魔法使いの矜持
文字数 3,048文字
目が覚めたのは腋をくすぐられているような感覚があったからだ。
意識がもち上がってくると、それは冷たさからくるものであると気付く。身体をねじろうと思っても動かない。起き上がることも横を向くこともできない。
これは尋常じゃないと目を開けると、
「殺してやる」
ミツハの顔が俺をのぞき込んでいた。
俺は自分の身体を押さえ込んでいたものの正体を知る。
両腋どころじゃない。腰にも膝にも足首にも、両腕両肘両手十指に至るまで身体の輪郭に沿って大小様々な氷の杭が打ち込まれて、ベッドに磔の状態だった。
犯人はこいつしかいない。
「ミツハ、なにしてんだ」
状況説明を求めると、五十センチはあろうかという鋭い氷杭が、中空に浮かんだまま首もとに突き立った。
「鉄鉱の青を売ったのか」
冗談は許さないという雰囲気が溢れ出ている。先端がキリのように鋭い杭がもう一本、宙に生成されて、俺の心臓を照準した。その鋭利さを想像して左胸がぞわぞわとする。
もちろん脅しではないのだろう。
だからって嘘をつくつもりもない。
「売った」
「金のために売ったのか」
「そうだよ」
「見損なった。なんじゃ、金で買えんものもあると思わんのか!」
ミツハは小さな拳を握りしめて震えていた。
「いのち」
「なんて?」
「いつも言ってんだろ。命の次に大切な『金』を貸してんだって」
「その『命の次に大切なもの』のせいで、おまえは命を失う――」
杭の先端が助走をつけるように少し遠ざかった。
来る、
「待てミツハ!」
言い訳くらいさせやがれ。
「おまえが死ぬなんてことを言うからだ! おまえの命の方が大切だったんだよ! 根付けが取られたからどうした! 持ち主はとうの昔に死に体だ! そんなもんに命賭けるなんて言ってんじゃねえ!」
思わず目をつむり、大声を出して一気に声を振り絞った。
――沈黙。
ゆっくりと瞼を上げると、
左胸の寝間着をわずかに押しつけるようにして杭は停止していた。あと少し力を込めれば、その先端は俺の皮膚を突き抜けて、ベッドは血に濡れただろう。
ミツハの冷たい表情は変わらない。
こいつの心を動かすにはまだなにかが足りない。
「わたしとおまえたちでは死の価値が違う。もう人の何倍も生きた」
「ふざけんじゃねえ、一緒だ。死んで辛いのはおまえ自身じゃなくて周りの人間だぞ。人のこともちょっとは考えたらどうなんだ。残された奴はどうなっても良いってのか」
「おまえの個人的な意見だな」
「ヒノミカだってそう言うさ」
「たいして強くもないくせに〝赤の天領〟に入っていって、見たこともないような怪物と対峙して、最後に自分の手首を斬り落としてまで根付けを守ろうとした少女の気持ちを汲んでやろうと思わぬか」
「おまえがそんなに感傷屋だったなんて知らなかった」
普段は俺ほども客に興味を示さないくせに。
「根付けは魔法使いの魂だ」
まただ。
魂を奪われたことがそんなに耐え難いのか。
「おまえは自分の根付けを取り上げられたことと、リリリンの根付けが奪われたことを混同するな」
「同じことだ。わたしの根付けじゃないから良いというものでもない。おまえにはわからんよ」
「たしかに、手元にあったものを理不尽に奪われれば怒りも湧くだろう。でもな、今回は違う。それに根付けの使い道は魔力を誇示するためだけじゃないだろ」
シブカワだってペテンにかけて根付けを奪っているわけではない。担保として差し入れたのなら、取られることも覚悟の上だろう。だったらその使い道に耳を傾けてやったってバチは当たるまい。
「魔法を使わん者にはわからんと言っている」
「根付けを手放すことに過剰反応しているんじゃないのかってことだ」
「この裏切り者め。銀行にいくらもらった。根付けはおまえのものじゃない。勝手に金に変えるなど筋が通らんぞ。卑怯者、健忘症、守銭奴、詐欺師」
「たしかに筋は通らないかもしれないが、俺は不可逆なことが大嫌いなんだ。おまえが死ぬくらいなら、リリリンに不義理をした方がマシだ」
どんなに筋の通らないことでも、俺のなかでは折り合いがついたんだ。
「平行線だな」
ミツハから急速に熱が引いていくのがわかった。
やっぱり俺を殺す気か。
「おまえはいつも根付けと一緒にいるだろう」
ミツハの柳のような眉が片方もち上がる。
「なんでおまえが根付けもなしに魔法が使えるのかずっと考えていた。誰も彼もが有り得ないと言う。でも理由がわかった。それはおまえの根付けがこの世界のエネルギーの源泉になっているからだ」
意味を解さないのか、じっと俺を見つめたままなにかを考えている。
「……エネルギー?」
