーっ!!」
隠れた背中で叫び声を上げたいすゞを振り返ると、カウンター背後の壁に五つの抉れ模様。見事に火の玉が埋もれ炎は消えることなく壁を焦がしている。
俺より早く、いすゞがカウンターに残っていた炭酸水を壁にぶっかける。しかし上の方には届かない。慌てて俺もそれに倣う。
「いい加減にしろよこのやろう、」
このままじゃ後手後手に回って、あいつの手のひらでいいように弄ばれるだけだ。ダメ元でもこっちから攻撃に回らなきゃならない。
「いすゞ、しゃがんでろっ」
俺がカウンターを乗り越えるのとヒノミカが左手を振り上げたのは同時だった。捨て身でもあの手を止めよう、そう思ったとき。
「待ってよヒノミカちゃん、」
突然意識にのぼってきたもうひとりの襲撃者。
「小さな子がいるのに危ないよ」
ぽっちゃりと呼ぶにはもて余した身体を床から二十センチくらい浮かせた少年だった。なんでこんな襲撃に加わってしまったのか、多少は優しい心をもっているようで、小さないすゞに気遣いの目を向けている。
「うるさい、幼児趣味!」
「そんなぁ」
やかましい、とばかりにヒノミカは人差し指を振る。火弾は少年をかすめて入り口横の壁に突き刺さった。返す刀で左手を振り、反対側の壁にもいくつもの火弾がめり込んだ。もう無茶苦茶だ。自然収束は期待できない。
火は衰えることなく、点々と左右の壁を焦がし続けて剣呑な黒煙がもくもくと充満してくる。
「やめろ」
掴みかかろうとすると、両肩両膝にパンパンと衝撃が走り、なすすべもなく床に転がってしまう。むちゃくちゃ痛い。しかしその痛みも怒りの燃料として、感じたそばからくべられていく。
「卑怯だぞ、魔法なんか使いやがって」
現実世界でいえば拳銃を突きつけて非道な欲望を満たしているようなものだ。拳銃を携行した火付け強盗なんて少年犯罪の域を超えている。
いすゞが奥からもってきた水を壁にかけるも、あまり消火に期待はできない。
「いすゞ、はやく外に逃げろ」
耳に入らないのか、いすゞは容器をもって奥に走っていく。魔法によって炎をコントロールできるとすると水は無駄かもしれない。
「おまえら目的はなんだ」
「気分を晴らすことさ」シシシシシ、と。
俺は笑って力の入らない膝をなんとか踏ん張って立ち上がる。もう店は放棄していすゞとともに脱出した方がいいのかもしれない。こんな通り魔的襲撃で店を失うのは惜しいが、健康な身体といくらかの債権が残っていればやり直しはきくだろう。
あ、
気付く。
リリリンの根付けが奥の部屋に凍結されたままだ。あれをなんとかしなけりゃ。
ミツハの氷魔法が火力に対してどこまで有効かはわからないが、もし溶け出して手首も根付けも燃やしてしまっては、リリリンの人生とこの世界の財産が同時に失われることになる。こんなアホなガキの思いつきで灰にはできない。
「俺のことはどうしてもいい。店と小さい子どもは無関係だ。どこへでもついて行ってやるから火を消してくれ」
「おまえが嫌がるなら、なおさらやめられないな」
「馬鹿ガキ! 洒落で済む一線を完全に越えるぞ」
「じょーとーっ!!」
――そんなときだった。
花火をバケツに突っ込んだような音が立て続けにステレオで響き、続けてパキパキとなにかが鳴り始める。
入り口に人影。
「なんだこのざまは、シキシマ」
ミツハ!
「このふたりがさっき言っていた強盗か?」
入り口に立つミツハは店内の惨状も泰然と見下ろしていた。背は低いが睥睨というのがぴったりくる貫禄がある。両手ともぶらりと下げていつもとなんら変わらない。逆に、後ろにいた居酒屋の巨体の方があたふたとしてみえる。
「なにすんだ悪徳資本家ぁ!」
俺の目の前にはいつの間にか火付け強盗の女が氷に吊られていた。両手をバンザイして、炎の灯っていた五指どころか手首より先が天井から伸びた氷柱に呑み込まれている。足元はパキパキと鳴らしながら現在進行形でゆっくりと氷が覆っていく。それは膝から腰へと生きもののように動いていた。見ているだけで寒い。
壁の火弾もすべて消え、黒い焦げ跡を残すのみ。
「つめたい、いたい、つめたーい!! 助けろこらー!!」
浮かんでいた少年はもち前の危機回避能力が発動したのか、床に降り、ミツハから五歩は距離をとって視線を落としていた。助けるどころかヒノミカには近づこうともしない。
「このわたしの根城を襲撃するとはなかなか根性の据わったことだ。誰にそそのかされたのか、言ってみろ」
ミツハがヒノミカの前に立って尋問口調で問う。
「あたしがそんなに安い女に見えるかぁ!」
「もうすぐそのやかましい口も氷に覆われ、おまえの短い生涯は終わる。言いたいことがあるなら今のうちに吐いておけよ」
まるで大蛇が巻きついていくように、魔法によって生み出された氷はヒノミカの身体を這い上がっていく。このままいけば一分かからずこの少女を氷漬けにすることだろう。
「まった、まった! ちょっとまって!」
「おまえはシキシマがちょっと待てと言ったとき聞いてやったのか」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
すでに目尻からは涙がこぼれ、メンタルの弱さを存分に曝け出している。さっきまでの勢いはどこへ行ったのだと問い質したい。
「黒幕は誰だ。さっさと白状しろ」
「知らない! ほんとだよお。お金をもらって、懲らしめて欲しいって言われたんだ」
「おい、そこのふとっちょ」
「はいっ!」その両手足は綺麗に揃い、教科書に載せたい気をつけ姿勢がそこにある。「僕は浮遊魔法を良いことに、みんなに乗り物扱いされる脇役です。なんの詳細も聞いていません!」
見た目が生む怠惰さを微塵も感じさせないハキハキとした受け答え。
「貴様は歩かないから太るんだ、歩け!」
ミツハは囚われの火付け強盗少女に向き直りじっと睨み付けた。氷はすでに顎の先まで上がってきていてもはや声を出す余裕もないだろう。
「亡き者にするのは簡単だが、それでは償いきれぬだろう。壁や床の修理費用は頂こうか」
瞬間、胸のあたりの氷が砕け散り、そこだけ露わになる。ミツハはなにを思ったのかヒノミカの服をまくり上げ右手を突っ込んだ。
「ひゃうっ」
きつく拘束されているせいか、声とは裏腹に微動だにしない。できない。
「火の魔法使いよ、金が用意できないのなら身体で払ってもらうぞ。それも嫌なら根付けはわたしが預かろう」はっはっは、と。
ミツハの右手にはネックレス状の根付けがぶら下がっていた。
ううううう、と悲しそうにヒノミカの声が響く。
哀れに感じた俺はまだまだ甘いのかもしれない。