「スイッチを押せば灯りがつくのも、火が点るのも、みんな魔法の力なんだろ。俺のいた世界では『電気』や『ガス』と呼んだ。この国のそういうエネルギーは、おまえが五百年も前に取り上げられた壱番の根付けから供給されているんじゃないのか。
おまえの根付けから魔力を放出させて、そのエネルギーを毛細血管のように国中に分配して利用している。この世の魔力の半分を閉じ込めた根付けだ、おかしな話じゃない」
現実世界に生きたシブカワなら、簡単に思いつくはずだ。エネルギーの利用方法は。
「そんな馬鹿な……」
「だからおまえは、魔力網の張り巡らされている場所にいれば常に魔法が使える。無意識のうちに天井の灯りやなんかから引き出してんだ。だからこの国の連中は全員おまえの根付けの恩恵に与ってるんだ」
遠くを見つめるように、ミツハは眼を細めた。
「世界はここまで発展してしまったんだ。魔力が尽きたからって、いまさら過去の生活習慣に戻りましょうってワケにはいかないだろう。いつか尽きるであろう魔力問題のために、皇国はなりふり構わずに、世界中に散った根付けを集め回っている。シブカワの言動もこれで説明がつく」
「……わたしの根付けが」
もちろんなんの証拠もない。
「生きていれば取り戻す好機があるかもしれないぞ。死んだらそこで終わりだ」
こんな世界じゃなおさら、なにが起きたっておかしかない。
「聞いてるか、死んだら終わりだぞミツハ。俺と一緒に生きていこう。死ぬなんて軽々しく口にするんじゃねえよ。俺と一緒にいりゃあ楽しいこともまだまだあるぞ」
あと俺を殺そうとするのもやめてくれ。
「…………」
言葉を失ったミツハはぽかんと口を半開きにして、俺を見つめた。
どういうわけか憑き物が落ちたように毒気や殺気が消えている。それはミツハが見せた無垢な驚愕だったのかもしれない。
なにに驚いているのかわからないが、次第に顔を紅潮させると突然ぷいとそっぽを向き、ごめんなさいも言わずに俺の部屋を出て行った。
俺を磔ていた杭は水蒸気のように細かい粒子になって消えていく。
なんとか魔女を説得することに成功したようだ。
「朝飯は一緒に食うぞ。準備しておけよ」
部屋を出て行く背中に放った。
こんな目に合うのはもう二度とごめんだ。
磔状態から解放されたというのに、どうやら起き上がれそうになかった。全身に力が入らず、上体を起こそうとするとバキバキと音がするほど全身が硬い。
でもまだ休んではいられない。
今日はたしか集金があったな。
意識がもち上がってくると、それは冷たさからくるものであると気付く。身体をねじろうと思っても動かない。起き上がることも横を向くこともできない。
これは尋常じゃないと目を開けると、
「殺してやる」
ミツハの顔が俺をのぞき込んでいた。
俺は自分の身体を押さえ込んでいたものの正体を知る。
両腋どころじゃない。腰にも膝にも足首にも、両腕両肘両手十指に至るまで身体の輪郭に沿って大小様々な氷の杭が打ち込まれて、ベッドに磔の状態だった。
犯人はこいつしかいない。
「ミツハ、なにしてんだ」
状況説明を求めると、五十センチはあろうかという鋭い氷杭が、中空に浮かんだまま首もとに突き立った。
「鉄鉱の青を売ったのか」
冗談は許さないという雰囲気が溢れ出ている。先端がキリのように鋭い杭がもう一本、宙に生成されて、俺の心臓を照準した。その鋭利さを想像して左胸がぞわぞわとする。
もちろん脅しではないのだろう。
だからって嘘をつくつもりもない。
「売った」
「金のために売ったのか」
「そうだよ」
「見損なった。なんじゃ、金で買えんものもあると思わんのか!」
ミツハは小さな拳を握りしめて震えていた。
「いのち」
「なんて?」
「いつも言ってんだろ。命の次に大切な『金』を貸してんだって」
「その『命の次に大切なもの』のせいで、おまえは命を失う――」
杭の先端が助走をつけるように少し遠ざかった。
来る、
「待てミツハ!」
言い訳くらいさせやがれ。
「おまえが死ぬなんてことを言うからだ! おまえの命の方が大切だったんだよ! 根付けが取られたからどうした! 持ち主はとうの昔に死に体だ! そんなもんに命賭けるなんて言ってんじゃねえ!」
思わず目をつむり、大声を出して一気に声を振り絞った。
――沈黙。
ゆっくりと瞼を上げると、
左胸の寝間着をわずかに押しつけるようにして杭は停止していた。あと少し力を込めれば、その先端は俺の皮膚を突き抜けて、ベッドは血に濡れただろう。
ミツハの冷たい表情は変わらない。
こいつの心を動かすにはまだなにかが足りない。
「わたしとおまえたちでは死の価値が違う。もう人の何倍も生きた」
「ふざけんじゃねえ、一緒だ。死んで辛いのはおまえ自身じゃなくて周りの人間だぞ。人のこともちょっとは考えたらどうなんだ。残された奴はどうなっても良いってのか」
「おまえの個人的な意見だな」
「ヒノミカだってそう言うさ」
「たいして強くもないくせに〝赤の天領〟に入っていって、見たこともないような怪物と対峙して、最後に自分の手首を斬り落としてまで根付けを守ろうとした少女の気持ちを汲んでやろうと思わぬか」
「おまえがそんなに感傷屋だったなんて知らなかった」
普段は俺ほども客に興味を示さないくせに。
「根付けは魔法使いの魂だ」
まただ。
魂を奪われたことがそんなに耐え難いのか。
「おまえは自分の根付けを取り上げられたことと、リリリンの根付けが奪われたことを混同するな」
「同じことだ。わたしの根付けじゃないから良いというものでもない。おまえにはわからんよ」
「たしかに、手元にあったものを理不尽に奪われれば怒りも湧くだろう。でもな、今回は違う。それに根付けの使い道は魔力を誇示するためだけじゃないだろ」
シブカワだってペテンにかけて根付けを奪っているわけではない。担保として差し入れたのなら、取られることも覚悟の上だろう。だったらその使い道に耳を傾けてやったってバチは当たるまい。
「魔法を使わん者にはわからんと言っている」
「根付けを手放すことに過剰反応しているんじゃないのかってことだ」
「この裏切り者め。銀行にいくらもらった。根付けはおまえのものじゃない。勝手に金に変えるなど筋が通らんぞ。卑怯者、健忘症、守銭奴、詐欺師」
「たしかに筋は通らないかもしれないが、俺は不可逆なことが大嫌いなんだ。おまえが死ぬくらいなら、リリリンに不義理をした方がマシだ」
どんなに筋の通らないことでも、俺のなかでは折り合いがついたんだ。
「平行線だな」
ミツハから急速に熱が引いていくのがわかった。
やっぱり俺を殺す気か。
「おまえはいつも根付けと一緒にいるだろう」
ミツハの柳のような眉が片方もち上がる。
「なんでおまえが根付けもなしに魔法が使えるのかずっと考えていた。誰も彼もが有り得ないと言う。でも理由がわかった。それはおまえの根付けがこの世界のエネルギーの源泉になっているからだ」
意味を解さないのか、じっと俺を見つめたままなにかを考えている。
「……エネルギー?」
「スイッチを押せば灯りがつくのも、火が点るのも、みんな魔法の力なんだろ。俺のいた世界では『電気』や『ガス』と呼んだ。この国のそういうエネルギーは、おまえが五百年も前に取り上げられた壱番の根付けから供給されているんじゃないのか。
おまえの根付けから魔力を放出させて、そのエネルギーを毛細血管のように国中に分配して利用している。この世の魔力の半分を閉じ込めた根付けだ、おかしな話じゃない」
現実世界に生きたシブカワなら、簡単に思いつくはずだ。エネルギーの利用方法は。
「そんな馬鹿な……」
「だからおまえは、魔力網の張り巡らされている場所にいれば常に魔法が使える。無意識のうちに天井の灯りやなんかから引き出してんだ。だからこの国の連中は全員おまえの根付けの恩恵に与ってるんだ」
遠くを見つめるように、ミツハは眼を細めた。
「世界はここまで発展してしまったんだ。魔力が尽きたからって、いまさら過去の生活習慣に戻りましょうってワケにはいかないだろう。いつか尽きるであろう魔力問題のために、皇国はなりふり構わずに、世界中に散った根付けを集め回っている。シブカワの言動もこれで説明がつく」
「……わたしの根付けが」
もちろんなんの証拠もない。
「生きていれば取り戻す好機があるかもしれないぞ。死んだらそこで終わりだ」
こんな世界じゃなおさら、なにが起きたっておかしかない。
「聞いてるか、死んだら終わりだぞミツハ。俺と一緒に生きていこう。死ぬなんて軽々しく口にするんじゃねえよ。俺と一緒にいりゃあ楽しいこともまだまだあるぞ」
あと俺を殺そうとするのもやめてくれ。
「…………」
言葉を失ったミツハはぽかんと口を半開きにして、俺を見つめた。
どういうわけか憑き物が落ちたように毒気や殺気が消えている。それはミツハが見せた無垢な驚愕だったのかもしれない。
なにに驚いているのかわからないが、次第に顔を紅潮させると突然ぷいとそっぽを向き、ごめんなさいも言わずに俺の部屋を出て行った。
俺を磔ていた杭は水蒸気のように細かい粒子になって消えていく。
なんとか魔女を説得することに成功したようだ。
「朝飯は一緒に食うぞ。準備しておけよ」
部屋を出て行く背中に放った。
こんな目に合うのはもう二度とごめんだ。
磔状態から解放されたというのに、どうやら起き上がれそうになかった。全身に力が入らず、上体を起こそうとするとバキバキと音がするほど全身が硬い。
でもまだ休んではいられない。
今日はたしか集金があったな。